第68話 絶望、白蛇に待つ未来とは
勝てない。圧倒的な力の差を見せつけられ、白蛇の心は折れかけていた。
もう諦めたい、リッチクイーン……マーシーの実力は喩え天地が逆さまになろうと敵う相手じゃない。
このままじゃ無残に殺されてお終いか。
嫌だ、嫌だ、嫌だ――。
死にたくない。死にたくなんてない、痛いのも嫌だ。
なんで蛇にまでなってこんなに辛い目に合わないといけないのか。
なにを恨めばいい、なにを呪えばいい、あのクソッタレの神様たちか?
それとも弱くて情けない自分をか?
「……ッ、アアアアアア!」
白蛇リュウイチは吠えた。
悔しくて惨めで無慈悲で無残で、どうしようもないクソッタレな現実に吠えた。
そのさまはあまりに痛々しい、マーシーは怪訝な表情を浮かべる。
「なんだ、恐怖に壊れたか?」
違う、まだ壊れていない。壊れられないんだ。
白蛇は血涙を流して、姿を白蛇女へと変貌させると、地面を拳で叩いた。
血が滲む、だが痛みが逆にリュウイチを冷静にさせた。
(蛇神、猫神……俺は万策尽きたのか?)
残念ながら白蛇はまだまだ森の弱小に過ぎないのかもしれない。
ちょっと強くなって良い気になっても、天井の高さに辟易する。
それでも……諦めたくないんだ。諦めの悪さだけは世界一を自負してやる。
もはや恥も外聞もない、あのクソ神どもに頼るしかない。
『無い訳じゃないけど……あえて言えば降参しなよ、敵いっこない』
(ざけんな! 俺は逃げねぇぞ! 方法を教えろ!)
蛇神は穏和な声で諭す、が頭に血の上ったリュウイチが聞くはずもなく小さな溜息を吐いた。
『ニンゲン、諦めるのは終わりやないで? なんもかんも失ったってお前が生きている限り何度だってやり直せるやろ』
(……それじゃあ意味がない! なんの為に俺は存在している! そんな甲斐のない蛇生俺は望んじゃいないぞ!)
二柱の神は呆れたように顔を合わせた。
リュウイチは面白い男だが、哀しいかな力は半分にさえ神には届かない。
せめて半神相応の力さえあれば、このような苦悩もなかったろうに。
蛇神は考えを改める。リュウイチは愚図で意固地だと再認識した上で、少し声音を低くして言った。
『じゃあリュウイチ君、君は化け物になる覚悟はあるかい?』
(ばけ、もの……マーシーに勝てるのか?)
『勝てるかも知れない、けれど代償の方が大きいかもね?』
その時、リュウイチの頭に一瞬凄まじい激痛が走る。
思わず両手で頭を抱え、仰け反るが……なにかが脳を駆け巡った。
『蛇神の力の一端、それを使えば勝てるけど、君は全てを失うかもね』
それは【神力】と呼ばれる不可思議な力だった。
蛇神のほんの一雫に過ぎないが、白蛇へ譲渡された力はリュウイチにある結果を幻視させる。
バラバラに砕け散るリッチクイーン、辺り一帯は血の海で、オークやゴブリンの無残な死体がそこかしこに倒れている。
「……うぐっ!?」
思わず吐いてしまった。
アレは結果だ。力の操作方法も分からないまま、蛇神の力を使えばマーシーよりも、周りが保たない。
下手すれば街ごと破壊してしまうかも知れない。
こんな力、本来存在しちゃいけないんだと痛感した。
「ッ……クソッタレ、逆に言えばそんくらい無茶な力が無ければ勝てねぇのかよ……!」
「……こやつ」
マーシーはさっきから様子のおかしい白蛇女をじっと観察した。
一瞬力が膨れ上がったように思える。
白蛇女の背後に得体の知れない圧倒的な気配を感じたのだ。
「まさか……本当に神? いや……もう感じない、だがあれは一体………?」
何故? 突然マーシーが困惑しだす。
ちっぽけなリュウイチになにを警戒したのか。
マーシーは優れた知覚能力と感覚から、リュウイチの身体に流れる蛇神の【威】感じ取ったのだ。
ザコ魔物のような姿は単なる擬態かも知れないと、馬鹿馬鹿しいが一抹の不安とは簡単には拭えない。
どうする、お互いが膠着し、しばし睨み合い状態が発生する。
そうする間にも巻き込まれた民衆は戸惑い、混乱が発生している。
やがて新市街方面から兵士たちが集まりだした。
「これは一体……リュウ様!?」
魔物街の治安維持にあたるゴブリン兵にコボルト兵たち。
完全武装し現れたが、彼らが見たのは白蛇女とリッチクイーンだ。
明らかにリッチクイーンが怪しいのは分かる……だがこの異様な雰囲気はなにか。
「そ、そこのアンデット! ただちに武装解除し、投降を!」
「……うるさいぞ」
「やべ! 止めろ皆! ここからスグに避難だ!」
リュウイチは亜光速に迫る速度で飛び出す。
マーシーが闇の魔法を放つ、それより速くリュウイチは兵士たちを突き飛ばした。
「ぐわっ!? リュ、リュウ様?」
「非常事態だ、魔法範囲外まで退避! 急げよ!」
リュウイチの発破に、コボルト兵は背筋を正す。
ゴブリン兵もリュウイチの命令ならば、と速やかに退避した。
魔法を放つ態勢だった、マーシーは対象がいなくなると、魔力を霧散させ、ただリュウイチを見た。
「アッハッハ! やはりお主はお主、妾の杞憂であったか」
「……お前の目的はなんだ? 街の破壊か?」
マーシーはその時ポカンとした。
リュウイチは眉を顰めマーシーの動きを窺うが。
「……ククク、忘れておった、それはリュウイチお主を――」
その時――闇を切り裂き、翼を広げて突貫してくる巨大な三毛猫が二人の間に飛び込んできた。
リュウイチは驚き、マーシーは顎に手を当て溜息を吐いた。
「ちょっと待つニャー、師匠も兄貴も戦うのは止めてニャー!」
師匠? 白蛇は一瞬意味が分からず脱力した。
あーあと両手を上げて首を横に振るマーシーは、一気に毒気が抜けて周囲を取り巻く闇が消え去った。
「師匠? 師匠ってどういうことだベヒーモス?」
「ニャー……教えたくはなかったけどこのリッチクイーンはアタシの師匠なんだニャー」
「どうも馬鹿弟子が世話になったようじゃな、リッチクイーンです」
マーシーは両手を合わせると丁寧に頭を下げた。
白蛇はポカンと口を開けたまま硬直、それを見てベヒーモスは三白眼をマーシーに向ける。
「師匠、兄貴が呆れてらっしゃるニャ、一体何したニャ?」
「えーなにって、ちょっと脅しつけてやっただけなのにー?」
ちょっと脅しって……思いっきり殺されかけたような……。
ともあれ今のマーシーには殺意は感じられない。
いわゆる“化けの皮が剥がされた”という状況か。
「えーと、つまり遊ばれた?」
「その通りでございます!」
ビシッと人差し指を立てるマーシー、これは完全に遊ばれたんだと理解した。
凄まじい脱力感、ここまでの緊張はなんだったのかもう声も出ない。
そのまま白蛇はペタリと前のめりに倒れた。
その顔はもうどうでもいいやと脱力しきっていた。
「なんじゃベヒーモスを従えたお主が、まさかこんなに弱っちいとはのう」
「アニキの凄さはレベルじゃないニャ! アニキは器がとんでもなく大きいんだニャ!」
「あのーそういうのどうでもいいんで、この闇を消してくれません?」
あと倒れている魔物たちの解放もと付け加えて。
マーシーは肩を竦めると、パチンと指を鳴らす。
すると街を覆った闇が急速にマーシーの指先へと収束し、彼女は闇を握り潰した。
青空が解放されると、蹲っていた魔物たちも顔を上げた。
地面に縫い付けていた力場が無くなり、次々と立ち上がる。
「……結局、なんだった訳?」
へたり込んでいたフレイアは、マーシーの意図がさっぱり分からず、チンプンカンプンのまま目を点にしてしまう。
正直生きた心地は全くしなかった、だからこそ生の実感の反動は凄まじく立ち上がることも出来ない。
マーシーは周囲を見渡し、怪我人もいないのを確認すると、白蛇の前まで歩いた。
「リュウイチよ、お主の実力はよーく分かった。分かったからこそ聞く、何故逃げなかった?」
「逃げなかった……だって? 逃げれる訳ねぇだろう、俺は皆が大好きだ、街が大好きなんだよ」
それはとてもシンプル、今も前のめりに伏したまま、なんとか顔を上げるへとへとの白ラミア、あまりに情けない姿だ。
だがそんな間抜けが、世にも恐ろしいリッチクイーンから逃げなかった。
最後まで闘志を持って、万策尽きても、それでも必死で。
「くだらんな、自分が死んだら元もこうもなかろう? 生きていればこそやり直せる……違うか?」
「……正論だな、けどそれじゃあ今あるものを見殺しにしろってのか?」
「そうだ、お主あってこそ魔物街と言えるのではないか?」
仮の話だ。
もしも魔物街からリュウイチが居なくなったら、魔物街はどうなるだろうか。
考えられるパターンには幾通りかあるが、ここで先ず思いつくのは、イーリス族とネレイド族の離反だろう。
ネレイド族は白蛇の保護の下、マーメイド族への復讐の為に臣従を決めたのだ、その強力な庇護が無くなった時点で、ネレイド族が魔物街から撤退するのは明白である。
続いてイーリス族、より正しく言えばユズは白蛇だからこそ頭を垂れるのだ。
白蛇でなければ機密の塊であった魔法銃は見せなかったし、白蛇なくして同盟など築くまい。
これだけなら、まだ軽症と言えよう。
さらなる問題はオーク族とゴブリン族に再び亀裂が入る可能性だ。
現状両種族は白蛇を守り神として信仰しているからこそ、纏まっている。
だが白蛇なくば、その勢力はゴブリンに偏るだろう。
魔物街の運営には、各種族の代表一名以上が市議として参加を義務付けているが、圧倒的に人口が多いゴブリンが議席数を独占し、ゴブリン族に有利な法案を可決していく未来はありうる。
そうなれば、オークの強い反発、またコボルト族の離反まで考えられるだろう。
最悪内乱もありうる、そうなれば魔物街は再び森に飲み込まれてしまうだろう。
勿論この仮説は最悪のケースの一種である。
しかし可能性はあるのだ、その最悪の顛末をリュウイチが考えなかったか?
否、如何にお気楽白蛇といえど、考えなかった訳じゃない。
ほとんど自転車操業に近いやり方で街を運営していた魔物街は、見えない亀裂はあるだろう。
「……巫山戯んなよ、だからこそ見捨てられるかよ!」
「だが、妾が国盗りが目的ならば、お主を殺していた。弱者には何も得られん、それが世の摂理よ」
「……くっ」
白蛇には何も護れないのか。
なにが白き翼の守り神だ、こんなへなちょこで。
悔しかった、掌を握りすぎて血が滲むほど情けなくてどうにかなりそうだ。
「くそ、くそくそっ! なにやってんだ俺はっ! 畜生!」
強くなりたい、何度そう願っただろう。
ちょっと強くなって良い気になって、もっと強い奴に手も足も出ない。
これじゃあ何も変わらない、森で怯えていた弱っちい白蛇の頃から。
何もかもを護りたいのに、現実はどこまでも残酷である。
魔物街も白蛇も、このモーアの大森林にとっては、吹けば飛ぶ程度の些末な存在でしかないのか。
「ニャア……アニキ」
「……慰めなどよせベヒーモス」
見るに見かねたベヒーモスが駆け寄るが、マーシーはそれを手で制した。
マーシーはただ首を横に振って、その無様を断じる。
「顔を上げろリュウイチよ」
「うぅ……?」
リュウイチは言われるまま、顔を上げた。
ぐしゃぐしゃにみっともなく泣いており、真っ赤な眼は更に赤く充血して。
「お主は今は弱い、じゃが強くはなれる」
「……え?」
「妾の目的じゃったな……それはお主を妾の弟子にすることよ」
「はい……弟子?」
マーシーはネクロな表情でニンマリ口角を上げた。
弟子、そうマーシーの目的とは、ここ最近絶好調で勢力を広げる白蛇の品定めであった。
ベヒーモスを充分に服従されられるほどの実力があるならばそれで良し。
だが万が一にも、呆気なく敗れ、全てを失う程度ならばマーシー自らが引導を渡す。
そして見事引導は渡された、もうここにいるのは弱くて情けない一匹の白蛇だ。
「リュウイチよ、この偉大なる大森林の魔女がお主を扱いてやろうぞ!」




