第33話「優しい方」
もしや莉緒という女に殴られたのかと、京弥は益々憎しみが増す。どこまで柚月葉を傷つければ気が済む! と、怨霊より質が悪いとさえ考えてしまう。
ゆっくり眠って怪我を治してもらうために、睡眠効果のある薬を処方してあるから、簡単には起きないと蒼に言われ、京弥は静かに扉を開けて部屋に入る。
女性の寝顔を見るなど失礼だとは思ったが、一刻も早く無事である姿を見たく、京弥は姿をみたらすぐに部屋を出ようと思っていた。
だが、柚月葉の顔を見たら、酷い痣が視界に飛び込み、京弥はそっと近くで膝をつく。
「酷いな」
蒼が薄くなったとはいえ、青痣がまだはっきりと見て取れた。
「ソレを守るために、酔っ払い男に蹴られたんだ」
「着物、……?」
柚月葉の枕元に綺麗に畳んであった着物に視線を向け、京弥はなぜそんなもののために? と、顔を顰める。こんな酷い怪我をするくらいなら、着物くらい手放せばよかったものをと、思う。
「京弥に買ってもらった大切な着物だって、言ってたよ」
蒼にそう言われ、京弥はハッと目を見開く。この着物は離縁してもらうための餞別として、碧海と一緒に買いに行った着物なのかと、思い出す。
「売ればかなりの金に……」
「京弥からもらった優しさだから、だから手放すことは出来ないって」
金銭に換えるつもりだっただろうと思った京弥は、蒼に言われた言葉に息を飲む。神白家を出た後に金にすれば、しばらく暮らしていけるのではないかと想像した自分が疎ましくなった。
「自分が嫌になるな」
柚月葉は文句も自分の意見もはっきり言わなかった。架谷家での暮らしも黙って受け入れ、離縁の話も素直に受けた。本当に何も言わない。そんな風に見えた。
誰かが守ってやらなければ、柚月葉はどうなる? ふと頭に思い浮かんだ疑問に、柚月葉の柔らかく微笑んだ顔が浮かぶ。
(どうすれば、お前は笑顔でいられる?)
無意識にそう思いながら、京弥は柚月葉の顔の痣に手を添えていた。触れることでこの痣が消えてしまえばいいのに、そんなことを願いながら京弥は触れるが、痣が消えることはなく、代わりに閉じた瞼がゆっくりと開く。
「……、ぁっ、……京弥様ッ!」
開かれた瞳に京弥の姿を捉えた柚月葉は、飛び跳ねるように正座をすると、深く深く頭を下げてくる。
「申し訳ありません!」
「何を謝罪する?」
「勝手にお屋敷を出てきてしまいました」
結婚したときに、無断で屋敷を出るなと言いつけられていたのに、自らの判断で出てきてしまったと、約束を破ってしまったと柚月葉は、肩を震わせながら謝る。
しかし、柚月葉はここで離縁したことを思い出し、京弥が謝罪する意味が分からないといったことに納得する。
(そうか、私はもう……神白じゃないから)
外に出て行くことに制限なんてなかったのだと、今度はきつく唇を噛み締める。
「……痛むか?」
俯く柚月葉の頬に京弥の手が触れる。この人はどうしてこんな私に優しくしてくれるのだろうと、涙が溢れる。
「平気……です」
「嘘をつくな」
これ以上関わってはいけない。私と居ると不幸になると、架谷家でさんざん言われた言葉が巡る。怪我よりも心が痛い、それでも私は「痛くありません」と声を出す。
そうすれば、突然京弥に抱きしめられた。
「あっ、の、京弥様ッ」
「着物などいくらでも買ってやる。自分を大切にしろ」
「……」
言葉が出なかった。そんな優しい言葉聞いたのは、思い出せないほど昔のこと。
とめどなく溢れる涙が止まらない。
小さな嗚咽を漏らして泣く柚月葉を抱きしめながら、京弥は力を入れたら折れてしまうほどに細いと、抱きしめる腕を緩める。
まともに食事を取らせてもらえてなかった、人並みの生活を送っていなかった、その意味をきちんと理解できた瞬間だった。
自分が柚月葉を幸せにしたいと、迷いもなくそう決めた瞬間でもあった。
気が済むまで泣いた柚月葉は、我に返ったように「すみません」とまた謝罪する。
「気にするな」
「私はもう神白家の人間ではありません。捨て置いてください」
バッと京弥から離れた柚月葉は、指をつき、再び深く頭を下げる。
「それはコレのことか」
胸元から取り出した紙を柚月葉の目の前に出しだしながら、京弥はその紙を広げて見せる。
それは柚月葉が名前を書いた離縁の書類。京弥が持っているということは、莉緒に会って、それから受け取ったのだろうと、二人の姿が目に浮かんだ。
「これはお前の意志か?」
「……」
「俺との結婚は苦しかったか?」
逃げ出したいほど嫌だったのかと、責められ、柚月葉は静かに首を振る。京弥も美坂も、碧海も、役立たずでゴミみたいな私に優しくしてくれた。そんな神白家を逃げ出したいと思ったことなどない、けれど、私ではなく莉緒の方が相応しいと気づいてしまい、京弥も美しい莉緒を妻にした方がいいと思った。だから……
「私は疫病神ですから……」
結婚を白紙にして、京弥にご迷惑がかからないようにしたと、そっと話す。それを聞き、やはりあの女(莉緒)の言葉は嘘だったと知る。
ビリビリビリ……ッ
柚月葉の目の前で、サインした用紙が手で裂かれる。コレがなければ京弥は自分と離縁できなくなると、「ダメです」と柚月葉が手を伸ばせば、京弥は柚月葉から書類を遠ざけて、さらに粉々に破り捨てる。
小さく裂かれた紙が畳の上に散らばる。
「京弥、ゴミを散らかさないでくれるかい」
「灰にしてくれ」
「燃やすのはいいけど、せめてゴミ箱に捨ててよ」
部屋を汚され、蒼はため息を含ませると、自分で散らかしたものは自分でと言う。そう言えば、京弥は散らばった紙をまとめて蒼に差し出した。
「これでいいか?」
紙切れを握りつぶした京弥は、本当にゴミと化した書類を蒼に投げる。
「それじゃ、処分してくるよ」
ゴミを受け取った蒼は、そのまま部屋を出て行く。
「どうして」
「どうしてとは?」
「この結婚は間違いだとおっしゃいました」




