第80話 それぞれの現実
リュウイチが仕事に修行にと忙しなくしている頃、一方でレギは渾身の一作にリュウイチ以上の精神力を以て挑んでいた。
小さなレギ自慢の工房には、今はレギしかいない、いや他の職人を誰も入れてないのが正解だった。
レギは精神力を削りながら、昼も夜もなく、ひたすら鉱石と向き合い、ハンマーを振るって鉄を打つ。
一日目は完成度が低く失敗だった。
二日目、手元に狂いが生じ失敗。
三日目、今度こそと打っていたが、不意にレギは全身から力が抜け、工房の中で倒れてしまった。
それに最初に気づいたのは、定期的に様子を見に来ていたイーリス族のユズであった。
ユズは倒れたレギを外の耐熱窓から覗くと、直ぐに熱気の篭る工房へと突入。
「レギ様、大丈夫ですか、レギ様!」
ユズは即座にまず呼吸を確認、幸いレギは浅いが呼吸していた。
次に脈拍、こちらはやや速い。
その症状は脱水症であった。
「いけない、直ぐお医者様の下へ!」
この街には医療知識を持つ町医者がいくらかいる。
急いで工房からレギを出すと、直ぐに涼しい影場に運び、ユズは手近にいたゴブリン族の住民に言った。
「レギ様が脱水症で倒れました、急いでお医者様を呼んでください!」
ゴブリンの住民は、レギの様子に驚き、直ぐに走っていった。
ユズは腰に携帯していた水筒から、レギの口に水を含ませ、風の魔法を唱えた。
「体温が上昇し、脈拍が上がっている……急がないと」
レギにはドワーフ王国へ帰っていただかなければならない。
その前に死なれるなどあってはならないのだ。
やがてしばらく経つと大慌てでフレイアにネレイド族のテティスまで交えてレギの前に駆け寄ってきた。
「レギー! この馬鹿っ、無茶しやがって!」
「レギさん! しっかりしてレギさん!」
フレイアはすぐにレギを抱きかかえ、魔法を使う。
レギは「ん」と小さな声を上げると、ゆっくり瞼を開いた。
「ん……フレイアの声が聞こえる、幻聴?」
「このお馬鹿! アンタ死にかけていたのよ!」
「うー馬鹿って言った方が馬鹿」
「……兎に角良かったぁ」
車椅子を全力で駆けて来たであろうテティスも、レギの無事に安堵した。
そもそも原因はなにか、フレイアは怖い顔で詰問した。
「レギ、アンタいつ寝た? 飯は?」
「……覚えてない」
「はぁこの馬鹿、さては三徹しやがったわね、飯くらいちゃんと食べてちゃんと寝ろー!」
「うー、時間が勿体ない」
「どこぞの漫画家みたいですね」
異世界転生者のユズからすれば、まるで冗談みたいに思えた。
レギはひたすら鉄を打ってもう三徹目、その間水も食事も手をつけていないという。
そりゃ倒れて当然だ。脱水状態以前によく過労死しなかったと、本当に呆れ返った。
「ともかくこうなったら、無理矢理でも休ませるわよ」
「うー駄目、ドワーフは目の前の仕事から逃げない、それがドワーフ鉄の掟」
「そんなもんドブにでも捨てなさい! いいエルフはね、よく遊んで、よく学んで、よく働くのが一番なの、アンタみたいなワーカーホリックはエルフじゃ一番サイテーなのよ!」
「だからエルフは門限守らないし、仕事遅い」
「酒で仕事受けるドワーフよりマシよ!」
「どうどう、喧嘩はよしてフレイアさん、レギさん!」
種族柄姉妹のように仲が良くてもしょっちゅう喧嘩するエルフとドワーフ、それを間で宥めるネレイドという構図は、若者たちが上手くやっているようにも見えて、ユズは微笑ましかった。
「はい、皆さん落ち着いて、先ずはお食事にしましょう、レギ様もお腹には逆らえないでしょう?」
パンと手を叩き、音頭を取るユズ、しっかり大人の目線でレギを説得する。
レギはお腹を盛大に鳴らせると、いつになく項垂れた。
「うー、お腹が空いて力が出ない」
「完全に自業自得でしょうが」
「あのレギさん、車椅子に乗ってください、食堂まで運びますんで」
レギは「ん」と小さく頷くと、ユズに補助されて、テティスの膝の上に乗った。
そのままテティスは車椅子を走らせ食堂に向かう。
丁度今は昼前、食堂はまだ空いていた。
「あらレギちゃん! やっとお腹が空いて出てきたのね!」
「ん、おばちゃんお腹空いた。じゃんじゃん持ってきてほしい」
オーク女性はにこやかに微笑むと、厨房で働く料理人たちに号令を放つ。
「これからガンガン客がくるよ、調理急ぐわよ!」
「「「おおおー!」」」
厨房ではオークだけではなく、ゴブリンやコボルトの姿もあった。
レギは手近のテーブル席に座ると、ぐったりテーブルに突っ伏す。
凄まじい眠気にも襲われていることだろう。
フレイアは事前に水の入ったボトルと、コップを人数分持ってきて、それぞれに手渡した。
すっかり慣れたが、ユズからするとこの街の食堂は懐かしい気配に包まれている。
「ほらレギ、ちゃんと水飲んで」
「んっん! ぷはぁ! 魔物街の水は美味しい」
「そりゃスプルア山から流れてくる雪解け水だものね、水源豊富な大森林の恵みね」
夏の短い時期を除き、ほぼ零下を下回るスプルア山は厚い雪が積もり、ゆっくり溶けて大森林さえ通り抜けて、ネレイドたちの故郷まで繋がっている。
この何気なく出された水を、ユズとテティスが一緒に飲んでいるのは、なんだかおかしな話だった。
「この街を見ていると、水資源の価値が分かりますね」
ユズの一言に、フレイアが反応した。
「イーリス族って、雪山で暮らすんでしょ、言ってみれば辺り一面水でしょ?」
「ん、雪山を知らないエルフらしい、雪は溶かせないと、そのまま利用は出来ない」
同じく反対側ではあるが、ドワーフ王国出身のレギはフレイアの無知にツッコむ。
不機嫌さを露わにしたフレイアに、ユズは分かりやすく説明する。
「燃料の薪は貴重な資源なのです。かと言って雪は重く運搬には不向きなのです」
「そっかー、考えてみればイーリスって交易で暮らしているんだっけ」
「ええ、ドワーフ王国から西はモリブデン公国、北ロンギーヌ連合国とも交易していますわ」
最も、その品は貴重品から情報まで様々だが。
諜報で日銭を稼いでいることだけは、彼女たちにも秘密だが。
「でも自然ってやっぱり凄いわよね、そんな雪解け水が遥か遠い南端の海にまで流れ出すんでしょう?」
「そのおかげでネレイド族は亡命出来たのだから、ありがたがるべきなんでしょうね……」
「あー、テティスさんには複雑よねー」
テティスはマーメイド族に迫害され、十万もいたネレイド族は散り散りになり、多くのネレイド族が慣れない淡水域に苦しんで脱落していった。
そのテティスさんにはあまり嬉しくない話だったと、フレイアは頭を抑えた。
「でもさ、テティスさん、大分魔物街に馴染んできたわよね」
「そうですね……それでもやはり乾燥が大敵ですが」
テティスは乾燥耐性は弱であり、完全な陸上適応はしていない。
普段は旧市街にある水道に暮らしており、今はネレイド族を更に迎える為、拡張工事予定だった。
「そう言えばネレイド族の住居ってどうなったの?」
フレイアも地区は違うが旧市街住まいだ。
白蛇の指示で急いで水道の拡張工事が行われ、ネレイド族の住処は整備された。
「屋根があるだけでも助かりますよ」
等とテティス本人は謙虚に言うが。
「淡水、やはり厳しいのでしょう?」
ユズの一言に、テティスは俯く。
そっと魚鱗に触れると、ボロボロで泣きそうだ。
「ううぐす、私の魚鱗、本当はもっとピンクで光り輝いていたのに」
「……鱗ってのは、再生するの?」
「普通なら生え変わります、でも淡水だと……」
一般的に海に比べて川の魚は色が地味な傾向がある。
温暖で豊かなサンゴ礁に育まれたネレイド族の赤い魚鱗も、今は酷く傷ついている。
「治療で治るなら、友達として人肌拭けど」
「ん、レギも協力は惜しまない」
「……治療では、根本解決はしませんわ」
唯一治療という選択肢には否定的なのはユズであった。
テティスの魚鱗問題は、環境に影響が大きい。
なら治療しても、それは根本解決には至らない。
ずっと治療し続けるなんて、患者が可哀想でもある。
「はいよ、お待たせ! なに、難しい話?」
気がつくとオークの女主人は料理をテーブルに並べていった。
よく食べるレギには特に大盛り、レギは喝采を上げて喜ぶ。
フレイアとユズは苦笑い、食事の場まで仕事の話を持ち込むのはウンザリだ。
「なんでもないわ、それじゃ皆食べましょ」
皮肉気なユズでさえ、せめて楽しい食事会になれば良いな、と。




