6. せふぃねえさまとの冒険 1
翌朝のエルは、とっても元気に目が覚めた。
「かーとんきょー、おはよなの!」
にこにこして、エルはいつもの朝のご挨拶をする。
エルの枕元にころんと転がっていたカートン卿も、律儀に挨拶を返した。
『おはよう。エル坊、今日はいつにも増してご機嫌だな』
(まして? わかんない)
はて、とエルは首を傾げる。
時々カートン卿は、エルには難しい言葉を使うのだ。
だが、カートン卿は優しいので、ちゃんとエルに言葉を教えてくれる。たまにはぐらかされることもあるが、そういう時はエルが知らない方が良い言葉だったりするようだった。だから、エルはあまり気にしていない。
案の定、その日のカートン卿はちゃんとエルに言葉の意味を教えてくれた。
『いつもよりたくさん、ってことだ』
(たくさん! そうなの、える、うれしいの!)
わくわくを隠しもしない表情で、エルはカートン卿を抱っこし、ぴょこんぴょこんとベッドの上で座ったまま跳ねる。
ブレニアム・ハウスにあるエルのベッドは、とてもスプリングが利いていて、とても寝心地が良い。そして、座ったままのエルが足をぶんと叩きつけると、ちっちゃな体が簡単にふわっと浮くのだ。
それが楽しくて、エルはよく遊んでしまう。
アルマに見つかったら怒られるのだが、今ここにアルマはいない。
存分に楽しんで、エルは満足した。
よいしょ、とエルはベッドから降りる。そして、ずるっとカートン卿もベッドから引きずり落とした。
そして、ぎゅうっとカートン卿を抱きしめる。
(あのね、きょーね、どーぶつさん、くるの!)
エルはわくわくとしながら言う。
カートン卿は頷いた。
『そうだな。さっそく遊べそうでよかった。ピクニックをするのか?』
(うん!)
本当は、エルはロレッタやセラフィーナと一緒にピクニックに行きたかった。
でも、狼さんがうろついているから危ないといって、母ソフィアが許してくれなかったのだ。
だから、エルは今日届けられるお人形と一緒に、ブレニアム・ハウスのお庭でピクニックをするつもりだった。
ロレッタとセラフィーナはお客様だ。
姉二人は、ピクニックをしようではなく、単純に人形を持ち寄って遊ぼうと誘っただけなのだが、エルの中では完全にピクニックをすることになっていた。
だって、エルはずっとピクニックなるものをしてみたかったのである。
『それじゃあ、いつするかを決めないとな。それから、料理人にサンドイッチとかスコーンとか、軽食も作って貰わないと』
(けーしょく?)
『そう。け、い、しょ、く、だ。簡単に食べられるもの、ってことだよ』
(けーしょく、いる)
『そうだな』
エルは真面目な顔で頷く。
ピクニックには、籐籠に入った美味しいご飯が必需品なのである。
これまでにエルが読んだ絵本では、ピクニックに美味しいサンドイッチやスコーン──カートン卿いわくの「軽食」は、必ずつきものだった。
『まずは、朝ご飯を食べないとな。エル坊の動物さんは、昼過ぎに来るはずだぞ』
(うん!)
カートン卿に言われて、エルは意気揚々と、ソファーに向かう。
そこには、アルマが前日の夜に用意してくれている、エルの洋服がある。
少し前までは、エルは朝の着替えをアルマに手伝って貰っていた。
だが、もうエルは大きくなった。アルマの手伝いがなくても、ちゃんと着替えられるのだ。
一端、カートン卿を洋服の近くに座らせて、エルは寝間着を脱ぐ。
すっぽんぽんになってから、ソファーの上のお洋服を、一つずつ着ていく。
『エル坊、そのシャツ、前と後ろが逆だぞ』
「う?」
逆? と思いながらも、エルはもそもそと服を脱ぐ。
確認してみると、確かにアルマに教えられた背中の印が、前にあった。
「ん。ぎゃくだった」
真面目な顔で頷き、エルは慎重に、今度はちゃんと正しい位置で着る。
フェリクスやロレッタ、セラフィーナは、ちゃんと向きを直したつもりで結局、前後ろに着てしまうこともよくあったのだが、エルはさすがに『神の子』だった。
『正解だ。よくできたな、エル坊』
カートン卿に褒められて、エルはご機嫌になる。
そうこうしていると、ようやくアルマが来た。
「まあ、エルお坊ちゃま。おはようございます。今日は、早起きさんですね」
「うん! きょうね、えるの、どーぶつさん、くるの!」
「その通りですよ。お昼ご飯を食べて、少しお腹が減ったなというくらいのお時間に、届けて来てくださるでしょう」
アルマは穏やかに言いながら、ポケットから取り出した櫛で手早くエルの髪の毛を整える。
ぐしゃっとなった袖口やシャツの裾を綺麗に直して、ボタンの掛け違えも戻す。
そして、エルが早々に諦めた首元のスカーフも一瞬で整えた。
「ほら、とても格好良くなられましたよ、お坊ちゃま」
「うん!」
エルは上機嫌で、ソファーのカートン卿を抱っこする。
「あさごはん、なあに?」
手を繋いだアルマを見上げて、エルは首を傾げる。
ブレニアム・ハウスで出て来る食事は毎日違っていて、エルはいつも楽しみだ。
「今日はポーチドエッグがありましたよ。それから、燻製ニシンのトーストも。他はなんでしょう。アルマも全ては見ていませんから。でも、きっとデザートもあると思いますよ」
「きっぱ! える、きっぱーすき」
燻製ニシンは、この屋敷に来て初めて食べた。
それまでは、エルが小さくて食べられないだろうと料理人が考えていたのだが、エルは知る由もない。
そして、エルはあっという間に、この少し塩味の強い、燻製の香り漂う食べ物に夢中になったのだ。
あまり量は食べさせて貰えないが、その分、料理人が気を利かせて頻回に出してくれる。
ロレッタ曰く、エルが来る前はこんなにたくさん食べていなかったようだ。
『あんまり食べすぎると、体に良くないからな』
(からだ、よくないの?)
『ああ。病気になるんだ』
カートン卿の言葉を聞いて、エルは、むむむ、と唇を尖らせる。
エルは燻製ニシンが大好きだが、あまり食べすぎても良くないようだ。
ちょっと悲しいな、と思っていると、カートン卿が少し笑いを堪えた口調で、エルをなだめる。
『じっくり味わって食べたら良いじゃないか。その方が、もっと美味しいと思うぞ』
現金なもので、エルは一気に元気になる。
(そうするの)
もぐもぐとゆっくり食べれば、その分幸せな時間も長続きするに違いない。
エルはアルマと手を繋ぎ、反対側の手ではしっかりとカートン卿を抱っこし、意気揚々と食堂に向かった。
☆☆☆☆☆
ウィルキンソン伯爵領の外れ。
その修道院には、朝早くから客が訪れていた。
だが、誰も気にはしない。
そして、修道士のジョエルは少し緊張した面持ちで、来客を出迎えていた。
「お待ちしていました、カロライナ夫人」
ジョエルの前に座る黒衣の貴婦人は、微笑を零す。
「あまり期待をされても困ってしまいますわ。それほど大した情報も、まだ得られていないのです」
「問題ありません。私が外部の情報を得られるのは──それこそ、貴方がいなければ難しいのですから」
硬い口調で、ジョエルは答える。
カロライナは、一瞬目を伏せた。
だが、すぐに頭を上げる。彼女は、時間を無駄にする気はなかった。
「ハートフォード公爵は、私兵をヒューゴ・デッカーの捜索に差し向けました。しかし、捜索は難航しているようです」
ヒューゴ・デッカー。
彼は一年半ほど前に、子供の略取誘拐容疑で逮捕された。
その彼が、脱獄したのだ。
もちろん、監獄に近いウィルキンソン伯爵家とハートフォード公爵家は震撼した。
これまでにデッカーが子供を殺したという話しは聞かないが、自棄になった人間は何をするか分からないものである。
「そうですか」
言葉少なに答えたジョエルに、カロライナは少しばかり気遣いの色を乗せ、尋ねた。
「心配でいらっしゃいますか?」
少し驚いたように、ジョエルは目を瞬かせる。
狼狽したが、すぐに彼は首を振った。
「いえ──もちろん、一人の人間として、罪なき幼子が非道な目に遭うことは許し難いと思います」
「ええ、もちろん、その通りですわね」
カロライナは意味深に頷く。
彼女もまた、どこか物思いに沈むような表情をしていた。
ジョエルは、気を取り直す。
「ブレニアム・ハウスはどのような状況でしょうか」
「末のご子息がお戻りになられて、活気づいていますわ。先日は、ご姉妹とご一緒に、街までお買い物に出かけられたようです」
その言葉に、ジョエルはピクリと反応する。
彼は表情を取り繕ったが、双眸にはどこか警戒するような色が浮かんでいた。
「供についていた者は?」
カロライナに不審がる様子はない。
彼女は淡々と、護衛やロレッタやセラフィーナの次女の名前を口にした。そして、最後にエルについて言及する。
「末のご子息には、アルマという侍女が付いていたようです」
「──アルマ、ですか」
ジョエルはぽつりと呟く。カロライナは少し嬉しそうに微笑んだ。
「そうです。あの娘は、私が貴方にご紹介した子でしたわ。きちんと責任感を持って務めているようで、安心いたしました」
「ええ、それはもちろん。貴方のご紹介ですから、私も信用していますよ」
如才なく、ジョエルは答える。
ハートフォード公爵家の末息子オスニエルが、神の病に罹った。だから、使用人を付けて一人で田舎へ療養に行く。
その話を、ジョエルは両親から聞いた。
当時のジョエルは二十歳だった。
間に合うかは、賭けだった──だが、幸いにもジョエルは間に合った。
修道院で知り合った、敬虔な女性。
元従軍看護師で、信頼のおける人だと──ジョエルは、父ウィルキンソン伯爵に手紙を出した。
そして、ジョエルは賭けに勝った。
エルの療養に付き従ったのは、アルマだった。他の看護師では、なかった。
そのお陰か、エルは無事にブレニアム・ハウスに来た。
今も元気で、街にも遊びに出たと言う。
ジョエルは、カロライナに聞こえないよう、小さく呟いた。
「──彼女が居れば、未来は変わるだろうか」
その独白は、神への祈りに似ていた。




