第30話「正当花嫁」
参議である榎室を無下にはできず、京弥はひとまず客間に通す。
儀朗と一緒に車から降りてきた女性は、おそらく娘。京弥は、すぐにでも蒼の屋敷に向かいたかったが、とんだ来訪者がきたと、軽く舌打ちをしていた。
間が悪いとはまさにこれを言うのだろうと、京弥は大人しく儀朗の話を聞くことにした。
美坂が茶を用意すれば、儀朗は姿勢を正し、深々と頭を下げる。
「此度は、娘の体調回復が遅れ、京弥殿には多大な迷惑をかけてしまった」
そういえば、儀朗の娘と結婚するはずだったと、今更思い出す。蒼の話では、たしか娘は駆け落ちをしたと聞いた。つまり、ここに娘を連れてきたと言うことは、儀朗は居場所を見つけ出し、連れ戻したと言うことだろうと、京弥は眉をあげた。
「思いのほか仕事が立て込んでしまって、伺うことも出来ず、失礼した」
「こちらも文の一通もださずに、申し訳なかったと」
「榎室殿ならば、と、安心していたため、謝罪など必要ありません」
いくら神白家の位が高いとはいえ、参議の方がそれよりも上。京弥は儀朗の機嫌を損なわないように、話しを合わせる。すでに別の女性と婚姻を結んでいるなどと、口が裂けても言えないだろうと、今は何とかやり過ごすことを考える。
国を治めている御薬袋君睦様と親しいのは、神白家の当主ではあるが、京弥はその孫に値し、それほど権力があるわけでもない。つまり、ここは大人しく話を合わせ、儀朗の娘との結婚を引き延ばす必要があると、京弥は必死に考えを巡らす。
「里桜、京弥殿に挨拶を」
大人しく後ろで控えていた娘を傍に呼び、挨拶をさせる儀朗だったが、里桜は浮かない表情を浮かべたまま、そっと手をつく。
「榎室里桜と申します」
「大人しい娘ですが、器量はよく、料理も得意なのですよ」
自慢の娘だと儀朗は笑って見せるが、里桜は終始虚ろな瞳をしていた。
「神白京弥だ」
自分も名を名乗ったが、里桜は「はい」と小さく返事を返すだけだった。
無理やり連れ戻されたのだろうと、好きな相手と離れ離れにさせられた里桜の気持ちは、おそらくここにはないのだろうと、京弥は少し冷めた眼差しで見つめた。
「ところで、随分と遅れてしまいましたが、祝言の日取りはどのように?」
「そのことですが、里桜殿としばらく一緒に過ごしたいと考えております」
「過ごすとは?」
「こちらの都合で大変申し訳ないのだが、先ほども申した通り、少し仕事が詰まっており、それが片付いたらと考えております」
慌ただしい中では、ゆっくりと祝言もあげられず、式の途中で退席してしまうかもしれないと、京弥は今しばらく待って欲しいと願い出る。
儀朗の本音は、今すぐにでも祝言をあげてほしいが、散々京弥を待たせてしまったうえ、娘が駆け落ちしたなどと知られたらと、強引に進めることも出来ず、眉間に皺を寄せてはみたが、京弥にはまだ婚姻の意志があると知り、ひとまず、破棄されるわけにはいかないと、その条件を飲む。
「私は一向に構わぬが」
「それはありがたい。して、里桜殿をこの屋敷に預からせていただきたい」
突然の京弥の申し出に、儀朗だけでなく、里桜も驚いたように顔をあげた。祝言もあげていないというのに、里桜を預かりたいとはどういうことなのかと、儀朗が顔を顰めると、京弥はゆっくりと頭をさげ、
「色恋には縁がなかったもので、仲を深めたいと思っております」
丁寧に自分にはそういった経験がなく、一緒になる前に里桜のことを知りたいと話した。
それを聞き、儀朗は京弥に限って何かあるとは思えず、むしろ仲を深めていただいてからの結婚の方がよいと考える。
なにせ里桜には他に好きな人がいた。なんとか見つけ出し、強引に連れ戻したが、里桜の心にはおそらくまだ別の男がいる。京弥と一緒に過ごし、それを忘れるのもいいと、儀朗はそれを快諾する。
「それはそれは、よい考えですな」
「承諾感謝いたします」
「里桜、粗相のないようにしなさい」
神白家に迷惑をかけないようにと念を押し、里桜をそっと差し出す儀朗は、ようやく肩の荷が下りたが、祝言は少しでも早い方がいいと、京弥に提言する。
だが、京弥には事情があり、本家にはお披露目は三月後にと引き延ばしており、柚月葉のこともあり、どうしても祝言を早められないため、次の手を打つ。
「里桜殿の花嫁衣裳を、神白家で準備させていただいても構いませんか?」
衣装から装飾品まで、全て神白家で用意させていただきたいと、申し出た。貿易が盛んな神白家が用意するとなれば、豪華極まりないことは容易に分かる。
「全てと申しましたか?」
「美しい里桜殿に見合うものを用意すべきかと」
「京弥殿にそう言っていただけるなど、里桜は幸せですなぁ」
大々的にお披露目をするつもりであったが、神白家が全て準備してくださるなら、金もかからず、名も広がると、儀朗は京弥に全てを任せることを決めた。
それに伴い、準備には時間がかかる旨を伝えられたが、儀朗は神白家が舞台を整えてくれるのならばと、快くその申し出を受ける。
あわよくば、神白家の当主、御薬袋様も参加なさるかもしれないと思えば思うほど、自分の名が広まると高揚が止まらない。
「それでは、私はここで」
話が纏まると、儀朗は里桜を京弥の屋敷に置き、一人で帰っていった。
まさか京弥が里桜を屋敷に置くとは思わず、美坂と碧海はやはり柚月葉とは縁を切るつもりなのだろうと、胸を締め付けられた。
「里桜と言ったな」
「……はい」
「聞きたいことがある。正直に話せ」
儀朗を送り、部屋に戻ってきた京弥は里桜の傍に座ると、真剣な眼差しでそう声をかけた。
「駆け落ちしたと言うのは、事実か」
京弥の口から出た言葉に、里桜は息を飲んで止まる。どうしてそれを知っているのか? そんな表情で里桜は京弥をじっと見つめる。
父親に絶対に知られるなと叱られたその事実を、京弥は知っている。だからすぐには結婚できないとはぐらかされたのだろうと、里桜の目に涙が溜まる。
「……」
「俺にも隠し事がある。申し訳ないが、俺はすでに別の女性と結婚してしまった」
その言葉に、今度は涙が止まる。里桜は一体どういうことなのかと、驚いたまま京弥を見れば、「俺にも事情がある」と、濁す。
それは嘘をついているようには見えず、里桜はグッと拳を握ると、少しだけ俯く。
「京弥様がおっしゃったように、私は駆け落ちいたしました」
「男の素性を聞いても構わないか?」
「柊磨さんの……ッ」
相手のことを教えて欲しいと言われ、思わずその名を口に出してしまい、里桜は急いで口を塞ぐ。




