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女子ボートレーサーと市役所職員  作者: 池井 けい
第9章 医療と人々
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88/110

88 ♡爽香、入院する(後編)~丹沢さんの家に泊まらせてもらおうかな?~

【07】 丹沢さんは速水さんの恋人?


 1週間後の水曜日。

 丹沢は、3度目の見舞いに来ていた。丹沢が爽香と話していると、そこに爽香がレースでぶつかった相手、水谷早織みずたに・さおりが鳴門の病院以来2度目の見舞いに来た。


 病室のドアが開き、早織が入って来た。

早織「失礼します」

丹沢(うん誰だ? 綺麗なお姉さん!)

 早織が花束を持って、爽香の寝ているベッドの方へ近づいて来た。丹沢が小さく会釈した。早織も会釈を返した。

爽香「こんばんは」

早織「元気? 調子はどう?」

爽香「このとおり元気です。わざわざすみません」

早織「ううん、(ボートレース)多摩川に呼ばれたから、ついでに寄ってみたの」

爽香「ありがとうございます」


丹沢「丹沢と申します」

 丹沢が早織に挨拶した。

早織「水谷早織です。初めまして」

 そう言うと、早織がバッグから『飲むヨーグルト』を取り出した。

早織「来て突然で悪いけど『飲むヨーグルト』を持って来たんだ。速水さん、少しは飲める?」

爽香「少しなら」

早織「じゃぁ、無理しない程度に飲んでみて」

 早織が飲むヨーグルトのふたを開けた。爽香はベッドの背もたれをリモコンで起こした。

早織「無理しないでね」

 早織が爽香に飲むヨーグルトを手渡した。

爽香「ありがとうございます」

 爽香が3口ほど飲んだ。

爽香「これって、骨にいいんですか?」

早織「骨にもいいんだけれど、違うの。空いたボトルに花を挿したいだけ」

爽香「なるほどね」

 次に早織が残ったヨーグルトを受取り飲み始めた。それでも半分ほど残してしまった。

早織「もう無理、あとはトイレで捨てて、水を入れて来るわ」

丹沢「あっ、待ってください。残り私が飲みます」

早織「そうですか? ああ良かった。フードロスを防げる」

 丹沢が飲むヨーグルトを受け取った。


丹沢「なにか3人で兄妹の盃をかわしているみたいですね」

爽香「あんたと兄妹なんかになりたくないわよ!」

丹沢「ははははは」

爽香「単に早織さんの飲んだ所を舐めたいだけでしょう?」

丹沢「ははははは」

爽香「もう、いつも笑っているだけなんだから」

早織「先に飲んでもらえば良かったわね。口を着けちゃってゴメンなさいね」

丹沢「とんでもない。二人の飲み残しを飲めるなんて滅多にない機会ですから光栄です」

 そう言って、丹沢は一気に飲み干した。


早織「すごーい!」

丹沢「うん、美味しい! 肋骨に染みわたるぅ!」

爽香「あんたの肋骨が太くなってどうするのよ!」

丹沢「やっぱり牛乳類は骨にもいいし、なにより健康になるね」

爽香「そうか、だから朝も夜も食事に牛乳が出るのね」

丹沢「バッグや靴はいくらでも取り換えられるけれど、体は同じ物を一生持ち歩くわけだから丈夫にしておかないと」

早織「ホントね」

丹沢「牛乳と言えば、古代ギリシャの医師ヒポクラテスが『牛乳を飲む人よりも、牛乳を配達する人のほうが健康である』って」

早織「リハビリも大事だってことね」

爽香「丹沢さんて教養があるのね。いつから?」

丹沢「今日よう。(教養)」

爽香「ははははは」

早織「ふふふふふ」


 早織は空いた容器を持ってトイレに行き、水を入れて戻って来た。そして、見舞いの花をそこに手際よく生けた。

早織「完成です」

爽香「先輩、ありがとうございます。なにか華やかになりました」

丹沢「ええ、とてもいい感じですね。速水さんには似合わないけれど」

爽香「言ったわね!」

早織「丹沢さんて面白いのね。丹沢さんは速水さんの恋人?」

爽香「とんでもない。悪質なストーカーよ」

早織「えっそうなの?」

丹沢「はい、悪質なストーカーをしてます」

早織「ふふふふふ。私はレーサーをしてます。似たような言葉の響きね。丹沢さんは、ストーカーを認めてらっしゃるんですか?」

丹沢「恐いから、速水さんに逆らわないようにしてます」

早織「そうだったんですね」


【08】 私、水谷選手のファンなんです


丹沢「私、昔からあなたのファンだったんです」

 丹沢の嘘だった。さっき『水谷早織』という名前を聞いて、レースで爽香とぶつかった相手選手であることに気づいたのだった。

爽香「初耳。今まで聞いたことないわ。まったくこの男、調子がいいんだから」

丹沢「言わなかっただけで、本当に水谷選手のファンなんです」

早織「それは光栄です」


丹沢「速水選手にぶつけてくれてありがとうございました。この人、ケガでもしないと自分の性格の悪さがわからないんです」

早織「えっ? 性格が悪いんですか?」

丹沢「ええ、とても。これからもどんどんぶつけてください」

早織「それは出来ないわ。今回の事故も私の技術が未熟だったばかりに除けきれず、すまないと思っています」

爽香「と、とんでもない! あの事故は100%私が悪いんです。無理に1マーク突入して、無理な角度で回ろうとしたために失速してしまって。もちろん私の方に、事故減点が付きましたし、すべて私の責任なんです。安定板を着けた走行に慣れてなかったんです」

丹沢「そうだ、そうだ。こんな早織さんみたいに綺麗な人が、悪いことをするわけがない」

爽香「それをわかってくれている人は良いけれど、見ている人は乗り上げた方が悪いと思うから、水谷さんに本当に申し訳なくて」

早織「いいのよ、そんなこと。選手はみんなわかっているし、ボートレースはギリギリのところで勝負しているから、お互い、時に失速するのは当たり前ですからね」

爽香「すみません、本当に」

 爽香が頭を下げた。


丹沢「本人もこう言ってますので、許してやってください」

早織「丹沢さんは、まるでお父さんみたいですね」

爽香「そうなんです。実はこの人、こう見えても、もう50歳なんですよ」

早織「えーっ! そんな歳には見えませんが、若く見えるんですね?」

丹沢「誰が50歳なんだ!」

爽香「ふふふふふ」

早織「えっ! 違うんですか?」

丹沢「違いますよ! 私は、32歳です」

早織「あらっ! 偶然ね。私と一緒!」

丹沢「えっ! 奇遇ですね。これは何かの縁ですね」


爽香「でもまぁ、この男、つまらない男ですよ。どこにでも居るような、口うるさいと言うか、口の悪い最低のじじぃです」

早織「そうなんですか?」

丹沢「そうですね。彼女がそう言うんですから間違いないです」

早織「否定なさらないんですね」

丹沢「ええ」

早織「それって、なんか素敵! 言い訳や弁解しない男性って素敵ですよね」

爽香「それに騙されちゃダメよ。そいつ『女ったらし』なんだから」

早織「『女ったらし』ね。ちなみに丹沢さんて、どんな仕事をされてる方なんですか?」

爽香「なんの取柄もない、どこにでも居る、つまらない公務員よ」

丹沢「ははははは」


早織「あら素敵! 私、彼氏にするなら公務員がいいと思っていたんです」

爽香「ええーっ!」

丹沢「本当ですか?」

早織「本当ですとも。嘘でもお世辞でもありません。ほらっ、私たちレーサーって収入に浮き沈みがあるじゃないですか?」

丹沢「ええ、今回みたいな事故もありますしね」

早織「そう。事故やフライングを起こせば出場できなくなるし、その間、収入も絶たれるでしょう?」

丹沢「そうですね」

早織「それに比べて、公務員は収入が安定しているし、定年まで安心して働けるわけじゃないですか?」

丹沢「『安心して』かどうかはわかりませんが、一応60歳までは」

早織「レーサーなんて、山師みたいなものでしょう? 大きなレースで優勝すれば4000万円かも知れないけれど、一般のレースで4着以下なら賞金ゼロという世界でしょう。だから、結婚相手がもし公務員だったら、お互いの弱みを補完し合って、いい家庭が作れるんじゃないかと思うんです」

丹沢「素晴らしい!」

 丹沢が拍手した。


【09】 丹沢さんの家に泊まらせてもらおうかな?


爽香「でも、この公務員はダメですよ。問題ばかり起こして、出世の見込みもないんです」

 爽香が躍起になって否定した。

早織「速水さん、何か焦っていません?」

爽香「えっ!?」

早織「丹沢さんが、私に取られてしまうんじゃないかと?」

爽香「とんでもない。こんな男、のしを付けて差し上げます」

早織「ふふふふふ」

丹沢「何がおかしいんですか?」

早織「あなた方って『こんな男』と言ったり呼ばれたりする関係なんですね」

丹沢「えっ!」

 さすがの丹沢も返す言葉が見つからなかった。


爽香「要するに『こんな男』なんです」

早織「まぁいいわ。丹沢さん、今度私にも『こんな男』と言わせるようなデートをしてくださいね」

丹沢「もちろんです。喜んでデートさせていただきます」

早織「そうだ、私、四国に住んでいるんですけれど」

丹沢「はい」

早織「関東のレース場に斡旋された時は、前日に丹沢さんの家に泊まらせてもらおうかな?」

丹沢「ええ、ぜひ。その時は事前に連絡ください。部屋を掃除して、キレイにしておきますから」

爽香「そいつの部屋、普段はカビが生えているんです」

丹沢「ははははは」

早織「ふふふふふ」

 早織が爽香の慌てぶりを見て笑った。


早織「さて、そろそろ帰ります」

爽香「今日は、ありがとうございました。またレース場でよろしくお願いします」

早織「ええ、こちらこそよろしくね」

丹沢「病院の出口までお送りします」

早織「ありがとう」

 丹沢と早織が爽香の病室から出て行った。

 丹沢と早織は歩きながら、

早織「速水さん、本当に丹沢さんのことが好きなのね」

丹沢「そうですか?」

早織「そうよ。同じ女性として、わかるわ」

丹沢「単なるケンカ仲間だと思いますが」

早織「『喧嘩するほど仲がいい』って言うじゃありませんか? お互いの意見がぶつかり合っても、それだけお互いが愛情を持って親密な関係を保っている証拠じゃないんですか?」

丹沢「なるほど。早織さんの言葉って、説得力がありますね」

早織「ありがとう。でも……」

丹沢「『でも』なんですか?」

早織「私、速水さんに負けませんから」

丹沢「えっ?」

早織「私も丹沢さんを好きになりそうな気がします」

丹沢「まだ会ったばかりですし、それはどうかな? それに私は速水さんが言うとおり性格が悪いですよ」

早織「いえ、あの子が好きになるくらいだからきっといい人です。だから負けられません。これって、毎日勝負に生きているサガなのかしら?」

丹沢「スポーツ選手って、そういう所ありますよね。『なんにでも負けたくない』という気持ちが」


早織「ただ、私、こんなことで速水さんとの仲を悪くしたくないし……、そう、1年に2回ぐらい、丹沢さんに会えればいいんです」

丹沢「私は喜んで」

早織「ありがとうございます。お見舞いに来て、まさか同世代のこんないい人に会えると思いませんでした」

丹沢「光栄です」

早織「私、今思いついたのですが」

丹沢「はい」

早織「私、日本の各地区に、ひとりずつ男友達を作っておこうかな?」

丹沢「えっ?」

早織「九州、中国、近畿、中部、関東と。そうしたら、遠くのレース場に行くのも苦じゃないし、ワクワクしながら新幹線や特急列車に乗っていられるじゃないですか?」

丹沢「そうですね。電車の長旅も大変ですからね。いいと思います」

早織「これも、否定なさらないんですね。私が他に男を作っても」

丹沢「人それぞれの生き方ですからね。それに、私は原則、人の生き方や考え方を否定しませんから」

早織「そういう所に惹かれるんですよね。速水さんが好きになるのも無理ないわ」


【10】 私も丹沢さんのファンになりました


丹沢「私、市役所で窓口の仕事をずっとしてきたでしょう」

早織「そうなんですか?」

丹沢「ええ。10年ほど」

早織「そう……」

丹沢「窓口にお見えになるお客様も十人十色。色々な方が居るじゃないですか?」

早織「そうでしょうね」

丹沢「だから年々、性格も丸くなって来ましてね。とにかく平和が一番です。もめごとは嫌いですから」

早織「そうなんですね」

丹沢「中には窓口に来て、私がひとことも言ってないのに、最初から怒っているお客様も居るんです」

早織「そんことがあるんですか?」

丹沢「ええ。で、私も色々考えたんですが、そういうお客様って、前回来た時に嫌な思いをして帰っているんですね」

早織「そうか、だから最初から不機嫌なんですね」

丹沢「そうなんです。だから常に、お客様の立場で考えて言葉を発しないと、あとあと大変なことがわかりました」


早織「わかるわ、それ。ボートレースも同じ。前回一緒に走ったレースって、次まで引きずりますもの。特に、汚い走り方をされたら一生覚えていますね」

丹沢「じゃぁ、今回の速水さんの走りも?」

早織「いえ、あれは単に『若気の至り』で、誰にでもあることだし、あの子はちゃんと『あの事故は100%私が悪い』と気づいてますからね」

丹沢「じゃぁ、良かった!」

早織「やっぱり、速水さんのことがお好きなのね」

丹沢「いえ、さっきも言った通り、もめごとが嫌いなだけです。平和が一番です」

早織「そう。まぁとにかく、私も丹沢さんのファンになりましたのでよろしくお願いしますね」

丹沢「こちらこそよろしくお願いします」

早織「関東のレース場に行く時はいつも前泊しているので、その時は美味しい食べ物屋さんに連れて行ってください」

丹沢「私、美味しい食べ物屋さんて知らないんです。すみません。いつもコンビニの食べ物が一番美味しいと思っているくらいで。逆にどこか行きたいところがあったら言ってください。どこにでもご案内させていただきますので。埼玉だけでなく、もちろん東京でも」

早織「そっか、そうね。コンビニって美味しい物、いっぱいあるものね。コンビニで食べ物を買い込んで、部屋でゴロゴロしているのもいいわね。ふふふふふ」

 その早織の笑いには、魔性の物があった。丹沢は何か知らぬ間に、惹きこまれていった。

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【後書き】

 いつも応援ありがとうございます。 今回はボートレースの厳しい側面である「事故」を描きました。作中に出てきた『安定板』は、実際に荒天時などに装着されるものですが、乗り心地やターン特性が大きく変わるため、選手にとっては技術の見せ所でもあり、苦労するポイントでもあります。

 鳴門の海水と安定板に翻弄された爽香ですが、怪我をきっかけに人間関係に変化が……。 お見舞い品に出てきた「ブルーベリー大福」や「まつたけ最中」、そして「坂東太郎」。食いしん坊な爽香らしいリクエストでした。

 爽香とはまた違う「大人の余裕」と「魔性の魅力」を持つ彼女の登場で、恋のレースも波乱の予感です。

レーサー同士の絆と、市役所トリオの友情。 少しずつ変化していく彼らの距離感を見守っていただければ幸いです。

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【作者よりお願い】

 由利さんの「教養(今日よう)」講座、いかがでしたでしょうか?

 爽香がまさかの大事故……! 肋骨骨折という重傷を負ってしまいましたが、男性陣の(少し変態な?)お見舞いで少しずつ元気を取り戻しているようです。

「今回の掛け合いも面白かった!」と感じていただけましたら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】をポチッと押して評価いただけますと幸いです。

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