第1話:『夢の物理エンジン、バグってない?』
深夜1時。
築古ワンルームマンションの重苦しい空気の中、キーボードの打鍵音が響いていた。
リク「……よし。これで明日のプレゼン資料、一応完成……と」
黒金 陸
20代後半の平社員。
画面の時計を見つめ、深いため息をつく。
今日も安定のサビ残帰りだ。
デスクから立ち上がると、身体の節々が悲鳴を上げた。
リクは床に手をつき、日課である腕立て伏せをこなしていく。
リク「いち、に、さん……はぁ、現実逃避したいな……。異世界転生とか、ないもんかね……」
プロテインをぐっと飲み干すと、そのまま吸い込まれるようにベッドへ倒れ込んだ。
目を覚ますと、そこは真っ白な空間だった。
目の前には、なにやらフワフワと浮いているドレス姿の女性――女神(自称)がいる。
女神「迷える魂よ、あなたに祝福を! さあ、私からチート能力と伝説の武器を授けましょう!」
リク「……うわ、リアルな夢だな。最近のVR技術ってここまで進んでんのか」
完全に「社畜が疲れて見ている夢」だと思い込んでいるリク。
女神が「さあ、この聖なる武器を!」と
誇らしげに手渡してきたのは――
リク「……これ、ホームセンターで980円で売ってるバールじゃね?」
どこからどう見ても、ただの武骨で重い鉄バールだった。
女神「さあ! 異世界を救うのです!」
リク「夢の備品にしては雑すぎない……?」
次の瞬間、視界が切り替わり、石畳の美しい王都の路地裏に立っていた。
奥からは、少女の悲鳴と悪漢の下劣な高笑いが聞こえてくる。
アルティナ「来ないで! 私の家にはもうお金なんて……!」
悪徳魔法使い「ハハハ! 金がないならその身で払ってもらおうか! 我が暗黒の炎よ! 天を焼き尽くす業火となりて、すべてを灰燼に帰せ――(以下、長文ポエム)」
ド派手に展開される漆黒の魔法陣。怯えて腰を抜かす少女・アルティナ。
そこへ、スーツ姿のままバールを肩に担いだリクが、ぶらぶらと歩み寄ってきた。
リク「(……あ、夢のイベント発生か。それにしても……)」
ジッと魔法使いの顔を見るリク。
リク「……会社の長ったらしい朝礼より退屈だな」
悪徳魔法使い「――我が滅びの歌に伏せよ、黒き――ぐえっ!?」
スパーン!!!!
言葉の途中で、リクが無言で踏み込み、綺麗なフォームでバールを横一文字に振りぬいた。
異世界バフと、筋トレで培った完璧な体幹の連動。
ドドドッギャァァァン!!!
音速を超えた衝撃波が路地裏を駆け抜け、悪徳魔法使いは詠唱中のキザな顔のまま、街の強固な外壁まで吹っ飛んでめり込み、白目を剥いて沈没した。壁には巨大なクレーターができている。
アルティナ「……え?」
リク「……」
アルティナ「……えぇぇぇぇええええ!!?? 助けてくれたのは嬉しいけど、詠唱待たないで一撃で吹き飛ばしたぁぁぁ!?」
リク「隙だらけの無防備な顔をしてたから殴った。……っていうか、この夢の物理エンジン壊れてるわ。筋肉の出力バグりすぎ」
アルティナ「ブツリエンジ……何!? あなた一体何者なの!?」
アルティナが叫んだ瞬間
どこからか*ピピピピ! ピピピピ!*と無機質な電子音が響き渡る。
リク「あ、目覚ましだ。じゃ、俺出社だから」
アルティナ「えっ!? ちょっと待っ――」
リクの身体が光の粒子となって消滅した。
「……んあ」
目覚まし時計を止め、ベッドから起き上がるリク。
いつもの見慣れたワンルームの天井。
リク「……変な夢見たな。やっぱり疲れ溜まってんのかな」
スーツに着替えようと腕を上げた瞬間――
リク「うっぐあぁぁぁぁッ!? 右肩が猛烈に筋肉痛なんだが!!?? なんで指一本動かせないほど痛いの!!?」




