82 ■「妻が危篤!」の電話(前編)
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【あらまし】(市役所にまつわるエピソード)
「妻が危篤なんだ。息子の住所を教えてくれ!」 市役所に届いた悲痛な叫び。
しかし、立ちはだかるのは「個人情報保護」という鉄の規律だった。冷淡な係長が電話を切る中、立ち上がったのは一人の若手職員・丹沢。
仲間たちと共に、懲罰覚悟で「禁じられた捜索」を開始する。
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【主な登場人物】
1. 美浦市役所 住民課の職員
物語の中心となる部署のメンバーです。
丹沢純也(たんざわ・じゅんや・31歳)
今回の主人公的存在。個人情報保護の規則よりも「危篤の母に息子を会わせたい」という人道的判断を優先し、独断で息子を探し出して連絡を繋いだ。
犬飼耕造(いぬかい・こうぞう・42歳)
住民課係長。規則に忠実で、父親からの電話を「なりすまし」と決めつけ冷淡にあしらう。後に自分の立場を守るため、鬼塚課長と共に丹沢を陥れる工作を行う。
鬼塚厳司(おにづか・げんじ・57歳)
住民課長。保身と出世を第一に考え、犬飼と共謀して「市長への手紙」を偽造し、丹沢を重い処分に追い込む。
明石春菜(あかし・はるな・36歳)
丹沢の同僚。地下の文書庫から健太の転入届を見つけ出し、電話番号を特定する最大の功労者。
若石元気(わかいし・げんき・28歳)
若手職員。税務課で電話番号を調査。「一生平職員でもいい」と丹沢に加勢する。
君本早苗(きみもと・さなえ・41歳)
丹沢の同僚。端末機での検索や収税課での調査を担当。物語終盤、訪ねてきた父親と健太に応対し、丹沢の近況を伝えた。
戸部考一(とべ・こういち・41歳)
丹沢の先輩職員。税務課で源泉徴収票を調べ、健太の勤務状況を確認。「上司は市民だ」と語る熱い一面がある。
天満稔江(てんま・としえ・39歳)
ベテラン職員。保険課や年金課を当たるが、地名と苗字を間違えるなど少しおっちょこちょいな面がある。
高品雄介(たかしな・ゆうすけ・39歳)
住民課職員。丹沢たちが独断で動いている様子を遠くから観察し、犬飼に告げ口をした人物。
2. 金沢家(石川県の家族)
電話をかけてきた相談者とその家族です。
金沢勝(かなざわ・まさる・65歳)
健太の父親。危篤の妻のため、藁をも掴む思いで市役所に電話した。
金沢健太(かなざわ・けんた・25歳)
美浦市末広町のマンションに住む息子。
金沢節子(かなざわ・せつこ・63歳)
健太の母親。危篤状態の中、末っ子の健太に会いたいと願う。
金沢美咲(かなざわ・みさき・28歳)
健太の姉。母の最期に立ち会った。
金沢拓也(かなざわ・たくや・32歳)
健太の兄。母の最期に立ち会った。
3. 市役所関係者・個人情報審議会
処分の決定に関わる人々です。
美浦市長
「市長への手紙」を受け取り、課長の言い分を信じて審議会にかけることを決める。
個人情報審議会のメンバー(10名)
座長:総務部長
委員:弁護士、大学教授、住民代表(男女各1名)、警察官OB、IT会社社長、放送関係者、市会議員、県会議員。
4. その他
医師・看護師 石川県の病院で母・節子の最期を看取った医療スタッフ。
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【前書き】
●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております
●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました
●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです
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【01】 妻が危篤、住所を教えて!
住民課、時計の針は11時50分を指していた。ほとんどの職員が、窓口の対応に追われ席をはずしていた。
そこに一本の電話が入った。席に居たのは住民課係長の犬飼耕造(いぬかい・こうぞう・40歳)だけだった。
犬飼「電話が鳴ってるぞー、電話。まったく誰もいないのかしょうがない連中だ」
係長犬飼耕造(いぬかい・こうぞう40歳)の島には、犬飼以外誰も座っていなかった。係員は窓口の応対中だった。
犬飼「はいー、」犬飼が仕方なく電話に出た。
相手「住民課ですか?」
犬飼「はいそうだけど」
相手「妻が危篤なんだ、末広に住んでいる息子の住所をちょっと教えてほしいだがなぁ!」
犬飼「あんた父親?」
相手「そうだけど」
そんなところに丹沢が窓口から戻ってきた。そして丹沢の耳に二人の会話が入ってきた。
犬飼「自分の息子がどこに住んでいるかも分からないの?」
相手「そうなんだ」
犬飼「そんなことがあるのかなぁ?」
相手「今年、息子からの年賀状に『美浦市末広町』と書かれてあったんだが、その後が書かれてなかったんだ」
犬飼「あんたはどこに住んでるの?」
相手「石川県」
犬飼「この埼玉県からずいぶん遠いところに住んでるんだね」
相手「まぁね」
犬飼「あんたの息子は携帯電話を持ってないの?」
相手「持っているかもしれないけれども、電話番号を知らないんだ」
犬飼「じゃぁ一度こちら美浦市役所に来て、職員に相談してもらえるかなぁ」
相手「そんな時間がないんだよ」
犬飼「電話では、個人情報は一切教えてないからね」
相手「妻が病床で、息子に会いたいと言っているんだよ」
犬飼「だから?」
相手「お宅の市に住んでいる息子の住所教えてほしいんだよ」
犬飼「あんたもしつこいなぁ、電話で個人情報は一切教えてないと言っただろう」
相手「妻が死にそうなんだ」
犬飼「だから?」
相手「『だから』じゃないだろ、人がひとり死にそうなんだぞ!」
犬飼「個人情報は一切お教えできません、これは法律なんだよ!」
相手「お前なんていう名前だ?」
犬飼「答える必要がないでしょ」
相手「息子が美浦市に住んでるのは間違いないよな?」
犬飼「それも答える必要がないね」
相手「時間がないんだよ、医者の話では、妻の命は今日いっぱいもつかどうかなんだ」
犬飼「それが?」
相手「お前、人間か? お役所仕事をしてるんじゃねぇぞ!」
犬飼「もうあんたにこれ以上話すことがないから、切るよ」
ガチャ! 犬飼は電話を切った。
犬飼「まったく気分の悪い野郎だ」
そこに、カウンター席から接客の終わった丹沢が近寄ってきた。
丹沢「用件は何だったんですか?」
犬飼「『妻が死にそうだから、息子が美浦市に住んでるかどうか教えてほしい』ということだった」
丹沢「父親は息子の携帯電話の番号知らないんですかね?」
犬飼「『知らない』と言っていた」
丹沢「では、携帯電話を持っているかもしれないのですね」
犬飼「そうだな、でもそういう問題じゃないだろ。相手は個人情報を教えろと言ってるんだから」
丹沢「そうですか」
犬飼「どうせなりすましだろう、金貸しが借金を取るために電話してきたんだよ。よくある手さ」
丹沢「はぁ?」
犬飼「『はぁ?』じゃないよ、まったく。お前も気分が悪いなぁ!」
そう言うと犬飼はさっさと席を立ち、昼食にどこかへ行ってしまった。
ちょうど時計の針が12時をさした。
♪キンコーンカンコーン、チャイムが鳴った。
【02】 着信履歴
丹沢は電話の着信履歴を見て、今かかってきた相手の電話番号をメモした。
そんなときに職員が窓口対応から次々と自席に戻ってきた。
丹沢「どうも気になるなぁ」とつぶやいた。
若石「最近はなりすましも多いですからね」
春菜「そうそう、お金を貸した相手を探したり、別れた恋人を探したり、同窓会の名簿を作りたいとか、あの手この手を使ってくるのよね」
戸部「個人情報保護法ができたので、いまは何も教えられなくなりましたね。もし本当の問い合わせだとしても、教えた方が罰せられますからね」
丹沢は電話のナンバーディスプレイを見て折り返し電話をした。
丹沢「もしもし、美浦市の住民課ですが、」
父親「はい、」
丹沢「先ほどお電話をいただいた件ですが」
父親「なんだね?」
丹沢「奥様が危篤とかで」
父親「そうだが、息子の住所を教える気になったのかね」
丹沢「ところで、お宅様は、お子様は何人いらっしゃるのですか?」
父親「3人だよ」
丹沢「お子様3人の名前を教えていただけます?」
父親「こっちは忙しいんだよ。なんでそんなことを聞くんだ!」
丹沢「一応、いろいろ調べるために」
父親「美咲に、拓也に、健太だ」
若石が後ろで
若石「なんで子供全員の名前を聞いているんだ?」
丹沢「美浦市に住んでいるのはどなたですか?」
父親「健太だ」
丹沢「名字は?」
父親「金沢だけど」
丹沢「健太さんの生年月日は?」
父親「平成10年、6月10日」
丹沢「もし、わかったら電話します。では失礼いたします」
丹沢「さて、どうやって息子を探し出そうかなっと……」
丹沢がつぶやいているうちに、早苗が端末機で検索を終えていた。
画面に「金沢健太 生年月日、平成10年、6月10日」が表示されていた。
それを覗き込んだ春菜、
春菜「住所は、美浦市末広町7丁目8番9号ルビーマンション601号室ね」
丹沢「ルビーマンションか」
春菜「二年前に石川県から転入しているわね。地下の文書庫であたし転入届を探してみる。きっと電話番号が書いてあるはずよ」
丹沢「ダメだよ。個人情報漏洩になるから。私ひとりでやるから」
春菜「丹沢さんが規則違反するのなら、あたしも一緒に違反するわ」
若石「私は、税務課に行って申告書に電話番号がないか調べてみます」
丹沢「ダメだよ。規則違反がばれたら、人事課の職員データに一生載ってしまうんだよ。昇任がなくなるよ」
若石「一生平職員でもいいですよ」
丹沢「そんな、私みたいに主事のままになっちゃうよ」
若石「気にしませんから」
丹沢「まだ若いからそんなことを言うんだよ。結婚にも差し支えるだろう?」
若石「結婚願望もありませんから」
戸部「私も手伝うよ。税務課で源泉徴収票を探してみるよ。もし源泉徴収票が来ていたら息子の勤務先がわかるからね」
丹沢「ダメですよ先輩。今後昇任しなかったら、定年までの収入が約二千万円減ってしまうんですよ」
戸部「俺は、お金のために働いているわけではないから。これでも市民のために働いているんだぞ。私の上司は市民だから。ははははは」
早苗「あたしは、収税課に行って滞納がないか調べてみる。相談記録がないかも調べてみるね」
丹沢「君本さんもダメだよ。停職にでもなったら、人事課長と住民課長にこっぴどく叱られますよ」
早苗「あたしは課長たちの顔色を見ながら働いていているわけではないもの。あたしが退職するときに、自分が後悔することだけはしたくないの」
稔江「保険課と年金課も当たってみようか?」
丹沢「天満(稔江)さんも、本当に、見つかったら大変なことになるから。みんな早く食事に行ってください」
春菜、若石、早苗、戸部、稔江の5人が「それ以外でも、なんでも手伝うから言ってよ」と丹沢に伝えた。
丹沢「ありがとう。でもこれ以上はいいですから。私ひとりでやりますから。みんなに迷惑を掛けたくないんです」
春菜「私たち仲間でしょ」
丹沢「もちろん、そうだよ」
若石「なら、違反するのも一緒」
丹沢「それはダメですよ」
早苗「それに、こんな時に食事をしてもおいしくないわ」
丹沢「食事を抜いたら、体に毒ですよ」
戸部「みんなは、ひとりのために動くもんだよ」
丹沢「そんなぁ、先輩まで」
稔江「あたし、あたしさぁ、個人情報とか、法律のことはよくわからないけれど、お母さんは……、お母さんはきっと息子に会いたいんじゃないの?」
丹沢「……」
1分後、もう5人は散らばって他の課で調べ始めていた。
市役所地下の文書庫。
春菜「2年前の4月1日の転入届は、っと」
膨大な文書の中から、たった一枚の書類を探していた。
春菜「どれどれ、きっとこの文書箱の中ね」
たくさんの文書箱の中から該当する月の箱を開けた。そこには日付順に数千枚に及ぶ届書が入っていた。
春菜「ひゃーっ、あるわねぇ」
前の方から日付順になっている届書をめくっていった。
春菜「あった! これだわ」
そこに間違いなく『届出人、金沢健太。電話080―××××―××××』と記入してあった。
春菜「やったぁ!」
春菜は電話番号をメモして住民課に戻った。
天満稔江は、保険課で担当職員に聞いていた。
稔江「国民健康保険証が出ているかどうか調べていただきたいのですが?」
担当「名前は?」
稔江「金沢市から転入した石川健太さんです」
端末機を見ながら、
担当「検索しましたがヒットしないですね」
稔江「そうですか。お忙しいところありがとうございました」
そう言うと稔江は住民課に戻って行った。
稔江が戻り、しばらくすると6人全員が集まった。
春菜「電話番号はこれよ」
メモを差し出した。
若石「税金の申告書も同じ電話番号が書かれてありました」
丹沢「ありがとう」
早苗「収税課は手掛りなし。滞納もなかったわ」
戸部「勤務先は不明だ。フリーターのようだな」
稔江「保険課で『金沢市から転入した石川健太さん』を検索してもらったんだけれど、ヒットしなかったわ」
早苗「それ、逆じゃない」
稔江「逆って?」
春菜「『金沢市から転入した石川健太さん』ではなくて、『石川県から転入した金沢健太さん』よ」
稔江「あっ、そうか。じゃぁもう一度行ってくる」
丹沢「ありがとう。もういいよ。だいたいのことが分かったから」
早苗「石川も金沢も、地名であり苗字でもあるから間違えて当然よ」
戸部「ナイスフォローだね」
若石「普通、間違えないっしょ」
全員「ははははは」
みんなが笑った。




