第18話「気が進まない」
「柚月葉様には、実乃吏様がついております」
「そうか、ならいい」
「本当に大丈夫でございますか?」
いつもよりも足取りが重いことに、美坂は再度声を掛けるが、いずれ対面しなければならない相手だと、口元を布で覆う。
「つけたままお会いになるのですか?」
屋敷内だと言うのに、口元を覆った京弥に美坂が不思議そうに声をかければ、鋭く瞳を細くし、「この方が噂通りだろう」と、冷酷な雰囲気を醸し出せると茶化す。
口元を覆った方が鋭利な瞳が引き立ち、より一層冷たく感じるだろうと、美坂に見せれば、なぜかクスッと笑われてしまう。
「京弥坊ちゃんは、お優しい方だとわたくしは存じておりますので、噂など信じておりませんよ」
「この席では、噂通りでいいのだがな」
「はい、そのように」
冷酷で冷たい京弥を演じて構わないと、なぜか美坂は背中を押す。それに対し、京弥は奇妙な顔をしてみせる。客人に対して冷酷な態度をとってもいいなど、どういう意味なのかと、目を丸くすれば、美坂は胸を張って「好みません」と口にする。
「朱珠音?」
「柚月葉様のご家族ではありますが、わたくしは柚月葉様にとって良くないと思っておりますので」
屋敷を尋ねてきたときも、柚月葉の名前は一度も口にすることはなく、心配する様子もなく、見苦しいほど着飾った女を引き立てるように入ってきた。それが美坂にとって不愉快でしょうがないと腹を立てていた。
それに柚月葉を見てきたからこそ、架谷家で良い思い出がないことも感じていた。だから好かないと美坂は京弥に素直に打ちあける。
「俺もあの女は好かん」
「柚子葉様の方がよほど素敵な方です。……そうだ、とびきり渋いお茶を煎れましょうか」
「朱珠音、俺のお茶は普通にしてくれ」
「あら、ではあちらの方には出してもよろしいのですか?」
悪戯に笑う朱珠音は、「冗談ですよ」と、ちゃんとお茶を煎れますと訂正する。神白家の評判が落ちるといけませんのでと、そのまま台所に向かった。
「素敵か……、たしかに柚月葉は余計なことは一切せず、時折みせる笑顔が……」
そこまで考えた京弥は、何を考えている? と、思考を切り替えて客間に向かう。
その頃、顔色が真っ青な柚月葉の背をゆっくりと摩っていた。
「本当に大丈夫ですか?」
「すみません、ご迷惑を……」
「体調が優れないようでしたら、京弥様に言って」
「ダメです。迷惑はかけられません」
「しかし……」
碧海の手を掴んで、柚月葉はゆっくりと身体を起こす。
(大丈夫よ、京弥様と離縁したら私は架谷家には戻らないのだから)
亮成の当初の計画を潰してしまった私に、もう帰る場所などなく、この屋敷を追い出されれば、辿り着く場所は一つしかないのだから、もうすぐきっと【楽】になれると、柚月葉は必死に立ち上がる。
優しかったあの声の方に会いたかった、それだけが心残りだが、未練も後悔もないのだと、柚月葉はこれで終わると、部屋の扉に手をかける。
「柚月葉殿、私もすぐそばにおりますので、何かあれば呼んでください」
「実乃吏さん」
「朱珠音殿も近くにいます。だから、ご無理はなさらないでください」
碧海は京弥の傍に、美坂は隣部屋に待機しているから、何かあればすぐ呼んで欲しいと微笑む。それが嬉しくて柚月葉は、優しく笑みを浮かべると「ありがとうございます」と、軽くお礼を述べ、ゆっくりと客間に向かった。
静かに歩いてきた柚月葉は、美坂が開けてくれた襖から部屋へと足を踏み入れて、恐怖に足が止まる。長らく離れていたせいか、架谷一家を物凄く怖いと感じてしまったのだ。
「柚月葉、ここへ」
京弥に名を呼ばれ、その隣になんとか座ることは出来たが、顔をあげることは出来なかった。
「これで揃った」
話を始めようと、京弥が切り出せば、
「この度は、家の疫病神がとんだご迷惑を」
突然、亮成が土下座をしてきた。
(疫病神などと言うのは、義妹だけではなかったのか)
亮成の発言に、京弥の眉間に皺が寄る。柚月葉は蒼が言った『売られた』というのが正しいのかもしれないと、今更考えさせられる。
だが、あくまでも冷静に対処すべきだと、京弥もまた軽く頭をさげる。
「俺が花嫁を取り違えた。落ち度は俺にある、よって謝罪は不要」
「しかし、ながらくこちらにお世話になったと」
「取り違えに気づいたのは最近のこと、迷惑などなかった」
むしろ、柚月葉のことは、美坂と碧海が喜んで接していたと思い出し、疫病神などと誰が言い出したのかと問い詰めたいくらいだった。
「柚月葉は、出来の悪い娘でして……」
「俺にはそうは見えなかったが」
「何をやらせても粗相ばかりで、魯鈍なのです」
※愚かで頭の働きが鈍いこと。
「娘を魯鈍と言うか」
鋭利に細めた目で亮成を睨めば、唾を飲み込んで口を閉じる。何か言いたそうだったが、それを視線だけで制した京弥に、
「それで京弥様は、いつ柚月葉との結婚を白紙に?」
急かすように母親のなつめが身を乗り出す。魂胆は見え見えだった。詫びにそこの化け物のような化粧をして、無駄に着飾った娘を差し出すつもりなのだろうと。
だから京弥は、期待など持たせまいと布の下で口角をあげる。
「周りに妻ができたと公言してしまった手前、その処理にかなり手を焼いているがゆえ、いましばらく白紙にはできそうもない」
「それでしたら、美しいと評判のうちの莉緒を妻になさってはいかがでしょう」
思惑通り莉緒を薦めてきたなつめに、京弥は反吐が出そうになる。
(美しい、だと。外見だけ着飾った獣が)
「莉緒は器量も良く、このとおり美人ですので、京弥様の妻に相応しいかと」
「ええ、それはもう、お断りをするのが大変なほど男性からの誘いが多く、そろそろ身を固めてもよいころかと思っておりまして」
神白家ならば、莉緒が嫁いだとしても、誰もが納得するだろうと、架谷の両親は必死に娘を薦める。
莉緒を嫁がせる相手は、名家の方が相応しいと常日頃から考えていたと、これは運命に違いないとさえ言い出す。




