6. せふぃねえさまとの冒険 5
基本的に、エルはぐっすり寝る子供である。
もちろんエルが本当に小さい頃は注意していたようだが、それを知っているアルマは、エルが一度寝たらそれほど気に掛けることはない。
だが、この日のエルは興奮していた。
雑貨屋の店員が届けてくれた人形でひとしきり遊んでも満足できず、ずっと人形のことを話していた。
はしゃぎすぎて疲れ切ったため、あっという間に寝てしまったのだが、普段より眠りは浅かった。
「む……」
真夜中、エルはなぜか目が覚めてしまった。
もっとも、エルにとっては真夜中だが、父ヒューバートや母ソフィアはもうそろそろ寝ようかという時間帯である。エルはいつも早寝早起きなので、随分と眠った気分だった。
『エル坊、目が覚めちゃったのか?』
いつも通り、枕元に鎮座しているカートン卿が尋ねる。
エルは目をこしこしと擦ってベッドの上にちょこなんと座ると、カートン卿に頷いた。
「うん」
ぱっちりと大きく真ん丸な目を瞬かせ、エルはこくりと顔を縦に振る。
『でも、まだ夜だぞ。もう一回、寝た方が良いんじゃないか?』
「える、ねむくないの」
ふるふる、とエルは首を振った。
眠気はあっという間にどこかへ行ったのだ。もう一回ベッドに寝転んでシーツを被っても、眠れる気がしない。
だが、カートン卿も諦めなかった。
『横になったら、きっと眠れると思うぞ』
そうかな、とエルは小首を傾げる。
だって目はぱっちりと開いているのだ。それに、せっかくの人形も気になる。
本当は人形と一緒に寝たかったのに、きっと興奮して眠れなくなるだろうと思ったアルマが、人形を別の部屋に置いてしまった。
「える、おにんぎょさんたち、ちゃんと、おねんねしてるか、みてくる!」
良いアイデアだ。
エルは自分の思いつきに、とても良い気分になった。
いそいそと、枕元に置いたカーディガンを着る。ボタンが掛け違いになっているが、ご愛敬だ。
『いやいや、エル坊。まだ夜だぞ。夜は寝る時間だ』
「だいじょぶ。おにんぎょさんたち、みたら、ちゃんとおねんねする」
エルは自信満々である。
そして、いかに小言を言われても、エルはカートン卿を置いていくつもりはなかった。
ベッドからもぞもぞと降りると、靴を履く。少し背伸びをしてベッドの上に居るカートン卿を引きずるようにおろす。しっかりと抱きしめると、エルは足音を忍ばせて部屋を出た。
カートン卿は無言だが、どことなく呆れた気配だ。エルは気にせず、お人形が置かれている部屋に向かった。
エルが雑貨屋で選んだ四つの人形は、エルのために用意された玩具専用の部屋に置いてある。
うさぎと、くまと、犬と、猫。
遊ぶための部屋は、エルの寝室から少し離れている。間にはロレッタとセラフィーナの寝室があって、廊下はしんと静まり返っていた。
部屋の扉を開けて廊下に顔を出したエルは。きょろきょろと周囲を見渡す。そして、誰も居ないことを確認すると、意気揚々と廊下を歩き出した。
『だいぶ夜の一人歩きに慣れてきたな……』
良くない傾向だと、カートン卿は渋い口調だ。
しかし、エルはそうとは受け取らなかった。得意げに、こそこそと潜めた声で答える。
「える、おっきくなったの」
『まあな。でも、まだ子供だ』
「すぐ、おっきくなるの」
ふふん、とエルはわずかに胸を張る。
そしてエルがセラフィーナの寝室の前を通り掛かった時、エルはふと足を止めた。
『エル坊?』
どうした、とカートン卿が尋ねる。
エルは小首を傾げて、セラフィーナの扉を振り返った。
「おと、した?」
『音?』
何の音だ、とカートン卿が問う間もなく、エルはセラフィーナの部屋に近付く。
背伸びをして把手を掴もうとするが、エルの身長では残念ながら指先が届くか届かないか、という高さだ。
むむ、とエルは唇を尖らせた。
「かーとんきょ、とどく?」
尋ねてエルはカートン卿を抱き上げる。そうすると、カートン卿の頭がこつんと把手に当たった。
カートン卿が苦言を申し立てる。
『エル坊、俺はぬいぐるみだぞ。体は動かないんだ』
「む」
そうだった、とエルは唇を尖らせた。そして、カートン卿を先ほどと同じように抱っこする。
だが、その時エルは気が付いた。
扉はしっかり閉まっていない。扉の把手を引いた時に出たり引っ込んだりする留め具が、壁に据え付けられた受け手に引っ掛かっていないのだ。
大人ならば指すら入らない隙間に、エルは手を差し込んだ。そして、ゆっくりと引く。
すると、扉は静かに開いた。
『おい、エル坊。セラフィーナはもう寝てるんだ。起こしたら駄目だぞ』
(おこさないよ)
それくらい、エルはちゃんと分かっている。
だが、どうしても気になったのだ。
なぜ気になるのかと訊かれてもちゃんとした答えはないが、せっかくの玩具が届いたのに、セラフィーナはどこか心ここにあらず、だった。
いつもは、エルが話しかけなくてもニコニコとして、優しく声を掛けてくれるのに。
今日はエルが話しかけても、なにを言ったのかと尋ね返してくることが多かった。
エルも、たまにアルマやカートン卿の話を聞いていない、と言われることがある。
そういう時は、エルは悩んでいるのだ。
その日のおやつが何だろうとか、次はどの絵本を読もうだとか、こっそりアルマにお誕生日プレゼントを渡すにはどうすれば良いだろう、とか。
考えることはその時々で全く違うけれど、いつもエルは真剣に悩んでいる。
もしかしたらセラフィーナも同じかもしれない。
エルにも秘密のことならきっと教えてはくれないが、悲しい時に傍に居ることはできる。
怖い夢を見たエルが泣いている時は、いつもカートン卿とアルマが隣にいて、落ち着くまで抱きしめてくれた。
ロレッタもセラフィーナも、ソフィアも、エルが居ると幸せだと言っている。
だから、本当にセラフィーナが何かに悩んでいるなら、自分が助けられるのではないか。
難しくてうまく説明できないが、エルはそんなことを考えていた。
(せふぃねえさま、こまってたら、える、たすけるの!)
領都のブレニアム・ハウスに来てからというもの、エルは困っている人を助けられていなかった。
これでは、ジェイとの約束を破ったも同然である。
だからこそ、エルは俄然張り切った。
『そこにそう繋がるのか……忘れてたと思ったのに』
(える、わすれないよ?)
エルは物覚えが良いのである。アルマだけでなく、グレンにも誉められたことがある。
カートン卿は心なしかがっかりとした雰囲気を漂わせていたが、エルは気にしない。
よいしょと自分一人が通れるだけの隙間を開けて、扉から中に入る。
すると、不思議なことに、風が吹き抜けた。
おやおや、とエルは首を傾げる。
眠るときは、扉と窓を閉める。
夜風は冷たいし、風邪を引いたらいけないからだ。それに、もしかしたら悪者が部屋に入って来ることもある。
だから、戸締りは大事。
アルマとグレンはそう教えてくれた。
それなのに、セラフィーナの部屋には風が吹いた。
窓が開いているということだ。
カートン卿の纏う空気が硬くなるが、エルは素朴な疑問を抱く。
(せふぃねえさま、まど、あけて、おねんねしたのかな?)
それならば、エルが窓を閉めてあげよう。
エルは単純にそう考えた。
窓を閉めれば、セラフィーナは風邪を引かない。セラフィーナの健康はエルが守る。
気分は騎士さまだ。セラフィーナが好きだという騎士の格好良さがあまりエルには分からなかったが、今初めて、騎士も良いものかもしれないと思った。
エルは内扉を引っ張る。
廊下に面した扉とは違って、内扉はエルでも簡単に開けられる。
できるだけ静かにしたつもりだったが、多少、音は響く。
案の定、既に寝ていたはずのセラフィーナが驚くような気配がして、柔らかな声がした。
「エルくん?」
「う?」
エルはきょとんと首を傾げて、声がした方向を見る。
ベッドとは正反対の位置にある、窓際だ。
寝間着に着替えてお休みの挨拶をしたはずのセラフィーナは、簡素な外出着を身に纏い、今まさに窓から外へ出ようとしているところだった。
「せふぃねえさま?」
一体何をしているのだろうかと、エルは目を瞬かせる。
一方のセラフィーナは、「ああ」と呟いて頭を抱えた。
「エルくん、こんなところで何をしてるの?」
普段、エルは一度寝たらなかなか起きない。朝は元気に起きるものの、夜泣きもしない子供だ。
当然、こんな夜中にセラフィーナの部屋を訪れるなんてことも、これまで一度もなかった。
もっとも、都のタウンハウスに居た時は、エルは度々フェリクスの部屋に遊びに行っていたのだが、それこそセラフィーナには知る由もないことである。
「えるね、せふぃねえさま、おねんねしてるか、みにきたの」
『お人形さんがおねんねしてるか見に行こうとしたんじゃないのか』
すかさずカートン卿が口を挟む。
「あ」
そうだった、とエルは思ったが、それよりも大事なのはセラフィーナのことだ。
セラフィーナの様子が普段と違うことは分かっていながら、夜に部屋を抜け出そうとしている場面を弟に見られて焦っているとは思いもよらず、エルは無邪気に尋ねた。
「せふぃねえさま、おでかけしゅるの?」
わくわくと、目を輝かせて。
そして、きりっと表情を引き締めて、エルは普段、アルマやグレン、そしてカートン卿に言われていることを、口にした。
「ひとり、あぶないの」
子供が一人でお出かけするのは、危ないですよ、と口を酸っぱくしてアルマは言う。
「えっと……そうね」
セラフィーナは気まずそうに、頷く。
分かれば宜しいと言わんばかりに、エルはアルマやグレンの真似をして重々しく頷いた。
だが、三歳の幼児が真似をしても可愛らしいだけである。
セラフィーナは、今の状況も忘れかけて微笑んだ。
「せふぃねえさま、ひとり、おでかけ?」
「ええっと……そのぅ、エルくん? お願いなんだけど、お父さまにもお母さまにも、ローリーお姉さまにも、誰にも言わないで欲しいのだけれどぉ……」
セラフィーナは気まずげに言って、視線を落とす。どこからどう見ても、セラフィーナは困り果てていた。
エルは、都に居た時はフェリクスとお出かけした。だが、それもアルマや両親からすれば危ないことであったらしい。
お出かけをする時は、必ず大人に声を掛けなさい、と言われた。
エルが驚いたことに、フェリクスはまだ大人ではないらしかった。
つまり、フェリクスよりも年下のセラフィーナもまた、大人ではない。
とはいえ、既に時刻は夜だ。
夜は寝る時間だ。
寝ている人は起こしてはいけない。
その常識も、エルはしっかりと持っている。
(かーとんきょー、おとな?)
『…………エル坊、今その質問をされても、俺は嫌な予感しかしないのだが』
(おとなだよね)
だって、いつもカートン卿は大人だと言っているから。
それに、カートン卿はアルマやグレンよりも物知りである。大人は子供よりたくさんのことを知っているのだから、当然、カートン卿は大人であるはずだ。
エルは信じていた。
そして、今、ここにカートン卿はいる。
いつもエルはカートン卿と一緒だ。
だから、エルはにっこりと笑った。
自信満々に、セラフィーナに告げる。
「えるも、いっしょいくの」
セラフィーナがどこに行くつもりなのか、エルは分からない。
でも、エルはちゃんと困っている人を助けるのだ。
『ああああ、やっぱり……』
カートン卿の絶望に満ちた声は、エルには聞こえていなかった。
そして、セラフィーナは愕然と目を瞠っている。
二人の間を、窓から吹き込んだ夜風が吹き抜けていった。




