第97話 日常の風景
「魔物の国との協力関係ももう二年か」
スプルア山に居を構えるイーリス族マルファ氏族、族長リューリスは集まる氏族の前でそう呟いた。
「ユズの判断で行われた友好条約でしたが、あれから我等が集落も豊かになりましたな」
白蛇率いる魔物の国――まだ正式な国名は無い――と物々のやりとり、特に食糧類は何度も融通してもらい、ここ二年マルファ氏族では飢えた者はいない。
その見返りとして、マルファ氏族は白蛇に臣従を誓っているが、その価値は充分にあっただろうか。
「ユズが始めた郵便事業も良い稼ぎになっています、あの子の仕送りもかなりの量」
「うむ……あの子もル・ファーレに移住を勧めてきていたな」
マルファの民を第一に考えるユズはもうかなり氏族に貢献していた。
街への移住を勧めるのも、これまで恩返しと言えるが、肝心の老人達と言えば。
「ワシは今更住処を変えようとは思わん、苦労すれど終の住処よ」
「うむ、街は若い衆が向かえば良い、老いて足を引っ張りたくはないしの」
年老いた考えだろうか、しかし老人達もユズには感謝しているし、これからユズこそ幸せになって欲しいのだ。
だが集落にはある不穏な影もチラついていた。
それは。
「しかしユズの働きに他の氏族長が警戒しておる」
「やはりイーリス族全体では、今だ魔物の国に警戒する者が多いからな」
「我々とてそうだ、あの国のことはいまいちわからん」
完全な移住が進まない理由、それは白蛇は勿論、オークやゴブリンに対する嫌悪感であった。
コボルトはまだ良いとして、それでも共に暮らすならごめんだと思っているイーリス族は多い。
ユズのように異常に好奇心が強く、行動力のあるイーリスが異端なのだ。
それも古き良きイーリスの死生観を愛する他の氏族には、不気味に思われただろう。
事実族長リューリスの息子ビリスも、魔物街に住んでいるがあまり慣れた様子もない。
そもそもイーリスが低地に住むのが、彼等にとって違和感なのだろう。
「先祖代々イーリスは山と共にあった、今更低地で暮らせなどな……」
やはり若い者以外は街を毛嫌いするようだ。
マルファ氏族からの移住者は現在七割ほど、ユズの希望は勿論十割だが。
「それにしてもユズもよくあの白蛇に頭を下げられるものだ」
「ユズは白蛇のなんでも屋をやって、信頼を勝ち取った。あの魔王ともいうべき魔物を手懐けるのは失敗したようだが」
結局何処までいっても、魔物への不信感が勝つ。
ユズもこのまま魔物に喰われれしまうのではないか。
やはり手を引くべきではないか、そんな声もある。
だが結局族長の答えは。
「ユズのやりたいようにさせてあげなさい。あの子は拾い子だったが、誰よりもマルファの民を愛してくれたのだ」
そう、ある豪雪の日、山の中腹で偶然イーリスの捨て子が発見された。
どこかの貧しいイーリスが赤子を捨てたのか、その当時大人に仲間入りしたばかりのリューリスが拾い上げなければ、赤子に未来は無かったろう。
その当時、特に山の機嫌は悪く厳寒は多くのイーリスの命も奪った。
毎年どこかでイーリスは命を落としているが、その年は最悪だったのだ。
拾った赤子はユズと名付けられた。
ユズは不思議な娘であった、赤子の時から不自然に泣かず、教えてもいないのに、大人も知らない知識を持っていた。
気がつけばイーリス族全体でも有数の天才と呼べる才女になり、世界各地を飛んで、その才覚を発揮していく。
その能力ははっきり言って異常だった。
ユズに築けない人脈はない、それとなくユズに何故なのか聞くと。
(神様の思し召しかもしれませんね)
――と言ったのだ。
イーリスに信仰すべき神はいない、あえて信仰するなら山の神と空の神か。
しかしそれは信仰に非ず、あくまでも畏敬の観念である。
ユズは誰よりも速く空を飛び、誰よりも未来を見ている。
そんな彼女がいつも言っていたのが、「マルファの民を千年未来まで連れていく」だ。
千年の繁栄、まるで稚気じみた夢物語だ。
イーリスの活動範囲は広いが、生息範囲は狭い。
千年王国など、あの千年前の覇者マルエード皇国か、いつから存在するかも定かじゃないエルフ共和国くらいであろう。
あのドワーフ地底王国でさえまだ建国二五〇年だ。
多くの地で勃興は繰り返し、多くの国が百年持たず滅んでゆく。
千年の繁栄など、百年生きぬ短命種にはまるで想像がつかないのだ。
「我らイーリスの未来、ユズに預けたとはいえ、はてさて」
未来など誰にも分かるものではない。
ユズとてそれは同じだろう。
運命は見通せないからこそ、試行錯誤がある。
§
「クシュン!」
イーリスの集落から遠く離れて、ここは旧魔物街、今ではパイソーと呼ばれる街。
今日も今日とて街を見回る白蛇に、同行願い出たユズがクシャミをした。
「おっ、風邪か?」
白蛇はユズの容態を心配するが、ユズは大丈夫と手を振った。
ちょっと鼻がムズムズしただけだ。
「風の噂でしょう、生来頑丈ですもの」
「そうか? 魔物たって病気にはなるからなー」
肝心の白蛇はずっと健康そのものだったが。
ユズは神の与えたスキルで病気になどなる筈もないので、風邪などありえない。
これはゴブリンの聖女アイもそうだという。
ゴブリンは多くが幼い内に亡くなるが、その大部分が病気が原因だという。
産まれて一度も病気にならなかったアイも、ゴブリンにしては頑強だとか。
「それにしてもパイソーもヒトが増えましたね」
「ニンゲンが入居するようになって、あっという間に人口が一万人越えたもんなー」
単純な人口ならル・ファーレは既に五万人だ。
あっちは商業国際都市であり、人族にドワーフ族も数多く住み着いたからだが。
いわゆる首都としての機能を持つパイソーはそういう意味では、過去の都市になったと言えるか。
「ル・ファーレでは毎日朝市も開かれているそうですよ」
「へー、今度遊びに行こうか」
「フフッ、私達なら日帰りですね」
因みに白蛇だけなら片道一時間だ。
白蛇やユズの飛行速度に着いていけるのは、ベヒーモスくらい。
気軽に誰でも旅行するとはまだまだいかないものだ。
「そろそろ鉄道とか開発していきたいけど、ノウハウが無いんだよなー」
白蛇の知っている鉄道とは、近代的な電車である。
勿論いきなり電車は無理だ。
先ずは蒸気機関車から…と言えるが、生憎この世界石炭が発見されていない。
その原因は、この世界の出で立ちが地球とは違うからだろう。
地球では植物や動物の死骸が堆積し、それが石炭層となるが、恐らくこの世界にはそんな大量絶滅期が無かったのだろう。
恐らく地球よりも遥かに年若い世界だから石油資源には期待出来ない。
「レギ工業長に相談されては?」
「勿論したさ、けど規模がでか過ぎるって」
現在ドワーフ王国から派遣されてきたレギ王女だが、白蛇の便宜で相変わらず工業長官として働いて貰っている。
魔物街には実質寄贈されたドワーフ鍛冶衆三十名が、日夜働き鉄器産業を支えて貰っていた。
今では工場街の至るところでドワーフ達が工房を構えている。
冒険者の中には特定のドワーフ職人と個人契約で武具をオーダーメイドしている者もいるとか。
とはいえオーダーメイドとなるとドワーフはがめついから、かなり高額になるんだと。
それでも手強い魔物の多いパイソー周辺では、ドワーフ製の装備は重宝されている。
薄給の下級冒険者には垂涎の的だとか。
「うーん! 今日も平和だねー」
白蛇は背筋を伸ばすと、平和を尊ぶのだった。




