95 ▼『ボートレース若松』(その1)~このくそオヤジは誰~
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【あらまし】(ボートレーサーの成長エピソード)
成績不振で崖っぷちの新人女子ボートレーサー、速水爽香と志摩真波。 久しぶりの同時斡旋となった『ボートレース若松』。そこで、二人は大敗続きの現実に打ちのめされていた。「このままじゃ5年でクビ――」そんなしけた会話を繰り広げる二人の前に現れたのは、同じ埼玉支部のベテランレーサー・助川金吾だった。
「そんなとこで、くだらない話してても上手ならへんで」 口を開けば小言ばかりの“クソオヤジ”に猛反発する爽香と真波。しかし、容赦ない毒舌の裏には、引退の危機に瀕する未勝利の後輩たちをプロとして自立させたいという、ベテラン勢の熱い想いが隠されていた。
ナイターの魔力、長潮の計算、そして陸上競技に例えられた「ブレイクライン」の教え――。 オヤジの厳しい言葉が胸に突き刺さる中、ついに最終日、助川の待つ第1レース、真波は大外6コースから出走する。
実力主義の厳しい水上で、走ることしかできない不器用なレーサーたちが織りなす、笑いと涙の初勝利(水神祭)グラフィティ!
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【主な登場人物】
===ボートレーサー(主要人物・埼玉支部)===
●速水爽香
本作の主人公のひとり。今節がデビューして28節目。福島県出身で、美浦市から生活保護の差額分を受け取っていた経験を持ち、厳しい生活の中で安定した収入を目指している。
●志摩真波
爽香の同期で親友。埼玉県(都会)育ちの大学卒レーサー。実家からの仕送りがあるため、生活費に困ることは無い。成績が伸び悩んでおり、引退勧告のルール(5年)が迫ることに焦りを感じている。
●助川金吾 / 53歳
爽香・真波の大先輩にあたるベテランレーサー(B1級)。元埼玉支部長。関西人ではないがときどき変な関西弁を使う。口調はぶっきらぼうで耳が良く、若手二人に対して厳しい小言やお灸を据えるような発言を繰り返すが、その裏にはベテランとしての深い想いがある。
●里見千鶴 / 50歳
埼玉支部のベテラン女子レーサー。今回は出場していないが、爽香と真波の「やる気スイッチ」を入れさせるため、事前に助川へ「嫌われ役」を頼んでいた。
===ボートレース予想集団『ボジョレー会』===
●丹沢純也
爽香や真波と過去に飲み会をしたことがある男性。二人のレースを応援しており、ボートレースの専門用語や男女のデータ差について由利たちに質問を投げかける。
●由利源吾
丹沢と同じく爽香・真波と面識がある男性。ボートレースのデータや現実的な展開に詳しく、志摩の勝率の低さから「1着はあり得ない」と言い切り、大きな賭け(飲み会の奢り)を申し出る。
●茂木数魔
『ボジョレー会』が集まる部屋の主。パソコンと大型テレビを駆使して冷静にデータを分析するタイプ。ギャンブルにおける夢と現実の講義を丹沢たちから受ける。
===その他のボートレーサー(今節の出場選手・関係者)===
●栃谷智靖 / 29歳
群馬支部の若手実力派レーサー。今節は選抜回りの成績。埼玉支部とも近く、助川の「本来の顔(丁寧で礼儀正しい)」をよく知っているため、爽香たちの評価とのギャップに戸惑う。
●赤木善輝 / 42歳
愛知支部のトップレーサー(A1級、勝率8.05)。最終日第1レースにおいて、圧倒的な実力者として他の選手たちから警戒されている。
●宮国由雄 / 52歳(東京支部・B1級)
●伊郷紘之 / 32歳(愛知支部・B1級、フライング持ち)
●山賀晃広 / 28歳(滋賀支部・B1級)
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【前書き】
●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております
●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました
●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです
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【01】 老練、助川金吾登場!
速水爽香と志摩真波が久しぶりに、一緒に同じボートレース場に斡旋された。場所は、福岡県北九州市の『ボートレース若松』である。
開催日の二日前、二人は、待ち合わせをして、埼玉県の大宮駅から新幹線を乗り継ぎ福岡県北九州市の小倉駅に向かった。
大宮駅を出て6時間ほどして、小倉駅に着いた。二人は今日、ここ小倉北区内のホテルに前泊し、明日14時までに、ボートレース若松の前検日(開催前日の検査)に入ることにした。
爽香「着いた、着いた!」
真波「小倉駅もすごい賑わいね」
爽香「ほんと、びっくり」
真波「大宮駅が22番ホームまであったでしょう、東京駅が23番ホームまで、そして、ここ小倉駅が14番ホームまで」
爽香「あたしなんか、ひとりじゃ迷っちゃったろうな」
真波「なんか、ここへ来るまでで疲れちゃった」
爽香「ほんと、ほんと」
一日の駅の利用客が、あまりに大きな数字過ぎて、正確な数字ではないが、東京駅で約130万人、大宮駅で約70万人、小倉駅で約10万人と言われていた。
ここまで来ると、正確な数字などとても出せるはずもない。
二人は、大きなスーツケースを転がしながら、今日泊まるビジネスホテルへ向かった。
爽香「わーっ、駅の外もひらけているのね」
真波「小倉駅と、隣の西小倉駅が、直線で約700mの距離だから、その間建物だらけよ」
爽香「わっ! 上、見て! モノレールが走っている!」
真波「跨座式モノレールね」
爽香「なに? 『こざしき』って?」
真波「レールの上を走るタイプよ」
爽香「じゃぁ、他には?」
真波「千葉駅を走っている『懸垂式モノレールね』
爽香「それなら見たことがある。ぶら下がって走るタイプね」
真波「うん」
爽香「わたし、懸垂、大嫌い。それなのに、あんな大きなモノレールがぶら下がっているんだから、信じられないわ。そのうち、疲れて落ちるんじゃないかしら?」
真波「この前、わたしが『目に見えないものは信じない』と言って、速水さんに笑われたけれど、ぶら下がっているモノレールは、目に見えてぶら下がっているから落ちないと信じているわ」
爽香「そうなんだ」
真波「モノレールは、落ちないように筋トレしているから大丈夫。鉄筋という筋肉がついているんだもん」
爽香「ははははは」
真波「また、笑われちゃった。ふふふふふ」
爽香「わたしも筋トレしないと、レースの成績が落ちて、引退させられちゃうかも?」
真波「わたしも」
二人がビジネスホテルに着いた。チェックインも済ませ、
爽香「ホテルもたくさんあるし、料金も安いから助かるわ」
真波「ほんと。さて、明日は、遅刻しないようにしないとね」
爽香「うん。遅刻したら、一カ月間出場停止でしょう。ただでさえ稼げないのに出場停止じゃぁ、首をくくるしかないわ」
真波「そう考えると、やっぱり生活保護ってありがたいわねぇ」
爽香「うん。あの時は本当に助かったわ」
翌日(前検日)。
二人は、JR鹿児島本線で『小倉駅→折尾駅』、JR若松線で『折尾駅→奥洞海駅』へ。そして、奥洞海駅に降り立った。
爽香「あ~っ、やっと着いたわね」
真波「えーっ、嘘でしょう? ここなの? この駅で間違いないのかしら?」
爽香「ここのはずだけれど」
真波「駅だというのに、誰も居ないわ」
爽香「無人駅みたいね」
真波「駅って、必ず誰か職員が居るんじゃないの?」
爽香「志摩さんは、都会育ちだからなぁ。無人駅なんていくらでもあるわよ」
真波「ほら、昨日、大宮駅、東京駅、小倉駅と、見てきたじゃない」
爽香「うん」
真波「それとのギャップが大きすぎて、今、わたしにはこの現実が受け入れられないのよ」
爽香「そうね。それらの駅と比べちゃうとね。ボートレースで言えば、SG(最高レベルのレース開催)と一般レース(普通の開催)の差ぐらいあるものね」
真波「そうか。そう考えると、わたしたちのレースは、まだ、無人駅を走っているのね」
爽香「そんなところね」
真波「ふふふふふ」
爽香「笑いが、引きつっているわよ」
真波「まぁね」
ちなみに、奥洞海駅の降車客を含まない乗車だけの客数は、このとき一日約400人であった。
駅を出ると左手に踏切がある。
真波「踏切を見るの久しぶりだわ」
爽香「やっぱり、都会育ちなのね」
真波「東京に住んでいるわけじゃないけれど、埼玉県でも踏切はあまり見ないな」
爽香「そうでしょうよ。わたしの育った福島県なんて、踏切だらけよ」
真波「ふふふ。そんなつもりで言ったんじゃないのよ」
爽香「とにかく、踏切の方じゃなくて、逆の方へ行きましょう」
真波「わかった。あっ! すごい!」
爽香「何が?」
真波「照明灯」
真波と爽香の目に、ボートレース用の照明灯が見えた。
爽香「駅からすぐが、もうボートレース場なのね」
真波「そうみたい」
爽香「ってことは、奥洞海駅は『ボートレース若松』の専用駅みたいなものね」
真波「すごいことね」
二人が『ボートレース若松』へ向かって歩いていくと、広大な駐車場が目に入った。
爽香「いたるところ、駐車場だらけよ」
真波「ほんと」
爽香「街全体がボートレース一色って感じね」
真波「他に何もないものね」
爽香「若松はボートレースの街ね」
【02】 前検日のルーティン
二人が200mも歩くと、選手宿舎に着いた。
到着後は、いつもどおりのルーティンが行われる。
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・『選手登録手帳』を示して受付を行なう
・私物検査。レース場や宿舎に持ち込んではいけないものがないか、持ち物検査が個別に行なわれる
・不正防止の観点から携帯電話やスマートフォンを競走会管理部門に預ける
・レースに参加できる体調であるかどうか、医師立会いのもと、健康診断を受ける
・ミーティングが開かれ、諸注意等を受ける
・レース場が所有し保管しているモーターとボートの抽選が行なわれる
・ボートにモーターを装着し試運転し、感触を確かめる
・『前検タイム』という直線150mの走行タイム計測を行なう
・『スタート練習』を行なって感触を確かめ、スタート事故を防ぐ
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などが、主な項目である。
二人は、一連の作業を終え、宿舎に戻った。そして、なにより楽しみな夕食。
夕食は、選手ごとにテーブルが決められており、食事はバイキング形式だった。
爽香「どこのレース場もおいしいけれど、ここの宿舎の食事は特に美味しいわ」
真波「バイキングというのもいいわね。好きなものを好きなだけ食べられるから」
爽香「そうそう。残さないで済むしね」
真波「体重制限の関係でいつもは残しちゃうんだけれど、なんか料理してくれた人に悪い気がして」
爽香「わかるわ。ちょっと罪悪感があるのよね」
真波「でも、バイキングだと、かえって食べ過ぎちゃいそう」
爽香「わたしも。ははははは」
真波「明日、太っているかもね」
爽香「ははははは」
近くの席で、助川金吾(すけがわ・きんご・53歳)が黙ってその会話を聞いていた。助川金吾は、速水爽香、志摩真波と同じ埼玉支部の老練な選手であった。この開催で埼玉支部からの男子出場選手はこの助川だけだった。
【03】 初日。「クソオヤジで悪かったな」
翌日(開催初日)。
朝、選手全員の体重計測が終わると、速水爽香、志摩真波は、エンジン整備を始めた。整備をしながらも、爽香と真波は話をしていた。
真波「あれから丹沢さんに会った?」
爽香「うん何回か。この前街中で見かけたけれど、話はしなかった」
真波「そうか。丹沢さん、由利さん、茂木さん、みんな忙しいかもね」
爽香「いいえ、暇よ。絶対に暇を持て余していると思うわよ」
真波「ふふふふふ」
爽香「志摩さんは、どの男性が好み?」
真波「難しい質問ね。でも由利さんかな?」
爽香「えっ、由利さんなんだ。どうして?」
真波「あの人、教養があるからね」
爽香「由利さんって、いつから教養が身についたのかしら?」
真波「今日よう(教養)」
爽香「ははははは」
爽香と真波がエンジン整備をしている近くを通った助川金吾が言った、
助川「そんなとこで、くだらない話してても上手ならへんで。話して上手なるんやったら、誰もボート乗らへんわ!」
そう言って助川は通り過ぎた。
爽香と真波が、助川の方を見たときは、助川はもう背中を見せて通り過ぎていた。二人は、誰だったのかわからなかった。
爽香「あのクソオヤジ!」
遠くから助川が
助川「クソオヤジで悪かったな」
振り向かずに言うと、軽く右手を上げた。
爽香「まずっ! 聞こえちゃった」
真波「性格悪そうだけれど、耳だけはいいのね」
その日(開催初日)の夕食。
爽香「あーあ、今日も6着」
真波「わたしも」
爽香「この開催で少しでも賞金を稼がないと何もできないわ。やっと生活保護から抜け出したのに」
真波「そうよね。どうしてもお金が無くなったら私のウチへ来る?」
爽香「でも、引っ越し代も無いわ」
真波「そうか」
爽香「お金は欲しいけれど、レースで、まくっても、まくっても勝てないんだもの」
真波「私もよ。外から外へと一生懸命走ったって、内側をスイスイ走る選手に勝てるわけがないもの」
爽香「陸上競技で言えば、わたしたちは大外のレーンを3周走っているようなものよ」
真波「確かに」
それまで我慢しながら近くで聞いていたベテランレーサー、助川金吾が、とうとう口を出した。
助川「そんなん言うとったら、一生勝てへんで」
助川が箸を動かしながら、まるで独り言のようにつぶやいた。相手に、聞こえても聞こえなくてもいいかのように。
爽香と真波が耳を疑った、空耳なのかと。
爽香と真波が傍若無人に話をしていたのをやめ、爽香の背中側に、背中を向けて座っている年配選手を見た。
爽香が振り向き、その選手の後ろ姿を見て、
爽香「あっ、昼間のクソ」
爽香が体を戻して自分の胸の前で、右手人差し指で後ろを指さした。
真波が年配選手を指さし、
真波「その席も埼玉支部よ」
真波が爽香に顔を近づけて言った。
爽香「て、ことは大先輩なの?」
真波(うん、うん)
真波が黙って頷いた。
爽香「あっ思い出した。(ボートレース)戸田で練習している時、里見(千鶴)先輩と話していたおっちゃんだ!」
爽香と真波が、いきなり立ち上がり、
爽香「昼間は、失礼しました」
真波「たいへん失礼しました」
二人が助川の背中に、お辞儀をした。
助川は、それを無視して、黙々と食べていた。
周りの選手は、面白がってその様子を見ている者、何事があったのかとびっくりしている者、様々だった。
【04】 2日目。親の苦労
翌日(開催二日目)の朝。
助川は、宿舎個室のベッドで起き上がった。宿舎の選手部屋は、数人で一部屋というレース場もあるが、『ボートレース若松』では、すべてが個室だった。
助川の右腕がベッドからぶら下がっていた。
助川「しもた! 寝相悪うして右肩痛めてもうたみたいや」
助川(二日目から今節も試練だな)
助川はそう思った。
開催二日目の夕食。
爽香「今日も5着、6着。賞金にありつけなかったわ」
真波「交通費と出走手当をもらいに来ているようなものね」
爽香「でも、ここはナイター手当が出るから、ちょっと嬉しいな」
真波「そうね。爽香もフライングさえしなければ、生活保護の世話にならないで済むわよ?」
爽香「うん、ギリね」
すると、後ろから助川が、
助川「そんな、しけた話してんのやないで。このままやったら二人とも5年でクビやぞ」
ぼそぼそっと、助川が言った。
爽香と真波の食べている箸が止まった。
爽香「デビューしてから5年経って勝率が悪いと、引退(退会)勧告が出されちゃうんだっけ?」
真波「そうよ。もう2年以上経っているのに、全然成績が良くならない」
爽香「そうか、クビか……」
真波「可能性高いわね」
爽香「志摩さんは大学を出ているから転職可能だけど、わたしなんか再就職できないだろうな」
爽香の背中側から、助川が振り向きもせず、
助川「速水さん、おかんの面倒は誰が見るん?」
爽香「えっ?」
助川「志摩さん、大学出すのに親がいくら使ったと思てんねん?」
真波「えっ?」
二人は、助川の言葉に意表を突かれた。
爽香「なんで知っているの? そんなこと?」
真波「そうよ!」
助川「あんなもん、ネット見たらぼろぼろ書いてるで」
爽香「そうか」
真波「そうよね」
爽香
助川「『SG(最高レベルのレース)に出ろ』とは言わんけどな、親への恩返しぐらいしたらどうやねん?」
爽香「……」
真波「……」
助川「ここまで、親御さん、苦労して育てはったんやろなぁ……」
爽香「……」
真波「……」
二人は、胸にこたえた。
助川「二人とも、親の反対を押し切って、この世界に入ったんとちゃうんかい?」
二人の頭に母親の顔が浮かんだ。助川の言葉が身に沁みて、切なさと不甲斐なさが心に残った。そのまま二人は黙って食べ続け、食べ終わると黙って食堂を出た。助川はそれ以上何も言わなかった。




