4. 町の雑貨屋さん 3
行きと同じだけの時間を掛けて、エルとロレッタ、セラフィーナはブレニアム・ハウスに戻った。
一度通った道だからか、体感としてはあっという間だ。
それでも、エルの頭は道半ばでカクカクと揺れ始めた。
いち早く気が付いたのは、エルの隣に座っていたアルマだ。
「エルお坊ちゃま、眠たくなってしまいましたか?」
「……ん-ん、ねみゅくにゃい……」
エルはふるふると頭を振る。
だが、今にも眠ってしまいそうだ。
ロレッタとセラフィーナが心配そうにエルを見ている。
『エル坊、今から眠って、屋敷に着いてから起きたらどうだ?』
「うー……」
せっかくのお出かけなのだ。最後まで起きていたい。
そう思うのだが、エルのちっちゃな体は正直だった。
段々と、ぐらぐらする振れ幅が大きくなっている。
「落ちたら危ないですからね、エルお坊ちゃま。アルマに抱っこさせてくださいな」
実際のところ、アルマはこうなるだろうと予想していた。
しかし、馬車はそれほど大きくないから、侍女は一人しか乗れない。
十六歳のロレッタはもちろん、十歳のセラフィーナも一人で起きていられるだろうからと、侍女たちと相談の上、アルマが同乗することになった。
案の定、エルはカートン卿をぎゅうっと抱きしめたまま、もう片方の手をアルマに延ばす。
目はとろんとして、半分瞼が落ちていた。
「かっ……!」
可愛い、と叫びそうになったロレッタは、慌てて口を押える。
せっかく寝そうなエルを起こしてはいけない。
セラフィーナは珍しくも少し呆れた視線をロレッタに向けたが、すぐに優しくエルを見つめた。
「……んぅ」
口元をむにむにとさせて、エルはアルマの腕の中で居心地の良い場所を探す。
しっかりと大好きなカートン卿を抱きしめて、アルマにとんとんと背中を軽く叩かれ、あっという間にエルは夢の世界へと旅立った。
☆☆☆☆☆
ゆらゆらと体が揺れる。涼しい風が頬を撫でる。
エルは、深い眠りから覚めた。
「……?」
一瞬、エルは状況を飲み込めなかった。
馬車に居たはずなのに、いつの間にかエルはアルマに抱っこされて、玄関ホールに立っていた。
どうやら屋敷に帰りついたらしい。
「エルお坊ちゃま、起きましたか?」
「ん」
エルは寝起きが良い。
目をぱっちりとさせて、ちゃんと自分がカートン卿を抱っこしていることを確認して、エルは頷いた。
「あるま、える、あるく」
「分かりました。これから、お部屋に戻りますよ」
「うん」
アルマがしゃがみ込んで、エルをゆっくりとおろす。
エルは危なげなく床に立つと、くるりと顔を巡らせた。
「おうち」
一応、ちゃんと確認するのである。
そして、ロレッタとセラフィーナもまだ近くに居ることを確認した。
エルが眠ってしまってアルマに抱っこされた時、近くに居たはずの人たちが居なくなっているのも良くあることだ。
だが、今回はまだ二人が立ち去る前に起きれたようだ。
こっそり、エルは満足した。
「ろーりーねえさま、せふぃねえさま」
少し得意げになりながらエルが声を掛けると、ロレッタはただでさえ緩んでいた頬を更に緩ませた。
「おはよう、エルくん。どうしたの?」
「エルくん、おはよぉ」
「あい、おはよごじゃいましゅ」
エルの寝起きは良いが、だからといって必ずしもすぐに体が動くとは限らない。
ちょっと言葉を噛んでしまって、エルは照れたように笑った。
その表情に、ロレッタは一層身悶える。
都に居た時は、毎度エルはロレッタの反応を不思議そうに見ていたが、いい加減に慣れたところだ。
エルは、一旦ロレッタの不審な動きは無視することにした。
「きょうね、える、たのしかったの。いっしょにあそんでくれて、ありがとーごじゃました」
一生懸命自分で考えて、エルは言った。
楽しかったり嬉しかったりしたら、ちゃんと相手にお礼を言うべきだ。
アルマやグレン、カートン卿に言われたことを、エルはしっかりと覚えていた。
ロレッタとセラフィーナは、思わず顔を見合わせる。
まさかエルからお礼を言われるとは思っていなかった。
二人は、純粋にエルを楽しませようと思っていただけなのだ。だから、お礼を言われなくとも、エルが楽しそうに、そして嬉しそうにしているだけで十分だったのだ。
それなのに、エルは少し恥ずかしそうに、それでもしっかりとお礼を言ってくれた。
ロレッタはもちろん、セラフィーナの心にも温かいものが広がる。
そして、先に口を開いたのはロレッタだった。
「もちろんよ、エルくん。私たちも、エルくんが喜んでくれて、とっても嬉しいわ。こちらこそ、ありがとう」
エルは、少しばかりきょとんとした。
まさか、自分もお礼を言われるとは思ってもみなかったのだ。
だが、セラフィーナもロレッタに同意するように、こくこくと頷いている。
なんだかくすぐったい気持ちになって、エルは満面の笑みを浮かべた。
ほんわかとした、柔らかい空気に、見守る使用人たちも穏やかな表情だ。
セラフィーナが、一歩エルに近付いてしゃがみこんだ。
二人の視線が、同じ高さでぴったりと重なり合う。
「何日かしたら、エルくんの動物さんもお屋敷に来るわよぉ。そうしたら、私のお人形さんも含めて、一緒に遊びましょうねぇ」
「うん! せふぃねえさま、おにんぎょう、くまさん?」
良く考えたら、エルはまだセラフィーナの人形を見たことがない。
カートン卿と同じだろうかと首を傾げれば、セラフィーナは楽しげに笑って首を振った。
「いいえ、くまさんはエルくんのカートン卿でしょぉ。私のお人形さんは、青い目の可愛い女の子と、格好良い狼さんよぉ」
「おおかみさん!」
エルはびっくりして、ぴょこんと跳ねた。
狼とは、エルが全く考えたこともない人形だった。
そしてエルは、はてと首を傾げる。
大人はお人形やぬいぐるみを持たないのだと、以前アルマが教えてくれた。だから、アルマはエルと違って、人形もぬいぐるみも持っていない。
エルから見れば、セラフィーナは大人だ。
それなのに、セラフィーナはお人形もぬいぐるみも持っているという。その上、そのお人形とぬいぐるみを連れて、エルと一緒に遊んでくれると言うのだ。
(せふぃねえさま、こども?)
何となく、本人に正面切って尋ねるのは悪い気がして、エルはこっそりカートン卿に尋ねた。
『子ども!? 何の話だ?』
まさか自分に振られるとは思っていなかったカートン卿は、素っ頓狂な声──もちろん実際に音はでないのだが、エルにはまさしく調子はずれの声に聞こえた──を上げた。
エルは真面目に質問を続ける。
(あるま、おとなだからおにんぎょうも、ぬいぐるみもないって言ってた。せふぃねえさま、おとなじゃないの?)
『あー……そういうことか』
ようやくカートン卿は納得した。
エルの話は突拍子もなく聞こえるが、理由をちゃんと確認すれば納得できることも多い。
単純に、その理由がカートン卿の思いも寄らないことであるだけだ。
『子供と大人の間に、思春期っていう期間もあるんだ。子供とも大人とも言えない時期ってやつだな』
苦し紛れに、カートン卿はそう説明する。
カートン卿や大人から見れば、思春期であっても子供に変わりはないのだが、エルは自分を子供、自分より年上の人を大人と思っている節がある。
平たく言えば、「える、あかちゃんじゃないよ、おにいちゃんだよ」というところであろうか。
その認識を覆すのは、カートン卿でも難しい。
だから、全く正確ではないにしろ──カートン卿は、エルが納得できそうな答えを選んだ。
案の定、エルは生真面目な表情で頷いている。
エルは視線を、セラフィーナからロレッタに向けた。
今、カートン卿の説明のお陰で、エルの知識には「赤ちゃん」でも「子供」でも「大人」でもない、思春期という新たなる言葉が刻まれた。
セラフィーナはその「思春期」に当てはまるようだが、それではロレッタはどうなのか、という次第である。
「ろーりーねえさまは?」
「私?」
何を訊かれているのか分からず、ロレッタはきょとんと首を傾げた。
「ろーりーねえさま、おにんぎょさん、つれてくる?」
お人形やぬいぐるみを持っている、それすなわち子供か思春期である。
エルの賢い小さな頭では、その等式が成り立った。
薄々カートン卿はそれを察したが、改める気はない。カートン卿は、無言でエルたちの会話を見守っていた。
そんなエルの考えなど露ほども知らず、ロレッタは嬉しそうに答える。
エル命のロレッタには、エルのお誘いを断るという選択肢などない。
「もちろんよ。エルくんがお誘いしてくれるなら、ぜひ行くわ!」
「──!」
エルはびっくりした。
ロレッタはお人形か、ぬいぐるみを持っている。
大きいお姉さんのロレッタは、大人だと思っていた。
だが、ロレッタは大人ではなかった──!
衝撃だ。
あまりにも驚きすぎて、エルは少しの間固まっていた。
だって、ロレッタはとても綺麗で、エルから見れば背も高くて、母ソフィアのように立派な大人に見えるのに──お人形やぬいぐるみを持っているのである。
しかし、エルは小さいながらも一端の紳士だった。
女性に年齢を尋ねるのは、失礼なことだと──絵本で読んだ。ちょっと大人向けの──たとえばセラフィーナくらいの年齢の男の子が読むような絵本だったが、エルは文字を読めた。
それに、エルが長年住んでいる屋敷にあった絵本はあらかた読み終えて、ちょっと飽きていたのだ。
つまり、今ここでロレッタやセラフィーナに、直接まだ子供なのかと尋ねるのは良くない。
そう判断し、エルは丁重に二人を誘うことにした。
「うん。どーぶつさんたちきたら、いっしょにぴくにっくするの」
「ピクニック?」
ロレッタとセラフィーナは不思議そうだ。
「でもエルくん、ピクニックは駄目だって、お母さまが言っていたわ」
宥めるような口調で、ロレッタが指摘する。
もちろん、エルもそのことはちゃんと覚えていた。エルは「神の子」と呼ばれるくらい、頭が良いのだ。
「あい。おそと、でないの。えるのおへやでね、おかし、たべるの」
「まあ!」
セラフィーナが嬉しそうに両手を合わせる。
わくわくとした表情で、セラフィーナはしゃがみ込んだ両膝に手を乗せ、わずかに身を乗り出した。
「素敵ねぇ。エルくんのお部屋に布を敷いて、バスケットにお菓子やサンドウィッチを入れて、お茶にしましょう!」
「あい!」
エルはセラフィーナが分かってくれたことが嬉しくて、ぴょこんと跳ねる。
ようやくロレッタも悟ったようで、「それは良い案だわ!」と声を上げた。
「ぜひそうしましょう。きっと楽しいわよ。お母さまにご相談しなくちゃ、きっと良い案を出してくださるわ」
「それじゃあ、私は料理長とお菓子の相談をするわぁ」
セラフィーナもにこにこと笑いながら、ロレッタの言葉を継ぐ。
喜びを隠しきれない姉二人を前に、エルもまた、楽しくなってくすくすと笑うのだった。




