第86話 ニンゲンの国
「やっと森を抜けたぜー!」
戦士ラインは喝采し、両手を挙げて喜びを表す。
モーアの大森林を歩いて三時間、魔物の襲撃に常に警戒しなければならない緊張は、冒険者の疲労を加速度的に蓄積させてしまったのだろう。
「なぁユズ、ここからモリブデン公国なんだよな?」
白蛇は光の翼から燐光を放ちながら、浮遊して質問した。
「国境線は曖昧ですが、概ねその理解で構いませんわ」
ユズは緊張もないのか、呑々と質問に答えた。
白蛇には、まだこの世界には知らないことが多過ぎる。
初めての大森林の外、今まで最も遠い場所は、大森林北部の草原地帯までだった。
目の前に広がっているのは、なだらかな平原。
魔物もおらず、遠くには街道が見える。
「ねぇ白蛇様って、森から出たことってないの?」
冒険者の中では一番ケロッとした顔の魔法使いリテリル、白蛇は「うん」と頷く。
ハーフといえどエルフだからか、森の行進も疲れた様子はない。
疲れてないといえば、獣人のグリードもだが、彼は非常にクールな性格もあり、疲れを見せていないだけの可能性もある。
「ユズは疲れてないのか?」
「多少疲れはありますが、そこまで軟ではございませんわ」
軟、と聞かされればラインは気まずそうにユズを振り返る。
屈強な戦士が一番疲労しているなどあってはならない、そんな固定観念がラインを励ました。
「うっし、とりあえず最寄りの村まで後は少し、気合入れて行くぞー!」
「因みに目的地まで後どんくらいな訳?」
白蛇には地理はさっぱりだ。
それに優しくユズは解説してくれる。
「モリブデン公国首都までなら、私達翼人族なら二時間というところですね」
「……空を飛べる種族とこっちを同じにしないでくれよ? 流石に今日中に到着は無理だ」
ラインはほとほと呆れたように白蛇に注意した。
因みに白蛇なら全速力を出さずとも、数分の距離である。
改めて徒歩の行軍は遅い、人の歩く速度では世界はなんと広いのか。
「レギはどう、疲れた?」
「ん、レギは平気」
ここまで一切喋ることも無かったレギは、特に表情も変えず返答する。
しかしその様子、王女然として振舞う姿は、白蛇にとっては複雑だ。
今彼女は魔物街での活発で可憐な少女ではない。
立場を弁え、護送されるべき王女レギなのだ。
「んー、レギさー、今くらいはいつも通りでいいんだぜ?」
「……レギは普通、楽しくないのに、楽しめって言うの?」
「それ言われると、ぐうの音も出ねぇ……」
レギにとって、この旅は大変ストレスの掛るものであった。
本当は一生ドワーフ王国になんて帰りたくなかった。
王女であることが負担となり、それ故に求められる王女の資質はどこまでも彼女を追い詰めてしまう。
レギン王の冷たい視線が怖い、あの厳つい声が怖い。
それでも、レギの性でモリブデン公国は困っている。
結局……レギは王女に戻る必要があったのだ。
「……レギ様」
それをレギ以上に憐憫の思いでいたのは、ユズであった。
ユズにレギを追い込む理由もなければ、本来なら彼女を全力で庇いたかった。
でもそれは出来ないから。レギを利用してモリブデン公国とドワーフ王国に恩を売り、そして白蛇に利を与え、それが巡り巡ってユズにとって得となる。
イーリスの……マルファの民を千年存続させる為には、利用出来るものはなんだって利用する、その覚悟を持つユズはだからこそ、レギに手を差し伸べられない。
どれだけ辛かろうと、レギには人身御供になって貰わなければならない。
こんなチャンスはきっと他にない、イーリス族の地位は必ず上がる。
「うーん、師匠なら転移魔法で直ぐなんだけどなー」
白蛇もレギの負担はなるべく軽くしてあげたかった。
正直徒歩は遅い、その時間がレギを果てしなく追い詰めてしまう。
せめて美味しいご飯と安らかに眠れる寝床があれば、レギを癒やしてあげられるのに。
しかし師匠の行方は分からないし、第一あの師匠が人族の国に行くなんて思えない。
師匠は陰キャニャ、とは兄弟子のベヒーモスの言だ。
曰くコミュ障で人集りの前に出られないとのこと、仮に出たとしてもリッチクイーンとして周りに恐怖を与えるだけ、望まぬ天涯孤独と言えよう。
「せめてベヒーモスに空輸してもらうべきだったか」
「勘弁してくだせぇ、あのデカブツが国の空なんて飛ばれたら、冒険者が総出で迎撃に出されちまう」
ラインは冷や汗をかきながら、溜息を吐く。
ありありと、無数の冒険者に包囲される様は、白蛇にも納得できた。
しかもあの暴虐の化身ならば、そんな冒険者も「鬱陶しいニャ」と十把一絡げに追い払っていただろう。
「因みにさー、ベヒーモスって君ら冒険者からはどう思うの?」
「ベヒーモスなんてこれまで見たこともない、超絶やべぇ魔物ですぜ」
「あの雷龍を仕留めてきたところなど、モリブデン公国のような小国は一瞬で消し炭であろうな」
冷静に見積もるグリードでも、頭を抱えて首を振る始末。
やはり定番通りドラゴンとは強大であり、それを仕留めたベヒーモスはもはや天災なのだ。
ベヒーモス自身、自分の力をあまり制御する性格でもないし、なにせ大森林でさえ恐怖される程だ。
それこそ人族の国も、楽しいと思えば、積木を崩す幼子のように壊してしまうだろう。
「つーかさ、本来魔物が俺達ニンゲンと相容れるつー方が御伽噺だろう?」
「えっ? そうなの?」
「白蛇様はニンゲンであろうと、魔物であろうと神であられますからね」
未だ世界の常識も知らない白蛇に、ユズは神だからと言う。
これには冒険者一行も何度も頷いた。
白蛇には自覚さえないが、本来なら魔王とでも称すべき存在だ。
ラインやリテリルも最初の面談では、小便をチビりそうな程緊張したし、今でも舐めた態度は絶対に出来ないと考えている。
もっとフランクでいいのにー、なんて思っているのは白蛇だけ、しっかり立派な神なのである。
「でも、魔物街のヒトたちって、ニンゲンと全然変わらなかったよね」
特に長耳のお陰で優遇してもらえたリテリルは、魔物街の不思議さを語る。
ニンゲンの国では魔物とは、相容れない天敵だと考えられている。
オークやゴブリンのように言葉を介する魔物もいるが、事実としてこれまで魔物と融和してきた歴史はない。
最もコボルトやイーリス、それにネレイド等魔物と思われていない種族もいるのだが、白蛇にしか魔物かニンゲンかは正確に判別は出来ない。
世界とは簡単ではない、一見無関係に思えてニンゲンと魔物も繋がっているのだろう。
「俺としては、ニンゲンも魔物街に迎えたいって思っているんだけどなー」
「クスクス、白蛇様はニンゲンも魔物も本当に公平ですね」
ユズは嬉しそうに微笑む。
けれど危険な思想でもある、ユズはニンゲンの複雑さをよく知っている。
魔物街は牧歌的で、あまり悪意に敏感とは言えない。
白蛇はそれこそ無秩序に多種族を受け入れる悪癖がある。
そこの善や悪、混沌に秩序があることを、考慮出来ていないのだ。
戦争や飢餓、迫害によって生まれた難民が国家秩序を大きく乱した事例もある。
ニンゲンも魔物も、結局は善も悪も同様に備えているのだろう。
だからこそ――魅力的でもあると、ユズは思う。
まるでミックスボウルのように全てを渾然一体に受け入れようという姿勢は、きっと魔物街にさらなる飛躍を約束するであろう。
確かに移民はきっと、様々な問題を起こすであろう。
それでも魔物街にはきっと世界中の優秀な人材が集まるに違いない。
現にあのハイエルフのフレイアやハイドワーフのレギのような人材までいたのだ。
白蛇は才能を見抜く鼻が抜群に強い、実際はスキルによって、個人の才を知ることが出来たからだが、そのお陰もあり、魔物街は一年も経たずして今の姿になった。
「白蛇様のやりたいこと、このユズはなんでも協力する所存ですわ」
「ん、レギも……もうすぐそれも叶わなくなるけれど」
レギには本当に一杯、いーっぱい助けられたと、白蛇は感謝している。
「レギさ、俺は本当に感謝している。レギがいなきゃ今はない」
「……そう言っても貰えるの、レギ嬉しい。レギ白蛇様と色んな事出来て本当に楽しかった」
「そうだな、俺もそうだよ」
レギは白蛇をギュッと抱き締めたかった。
でも出来ない、そうやって王女の皮を捨てたら、もう恐ろしくてきっとその場から一歩も動けなくなる。
きっと使命からも逃げてしまう。それほど彼女は強くないのだから。
「あー湿っぽいのは今はよしやしょう。急いで宿場町へ向かいますよ」
湿っぽい雰囲気を嫌うラインは頭を掻くと、街道の先を指差した。
白蛇はまだ見えぬニンゲンの営みに、内心ワクワクした。
果たして自分は受け入れられるだろうか、自分と魔物街の未来は何処に向かうだろう。
白き翼守り神の信仰は、森さえも飛び出してしまうのか。
それは今は天上に住まう神々さえ知らない。




