第42話 湖のヌシ
「シャアアアア!」
「えっ!? キャアアア!?」
水蛇は獲物を定め、濃霧の竜に背後から襲いかかる。
体長十メートルはある巨体は、濃霧を一気に蹴散らした。
濃霧の中心にいたのは、美しい人魚であった。
人魚は水蛇の気配にも気付かず、捕食されようとしている。
「ストーップ!」
顔面を蒼白にする人魚、喰われる直前白蛇が声を張り上げる。
するとどうか、水蛇がピタリと停止した。
「やーやーやーお食事中すまないね、ミズチ君ー、申し訳ないけど、その子を離してあげて、ね?」
極めて優しく言葉をかけるリュウイチ、しかしミズチはガタガタ震えてリュウイチに従った。
人魚は「え?」と涙目で言葉を溢す。
一見すると、白蛇のほうが弱そうなのに、ミズチが怯えているのだ。
【蛇神の加護】、☆☆☆☆☆☆のミズチでさえ、蛇神の眷属には抗えない。
そのままミズチは人魚を諦め、ポチャンと音を立てて水底に沈んでいった。
「た、助かった?」
「…………(超、やばかったぁぁぁ!)」
さも圧倒的な力の差で強大な力を誇る水蛇を鎮めたかに見えたが、リュウイチは内心汗だらだらであった。
水蛇、熱源探知に引っかからなかったぞ。
何気に水と同化出来る特性が隠密性を引き上げていた。
気付くのに一瞬遅れていたら、人魚はぱっくり頭から丸呑みされていただろう。
「あ、あのっ! ご無礼申し訳ありません!」
人魚は湖面から上がると、白蛇の前で土下座する。
よく見るとピンク色の魚鱗が美しい。
「あの、顔を上げてください、ね?」
「み、ミズチをまさか従える者とは思わず、ど、どうか我らネレイド族は絶対に逆らいませんので……っ」
ネレイド族、人魚族の一種。
本来は海棲の魔物種であるが、ネレイド族も人魚族と呼ばれ水棲魔物種に分類される。
「ちょっと失礼、《ステータスオープン》」
【 名前 】 テティス
【 種族 】 ネレイド
【 レベル 】 35/40
【 ランク 】 ☆☆☆
【 攻撃力 】 45
【 防御力 】 28
【 魔法力 】 79
【 魔防力 】 30
【 敏捷力 】 43
【 スキル 】 人魚の加護 水魔法の才 水魔法の知識 霧の魔女 乾燥耐性・弱
「なるほどねぇ」
「えと、あの?」
テティスという人魚は、どうやらこの湖の住民らしい。
濃霧の竜の正体は【霧の魔女】というスキルによって生み出された虚像だったようだ。
ランクは☆☆☆とヌシどころか、この大森林ではありふれたである。
平均的なゴブリンやコボルトとそんなに変わらないという辺りが、ネレイド族の森での地位が察せられる。
「えと、先ずは自己紹介をしましょうね、自分は白蛇リュウイチ、魔物街からやって来ました」
そう言ってペコリ、テティスの前で頭を下げる。
テティスは目を丸くした。直ぐにわたわたと慌てふためくと、彼女も自己紹介する。
「さ、先に名乗らせて申し訳ございません! 私はテティス、ネレイドのテティスです!」
「それでテティスさん、どうして俺を湖から離そうとしたのかな?」
テティスは「あわわわ」と顔を青くする。
この反応はコボルト族に近いな。水面の方を見ると、不安そうに顔を出すネレイド族が心配している。
「わ、わたっ、私たち、元々は海に住んでいたんです、ひぐっ、けど海を追われてっ、えぐっ」
「泣かない、別に俺は怒っちゃいないから」
白蛇女に身体変化すると、リュウイチはテティスの涙を指で拭う。
テティスは白蛇が白蛇女に変化し驚いた。
「リュウイチ様、もしや魔王さま?」
「魔王? いやいや、ちょっと風変わりな白蛇さ」
さらりとこの世界で初めて魔王なんて単語を聞いたな。
テティスはリュウイチの底が知れず、魔王と対面したかのような畏怖があった。
リュウイチの気分を少しでも損ねれば、ネレイド族など容易く絶命するだろう。
それほどのなにかがある気がして、とても気が落ち着かない。
「うーん、やっぱり難しいか」
「あ、あのっ! どうかお許しください! 私が生贄になりますから、どうか同胞は!」
「ミズチのみなさーん! 集合!」
テティスは顔を青ざめなんとか同胞を守ろうと必死に額を地ベタに着ける。
だが白蛇は突然ミズチに号令を上げると、水面中から巨大な水蛇たちが鎌首を持ち上げた。
まるで水蛇の樹林のごとく、湖には数十匹に及ぶミズチが生息していた。
「ぁ、あ……」
テティスは「終わった」と直感し、もう全て諦めがついた。
選択肢を間違えたのだ、こうやってネレイド族は歴史から消滅するのだろう。
元よりネレイド族が海を追われた時点で詰んでいた。
慣れない淡水に魚鱗は痛み、乾燥に苦しみ、少ない食料に次々と同胞は死んでいった。
元々はネレイド族は十万人も海に住んでいたのに、今やこの湖には百人ばかりが住んでいるだけ。
呆気ない最後だ、もうどうにでもなれ。
「はい、ミズチ君たちに蛇神の眷属として命令っ! 今後ネレイドを狙っちゃ駄目!」
「……ぇ?」
自分の何十倍も大きな天敵たちは、皆コクリと頷く。
「ネレイド族、この白蛇リュウイチがお前達の安全を保証する! だからそう怯えるな!」
ミズチさえ従わせる蛇の魔王は両手を広げ、朗らかに笑った。
一箇所に固まるネレイドたちは、最初呆然としていた。
しかし直ぐに。
「ハハーッ! 白蛇様、我らネレイド族、白蛇様へと忠誠を誓いましょう!」
年老いた白髪の老人ネレイドが、リュウイチの前で跪く。
すると次々とリュウイチの前でネレイドたちは平伏した。
今ここに、新たなヌシが誕生した。
白蛇リュウイチ、ペンデュラムは時として、全くの予想外の答えを持ってきた。
ネレイド族との出逢い、これはリュウイチの人生に新たな刺激を齎すだろうか。




