97 ▼『ボートレース若松』(その3)~オヤジを突き落とせ~
【09】 若松 最終日 1レース
茂木数魔の部屋。
丹沢と由利が、朝から茂木の部屋に集まっていた。3人で立ち上げたボートレース予想集団『ボジョレー会』の集まりだ。3人は、パソコンを55インチ大型テレビにつなぎ、大画面で見ていた。
丹沢「今日は『ボートレース児島』で開催のオールレディース戦のレース前に、ちょっと速水さんと志摩さんが出ている『ボートレース若松』を見せてもらってもいいかな?」
由利「以前、我々6人で合コンしたから気になるしな」
茂木「そうですね、気になりますね」
画面が『BOAT RACE』のトップ画面から『若松1レース出走表』に切り替わった。
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『ボートレース若松』 最終日 1レース 一般
1枠 助川 金吾 53歳 埼玉支部 B1級 勝率3.89 モーター-23666565
2枠 宮国 由雄 52歳 東京支部 B1級 勝率4.27 モーター○32433246
3枠 赤木 善輝 42歳 愛知支部 A1級 勝率8.05 モーター◎21345656
4枠 伊郷 紘之 32歳 愛知支部 B1級 勝率3.69 モーター×54654665
5枠 山賀 晃広 28歳 滋賀支部 B1級 勝率4.64 モーター△32234655
6枠 志摩 真波 27歳 埼玉支部 B2級 勝率2.01 モーター-66566565
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
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由利「私の好きな志摩さん、相変わらず成績悪いな」
茂木「これだと、最終日下位戦の1レースと言えども買えないですね」
一般的に、その開催で成績下位選手ほどレース出番が早く、優勝戦は最後12レースになる。
丹沢「どれどれ、メンバー表は、と。志摩さんが1レースで、速水さんが2レースに出場だね」
テレビでは、ちょうど第1レースのスタート展示が行われた。
(気配)
スタート展示(コース内から)123456
スタートタイミング内から26.28.22.45.23.28
4号艇と6号艇は、ともにF1(フライング一本)持ち。
茂木「パソコンには入力していませんが、どう見てもこのレース、3枠の赤木で固いでしょう。A級選手はひとりだけだし」
由利「そうだよな。誰が見たってそうだよな」
茂木「ええ」
由利「他の5選手と勝率が違い過ぎるね」
茂木「そう。赤木に勝たせるためのレースみたいなもんですよ」
由利「ああ。だいたい赤木が1レースということ自体おかしいよな」
茂木「レース場が、売上を伸ばすために銀行レースを組んだんじゃないですか?」
由利「だろうな」
茂木「赤木はマクるんですかね、それとも差していくんですかね?」
由利「スタートと1マークまでの出方じゃないかな?」
茂木「と、言うと?」
由利「1マーク付近で赤木が出ていればマクるし、同体なら差すんじゃないか?」
茂木「まぁ、赤木なら、その辺は自由自在に操れるでしょうね」
由利「うん。なんてたって格が違うよ」
茂木「でも、赤木の頭じゃいくらも付かないんでしょうね?」
由利「うん、赤木の頭で5点流しても、1番人気、2番人気が来たらトリガミになってしまうだろう」
丹沢「激論中、申し訳ありませんが」
由利「なんだい?」
丹沢「『トリガミ』ってなに?」
茂木「ギャンブルでの専門用語ですかね」
由利「『トリガミ』は、『当たり券を取りましたが、身を滅ぼしました』の略だよ」
丹沢「えっ、ウソでしょう? そんな長い文をたった4文字にしちゃったの?」
由利「そうだよ」
丹沢「だいたい、その長文のどこに『トリガミ』と言う言葉が入っているの?」
由利「『当たり券を取りました』の『トリ』だよ」
丹沢「うん、うん。で、『ガミ』は?
由利「『取りましたが、身を』の『が、身を』で、『ガミ』が入っているだろう」
丹沢「そんな切り取り方があるの?」
由利「あるんだなぁ、これが」
丹沢「ほんまかいな?」
由利「ホントだよ。なんなら後で調べてみて」
丹沢「それは、イヤだ」
由利「なら、信じるが良い」
丹沢「さっきのふたりの激論で『赤木の頭』とか言ってたけれど」
由利「うん、言った。それが?」
丹沢「6枠志摩選手の1着は無いの?」
由利「ははははは」
茂木「ははははは」
二人が一笑に付した。
丹沢「そんな、笑うほど志摩さんは来ないんだ?」
由利「志摩さん以外は、みんな男だよ」
丹沢「う~ん?」
丹沢(それ、男女差別じゃない?)
丹沢はそう思ったが、口には出さなかった。
由利「志摩さんだけがBツーだし」
B2級は、志摩真波だけだった。
丹沢「うん」
由利「コースも大外」
丹沢「うん」
由利「勝率も『2.01』で、6選手の中で最低」
丹沢「うん」
由利「今回の成績も、5着、6着ばかり」
丹沢「うん」
由利「ターンの技術も無いし」
丹沢「うん」
由利「まぁ、志摩さんは、参加するだけだろうな」
茂木「これだけデータが揃っていて、どうやって1着を取ります?」
丹沢「うん、そうだな」
由利「無事故完走すれば、いいんじゃないか」
茂木「そうそう、無事故完走が日本を良くするんですよ」
丹沢「うん」
茂木「このレースは5人で走ると思えば間違いないですよ」
丹沢「そこまで言うのかぁ~」
由利「きびしいことを言ってるように聞こえるだろうが、これが現実だよ」
茂木「ええ。……ですね」
丹沢「まぁ、ボートレースに詳しいふたりが言うんだからそうなんだろうけれど、心情的には、志摩さんを応援したいな」
茂木「丹沢さんの気持ちはわかりますが、こればかりは」
由利「私は志摩さんの友達だから、このレースの舟券は買わないけれど」
茂木「そうですね。なにかあるといけないですからね」
由利「そう、八百長がささやかれる世界だからなぁ」
丹沢「志摩さんを1着で買っているお客さんっていないのかな?」
由利「日本中には、いるかも知れないけれど、お金をどぶに捨ててるようなもんだろうな」
丹沢「そこまで言うのかぁ~」
茂木「1着どころか、3着も無理じゃないですか?」
丹沢「ふたりして」
茂木「ギャンブルは、夢を追っていては勝てないですからね。データに基づいたしっかりした根拠が無いと」
丹沢「そうか。もし、志摩さんが1着を取ったら?」
由利「なにか希望があるのか?」
丹沢「次回、志摩さんと飲む機会があったら……」
由利「もちろん、私が全部払うよ」
丹沢「おっ、先を読むねぇー。私の希望がわかった?」
由利「当たり前だよ。そのぐらい読めないで、ボートレースの予想は出来ないよ」
丹沢「じゃぁ、志摩さんが1着を取ったら次回の飲み会の払い、頼むね」
由利「次回どころか、志摩さんが1着だったら、今後10回の飲み会は、全部私が払うよ」
丹沢「ははははは。さすが由利さんだ。豪快だね」
由利「どう間違ったって志摩さんの1着は無いな」
丹沢「もし、志摩さんが2着以下だったら? 由利さんの希望は?」
由利「何も要らない。それが当たり前だから。賭けにもならないよ」
丹沢「そうだよな。さすが由利さんは太っ腹だ」
由利が自分の腹をポンポンと叩いた。
丹沢「ははははは」
茂木「ははははは」
【10】 若松、最終日第1レース。スタート!!!
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『ボートレース若松』 最終日 1レース 一般
1枠 助川 金吾 53歳 埼玉支部 B1級 勝率3.89 モーター-23666565
2枠 宮国 由雄 52歳 東京支部 B1級 勝率4.27 モーター○32433246
3枠 赤木 善輝 42歳 愛知支部 A1級 勝率8.05 モーター◎21345656
4枠 伊郷 紘之 32歳 愛知支部 B1級 勝率3.69 モーター×54654665
5枠 山賀 晃広 28歳 滋賀支部 B1級 勝率4.64 モーター△32234655
6枠 志摩 真波 27歳 埼玉支部 B2級 勝率2.01 モーター-66566565
※『モーター』のうしろの印はモーターの予想印。その後の数字は前走成績
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『ボートレース若松』競争水面。
スタート展示が終わり、いよいよ待機水面、6艇はスタート準備に入った。助川金吾は、枠番通りの1コースをキープし、第2ターンマークあたり、舟を流していた。1、2、3号艇がスロー、4、5、6号艇が、水面奥へとボートを引っ張って行った。
真波(今日は、長潮。潮の流れがないから、勘どおりで行ける。おっちゃんがそう言ってたっけ)
助川(女子には負けられんし、負けることは無いだろう。一番怖いのは、3号艇のまくり。それさえしのげれば)
各選手、心に秘めるものがあった。
大時計が回り始めた。12秒前、10秒前、5秒前、3、2、1、スタート!
3号艇が早いスタート、それ以外は横一線だった。
第1ターンマーク。
真波は体重が軽い分、半艇身前に出た。
3号艇もスタートが早い分、半艇身前に出ていた。
1号艇の助川が旋回しようとしたところを3号艇が1号艇の舳先(先端)を叩き、まくりに出た。
助川(まくらせんぞ!)
助川は、舟を合わせ、まくりを阻止した。
1号艇、3号艇、二艇のターンが大きく外へと膨らんだ。
インコースがガラ空きとなった。
3号艇に続き、二段まくりをしたのが真波だった。
真波(外から外でなく、ここは、外から内だわ!)
真波が咄嗟にハンドルを切った。
真波(まずい! 転覆しそう……)
次の瞬間、真波は右足シューズで舟底を蹴り、艇の左前方外へと身を乗り出した。
真波の体は完全に艇からはみ出し、舟が安定した。
真波
まさにモンキーターンの瞬間だった!
真波(陸上の『ブレイクライン』は、スタートして100mだけど、ボートレースの『ブレイクライン』は、スタートして150m。この赤と白のブイが格闘の始まりよ! おっちゃんの言う通り、内へ入ったわよ)
助川(おっ、志摩のやつ!)
助川は、まくって来た赤木を張りながら真波のボートを見た。
助川(まくり差し?)
真波(あれっ、前に誰も居ない!)
赤木(助川に張られた!)
第2ターンマークが見えた頃、初めて真波が後ろを振り返った。
【11】 志摩真波のまくり差し
そのころ、茂木数魔の部屋。
丹沢「志摩さん、行ったぞ!」
由利「すっげぇー、まくり差しだ! 信じられん!」
茂木「志摩選手のまくり差しは、過去のデータにありません」
丹沢「これは、(配当が)つくぞ!」
由利「でも、買ってないからなぁ」
丹沢「残念だ。でもこれから10回、飲み会がタダになる」
由利「まだ、ゴールしてないよ。あと2周半あるから抜かれるさ」
丹沢「あれっ、由利さんは真波さんのファンじゃないの? 真波さんのことが嫌いなの?」
由利「それとレース結果は別さ。志摩さんは知的だし美人だし大好きだよ。でもレース結果は別さ。冷静に考えて、このまま逃げ切れるとは思えないな」
若松レース場。
第2ターンマークが見え、真波が後ろを振り返ると、助川の1号艇が見えた。その差は約10m。
真波は、少しだけ艇を外へ持ち出し、きれいにターンした。
その差は縮まらず、6号艇、1号艇、2号艇の順に、2周目に入った。
茂木数魔の部屋。
由利「こんなときに限って、志摩さん、ターンがうまいな」
茂木「確かに」
由利「志摩さん、ターンマークにぶつかるってことは無いのかな?」
茂木「以前、1着の選手がターンマークにぶつかって、私たち4万円損しましたよね」
由利「そう、1着の選手がターンマークにぶつかって落水したんだよな」
茂木「志摩さん、初めてトップを走っていて、今ごろ緊張しているだろうな。3周持つのかな?」
丹沢「君たち二人は、冷たいんだな。志摩さんが、初めてトップを走っているんだから応援しようって気持ちはないのかい?」
由利「……」
茂木「……」
少し間をおいて、
由利「そうだ! すまん、すまん。丹沢さんに言われて今初めて気が付いた。ついつい飲み会の支払いが気になって我を見失っていた。今、反省したよ」
茂木「そうですね、自分の予想がハズレるのが嫌で『抜かれろ!』と思ってしまいました。そんな自分が恥ずかしいです」
丹沢「私は志摩さんの1着を願っているよ」
由利「そうだった。志摩さんの1着を祝っての飲み会、いいじゃないか! パーッとやろう、パーッと。私の奢りで」
丹沢「そうだよ、それでこそ本来の由利さんだよ」
茂木「そのときは、勿論私も行きますからね」
由利「ようし、ここからは応援するぞ!」
若松レース場。
四番手の3号艇A1選手赤木が、2号艇を抜き、3番手になった。そして、今度は、助川の1号艇に迫る勢いだった。
助川(くそっ、3号艇が追い込んできやがった。最初に、あれだけ張ったのに)
赤木(3番手まで来たぞ。次は助川のとっつぁんだな)
助川(やっぱり、A1級は違うな。さすがだよ)
赤木(張られた分だけ、返さないとな)
真波(後ろがせってる分、助かるぅ~)
茂木数魔の部屋。
丹沢「2着争いをしている分、志摩さんは、余裕で逃げている感じだな」
由利「次の飲み会で、志摩さんに好きなものを好きなだけご馳走しますよ」
丹沢「志摩さん、ケータイを持ちながら走っているかな? 次の飲み会を伝えるために電話してみようかな?」
丹沢がケータイをいじり出した。
茂木「持っているわけないでしょ!」
丹沢「茂木さんもツッコミ出来るんだねぇ。でも、タイミングが遅い!」
由利「自転車だって『ながら運転』は捕まるんだから、もしケータイを持ちながらボートを走らせたら警察に捕まるんじゃないか?」
茂木「警察官もボートを白と黒に塗装して『パトカー』じゃなくて『パトボー』としてコースを走るんでしょうね」
丹沢「ノリもいいねぇ!」
茂木「そうですか?」
丹沢「でも、ハンズフリーにすれば、ボートに乗っていてもいいんだよね?」
茂木「ダメです!!!」
茂木が強い語調で、瞬時に言った。
丹沢「ナイス!!!」
最終ターンマーク。真波は無難に回った。
由利「まさか! 残り直線あと150mで抜かれるなんてことはないよな?」
丹沢「不吉なことを言わんでくれ」
茂木「過去に、ゴール寸前で転覆した例もありますよ」
丹沢「本当に? だって、直線だよ。直線で転覆するの?」
茂木「あります」
丹沢「なんで?」
茂木「向かい風と高波が原因ですかね」
丹沢「舟券を買っていたら、悔しいだろうな?」
茂木「でしょうね」
若松レース場。
最終ターンマーク。真波は無難に回った。
真波(初めての1着だ!)
後方に、1号艇の助川。
助川(なんとか、3号艇の赤木から逃げ切ったぞ。おっ、志摩のやつ、1着か!?)
真波が先頭でゴールインした。
助川(水神祭か?)
この水神祭とは、ボートレーサーになって初めて1着を取ったことを祝い、選手が水面に投げ込まれる行事のことである。
真波が先頭で無事にゴールインした。
丹沢「やったね!」
茂木「志摩選手は水神祭ですね」
由利「お祝いをしないと」
丹沢「由利さんごちそうさまです」
茂木「ごちそうさまです」
由利「いいってことよ。こんな嬉しいことはない。女子レーサー3人に声を掛けて、6人で祝勝会だ!」
丹沢「ただで飲み食いできるかと思うと『嬉しさ』が倍増するね」
テレビ画面に、払戻金が映った。
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『払戻金、三連単、6―1―3、 21,600円』
『払戻金、二連単 6―1、 14,610円』
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由利「おーっ! 万舟券だ」
丹沢「う~ん、2万1千円かぁ」
茂木「3号艇の赤木でかぶってましたからね」
丹沢「友達でなければ、志摩さんの1着で舟券を買っていたんだがな」
茂木「確率的には、来ないとわかっていてもですか?」
丹沢「うん。応援だよ、応援の気持ちでさ」
由利「私もたまに『来ないだろうな』と思いながら舟券を買ったこともあるよ」
茂木「ちょっと二人に聞きたいのですが、」
丹沢「なに?」
茂木「ほぼ、ハズレるとわかっていながら、舟券を買う理由は、なんなんですか?」
丹沢「まぁ、宝くじだね。宝くじだって、絶対に1億円が当たると思って買っている人は、ほとんどいないだろう」
茂木「って、ことは、舟券で夢を買っているってことですか?」
丹沢「うん。舟券を買ってから結果が出るまで15分ぐらいかもしれないけれど、その15分間、百円とか二百円で、もし夢を見ることが出来るのなら、その夢を見たいじゃないか」
茂木「ふむふむ」
丹沢「その上、社会に貢献でき、自分の心臓に『ワクワク』と『ドキドキ』というカンフル剤(特効薬)を与えられるんだから最高だよ」
由利「私はジェットコースターだと思うな。ジェットコースターに乗っている時間だって、ボートレースのピットからゴールするまでの時間だって、同じ3分ぐらいだと思うんだ。その間『スリルと興奮』が味わえるわけだろ」
茂木「そうですね」
由利「ジェットコースターについて、中には『わざわざお金を払って、なぜ怖い思いをしなければならないんだ』って言う人もいるけれど、世の中、普通の生活をしていたら、そんなに『スリルと興奮』を味わうことなんか、なかなかないと思うんだ。それが、百円とか二百円で味わえるんなら安いもんだよ」
茂木「なるほど。よく理解できました」
由利「理解してくれたんだ」
茂木「ええ。でもそんなことをしなくても、丹沢さんは毎日、職場で怖い思いと、スリルを味わってるんですよね」
由利「ははははは」
丹沢「ははははは」
茂木「バカウケです! やったー!」
茂木が両手を挙げた。
【12】 助川「水神祭は、勘弁してくれよ~」
若松レース場。
ピットに、初勝利の真波が戻って来た。本来なら同県同期の爽香が、真っ先に待ち構えているはずだったが、次のレースに乗艇のため、姿は無かった。それでも、たくさんのレーサーが集まってきて口々に「おめでとう!」と、声を掛けた。
真波「ありがとうございます。皆さんのお陰です」
深々と何度も何度も頭を下げた。
その後ろを遅れて戻って来た助川が通り過ぎた。近くにいた栃谷が、
栃谷「あれっ助川さん……、行っちゃったよ」
それを聞いて、真波が通り過ぎる助川を見た。もう、後ろ姿しか見ることが出来なかった。
真波(どうしたんだろう? 元気がないわ。まさか、わたしに負けたから?)
第2レース、爽香も、真波のレースに触発されたのか、果敢に攻めて3着となった。
真波の水神祭が行われたのは、すべてのレースが終わった夜の9時からであった。最終日は、それぞれの選手が、自分のレースが終わり次第帰路に就く。しかも、埼玉の選手がいなかったことから寂しいものとなった。
ピットの水面際に、真波と速水がやって来た。少し離れて最終レースに出場したトップレーサーたちがその様子を見に来た。選抜戦のメンバーからは、栃谷が残って様子を見ていた。
助川金吾も元埼玉支部長として残り、トップレーサーたちと一緒にその様子を眺めていた。
爽香「二人だけの寂しい水神祭だね」
真波「二人で充分よ。爽香さえいてくれれば」
爽香「真波さんがそう言ってくれるの、すっごく嬉しいわ!」
オールレディースの開催時の盛り上がりと違って、男女混合開催だとどうしても男子たちが一歩下がった祭りとなってしまう傾向があった。
真波「でも、水神祭が出来て良かった。未勝利のまま引退するかと思っていたもん」
爽香「実際、未勝利のまま引退した選手もいたしね」
真波「うん。ボートレーサーは平均収入で1千万円を超えるとか言われているけれど、その陰では、1勝もできずにひっそりと辞めていくレーサーもいるのよね」
爽香「でも、良かったね! 水神祭が出来て」
真波「まったく実力は無いんだけれど、たまたまコースが空いたのよ」
爽香「そうだったんだ。さて、そろそろいくわよ。準備はいい?」
真波「うん、背中を押して」
爽香「うん。行くわよ!」
真波「うん」
爽香「えいっ!」
爽香が真波の背中を押すと、真波は足から勢いよく水面に飛び込んだ。爽香も仲間として、その後を追うように水面に飛び込んだ。
それを見たトップレーサーたちが、
選手A「助川さんも飛び込まないと」
選手B「同じ埼玉支部なんだから」
選手C「助川さんが勝たせたようなもんだからなぁ」
そう言うと、一歩引いて見ていた優勝戦に出場したレーサー6人と群馬支部の栃谷智靖、合計7人が、無理矢理助川の背中を水面ぎわまで押して行った。
助川「勘弁してえな」
選手A「はいはい」
助川「いくつや思てんねん。落ちとうないわ」
選手B「何歳になっても転覆はしますからね」
助川「冷たいの苦手やねん」
選手C「後で温かい風呂が待ってますよ」
助川「泳がれへんねん」
選手D「そんな嘘をついてもダメですよ」
助川「かつらやねん」
選手E「往生際が悪いな。ほら、後輩二人が水面で待ってますよ!」
そう言うとみんなで、助川を水面に突き落とした。
助川「ぎゃーあ~~~~~」
みんなが思っていた以上の悲鳴が聞こえて来た。
助川は、両手、両足を広げて水面に落ちて行った。そして何よりも寝違えた肩が痛かった。
選手F「まったく、大げさなんだから」
真波、爽香、助川の3人が、水面で立ち泳ぎしていた。
栃谷「いい景色だな」
栃谷は、そう言って目を細めてほほ笑んだ。
少しして真波と爽香が、水面からピットへと這い上がって来た。だが、助川はひとりで、這い上がれなかった。
助川「ちょっと持ち上げてぇや。ひとりじゃ上がれんへんわ」
爽香「しょうがないオヤジだ」
真波「オヤジ、一緒に飛び込んでくれて、嬉しかったよ」
真波は少し涙ぐんでいた。そして爽香と真波が、上から助川の両腕を引っ張った。
助川「いでででで」
助川はメチャクチャ痛かったが我慢した。しかし、助川は持ち上がらなかった。
助川「ダメだ、上がれんへん」
助川が本当に痛そうに再度顔をゆがめた。その表情を見て、栃谷が助川の異変に気付いた。
すると栃谷が綺麗に頭から飛び込み、くるっとターンして泳ぎ、下から助川の体を持ち上げた。上にいた男子選手も手伝って、なんとかようやく助川をピットへ引き上げた。
助川「ふーっ。ありがとうよありがと、な」
みんなにそう言うと、助川は下を向きながら、
助川「こんな夜遅く飛び込むとはな。まさか飛び込むとは思わんかったわ。ヘックション!」
夜のプール(水面)は寒かった。
助川「まったくどないせえ勝つんやったら、ナイターやなくてモーニングで勝ってぇな、ほんまに」
爽香「ブツブツ言ってんじゃないわよ。いい年こいて」
爽香が、愛情を込めてゆっくりと言った。
助川は後ろも向かず歩き出し、手の甲だけ小さく上げて爽香に応えると、トボトボとひとり去って行った。
真波は去っていく助川の後ろ姿に、深々と頭を下げたのだった。




