96 ▼『ボートレース若松』(その2)~オヤジの説教~
【05】 3日目。レースで一番気を付けるのは?
開催3日目の夕食。
爽香「やっぱり、ホームプール(所属レース場)がナイターの選手は、うまいわね」
真波「ナイター開催をするボートレース場は、24のレース場の内、確か7場あったよね」
爽香「どこだっけ? ここ『若松』と『蒲郡』と『桐生』と?」
真波「『住之江』『大村』『下関』あと、どこだっけ?」
爽香「あと、どこだろう?」
うしろから
助川「四国の『丸亀』や」
爽香「『おっちゃん』、おっと『おっちゃん』じゃない。先輩、聞いていたんですね」
助川「『おっちゃん』で、ええぞ。聞いてたんちゃう、聞こえたんや」
爽香「そ、そ、そうですよね」
爽香があわてた。
助川「ナイターになったら気温下がるやろ? 気温下がったら水温も下がんねん。ほなエンジンの体積効率が上がるわな。体積効率上がったらパワー(出力)出るがな。プロペラもガンガン回るようになって、出足もようなる。スピードも乗ってくる。……ま、ここまでは『風が吹けば桶屋が儲かる』みたいなもんや」
爽香「ふむふむ。早すぎてさっぱりわからない」
真波「養成所で習ったはずなんだけど、もう忘れてるわ」
助川「あとで、勉強しときや」
爽香「はい」
真波「はい」
助川「ここで一番気ぃつけなあかんのは、何やと思う」
爽香「気温と水温?」
真波「エンジン音?」
助川「ちゃう」
爽香「ターンを始める位置?」
真波「ターンをするときのバランス?」
助川「ちゃう」
爽香(このおっちゃん「ちゃう」「ちゃう」って「お前はチャウチャウ犬」か? これ丹沢さんのギャグよね)
こんなところで、爽香は丹沢を思い出した。
爽香「なんだろう?」
真波「なにかしら?」
助川「フライングやがな」
爽香「あっ!」
真波「そうなんだ!」
助川「地元の選手も九州勢も、みんなそのこと知っとんねん。せやからスタート上手いねん。スピード乗るん計算に入れてスタートしよるからな。ついでに言うといたら、最終日は長潮やで」
爽香「『ナガシオ』ってなんだ? 大学で習う?」
真波「聞いたことない?」
助川「長潮っちゅうのは、潮の満ち引きの差がちっちゃくて、満潮と干潮の変化がめっさ緩やかなんや。潮の流れもほとんどあらへんしな」
真波「ボートが流されず、スタートがしやすい日なのね」
助川「そういうことを、知っとるか知らんかの差は大きいぞ」
そう言うと、助川は先に食堂を出た。みんなが食べている間に、ゆっくりと風呂に浸かりたかったのだ。
選手宿舎浴室。
浴室でひとり、助川は考えていた。
(寝違えたせいで、首回らんし、腕上がらへん。ほんま困ったわ。)
(成績も三日目を終えて、2、3、6、6、6着)
(首回らんっちゅうのは、周りが見えてへんっちゅうことや。1マークでの判断ができんくて、どうも後手後手になってまうわ)
(出場レースも、一回目の乗り(出番)が、初日5レース、二日目5レース、三日目4レース、明日は3レースと、だんだん早なってきてんねん)
(まぁ、体調が万全なんてなぁ、一年通してもほとんど無いわけやし、今の状況で精一杯やるしかないわな)
(さて、次はサウナで、首と肩温めてみよか)
【06】 4日目。体調の良い日なんか無いよ
開催四日目の朝、計量後。
爽香「体重は、ほとんど変わらないのに、今日は体が重いわ。なんでだろう?」
真波「私も寝不足で体の動きが悪いわ」
助川金吾が近くで聞いていた。
助川「いちいち調子悪いって言いなや。他人が聞いたって気分のええもんちゃうし、どうにもならへんのやから」
2人「……」
助川「俺なんかこの仕事就いて33年、一日かて体調良かった日ぃなんて無かったで。ボートレーサーはみんなそうや。でも誰も何も言わへん、それでええねん」
2人「……」
助川「すべては自己責任やがな」
開催四日目の夕食。
爽香「今日は、スタートタイミング『13』で、うまくいったんだけれど、バックストレッチでは、最下位よ」
真波「スタートが良くてもダメね」
爽香「全速ターンもしたんだけどね」
後ろから助川が
助川「全速ターンだけが能ちゃうぞ」
爽香「おっちゃん、そう言うけれどね、」
爽香が、ついに言い返した。開催も4日目、このおっちゃんにイヤミを言われ続け、しかも賞金にありつけず、爽香のストレスも限界に来ていた。
爽香「あたしたち新人は、外を走っている限り、勝てない運命なのよ」
真波「そうそう、3年目、4年目、1コースを取れるようになってからが勝負よね」
真波が爽香に加勢した。
助川「6コースでまわれんような奴が、1コース入ったところで一緒や。勝てるわけあらへんがな」
爽香「そんなことないわ!」
真波「そうよ、見てから言いなさいよ!」
真波の語気の強さに、食堂で食事していた周りのレーサーも振り向いた。
助川「あんたらな、1コース入ったかって大ケガするのが関の山や。大ケガするくらいやったら、今のうちに辞めとき」
真波「なんですって!」
助川「ワシ、大ケガするの見とうないから言うてんねん」
真波「ケガなんかしないわよ。養成所でちゃんと練習も勉強もしてきたんだから」
助川「まさか大卒やからって、鼻にかけてんのちゃうやろな」
真波「なんですって!」
助川「この世界、大卒も中卒も関係あらへんぞ」
真波「そんなの分かっているわよ!」
周りで頷く選手も居た。
助川「おっと、風呂混む前に行っとかなあかんな。まぁ、いくら大卒言うても、ボートレースで脱落したような奴が、再就職したところで上手いこといくとは思えんけどなぁ」
真波「まっ!」
真波の顔が怒りで赤く染まった。
助川は、捨て台詞を残して浴室へと向かった。
浴室でひとり、助川は考えていた。
(寝違えて首回らんわ。サウナ入ってもアカンかったなぁ)
(しかし、成績ボロボロやなぁ。明日は第2レース、最終日は第1レースになりそうやわ)
(あかん! このままやったら、最終日はあの二人と同じレースになってまうわ)
(これでアイツらに負けたら、何言われるかわからんで)
(『自分で蒔いた種』とか言うけどさ、これ負けたら自分の言うたことブーメランみたいに返ってくるやつやん。ははははは)
助川の高笑いが、浴室の中で反響していた。
【07】 5日目。陸上競技の『ブレイクライン』とは?
開催5日目の夕食。
爽香「明日で終わりね」
真波「今開催も、ゴンロク(五着六着)でおわりだわ」
爽香「まぁ、いつものことよ」
真波「明日も第1レースで、6コースよ」
爽香「わたしは、第2レースに組まれたわ」
爽香の背中の方から
助川「明日は、俺も第1レースや。よろしくな」
真波「えーっ、同じレース!」
助川「ああ、悪かったな」
真波「おっちゃんが第1レースなんて、調子が悪いんだね」
助川「毎回優勝するわけにもいかんやろ」
爽香「しばらく優勝したことも無いくせに」
爽香が当てずっぽうで言った。
助川「ははははは。よう知っとるな」
真波「おっちゃんは、なんコース?」
助川「1枠やから1コースやな」
真波「じゃぁ1着だね」
助川「せやな」
真波「私は、6コースだから、また6着よ」
助川「6コースやから言うて、あきらめる必要ないやんか」
真波「無理よ」
助川「こないだ、そちらのお嬢さんが」
助川が爽香を指さした。
助川「『陸上競技で言えば、あたしたちは、大外のレーンを3周走っているようなものよ』っておっしゃってはったけど」
爽香「どうしたの? 急に丁寧になっちゃってさ?」
助川「陸上競技の800m見たことある?」
爽香「あったかなぁ?」
真波「見たかも?」
助川「陸上競技の種目やけど、『800m走』は最初のカーブの100mだけセパレートコース(レーン分かれてるやつ)なんやで」
真波「それぞれ自分のコースを走るのよね」
助川「あぁ。ほんで100mくらい自分のコース走ったら、100m過ぎたところに『ブレイクライン』っていう線が引いてあんねん」
爽香「初めて聞いたわ」
助川「その『ブレイクライン』越えたら、どこのコース行ってもええねんで。要するにオープンコースや」
真波「『ブレイクライン』って、第1ターンマークみたいなものね」
助川「せやな。陸上競技でも当然インコース走った方が有利やし、『ブレイクライン』からは、みんなインに入ってくる。位置取りや駆け引きも重要やなぁ」
爽香「うん、わかるわ」
助川「『ブレイクライン』超えたらな、選手同士ぶつかったりコケたりもめっちゃ多いし、むっちゃくちゃ激しいレースになんねんで!」
真波「ボートレースと同じね」
助川「せやから、陸上競技の800mは『陸上の格闘技』って言われてんねん」
爽香「ボートレースだって『水上の格闘技』と言われているわ」
助川「さっきな、そこのお嬢さんが、」
助川が真波を指さした。
助川「『ボートレースと一緒やね』言うてはったけど、それやったら、お嬢さんもそうしたらいいじゃねぇか?」
爽香「おじさん、言葉が丁寧なのか、乱暴なのか、わからなくなってきたわ」
爽香が頭を回し始めた。
助川「そんなこたぁ、どうでもいいじゃねぇか」
真波「どうでもよくないわよ。敬語で話せばいいのか、気楽に話していいのか迷うじゃないのよ」
助川「「好きにしたらええがな」
真波「じゃぁ、好きにするからね。怒らないでよ」
助川「ワシ、怒ったことなんか一遍もあらへんで」
真波「そうなんだ。口が悪いだけね」
助川はその真波の言葉を無視して、
助川「陸上競技の『ブレイクライン』は、さっきお嬢ちゃんが言うてはったとおり、ボートレースの『第1ターンマーク』や。やのになんで、そこでインに切り込まへんねん?」
真波「……」
爽香「……」
助川「ま、ええわ。風呂行ってこよ」
助川は、さっさと浴室へ行ってしまった。
【08】 栃谷智靖、イン逃げ?
速水爽香と志摩真波は、食事を終えると、休憩所でくつろぐことにした。休憩所には、椅子とテーブルがある。二人は座り、しばらく黙っていると、そこに、群馬支部の栃谷智靖(とちや・ともやす・29歳)選手がやって来た。
栃谷「こんばんわ。ここに、座ってもいいですか?」
真波「どうぞ」
栃谷「栃谷と言います。初めまして」
真波「初めまして、志摩です」
爽香「初めまして、速水です」
栃谷「いよいよ、明日で終わりですね」
真波「はい」
栃谷「成績は、どうですか?」
真波「ひどいものです。栃谷さんは?」
栃谷「選抜回りです」
真波「そうですか。優勝戦でなくて、残念ですね」
栃谷「こんなもんですよ。ところで、お二人はどこの支部?」
真波「二人とも埼玉です」
栃谷「そうなんだ。じゃぁ、助川さんと一緒だ」
真波「助川さんをご存知なんですか?」
栃谷「僕が群馬支部で、支部が近いせいか、よくレースで一緒になるんです」
爽香「変なおっちゃんでしょ?」
栃谷「そうかなぁ、丁寧で礼儀正しくて、いい人ですよ」
爽香「じゃぁ、それ、別人ですよ。別の助川さんじゃない?」
栃谷「そうかなぁ、ボートレーサーで『助川』という名字は、ひとりだけですけれど」
爽香「ここに来ている助川さんは、口の利き方が乱暴なんです」
栃谷「そうですか」
栃谷は、あえて逆らわなかった。
栃谷「助川さんは、調子悪そうですね。悪いエンジンに当たっちゃったのかな?」
爽香「いいえ、性格が悪いから成績も悪いんですよ」
宿舎のサウナ室で、
助川「ヘックション!」
栃谷「すごい言われ方だなぁ」
真波「わたしたち、毎日、助川さんに、説教されているんです」
栃谷「そうでしたか。あの人、5年くらい前まで埼玉の支部長でしたから話はうまいし、丁寧に教えてくれるでしょう。うらやましいなぁ」
真波「とんでもない。ただ、うるさいだけ」
宿舎のサウナ室で、
助川「ヘックション!」
栃谷「なんか、悪い所に来ちゃったみたい。また、どこかで。失礼します」
栃谷は雰囲気を読み、逃げて行ってしまった。




