5. 医師のテオフィル先生 3
エルはご機嫌だった。
美味しいものをいっぱい食べ、たくさん遊んで、ぐっすり寝た。
目が覚めたらカートン卿が居て、アルマが優しく頭を撫でてくれて、なんと晩ご飯ができているという。
姉二人とお出かけをした町でたらふく食べたにもかかわらず、すでにエルはお腹が空いていた。
「あるま、きょうのばんごはん、なあに?」
「なんでしょうか。アルマも知らないのです。楽しみですね」
「うん。たのしみ!」
るんるんと、エルは跳ねるようにして歩く。
もちろん、カートン卿も一緒だ。
左手にしっかりとカートン卿を抱いて、右手でアルマと手を繋ぐ。
目指す先は食堂である。
ブレニアム・ハウスに到着したばかりの時は屋敷の中で迷子になりそうだったが、今ではすっかり道順も覚えてしまった。
今では、むしろアルマを引っ張るようにして、廊下を進む。特に食事の時は顕著だ。
アルマは、そんなエルを見て幸せそうに微笑んでいる。
エルの歩調に合わせて、カートン卿の腕と足がぶらぶらと揺れている。カートン卿は、こっそりエルに行った。
『慌てなくても、エル坊の晩ご飯は逃げないぞ』
(しってるよ。でもね、える、おなかすいたの)
『元気なのは良いことだな』
もっと小さい時、エルは体が弱くて、なかなか量を食べられなかった。
それが、『神の病』から回復してからというもの、エルの食事量は徐々に増えている。
今ではすっかり食いしん坊さんだ。
同じ年ごろの子供どころか、フェリクスが驚くほどの量を食べることもあった。
「える、おっきくなるの!」
エルは意気揚々と宣言する。
その隣を歩くアルマは、目尻を更に下げた。
「そうですね、エルお坊ちゃまはどんどん大きくなっていらっしゃいますから」
「える、ふぃるにいさまより、おっきくなるの」
「きっとなりますわ」
アルマはエルの可愛さに相好を崩しながら請け負う。
フェリクスも同年代と比べたら大きい方だし、ライオネルも体は少し大きめだ。
だが、エルは同年代の子供よりも華奢だ。「神の病」のせいだから仕方がないことだが、これから大きくなれるかと問われると、良く分からない。
元々、「神の病」に罹った子供は生きられない。だからこそ、生き長らえた子はその能力の高さも相まって、「神の子」と呼ばれるのだった。
「れおにいさまより、おっきくなる?」
エルは、歩きながらアルマを見上げた。
アルマは少し考えて、「そうですね」と答えた。
「ライオネル様はだいぶ大きくいらっしゃいますから──もしかしたら、エルお坊ちゃまもライオネル様より大きくなるかもしれませんが、分かりませんね」
「むー」
小さく唇を尖らせて、エルは考える。
ライオネルもフェリクスも、エルから見れば格好良い「大人の男」だ。
エルも早く、二人みたいな立派な大人になりたいのである。
「いっぱい、みるくのむ」
同じ年ごろの子供なら、明日にでもフェリクスを追い抜けるかと訊くところかもしれない。
だが、エルは頭が良かった。
ちゃんと、一日や二日でフェリクスより背が高くなることはないと知っている。
もちろん、たくさんミルクを飲めば、半年後フェリクスが帰って来た時に、同じくらいの身長になっているかもしれない──という期待はあるが。
「たくさんご飯を召し上がって、たくさん遊んでいっぱい寝たら、エルお坊ちゃまも、あっという間に大きくなられるでしょうね」
アルマはしみじみと言う。
大人にとって、子供の成長は一瞬だ。だから、アルマの呟きは本心だった。
「うん。える、しゅぐおっきくなる」
エルは嬉しくなって、胸を張り言った。
カートン卿は思わず呟く。
『すぐ……うん、そうだな。アルマにとってはすぐかもしれないが、エル坊にとっちゃあ、少し時間が掛かるかもしれないなあ……』
(あるま、すぐ、っていった)
『まあ、そうだな。うん、それはそうだ』
年齢によって月日の流れは全く違うのだと、どう説明しようか。
カートン卿は一瞬、真剣に考えたが、すぐに説明を諦めた。
こういうことは、話して聞かせるよりも実感した方が早い。
エルに請われたら一つ一つを丁寧に教えてあげるカートン卿だが、ときおりは酷く思い切りが良くなる。今回も、その切り替えの良さを存分に見せたくまのぬいぐるみであった。
☆☆☆☆☆
夕食の席には、正体されたテオフィル医師も居た。
父ヒューバートが、食事を始める前に皆に言う。
「今日は、久々にテオフィル先生とお会いできたからね、ぜひにと夕食に招待したんだ」
「ご家族のご歓談に混ぜていただき、有難いことです」
テオフィルは如才なく礼を言う。
昔からテオフィルと交流はあるものの、家族以外との食事にロレッタやセラフィーナは落ち着かない様子だ。
一方で、エルの目は豪華な料理に釘付けだった。
エルにとっては、誰と食べるかももちろん大事だが、一番は美味しいご飯が食べられることが重要だ。
「おいしそうなの」
『良かったなあ、エル坊。どうやら、デザートはアーモンドケーキみたいだぞ』
(あーもんどけーき!)
エルは目を輝かせる。
そんなエルの様子に、食堂に集まった誰もが微笑ましそうな表情を浮かべていた。
ブレニアム・ハウスで働く使用人たちも、初めて見る末っ子公子に優しい視線を向ける。
それほど長い時間滞在したわけでもないのに、エルはすでに皆の人気者になっていた。
テオフィルも同じテーブルに座っていることもあり、会話は基本的に大人たちだけで交わされる。
ロレッタはたまに受け答えをしているが、セラフィーナは持ち前の人見知りを発揮していた。
なにより、エルはおしゃべりより食事に興味がある。
こっそりと、セラフィーナはエルに声を掛けた。
「エルくん、このサラダ、プラムが入ってるわぁ」
「ぷらむ」
エルはびっくりして目を丸くする。
プラムは果物だ。サラダに入っているとは思わなかった。
恐る恐る、エルはサラダをつっつく。
そんなエルを見て、セラフィーナは顔を綻ばせた。
「ほんのり甘くて、美味しいわよぉ」
「ん!」
少しドキドキしながら、エルはサラダを口に入れた。
新鮮なお野菜と、シェフ特製の少し酸味のあるドレッシングに、ほんのりとした甘さ。
目をぱちぱちと瞬かせて、エルは頬をピンク色に染めた。
そして、セラフィーナに合わせて小さな声で囁く。
「せふぃねえさま、おいしーね」
「ねぇ」
二人は顔を見合わせてにこにことしている。
ロレッタは、テオフィルがいるからこそ堪えているものの、片手で顔を覆ってふるふると震えていた。
以前より多少慣れたとはいえ、ロレッタにとってはセラフィーナもエルも可愛い姉弟だ。
二人が楽しそうに、仲良くきゃっきゃとしているところを見るのは、ロレッタの心のオアシスだった。
「ご姉弟ともに仲が宜しくて良かったことですな」
最近の領地の話をしていた大人たちだったが、ふっとテオフィルがそんなことを言う。
ソフィアは穏やかに笑みを浮かべた。
「ええ、本当に。元々、ロレッタとセラフィーナは特別に仲が良かったのですけれど、エルが来てからはフェリクスも仲間に加わりましたのよ」
なるほど、とテオフィルは頷く。
そして、彼は苦笑交じりに言った。
「ずっと気にはしていたのですよ。『神の病』に罹ったと分かった時、一人で療養した方が良くなるのではないかと──あとは、やはり他の子に移らないとも限りませんからね。それに、『神の病』で子を亡くしたご家族はその後、悲惨──と言いますか、誰もが嘆き悲しまれるのです。そういった家族を多々見てきましたから、お一人での療養をお勧めはしましたが」
滅多に発症しない『神の病』は、幼少時に罹るものだ。ある程度成長すると問題なくなると言われているが、なにぶん症例数が少ないため、誰にも確実なことは言えない。
ただ、せっかく生まれた可愛らしい我が子を、あっという間に失うのだ。
共に過ごす時間が長いほど、悲しみは深くなる。
テオフィルは医師として、そしてスペロ王国や近隣諸国で最も『神の病』を診て研究して来た者として、数多の悲劇を目撃して来た。
だからこそ、エルが『神の病』を発病したと気が付いた時に、エルを一人別の場所で療養させるよう進言したのだった。
「結果的には良かったと思いますわ。私たちもエルに会えず、あの子には可哀そうな思いをさせましたが──こうして、無事に、元気で私たちの下へ戻って来てくれたのですから」
ソフィアは目を細めて、愛しげにエルとセラフィーナ、そしてロレッタを眺める。
テオフィルは一瞬無表情になったが、すぐに如才ない笑みを浮かべた。
「それで、公子はこれから、この館でお過ごしになられるのですかな?」
「ええ、そう思っていますのよ。もう十分、体も丈夫になったことですし、やはり家族は一緒に過ごした方が宜しいですから。ねえ、あなた?」
「ああ、そうだね。そう思うよ」
同意をソフィアに求められたヒューバートは穏やかに頷き、そっと愛妻の手を握る。
二人は恋人同士のように見つめ合った。
テオフィルは、何とも言い難い表情で軽く咳払いをする。
「それは、何よりですな」
そして、彼はサラダに混ぜられたプラムを良く噛みもせず、飲み下したのだった。




