第15話「食べたいもの」
「着物以外が良かったのか?」
服ではなく、他に欲しいものがあれば、何でも渡すつもりだった。女性に結婚を破棄させることに罪悪感がないわけではないからだ。
「素敵な着物で十分です」
「ちなみに聞くが、着物は自分で選んだのか?」
「い、いえ、碧海さんに選んでいただきました。私には高価すぎて選べませんでしたので」
欲がないのか、それとも他に何か理由でもと、考えたところで蒼の言葉を思い出す。
『売られたようだ』
柚月葉は、架谷家で邪魔者扱いされていた。そんな思考が働いたがすぐに思いを捨てる。情を抱いてはいけない。そもそもこの結婚は間違いだったのだ。
京弥は、とりあえずその着物では連れて歩けないと言い、店の亭主に柚月葉を預けた。
時にして30分ほどだった。
「神白様、整いました」
急かしたつもりはなかったが、店で待つ京弥を気遣い、亭主は柚月葉の支度を急がせたみたいだった。
「いかがでしょうか? 髪もご一緒に結いましたが」
百群色の下地に白の牡丹が描かれた着物と、長い髪を丸めた姿で現れたのは、京弥の知っている柚月葉ではなかった。
化粧までしてくれたのか、うっすら唇に紅がのっていた。
「随分と綺麗になったな」
見違えるようになった柚月葉に声をかければ、ワナワナと唇を震わせていた。怯えているのかとそっと顔を覗き込めば、頬を赤く染めて微笑んでいた。
「すごく綺麗です」
「ああ、よく似合っている」
「違います! 着物がとても綺麗で、私なんかでは申し訳ないくらいで」
俯いていたのは、着物の柄を見つめていたから。よほど気に入ったのか、柚月葉は牡丹の絵に目を奪われていた。
「牡丹が好きなのか?」
「いえ、色合いがとても素敵で」
まるで着物に恋するように赤くなる柚月葉を見て、笑うこともあるのかと、京弥は少しだけ嬉しく感じた。
辛気臭いと感じていた女性が見せた赤みに惹かれ、京弥は柚月葉の手を取る。
「えっと……」
突然手を掴まれ、柚月葉は戸惑いの声をあげた。
だが、京弥は店の亭主の方を向き、封筒を取り出す。
「足りるか?」
突然訪ねてしまい、おまけに着物をすぐ売って欲しいなどと迷惑をかけたので、色を付けたはずだったが、まさかこんなにも綺麗な着物を譲ってくれるとは思わず、つい足りないかもしれないと不安になる。
が、亭主は十分すぎると微笑んで、またご贔屓にと笑顔で送ってくれた。
店の外に出れば、視線が痛く、口元を覆っていた薄墨色の布を外した。中将の神白京弥が女性を連れていることが好奇の目に晒されたためだ。かといって、布を取っても視線を集めてしまうが、神白京弥だとわかる者の方が少ないだろうと、仕方なく素顔をさらす。
その後ろでは俯いた柚月葉が大人しく立つ。手を繋いでいれば、むやみに声をかけてくるものなどいないだろうと、京弥は仕方なく手を繋いだまま歩き出す。
「あの、家に戻るなら、……私一人でも」
「昼はとったのか?」
「朱珠音さんが用意してくださると」
「ならば、問題ないな」
柚月葉からそれを聞き、朱珠音なら予定変更しても大丈夫だと確信し、実乃吏ならば上手く伝えてくれているだろうと、昼食を食べに行くことを決める。
ついでに間違いがあったことを伝え、この結婚を破棄することを話す機会ができたと、京弥は最初で最後の2人の食事だと思い、何か好きなものをと柚月葉を見る。
「食べたいものはあるか?」
「おむすびを……」
「……、聞き取れなかった。もう一度頼む」
家で食べられるだろうモノを言われるとは思わず、聞き間違いかと京弥が再度尋ねれば、「おむすびが食べたいです」と、はっきりと言われた。
あまりにも驚いて言葉を失い、柚月葉を自然と睨んでいたようで、突然頭を下げられた。
「す、すみません。わがままを言ってしまいました」
深々と頭を下げながら、柚月葉が震えているのに気づき、京弥は怒ってはいないと言葉にする。
むしろ食べたいものが普通すぎて、困惑しただけだった。柚月葉の家は米屋と聞いたが、そこまで米が好きなのか? と、京弥は少し困りながらも、食べたいと言われたら食わせるべきかと、おむすびが食べられそうな店を考える。
「あそこなら、あるかもしれないな」
ふと思い浮かんだ店に行くと、柚月葉の手をまた掴んだらビクッと震えた。
「一人で歩けます……」
「他人に触れられるのは、嫌か?」
「い、いえっ、そうではなく……。私のような疫病神には、触れない方がいいと……」
下唇を噛み締めて絞り出す声は、とても悲愴に響く。先ほど莉緒という女が『疫病神』だと口にしたが、まさかそれを本人が真に受けているとは正直驚いた。
怨霊に取りつかれているというなら、自分に分からないはずはなく、どうみても柚月葉は普通だった。むしろ謙虚過ぎて、大人しすぎるくらいだ。
妹だと名乗った莉緒とは真逆だと、少しだけ眉間に皺が寄る。深入りはしないと決めたはずだが、架谷家の内部事情が蟠りを生む。
「俺には疫病神には見えない。気にするな」
自分をそんな風に言わなくていいと、京弥は再度手をとるとゆっくりと歩き出す。
『なんて綺麗な方。どこの誰かしら?』
『異国からいらしたのかしら?』
『すごく素敵な方だわ』
『見惚れてしまうわ』
女性たちからの視線が刺さるように向けられる中、京弥は目を細めて『声を掛けるな』との雰囲気と殺気を放ちながら歩く。
まるで柚月葉を売りに行く商人か、罪人を警察に引き渡しにいく人のようだと思いながらも、京弥は仕方ないと不機嫌そうに振舞う。
どす黒いオーラを放ちながら歩くのは、普段よりも一段と疲労は増し、目的の店に到着したころには、ぐったりとしてしまっていた。
京弥が姿を見せれば、店の亭主は店の奥の個室のような席に通してくれた。
おむすびを作れるかと尋ねれば、メニューにはないが、作ってくれると言われ、安堵して席に着く。
周囲の視線が痛く、若干急ぎ足で歩かせてしまい、京弥は席に着くと柚月葉を見る。
「早く歩かせてしまった、すまない。足は大丈夫か?」
「全然大丈夫です。久しぶりの町はとても華やかで素敵でした」
少し息を切らせているような様子もうかがえたが、柚月葉は何がそんなに嬉しいのか、優しく微笑んでいた。
(笑うとこんな顔をするのか?)
俯いて、強張った表情ばかりだったので、優しく笑うその姿がなぜかすごく印象的だった。




