80 ♡レタスを買おうか迷う男(その3) ~五円玉を不思議そうに見つめる男~
【07】 小学校6年生、繁永結縁
1カ月後。
松重が『仁愛病院』で健康診断を受けた帰り道のこと。
松重「今日はすごい風だなぁ」
その日、風速7mの風が吹いていた。
松重が国道沿いを歩いているとひとりの女の子が向こうから歩いて来た。
繁永結縁、小学校6年生。結縁は学校の帰り、ひとりで国道の端を歩いていた。
すると、結縁の被る帽子が強風で飛ばされた。帽子は車道へ転がって行く。追いかける結縁を松重が後ろから抱きしめて止めた。
松重「焦っちゃだめだよ、人生で焦ることなんかひとつも無いんだから」
結縁は心配そうに帽子をじっと見つめていた。帽子は国道へ飛んで行き、数台の自動車に轢かれた。結縁は、松重に制止されたまま、帽子が何度も轢かれる様子を黙って見ていた。
松重と結縁は、車の通りが途絶えたことを確認してから帽子を拾いに行った。
車に轢かれタイヤの跡が付いた帽子を、松重は丁寧に持っていたタオルハンカチで拭き始めた。
松重「ほら、タイヤの跡も消えたろう。それでも気になるようなら、家でもみ洗いするんだね」
結縁「ううん、大丈夫。気にならないから。ありがとう」
松重「そう、良かった」
結縁「おじさん、わたしが飛び出すと思ったんでしょう? 馬っ鹿じゃないの?」
松重「えっ!」
結縁「わたし、そんなバカじゃないわよ」
そう言って結縁は楽しそうに笑った。
松重は、あっけにとられ、結縁の両肩を持ったままだった。
結縁「ねぇねぇ、そんなにずっと私の肩を押さえていると、周りの人から児童へのわいせつ行為だと思われるわよ」
松重「ぎょっ!」
松重が、あわてて手を離した。
結縁「ねぇ、おじいちゃん」
松重「おじいちゃん?」
結縁「おじいちゃん」
松重「おじいちゃんはないだろう」
結縁「ははははは。やっぱり怒った?」
松重「怒っちゃいないけれど、そんなに老けてはいないだろう?」
結縁「ちょっと試してみたの」
松重「試す?」
結縁「相手の嫌なことを言って、どう返して来るか反応を見てるのよ」
松重「どうして?」
結縁「その人が良い人か悪い人か確かめているのよ」
松重「そうなんだ。頭がいいんだな」
結縁「ほら、私って美人で可愛いでしょう。だから、いろんな年齢の男性が近寄って来るのよ」
松重「ははははは」
結縁「笑うところじゃないでしょう!」
松重「ははははは。面白い子だね」
結縁「変な男だったらすぐに逃げるか大声を出すようにお母さんから言われてるの」
松重「そうか。で、試した結果、おじさんの評価は?」
結縁「私、逃げ出してないでしょう」
松重「なるほど、そうか。と、いう事は、少なくとも悪い人ではなかった訳だ」
結縁「まぁ、最低点で合格ね」
松重「ははははは」
結縁「そんなにおかしかった?」
松重「最低点でも、合格したから嬉しいよ。嬉しい笑いと言うか、満足した笑いだな」
結縁「ねぇねぇねぇ、お腹空いてない?」
松重「なんだ、スルーかよ? 何か返して来るかと思ったのに?」
結縁「そんな、いちいち返さないわよ。芸人じゃないんだから」
松重「ははははは」
結縁「で、お腹空いてるの? 空いてないの? どっち?」
松重「『どっち?』と言われれば、空いてるね」
結縁「じゃぁ、一緒にこども食堂に行かない?」
松重「『こども食堂』? なんだいそれ? 行ったことないなぁ」
結縁「すっごく安く食べられる食堂だよ!」
松重「へーっ、そうなんだ。でも、大人は入れないんだろう?」
結縁「私が行く所は大丈夫。でも子供より料金は高いけれど」
松重「そうなんだ。せっかくお嬢ちゃんに誘っていただいたから行ってみようかな」
結縁「やったー! じゃぁ決まり。行こう行こう!」
松重は結縁に案内されるままに歩き続けた。
【08】 穴無し五円玉を不思議そうに見る男
8分ほどして、二人はこども食堂に着いた。
松重「ほー、ここか。ちゃんと看板が出てる」
結縁「さぁ、入ろう!」
結縁が松重の手を引っ張った。松重が中に入ると、部屋に貼られた二枚の紙が松重の目に入った。
一枚の紙には、『ごはんおかわり自由』、もう一枚には『子供100円、大人300円』と書かれてあった。
松重「大人300円だ。安いなぁ」
結縁「おじさん、現金持ってる?」
松重「もちろん持ってるよ。百回分ぐらい食べられるだけ、持ってるよ」
結縁「またまたぁ、見栄張って。本当は千円札1枚しか持ってないんじゃないの?」
松重「ははははは。大丈夫!」
結縁「カード払いはダメだよ」
松重はポケットから財布を出して、札が数枚入っているのを見せた。
松重「ほらね」
結縁「小銭は無いの?」
松重「お金持ちだから、小銭なんか持ってないんだ」
そう言いながら松重は1万円札で汗を拭いた。
結縁「ダメだな」
松重「なんで?」
結縁「おじさん、結婚してないでしょ?」
松重「うん。なんでわかるんだい?」
結縁「『五円』は『ご縁』に繋がり、『コイン』は『婚姻』に繋がるんだよ」
松重「初めて聞いたな。そんなの聞いたことないよ」
結縁「五円玉を持ってないから結婚できないんだよ」
松重「そんなことないよ」
結縁「じゃぁ、おじさんが結婚できないのは、性格が問題?」
松重「ははははは。当たり!」
結縁「そうだ! あたし、財布の中に穴無し五円玉を入れてるんだ」
結縁は財布を取り出し、小さなビニール袋に入った穴無し五円玉を見せた。それは、昭和23年と24年の2年間だけ発行され、表が国会議事堂、裏が鳩と梅が描かれている。
松重「ほぉー! 随分古い五円玉だな」
結縁「おじさんと知り合ったのも何かの縁だから、これあげる」
松重「いいよ。だって、大事なお守りだろう?」
結縁「うん。だけど、家に帰れば予備の五円玉が、まだあるから」
松重「予備軍が居たのか?」
結縁「そうよ。お父さんがね、」
松重「うん」
結縁「この穴無し五円玉20個と500円玉1個を持って、兄と私にどちらか選ぶように言ったの」
松重「お兄さんが居るんだ?」
結縁「うん」
松重「それで、お兄さんは500円玉1個を選んだわけだね」
結縁「そうよ」
松重「お嬢ちゃんは、なんで500円玉を選ばなかったんだい? ひょっとして、五円玉20個でいくらかわからなかったとか?」
結縁「知ってたわよ。100円でしょう」
松重「知っていて五円玉の方を選んだんだ」
結縁「うん」
松重「そうか。うむ、五円玉を選んだ理由が分かった!!」
結縁「なに?」
松重「穴無し五円玉の価値が、すごく上がっているんだろう?」
結縁「はずれ!」
松重「えーっ、自信があったのにな」
結縁「この五円玉、今でも五円の価値しかないわ。2年間しか作られなかったけれど、たくさん、たくさん作られたから、ぜんぜん珍しくないんだって」
松重「そうかぁ。じゃぁ、なぜ五円玉の方を選んだんだい?」
結縁「枚数が多かったからよ」
松重「えっ!」
結縁「今日みたいに、人に上げられるから」
松重「うん?」
結縁「500円玉をもらうということは、自分が使うためでしょう?」
松重「そうだろうね」
結縁「五円玉20枚は人にあげるため」
松重「うん?」
結縁「人は『自分のために』じゃなくて、『ひとのために』生きないとね」
松重「『ひとのために』かぁ、教えられるなぁ。それを小学生から教わるとは思わなかったなぁ」
結縁「へへへへへ。でもこれ、受け売りなの。お姉ちゃんがそう言ってたの」
松重「お姉ちゃんも居るのかい?」
結縁「お姉ちゃんは、他人よ。お兄ちゃんは、お兄ちゃんだけれど」
松重「そうか」
結縁「うん」
松重「じゃぁ、せっかくだから、お嬢ちゃんと知り合ったご縁にもらうね」
松重が五円玉をビニール袋ごと受け取り、自分の財布にしまった。
松重「この五円玉を見るたびにお嬢ちゃんのことを思い出すだろうな」
結縁「そうね。さて、今日のおかずは何かな?」
結縁が厨房の方へと歩いて行った。
残された松重は、
松重「あれっ? 300円は、いつどこへ払えばいいんだ?」
あわてて松重は、結縁のあとを追いかけた。
厨房の中では女性が数人働いていた。
松重「あのぉー、すみません」
松重が厨房に向かって声を掛け、小さく頭を下げた。
厨房を覗いているそんな松重の背中を、誰かがトントンと人差し指で軽く叩いた。
松重が後ろを振り向いた。
松重「あ、あっ!」
松重が逃げようと、歩いて行った瞬間、
優香「私、電話したのよ!」
松重「……」
松重が慌て、焦った。声が出なかった。
優香「人生で焦ることなんかひとつも無いんだから」
松重「うん? どっかで聞いたセリフだな?」
優香「えっ?」
優香「ねぇ、電話したのよ!」
松重(うん?)
松重は声が出ず、目を見開いた。
優香「電話したけど、他の人が出たわよー」
松重(うん?)
松重は首をかしげ、目を大きく開けた。
優香「あなた、嘘の電話番号を教えたでしょう?」
うつむき加減だった松重が、ゆっくりと優香の顔を見た。
松重「えっ! 番号を間違えた?」
優香がバッグから財布を取り出し、その中に入れてあった電話番号のメモを取り出した。
優香「これよ!」
松重が優香に歩み寄り優香の持つメモに目をやった。
松重は『XXX-XXX-4035』のメモを見ながら、
松重「あってるけれどなぁ~」
優香「『XXX-XXX-4635』に、かけたけれど。他の人が出たわよ」
松重「『4635』?」
優香「……」
松重「ゴメン! 『4635』に見えるよなぁ。本当は『4035』なんだ」
優香「もう!!! 私、てっきりあなたが嘘の電話番号を教えたと思った」
松重「ゴメン! 本当にゴメン!」
優香「あなたが私のことを、きっと『おせっかいな女』だと思って、離れたくて嘘の電話番号を書いたんだと思ったわよ」
松重「とんでもない! 『おせっかいな女』なんて」
優香「そうかしら?」
松重「そうだよ。レタスの件だって、助かったんだから。あなたに色々教えていただいたお陰で、あのレタスすごい長生きしたんだから。敬老会に出そうと思ったくらい」
優香「そう、良かった。じゃあ、食べる前に祝辞を述べたの?」
松重「もちろんさ。『貴方様は地域社会の発展と料理の脇役として貢献されました。本当にありがとう』って」
優香の表情が少しだけほぐれた。
松重「私の方こそ、電話がかかってこなかったから、てっきり嫌われているのかと思って、」
優香が改めて電話番号が書かれたメモを見ながら、
優香「そうか。『4635』だったのね。このメモを書いた時、歯医者に行くので急いでたもんね」
松重「うん。でも、ゴメン! すべて私が悪いんだ。ねぇ、今度、ベーコンレタスバーガーをごちそうするからそれで許してくれないかな?」
優香「ダメ!」
松重「ダメか? ……」
松重が肩を落としうなだれた。
そこに結縁が割り込んできた。結縁は優香を指さしながら、
結縁「この人が、さっき言った『お姉ちゃん』よ」
松重「えっ! この人が『ひとのために』生きてるお姉さんか」
優香「そうよ。レタスの件でわかったでしょう?」
松重「うん。私のためにレタスを買ってくれたんだから、身に染みてわかったよ」
結縁「ねぇねぇねぇ、二人は付き合っているの?」
松重「うん?」
優香「とても付き合っている、とは言えないわね」
結縁「そうなの?」
松重「うん、そうだね」
優香「さっきの話、私に謝るのに、そんな500円もしないベーコンレタスバーガーじゃ、私の苦痛は癒えないわ」
松重「ええーっ!」
松重はポケットから二つ折りの財布を出し、それを広げ札を確認した。
優香がその財布を覗き込んだ。それに乗じて結縁も覗き込んだ。
結縁「これって、金持ちなの? それとも貧乏人なの?」
優香「貧乏人よ!」
松重「ええーっ!」
優香「それにチキンナゲットとバニラシェイクも付けてくれないと」
松重「ええーっ!」
優香「そのくらい私、精神的に大きなダメージを受けたんだから」
結縁「わたしも行く。それにフレンチフライも付けてね」
松重「ええーっ!」
優香「そうよ。お金は『ひとのために』使わないと……」
松重「『ひとのために』か。うん、まぁ、そうだよな」
結縁「じゃぁ今度、3人で『マクモリア』ね」
結縁が嬉しそうに言った。
こども食堂の片隅でこじれていた糸がほどけ、二人の縁が再び繋がり始めた。松重はさっき結縁からもらった穴無し五円玉を手にし、不思議そうに見つめていたのだった。
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【後書き】
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
スーパーのレタス売り場での「一期一会」から始まった、不器用な男・松重と、しっかり者(でおせっかい?)な女性・優香の物語。ようやく、本当の意味で二人の時間が動き出しました。
書き間違いの「6」と「0」という、ほんの些細なボタンの掛け違いが、二人にとっては「嫌われたかも」という大きな不安になってしまう。そんなもどかしさを感じていただけたでしょうか。
物語の終盤で登場した小学6年生の結縁ちゃん、この人が『ひとのために』生きているお姉さんだよと紹介します。このことが、遠回りしていた二人の縁を再び結びつけるきっかけとなりました。
結縁が松重にあげた「穴無し五円玉」は、まさに二人の新しい「ご縁」の象徴なのかもしれません。
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【作者よりお願い】
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
五円(ご縁)が繋いだ優香と松重の物語、いかがでしたでしょうか。 もし「二人の再会にホッとした」「レタスの保存法、試してみようかな」と思っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から作品への評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の大きな励みになります!
皆様にも、素敵な「ご縁」がありますように。
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