3. エルくん、町におでかけする 1
ピクニックはできない。
でも、町へお出かけするのは良い。
父公爵ヒューバートと母ソフィアから良い返事をもらって、エルは意気揚々とお出かけの準備をした。
もちろん、エル一人ではない。
ロレッタとセラフィーナも一緒だし、それぞれに侍女が付く。
エルにはアルマが居て、しかもカートン卿だって一緒だ。
わくわくとしながら、エルは期待に満ちた目をアルマに向けた。
「エルお坊ちゃま、どうかされましたか?」
「あるま。まち、なにがあるの? おかし、ある?」
「もちろん、お菓子もありますよ。他にもいろいろなお店がありますし、遊ぶ場所もあると聞いています」
ハートフォード公爵領にある町は、歴代公爵のお陰でとても富んでいる。
特にこれから行く町は、ハートフォード公爵領だけでなくウィルキンソン伯爵領とも交通の便が良い。
そのため、ハートフォード公爵領やウィルキンソン伯爵領で獲れる石炭や鉄鉱石で、領経済はとても活発になっていた。
他の領と比べても、この二つの領は非常に豊かだ。
「おかし──ふぃるにいさまの、ぷれぜんと、ほしいの」
「まあ」
アルマは、エルの優しさに胸を抑えた。そして、しゃがみ込んでエルと目を合わせる。
一人で大人に囲まれ育った子供は、兄姉弟妹への思いやりが欠けることがある──それがアルマの持論だったが、エルはきちんと、人を思いやれる子供に育っていた。
もっとも、それは以前からなのだが、それを目の当たりにする度、アルマは心が温かくなるのだった。
「エルお坊ちゃまはお優しいですね。フェリクスお坊ちゃまも、とても喜ばれると思いますよ」
エルの顔が輝く。
だが、フェリクスが領地に戻って来るのは寄宿学校が長期休みになる時──つまり、早くても半年後だ。
だから、エルがしょんぼりするかもしれないと思いながらも、アルマは心を鬼にした。
「ただ、フェリクスお坊ちゃまはまだ帰って来られません。あと半年はかかりますから、それまでにお菓子は傷んでしまうかもしれませんよ」
アルマの言葉を、エルは正確に理解する。
同時に、エルはびっくりした。大きな目をさらに真ん丸にして、アルマをじっと見る。
「おかし、いたんじゃう?」
「そうです。腐っちゃうかもしれません」
「くさる……まえ、こりんが、かびはえたって、いってた?」
真剣な表情で、エルは自分の記憶を掘り起こした。
コリンは、エルが小さい時から暮らしていた屋敷の従僕見習いだ。
愛嬌があるし仕事も早いのだが、抜けているところがある。
その彼が、一目ぼれした村の女の子から貰ったクッキーを後生大事にしまっていて、カビを生やしていた。
泣く泣くクッキーを捨てた上に、その女の子には恋人ができていて二重にショックを受けた──という後日談があるのだが、エルが思い出したのは件のクッキーである。
一瞬、アルマは噴き出しそうになった。脳裏には、悲劇のヒーローよろしく絶望していたコリンの姿が蘇っている。
本人はいたって本気なのだが、なぜかコリンに掛かると全てがコメディに見える。
そんな星の元に生まれたのが、コリンだった。
しかし、ここで笑っては、エルが自分が笑われたと思うかもしれない。
どうにか笑いを堪えて、アルマは真面目腐った顔で頷いた。
「そうです、よく覚えていらっしゃいますね。ああいう風になったら、せっかくフェリクスお坊ちゃまのために買っても、無駄になってしまうでしょう? そうしたら、お菓子を作った人も悲しくなってしまいます」
「うん」
エルは生真面目に答える。
確かに、今日フェリクスのプレゼントを買うのは止めた方が良いかもしれない。
それに、カートン卿の提案はプレゼントを買うことではなかった。
美味しいスイーツをエルが考えて、フェリクスのためだけのプレゼントを用意する。
それが良いのではないかと言っていたのだ──たぶん。
そうしたら、フェリクスは喜ぶだけでなく、エルのことを凄いと誉めてくれるだろう。
フェリクスは少しぶっきら棒で、エルを誉める時も少し不機嫌なのだが、エルはそんなフェリクスが大好きだった。
「わかった! ふぃるにいさまのは、こんどにする」
「それが宜しゅうございます」
アルマはにっこりとして、エルの頭を撫でる。
その感触にご満悦になりながら、エルはアルマにむぎゅうっと抱き着いた。二人の間でカートン卿が潰れる。
だが、エルは気にしない。
カートン卿も、いつものことなので気にしない。
アルマの抱っこを十分堪能したエルは、アルマから離れてカートン卿を抱っこし直した。
そして、小さな頭で考える。
フェリクスへのプレゼントは、また今度にする。
それならば、今日は町で一体何をしようか、と。
(かーとんきょー、やっぱり、きょうは、ぼうけんするの)
それ以外にない。
初めて行く場所なのだから、色々なところを探検するのだ。
もしかしたら、宝物が見つかるかもしれない。
困っている人もいるかもしれない。
考えただけで、わくわくが大きくなっていく。
そんなエルの腕の中で、カートン卿はそっと声を掛けた。
『エル坊。冒険は良いけどな、アルマと離れちゃだめだぞ。町には悪者がいっぱいいるんだからな』
(わるもの? いっぱいいるの?)
びっくりである。
エルがこれまで暮らして来た屋敷の近くにあったのは、こぢんまりとした村だけだ。
村人全員が顔見知りで、悪者などいなかったのである。
厳密には、余所者が入り込んだところで、村人全員がすぐに気が付き噂になるものだから、不審者が寄りつけなかった──というだけなのだが。
事実、コリンが「あいつ、どこの誰だ?」と言っているところをエルも何度か目撃した。
もっとも、その度にグレンの鉄拳制裁がコリンを待ち受けていたのだが──反省しないな、とはカートン卿の弁である。
『そうだ。町はとってもとっても広いからな。悪者が潜んでいても、誰も気が付かないんだ。気が付かないから、悪者はいつだってエル坊に近付ける。だから、ちゃんとアルマの傍に居るんだぞ』
(──っ! わかった!)
カートン卿の口調が真に迫ったものだったから、エルもこの上なく真剣に答えた。
とはいえ、エルはまだ小さい。
目の前のことに必死になりがちだ。
だから、何かに強く興味を惹かれたら、そちらに突撃していくには違いない。
『エル坊が気を付けてくれたら、まあ多少はぐれたとしても、すぐにアルマを探そうとしてくれるか──な?』
それがカートン卿の期待である。
エルは小さいから、大人の視界には入り辛い。比較的身長が近いフェリクスでさえ、都では一瞬エルを見失ったほどだ。
色々な偶然が重なれば、エルはあっという間にアルマからも、秘密裏に手配されるだろう護衛を兼ねた公爵家の私兵からも、あっという間に離れてしまうだろう。
『──頼むぞ、エル坊』
カートン卿はひっそりと、天に祈った。
☆☆☆☆☆
ロレッタとセラフィーナとは、屋敷の玄関で落ち合った。
両親は予定があるため、屋敷に留守番である。
『客が来るから、子供は追いやりたかった──というのもあるかもしれないな』
(おきゃくさん?)
『この季節は、領地に帰っても近隣の貴族やら親戚やらが館に来るんだよ』
都で政治が行われる期間は、貴族たちも都に集まる。
だが、それが終われば、貴族はそれぞれの領地に戻り、親戚や近隣貴族、そして仕事上付き合いのある貴族を屋敷に招待するのだ。
夫人たちは屋敷内で社交に精を出し、男たちは猟に出かける。
これもまた、立派な貴族の務めだった。
(ふうん。える、しんせき、しらない)
『もっと大きくなったら紹介されるさ。まあ、今でも紹介できるといえばできるが──』
(える、ごあいさつ、しないの?)
『何も言われてないからなあ。まだ、ご挨拶はしないだろうな』
小さい時から親戚筋とは家族ぐるみで付き合うが、エルは一人別の土地で静養していたため、親戚との交流がない。
今回の滞在で初対面を果たすのかとも思ったが、まだハートフォード公爵夫妻はエルを親戚に合わせる気がない様子だった。
何か理由があるのかもしれないな、とカートン卿が内心で考えていると、セラフィーナが「エルくん」と呼び掛けた。
セラフィーナの隣では、ロレッタが相好を崩して身もだえている。
ロレッタもセラフィーナも、お揃いの洋服で可愛らしく着飾っていた。
とはいえ、細かい装飾は違う。ロレッタは活発な感じだが少し大人びていて、セラフィーナは年相応の可愛らしい雰囲気だ。
そして、エルの洋服も二人と同じ基調で統一されていた。男の子だからズボンだが、可愛らしさという点ではセラフィーナに似ている。
「ろーりーねえさまも、せふぃねえさまも、かわいいの!」
エルは目を輝かせた。
セラフィーナは嬉しそうに目尻を下げてお礼を言う。
「ありがとう。エルくんも、よく似合ってて格好いいわよぉ」
一応、エルが男の子ということを考えてセラフィーナは「格好いい」と言ったのだが、その表情を見る限り「可愛い」と思っているのは間違いない。
そして、ロレッタはセラフィーナの横で「てっ……天使……!」と顔を覆い崩れ落ちている。
カートン卿は、これまで考えていたことを全て一旦放棄して、内心でドン引きしていた。
『……本当に、ロレッタ嬢ちゃんはエル坊と一緒に町に出かけて大丈夫なのか……?』
(ろーりーねえさま、いつもといっしょ)
『いや、うん。それはそうなんだが』
もはやエルは見慣れている。エルにとって、ロレッタの反応は平常通りだ。
そこに、ロレッタ付きの侍女が音もなく現れた。そして、崩れ落ちたロレッタの体をひょいと抱き上げる。
『ち、力持ちだな?』
ロレッタはもう十六歳だ。女性が抱えあげるには随分な大きさのはずだが、侍女はかなり筋力があるらしい。
(かっこいい……!)
エルは目を輝かせた。
──自分も大きくなったら、あんなふうに軽々と人を持ちあげられるようになりたい。
そんな憧れにも似た感情が、エルの心に浮かび上がる。
エルを可愛いと言ってはばからないロレッタやセラフィーナ、そして母ソフィアが聞けば、卒倒しそうな感想だ。
賢明にも、カートン卿は反応を差し控えた。
ちょうどその時、執事のデニスが玄関扉を開けて姿を現わした。
彼は慇懃無礼に、ロレッタとセラフィーナ、エルに告げる。
「お待たせいたしました。馬車の用意が整いました」
セラフィーナがエルを振り返った。
「エルくん、行きましょう! 町は楽しいわよぉ」
普段は控えめなセラフィーナが、珍しく興奮している様子だ。
それが嬉しくて、エルはぴょこんと跳ね上がった──足は地面から浮いていないけれど。
「せふぃねえさま、おてて、つなぐの」
エルはカートン卿を抱えていない方の手を、セラフィーナに延ばす。
セラフィーナは一瞬驚いたが、すぐに嬉しそうに笑って頷いた。
「そうね、一緒に行きましょう」
ようやく立ち直って侍女の腕から降りたロレッタだったが、そんな弟妹の姿を見て再び顔を覆う。そして、天を仰いで彼女は恍惚と呟いた。
「尊い……」
可愛い妹と、弟。
そんな二人が手を繋いで、仲良く歩いている。
ロレッタにとっては、これ以上の幸福はない。
玄関扉を出たところで、エルが振り返る。
そして、エルはロレッタに向けて元気一杯に言った。
「ろーりーねえさまも、おてて、つなぐの!」
「じゃあエルくん、私がカートン卿を抱っこするわぁ」
セラフィーナが気を回す。しかし、エルにとってカートン卿は自分が抱っこするもので、人に抱っこして貰うものではなかった。
時々グレンやアルマが抱っこすることがあるが、それはいつも致し方なしの時──エルが眠ってしまった時とか、両手を使わないといけない時とか──なのである。
だが、緊急事態ではない。
だから、エルは自分の意見を主張した。
「んーん。ろーりーねえさまと、せふぃねえさまが、おててつなぐの」
「私とロレッタお姉さまが?」
セラフィーナは驚く。そして、気遣わしげな視線をロレッタに向けた。
自分もエルを大好きだが、ロレッタがエルを大層可愛がっていることも知っている。だから、ロレッタもエルと手を繋ぎたいに違いない。
そう思ったのだが、ロレッタにとってはセラフィーナもエルと同じくらい、可愛い存在だった。
可愛いエルと可愛いセラフィーナが手を繋いでいる間に割り入るつもりも全くない。
「私も、ぜ! ひ! セラフィーナと、手を繋ぎたいわ!!」
予想外に声に力が入ってしまった。
ロレッタはどうにか平常心を保って、セラフィーナと手を繋ぐ。
エルは満足げだ。
そして、セラフィーナは両手を大好きな姉弟と繋げて、気恥ずかしくも嬉しくなる。
「それじゃあ、行きましょうか」
小さく空咳をして、ロレッタは姉の威厳を辛うじて保った。
三人の前には、公爵家の馬車がある。
綺麗に整えられた馬車に乗って、エルは初めての町に向かった。




