第27話「保護」
屋敷に戻り、柔らかな布団に柚月葉を横たえれば、酔っ払い男に蹴られた痣が顔にあり、足の裏は酷い状態となっていた。薬箱を持ってきた蒼は、その傷を丁寧に治療していく。
「莉緒と言っただろうか、このままでは腹の虫が収まりそうもないな」
酔っ払い男は、顕仁が腕の骨を折ったので敵は打てたが、京弥と離縁させた上に、こんなになるまで歩かせるなど、到底許せないと、蒼はいつのまにか怖い表情で治療を施す。
「不甲斐ないな、術が弱すぎるか」
治癒の心得も少しあったが、あまり治癒の術を使用したことがなく、効果が微妙で表面の傷跡が薄くなった程度だった。
仕方ないと、蒼は薬を塗り布で足を覆っておく。
「しばらくは歩けないだろうけど、ごめんね」
自分の術が未熟なせいでと、謝罪した蒼は、屋敷の随所に呪符を張る。顕仁という怨霊が再び柚月葉を狙ってくる可能性があるため、柚月葉を保護するための結界を施した。
翌朝、柚月葉が目を覚ますと、見知らぬ天井が視界に広がった。
「ここは、どこなのでしょうか?」
架谷家でも神白家でもなく、本当に知らない屋敷だった。全身が鞭で打たれたような痛みを伴っていたが、ゆっくりと体を起こせば、両足に布が巻かれており、誰かが治療してくれたことを知る。そして、昨夜の出来事を思い出す。
「……顕仁、様」
長年待ち望んでいた方だったのに、誰かに邪魔をされ、置いて行かれてしまった。それが柚月葉にとってとても苦しく、胸元を掴むとまた涙が溢れてきた。
「目が覚めたかい?」
凛とした声が響き、蒼と名乗った青年が顔を見せたが、柚月葉が泣いていることに気づき、慌てて傍にやってくる。
「どこか痛いところが」
「……大丈夫です」
「自己紹介が遅くなったね、私は京弥の親友の祁答院 蒼」
「京弥様の」
少し驚いたように顔をあげた柚月葉に、蒼は京弥からいろいろ聞いていたから柚月葉のことを知っていたのだと話す。
だから自分の名前を知っていたのかと、柚月葉はようやくそれを知ることができた。しかし、あの時蒼が邪魔をしなければ、今頃救われていたかもしれないと思うと、胸が詰まる。
「私は……、昨日、京弥様と離縁しました」
神白家とも京弥とも縁は切れているのだと、柚月葉は静かに語る。当然式神を通じて知っていた蒼だったが、契約の書類にはまだ京弥の名前はない。つまり、形式上柚月葉との結婚はまだ白紙になっていない。
「京弥はまだサインをしていないよ」
蒼に言われ、はっと顔をあげる柚月葉は、悲し気に影を落とす。
「莉緒が届けてくださったのではないのですか?」
「残念だけど、書類はまた京弥に届いていない」
「届いていない?」
「君の義妹が持ってるよ」
“どうして?”と、柚月葉は莉緒の考えが分からなくなる。あのまま京弥のところへ会いに行ったと思っていたが、莉緒は会いに行っていない。どういうことなのかと、ギュッと布団を掴めば、蒼が傍らに椀を置いてくれた。それは粥。
「少しでもいい、食べてくれないかい」
味の保証はできないけど、と付け加える。
(どうしてみんな、私なんかに優しくしてくれるの?)
自分は役立たずの粗悪品なのにと、唇を噛み締める。
「粥は苦手だったかな?」
視線を反らしてしまった柚月葉を見て、蒼は失敗したなぁと、後頭部を掻く。が、しかし、次の瞬間柚月葉はゆっくりと手を伸ばして椀を手に取った。
「いただいてもよいのでしょうか?」
「柚月葉ちゃんのために作ったんだから、どうぞ」
蒼に勧められ、粥を口に運べば、少し苦みのある味がした。口いっぱいに広がる苦みに思わず動きが止まる。
「薬が入っているんだ。柚月葉ちゃんの怪我が早く治るようにって」
「私の……」
「足の裏の怪我が治るのまで、安静にしててね」
どこまでも優しくしてくれる蒼に、柚月葉は椀を下ろし、じっと粥を見つめる。
「なぜ私なんかに、……優しくしてくれるのですか?」
架谷家の者は誰もがきつく当たった。それは自分が疫病神だから。それなのに、見ず知らずの者を優しくする理由などないでしょうと、柚月葉は唇を噛む。
「困っている人、泣いている人を放って置けない、ただのお節介者だよ」
「私は疫病神です」
「それなら、私がその疫病神を払ってあげるよ」
こう見えても祓い師なのだと、蒼は真剣に声を出す。疫病神だというのなら、今すぐにでもそれを祓うと。
柚月葉が驚いたように顔をあげれば、蒼は「柚月葉ちゃんは、疫病神なんかじゃないよ」と、言ってくれた。それから、
「柚月葉ちゃんは、可愛いよ」
と、そっと頭を撫でてくれた。
その手が優しすぎて、柚月葉の顔が歪む。
「京弥だって、書類ならすぐに準備できたはずだ。それにサインをしないということは、柚月葉ちゃんを特別に想っている」
紙切れ一枚で結婚を白紙にできた、それなのに、京弥はいつまでたっても柚月葉と離縁しなかった。つまり、別れたくないのだと蒼が言う。
「そんなはずありませんっ」
「どうしてそう思うの?」
「京弥様はお忙しくて、それで……」
書類を取りに行く時間もないのだと柚月葉が声を荒げれば、蒼はなぜか声を出して笑う。
書類など誰でも取りに行かせられるし、サインをして提出するだけ、どれほど忙しくともそれくらいの時間、京弥にだってあるだろうと言われる。
不利益にしかならない柚月葉との結婚を、白紙にしない理由は分からないが、今だ離縁しないところを見れば、柚月葉のことを嫌っているわけではないと、蒼は考える。
架谷家は危険だと忠告はした、柚月葉を匿うことも危険だと話した、身に降りかかる火の粉を被るのか? そこまで考えた蒼は、自分が怖い表情をしていると気づき、慌てて深く考えるのを辞める。
「京弥には私から説明しておくから」
怪我をしている柚月葉をしばらく預かると、そう連絡を入れておくと言う。こんな足では上手く歩くことができないと、柚月葉はしばらくお世話になることに頭を下げる。
「すみません」
「気にしなくていいよ。独り身だから、ゆっくりしててね」
屋敷には誰もいないから、何か用事があれば蒼がくると言ってくれる。
「本当に……」
「し~、もうそれはいいよ」
また謝ろうとした柚月葉の唇を指で塞ぎ、蒼はせっかくだからゆっくりしていってと、笑って見せる。誰かに迷惑をかけることを極度に怖がっている柚月葉の悪い癖だと、蒼はせめてここにいるときくらいは自由にしてほしいと願う。
それから蒼は少し大きな包みを持ってきた。




