第71話 寂しんぼのリッチクイーン
思惑が外れて不貞腐れるリッチクイーンは、酒場にいた。
店主を勤めるゴブリン族のマスターはガラス製のコップを磨きながら、カウンター席に突っ伏すリッチクイーンに訝しむ。
「なんじゃなんじゃー、折角鍛えてやろうというのに、全然時間が取れないじゃないかー」
リッチクイーンの手には酒が半分減ったショットグラスが握られていた。
強烈な腐臭のするアンデットだが、酒精に溺れているのだろうか?
恐ろしすぎてマスターには、どうにも出来ない相手だったが。
「のぉマスター、これ……よく出来てるの」
「お酒、でしょうか……? これはウイスキーと言って、ドワーフ族の好む……」
「そうじゃなくて、グラスじゃ……高度な知識と技術なくしてこの精度のガラスは作れぬ」
リッチクイーンが関心したのはガラスの方であった。
ガラスは文明水準を測る上で一種の基準表となる。
レギより齎された加工技術によって、魔物街はニンゲンの国と比べても、同等の水準だと言えよう。
ガラス工芸を見れば、ショットグラスひとつにも、個性が現れる。
「この街は良い街じゃな……だからこそ危うい」
歴史上モーア大森林には、街は出現しなかった。
数多の魔物が住みながら、どの種族にも成し遂げられなかったのは、大森林がそれだけ危険であるという証である。
下手すれば凶暴な魔物が一瞬で街を蹂躪するかもしれない。
事実リッチクイーンにその気さえあれば、こんな街一瞬で滅ぼせるのだから。
白蛇も、この街を護る警備隊もリッチクイーンからすれば、なんと儚く脆いものか。
大森林は、無慈悲で残酷だ。
街を滅ぼせる力などいくらでもある。
「……政治に興味はないが、これが今日までだとすると愛おしくも思えようか」
カラン。ショットグラスの中の氷が底へと落ちる音がした。
温暖な大森林では昼間気温が上がりやすく、氷は酒場の気遣いであろう。
丸く整形された氷、リッチクイーンはそれをネクロな瞳でじっと見つめる。
ほぼ均一に熱が拡散されるように考慮された氷球には、高度な熱力学の知識を必要とする。
言わずもがな、白蛇の入れ知恵であろう。
氷自体はレギというハイドワーフの少女が制作した製氷機で製造されている。
製氷機、リッチクイーンの蓄積された記憶には、今まで殆ど登場しなかった道具だ。
過去散発的に登場してきたが、ロクに普及しなかったのだ。
原因は維持する為の消費剤だ、維持する為には大量の魔力か、莫大な量の氷の魔石が必要になる。
となると、当然使用出来るのはそれ相応に地位が高いものに限られ、気がつけば歴史から去っていった。
「のぅ店主よ、氷はどのように用意しておるのじゃ?」
ゴブリンの店主は緊張した面持ちで、コップを磨く手を止めた。
これでも今はやばすぎる邪気をオフ、ビビらせる意図はないのだが、存在格が違い過ぎて、どうも畏怖される運命らしい。
これだから魔物と関わるのは苦手なんじゃ、と苦笑する。
「え、えと奥に置いてある製氷機で造ってますが?」
大量のコップと酒瓶の陳列棚の脇に業務用を思わせる大型の製氷機が設置してある。
製氷機は静かに振動している、その機構は外から見ているだけじゃ分からないが。
「製氷機は街では普及しておるのか?」
「構造が簡単なんで、小型ならある程度は」
「ふむ? 簡単とは?」
「えと、我ら聖女様の知識なのですが、炎の魔石と氷の魔石を組み合わせると、熱循環が発生するのです」
ゴブリンの聖女というと、聖女アイか。
どうやらこの街にあるものは、白蛇だけでなく色んな者の知識が関わっているのだな。
「熱循環、つまり温度差を利用しているのか……」
リッチクイーンは初めて聞く機構に関心する。
温度は常温に向かって移動する。
つまり氷の魔石の冷気は炎の魔石の暖気に向かって移動し、熱せられた暖気は氷の魔石に向かって循環する。
余熱、というより廃熱が伴うから、差額で凍らせているのか。
振動の原因は急激な温度変化で機構そのものが軋んでいるためのようだ。
確かにそれはリッチクイーンにも盲点であった。
温度変化の知識があれば理解るが、その当たり前が染みすぎていた。
リッチクイーンがもし製氷機を製造するなら、時空を鈍化し空間そのものを凍結させるだろう。
優れた賢者とも言える森の大魔女の知識ならば、永遠さえも一瞬に変えられる。
けれどリッチクイーンの時空凍結法はリッチクイーンにしか扱えない。
その点魔物街の製氷機は優秀だ、知識さえあれば誰でも製作できる。
氷の魔石は北部、おそらくイーリス族を経由してドワーフ王国から輸入は容易だろう。
逆に炎の魔石は大森林南部を中心に大量に埋まっている。
ゴブリン族は炎の魔石を採掘し、生活に活用してきた種族だ、こちらも手慣れている。
恐るべきはゴブリン族の思わぬ知識レベルだろう、特に聖女アイは逸脱している。
「その聖女は、どうやって熱力学の原理を知ったのであろうな?」
「それは星の導きでしょう」
店主はそう言うと、胸に手を当て祈りを捧げた。
知識としては知っているが、これが彼らゴブリン族が伝統として信仰する聖星教なのだろう。
空の七つ星の神々を信仰し、少し前には大規模なお祭りも催していたな。
ちょっと、本当にちょーっと、リッチクイーンも実は参加したかったけど、空気を呼んで遠慮したのは忘れない。
ちょっと寂しんぼなリッチクイーンは苦笑する。
「星の導きねぇ」
リッチクイーンはウイスキーを呑む。
リッチクイーンの拘りポイントとして、舌の受容体はほぼ生前のまま維持しており味覚が機能する。
唯一不死の再現のため、肝臓はほとんど機能していないから、酔うことは不可能だが。
「良い酒だが、やはりドワーフの酒、味わいは雑だな」
「お、お客さんは酒に詳しいので?」
「それなりにな、大陸東部で製造される清酒は絶品だ」
数多の種族が住むこの大陸を、パンデア大陸という。
大森林の外にも、勿論色んな国があって文化がある。
西方の大帝国、北方の小国群、南方には人魚たちが夢見る国が、東方には大陸を縦断する砂漠に、その先に隔絶した文化があるという。
リッチクイーンはその殆ど訪れたことがある。
だからこそ古今東西の知識があるのだ。
「店主は、この街が好きか?」
「わ、わたくしは洞窟から出てきたばかりの身、白蛇様にお声掛けしてもらい今の職に着きましたが、少なくともこの街は好きだと思えます」
洞窟で原人同然の暮らしと魔物街での暮らしでは天と地ほどの差もあるだろう。
街には街なりの気苦労もありそうだが。
少なくとも楽しくはあるが、暮らすとなるとリッチクイーンは遠慮したい。
ここでは日々の研究にも手が付かないというもの。
「それにしてもリュウイチめ、いつまで掛かっとるか」
ずっと時間を潰しているリッチクイーンもいい加減愚痴をこぼす。
白蛇は政治も関係し忙しいのだ。
まだかまだか、酒場で飲んだくれるも、酔えないので逆に辛くもある。
ガチャリ、入口の扉が開くと、誰かが入店してくる。
真っ昼間から酒とは、どうせ年がら年中飲兵衛のオーク辺りか。
なんて大して興味も持たず不貞腐れると。
「リッチクイーンお待たせしましたっ!」
ガバッ、カウンターに突っ伏したリッチクイーンはキョンシーめいた動きで跳ね起きる。
青い瞳を爛々に輝かせると、リッチクイーンは酒場に入ってきた白蛇に飛びかかる。
さながらホラーかスプラッター系の映画のような動き、もといまるでゴキブリめいてリッチクイーンは白蛇を掴み、彼に文句めいて言った。
「遅いぞこの馬鹿弟子がー! 強制連行!」
その瞬間、リッチクイーンと白蛇は酒場から消え失せた。
チャランチャラン、人知れずカウンターには代金として、旧いニンゲンの国の金貨が転がっていた。




