6. せふぃねえさまとの冒険 4
広げたカードから浮き上がった絵を存分に堪能して、ようやくエルは絵の下の台座に書かれた文字に気がついた。
小さく筆記体で書かれた文字は、案の定エルには少し難しい。
「んー?」
「エルお坊ちゃま、お読みいたしますよ」
アルマがすかさず声をかけてくれる。エルは顔を上げて、いつの間にか側にいたアルマにカードを見せた。
だが、カードはエルのお気に入りなので、手放さない。
ちゃんと承知しているアルマは身を屈め、カードを覗き込んだ。
「『親愛なるオスニエルさま。あなた様の輝かしい未来に、多くの喜びと幸せが訪れますように。心を込めて』と書いてありますわ」
エルは、にへらと笑った。自分で選んだお人形も楽しみで仕方がないが、今はこのカードがエルの宝物だ。
これまでのエルは、家族からしかカードを貰ったことがない。お誕生日などの記念日に、家族や使用人からプレゼントを貰った。その時に、家族はきちんとメッセージカードを添えてくれるのだ。
だから、家族ではない人からカードを貰うのは──それもちゃんとしたメッセージ付きというのは、とても特別なことに思えた。
「せふぃねえさまは?」
エルにメッセージがついていたのだから、セラフィーナにも同じように書いてあるはずだ。全く同じ文面ではないかもしれないが、それならばそれで、何と書いてあるのか気になる。
だが、セラフィーナを振り返ったエルはぎょっとした。
「せふぃねえさま?」
先ほどまでは頬を薄桃色に上気させ、エルに負けじと目を輝かせていたはずだ。
それなのに、今のセラフィーナの表情は一変していた。
目は潤み、少し血の気が失せている。
「どうしたの? どこか、いたいの?」
慌ててエルは尋ねた。
エルの横に控えていたアルマは鋭い視線で問うように、セラフィーナの侍女を見る。だが、侍女もよく事情がわからないようで、狼狽して顔を横に振った。
雑貨屋アウルムから来た男女二人も、慌てた様子でセラフィーナを見ている。
セラフィーナは全員の視線を一身に受け、ぎこちなく笑ってみせた。
「ううん、なんでもないのよぉ。なんだか、感動しちゃってぇ」
なるほどと納得したような空気が、部屋に流れる。
元々セラフィーナは感受性が豊かだ。武の公爵家であるハートフォード公爵家の中では、少しばかり異質である。母ソフィアに少し似ているが、ソフィアは年の功か、そこまで繊細ではない。
だが、セラフィーナは、家族の誰もが驚くような些細なことで泣いたり驚いたり笑ったりする。
だからこそ、セラフィーナの言い分に違和感は抱かれなかった。
「そう、カードよねぇ。エルくんのカード、可愛らしいわねぇ」
「うん、かわいーの!」
エルは嬉しそうに、カードを掲げて見せる。
存分に褒めて貰ってから、エルはセラフィーナのスカートを軽く引っ張った。
「せふぃねえさま、かーどは?」
セラフィーナはどんなカードを貰ったのか、という質問である。
もちろん、エルと一緒に過ごすに従いセラフィーナはエルの言葉をちゃんと理解できるようになっていた。
だが、少し困ったように小首を傾げる。
「そぉねぇ」
少しばかり、見せるのを躊躇しているようだ。
だが、エルの期待に満ちた瞳に根負けした。
「……こういうのよぉ」
少しばかり渋々といった様子で、セラフィーナはエルに自分のカードを見せる。
エルはカードを覗き込んだ。
「わあ! すてきねぇ」
少年と少女がフルートを片手に持ち、すやおおかみ、ロバが傍に居る。これから冒険に出かけるのだ。
エルも良く知る絵本の一場面である。
その下に小さく文字が書いてあったが、エルはまだ難しい文章を読めない。
エルが知っているのは、簡単な単語くらいだ。
だから、エルは文章を読まずに、目をきらきらとさせて綺麗なイラストに釘付けだった。
セラフィーナが、困ったように眉を八の字にする。
そして、そっとエルの前からカードを引き寄せて、胸元で畳んだ。
「素敵ねぇ。ねぇエルくん、他のおもちゃも見てみなぁい?」
「おもちゃ!」
あっという間に、エルの心は新しい玩具に占められる。勢いよく振り返って、エルはテーブルの上に山と積まれた箱に駆け寄った。そして、手を触れることなくうっとりと眺める。
セラフィーナは、そんなエルをほっとした表情で見つめた。カードをスカートのポケットにしっかりと仕舞うと、エルに近づく。
「あらぁ、これがエルくんのお人形じゃなぁい?」
セラフィーナは、テーブルの一番手前に置かれた箱を示す。
包みの外側に文字が書いてあり、エルは読めなかったが、そこに中身が書かれているようだ。
「これ、もじ?」
きょとんとして、エルはセラフィーナを振り仰いだ。
「そうよぉ」
「ふつーのじゃない」
エルは目を瞬かせる。
それも当然だった。エルが普段見ている文字は活版印刷で、誰にでも読めるようにシンプルな形をしている。だが、箱に書かれた文字は飾りのようだった。
「これはねぇ、カリグラフィーっていうのよぉ。絵画みたいよねぇ」
「かいが……」
かいがってなんだっけ、と、エルは一瞬考える。すかさずカートン卿が囁いた。
『絵のことだ。こういう風に書くと、綺麗に見えるだろう?』
なるほど、とエルは頷く。言われてみれば確かに、綺麗な絵画のように見えた。
ただ、その分読みにくい。
エルは、カリグラフィーよりも普通の文字の方が好きだな、と思った。
「せふぃねえさま、これすき?」
「カリグラフィーのことぉ?」
きょとんとセラフィーナは首を傾げる。エルは頷いた。
「ん。える、ふつーのがすき」
「そうなのぉ」
ふふふ、とセラフィーナは笑った。優しくエルの頭を撫でて、セラフィーナは「そうねぇ」と呟いた。
「カリグラフィーも、色々な形があるのよぉ。だから、全部が好きとは言えないけど──このカリグラフィーは、好きだわぁ」
どことなく切なさを滲ませて、セラフィーナは言う。
「ふうん?」
エルは目を瞬かせた。なんとなく不思議な気持ちでセラフィーナを見るが、セラフィーナはそれ以上何も言わない。
あっさりと意識を玩具の箱に向けて、エルは傍に控えているアルマに尋ねた。
「あるま、これ、あけてい?」
「もちろんですよ、エルお坊っちゃま」
ようやく、待ちに待ったお人形との対面だ。エルは顔を輝かせた。
背伸びをして、箱をテーブルから下ろす。何気なくセラフィーナが手伝ってくれたが、エルは気が付かない。
床に置いて、ようやくエルが自分で箱を開けられるようになった。
いそいそと箱を開けると、ふわふわの緩衝材が中に入っている。緩衝材を避けると、エルが欲しいと言った四体の人形が綺麗な紙に包まれていた。
うさぎとくま、犬と猫だ。
「わあ!」
歓喜の声をあげて、エルは人形を取り出す。
紙を剥ぐと、お店で見たままの姿が現れた。それどころか、一層輝いているようにさえ見える。
「えるの!」
嬉しさが極まって、エルはその場でぴょんぴょんと跳ねた。
その姿を、アルマやセラフィーナ、雑貨屋から来た二人、そして侍女たちは温かく見守る。
穏やかな午後のひと時だ。
だが、セラフィーナがその瞳に、何かを決意したような色を浮かべていたことに、誰も気がついていなかった。




