79 ♡レタスを買おうか迷う男(その2) ~ハンバーガーをくわえて弱った男~
【03】 買い物で悩む人
数日後。美浦市役所税務課。
北見優香と笹倉麗子が話をしていた。由利源吾はその二人のそばに居たがろくに聞いていなかった。
優香「買物をするのに、ずうっと悩む人って居るのね」
麗子「私も結構悩むわよ。北見さんは悩まないの?」
優香「大きな買い物なら悩むこともあるけれど、例えば、レタスを買うのに3分も悩んだりはしないわ」
麗子「えっ、そんな人が居たの?」
優香「そうよ、居たのよ。じーっとレタスを見て、買おうか買うまいか悩んでいたわ」
麗子「その人、レタスを買うのが苦しいほど貧乏だったの?」
優香「そういう訳ではなかったみたい。レタスが2個150円で売っていてね、」
麗子「安い!!!」
優香「値段はいいんだけれども、2個食べきる前にいたむんじゃないかと、悩んでいたみたい」
麗子「はぁ、なるほどね。そんな悩みならすぐ解決するわよ!」
優香「えっ、そうなの?」
麗子「そうよ、簡単よ」
優香「なになに?」
麗子「ひたすら、レタスをバクバク食べればいいだけの話よ」
優香「ははははは」
そばで聞いていた由利が、
由利(さすが笹倉さん!)
心でほめたたえた。
由利(いいなぁ女性は。こんな話をして、時が進んで行くんだから。男同士でこんな話をするかなぁ?)
由利はそう思った。
【04】 9年前、松重と由利はバイト仲間
それから1か月後、ハンバーガーショップの『マクモリア』。
お昼、松重はここに来ていた。松重は、前回優香に会ってからほぼ毎日のようにこの店に通っていた。そして、夜の買物は、優香と出会ったスーパーへ。それしか優香に会える手段がないと思っていた。
松重はレジで注文品を受け取ると、カウンター席へと向かった。空いている席に座り、コーヒーを飲み始めた。そして優香が来ているかどうか周りを見た時だった。
松重「あれっ?」
松重が店に来ていたひとりを注視した。
松重「うん?」
松重にとって、見覚えのある懐かしい顔が見えた。
松重(由利さんか?)
松重が由利の横顔をじっと見た。
松重(やっぱり由利さんだ)
松重はトレイを持って由利の隣に移動した。
松重「由利さんですよね」
由利が振り向いた。
由利「あぁ、久しぶり!」
松重「久しぶりです」
松重が軽く会釈した。
9年前、由利と松重は年の差があったものの、夏に市民プールで一緒にアルバイトをした仲だった。
松重「『久しぶり』と言いながらも、もう私の名前を憶えていないんでしょう?」
由利「ははははは」
松重「ひょっとして、笑ってごまかしてます?」
由利「忘れる訳がないじゃないか。あんなに色々話をして、あんなに長い時間一緒に日焼けして、」
松重「そう、言いながら思い出そうとしてるんじゃないですか?」
由利「ははははは」
松重「その笑い、昔と変わってないですね」
由利「『重松』さんだろ?」
松重「『重松』じゃないですよ、『松重』ですよ」
由利「ははははは。あの時も、プールサイドでよくやったよね、このギャグ」
松重「ええ。女の子の気を引こうと必死でしたからね」
そう言ってから松重は、店内を見まわした。
由利「今も女の子を物色しているのかい?」
松重「ええ、まぁ、そんな所ですかね。ちょっと気になる女性が居るかどうか確かめたんです」
由利「どんな女性?」
松重「まぁ、話せば長くなるんですけれどね、」
由利「じゃぁ、いいや」
松重「そんなぁ~」
由利「ははははは。じゃぁ、聞くよ」
松重は、スーパーマーケットで見知らぬ女性にレタス2個を買ってもらい、ひとつずつ分けた話をした。
由利「ほぉ、気の利いた女性が居るもんだな。私の職場にはそんな気の利いた女性は居ないな。よくしゃべるおばさんとおせっかいな女性なら居るけれど」
松重「ははははは」
由利は職場の笹倉麗子の顔を浮かべながら、
由利「こんど、ウチの職場のおばさんを紹介しようか?」
松重「勘弁してくださいよぉ」
由利「ははははは」
松重「由利さんの職場って、どこなんですか?」
由利「美浦市役所の税務課」
松重「へぇー、随分お堅い所に居るんですね」
由利「私は性格が堅いからね。そう見えるでしょう?」
松重「どこが?! あれだけプールでナンパして」
由利「ははははは」
その後、少し話を続け、
由利「おっと、戻らないと。じゃぁ、また」
由利が職場へと去って行った。
由利が『マクモリア』から美浦市役所へと歩きながら、ふと思い出した。
由利(あれっ、レタスって言えば、誰かウチの職員もレタスの話をしてたっけな。誰だっけ?)
由利は思い出そうとしたが、思い出せなかった。
由利(まぁ、いいや。忘れよう)
由利が税務課に戻り、北見優香とすれ違ったが、松重の話に出て来る女性が北見優香であることには気づかなかった。
【05】 ハンバーガーをくわえて弱った男
松重が優香と3度目の出会いも『マクモリア』だった。2度目に会った時から、2カ月が過ぎていた。
松重がハンバーガーを乗せたトレイを持ち、店内を見回すと北見優香が居た。
松重「おっ!」
松重の口から思わず声が出た。優香は同僚の女子職員と二人で来ていた。
松重(今日は二人か)
松重(話しかける訳にもいかないな)
松重(う~ん)
松重はベーコンレタスバーガーをくわえ、
松重(う~ん、弱った)
松重は、しばらくの間ベーコンレタスバーガーをくわえて弱っていた。
しばらくして、ベーコンレタスバーガーを噛みちぎり、作戦を練った。
松重(彼女がこの店を出た所で話しかけてみようかな?)
松重はもう、ベーコンレタスバーガーを食べているのか、何を食べているのかわからない状態だった。味わう余裕も無いし、今、食べ物なんて、どうでも良かった。頭の中は、いかに彼女に話しかけるかだけだった。
松重(どう話しかけようか? 何を話そうか?)
松重はベーコンレタスバーガーを食べ終え、フライドポテトに手を伸ばした。
松重(彼女たちが店を出るようなら、このフライドポテトは残してもいいや)
松重は食べるスピードを落とした。
優香が席を立った。
松重「おっ!」
松重は残っていたコーラを全部飲み干した。
松重もゆっくりと立ち上がると、優香は紙ナプキンを取りに行って戻って来た。
松重(なんだよー。フェイントかよ~。お陰で飲み物が無くなっちゃたよ)
それから3分ほどして、優香ともうひとりの女性が席を立ち出口の方へと歩いて行った。松重もそれに合わせて出口の方へと向かった。
優香が出口を出て、しばらくしてから松重が優香に声を掛けた。
松重「その節はありがとうございました」
松重が優香の背後から声を掛け、優香が振り向くと松重は頭を下げた。
優香「ああ、またお会いしましたね」
松重「お陰様でレタス、おいしく、なおかつ安く食べることが出来ました。」
優香「それは良かった! あの時は、私もレタスが食べたかったからちょうど良かったのです。それにほんと、安かったですしね。お店もフードロスを防げて良かったんじゃないですか」
優香がニコッと笑った。
優香「そうだ!」
優香がポケットから財布を取り出し、あの時の5円を返そうと思った。
松重「何か?」
優香「やっぱり今日も5円が無いわ。あの時の5円を返そうと思ったんだけど」
松重「いいんですよ。あの時は助けてもらったんですから」
優香「そうですか」
優香はそう言われても、なにかスッキリしないものが心に残った。
優香の隣に居た女性が、
女性「私、先に行くわね」
優香「待って。私も行くから」
松重「あっ、ごめん。急いでるんですよね」
優香「ごめんなさい。職場に戻らないと」
松重「こちらこそすみません。時間がない時に声を掛けてしまい。じゃぁ、ここで」
そこで優香と松重は別れた。
松重(2カ月ぶりにやっと会えたのにまた逃げられちゃったよ。彼女に嫌われているのかな? 神様は何を考えているんだい? 「近づくな!」っていうお告げかい? 彼女には夫がいるとか?)
松重はそう思った。
【06】 電話番号をゲット
それから更に1か月後。
日曜日の朝9:50。今度は、武蔵浦和駅へと昇る階段で優香が松重を発見した。松重は見知らぬ母親を助けているのだろう、幼児が乗ったベビーカーを松重が持って階段を上がり、その後ろを母親が登って行った。
そして上までたどり着くと、母親が、
母親「ありがとうございました。お陰で助かりました」
母親が松重に御礼を言って改札を抜けて行った。改札の中からプラットホームまでの階段にはエスカレーターが付いており、松重は改札の中まで入ることはしなかった。
そこへ優香が通りかかった。優香は電車に乗って池袋へ出かける所だった。
優香「おはようございます」
優香から松重に声を掛けた。
松重は不意を突かれたのと、相手がまさか『レタスの女性』とは思わず、びっくりした。
松重「あっ、ああ、あ」
あまりの驚きに言葉が出なかった。
優香「今のベビーカーの人は、奥様ですか?」
松重「い、いいえ。全然知らない人です」
優香「そうでしたか」
松重がチラッと腕時計を見た。松重は駅の近くにある歯医者を10時に予約していた。
優香「ごめんなさい。お急ぎでした?」
松重「そこの歯医者さんに10時で予約していまして、」
優香「ごめんなさい、じゃぁ急がないとね」
松重「何か?」
優香「ねぇ、すみませんが、電話番号だけ教えてもらってもいいですか?」
松重「えっ、電話番号?」
優香「嫌?」
松重「そういう訳じゃないですが、突然どうしたのかなと思って?」
優香「背が高くて、力持ちを探していたんです。今、様子を見ていたら、ふとひらめいて、男性の力が必要な時ってあるのよ」
松重「えっ? あっ、そうですか」
優香が急いで、バッグから紙とボールペンを差し出した。
松重は歯医者の予約時間があるので、大急ぎで自分の携帯電話の番号を書き始めた。
松重(近々、引越しでもするのかな? それとも冬に灯油を買いに行かされるとか?)
松重は、そう思ったが、口には出さなかった。
優香「こんなこと頼むの、誰でもいいって訳じゃないのよ。いい人だけをケータイに登録しているの」
松重「僕は、そんないい人じゃないですよ」
松重が、謙遜して言った。
優香「まぁ、いいから」
そう言って、優香はニコッと微笑んだ。
松重「はい」
松重は電話番号を殴り書きした『XXX-XXX-4635』と。
本当は『4035』と、2番目の数字が『0』なのに、勢いで2番目の数字が『6』になってしまっていた。
優香「ありがとう! では、行ってらっしゃい!」
優香が松重に手を振った。
松重は軽く優香に会釈をして、歯医者へと走り去った。
その日の夜。
優香は松重に書いてもらった電話番号に電話した。
スマートフォンの番号を押しながら、
優香「『XXX-XXX-4635』と」
「ツーツーツー」呼び出し音が鳴った。
少しして、
男「はい、もしもし、」
優香「こんばんわ。今日、電話番号を書いてもらった者ですが、」
男「はい?」
優香「今日、駅でお会いした、」
男「えっ? 誰ですか?」
優香「北見と申しますが、」
男「何かお間違いじゃないですか? それとも勧誘の電話?」
優香「いいえ、」
優香はそこまで聞いて、なにか『レタスの男』とは、声が違うと感じ取った。
優香「ごめんなさい。ちょっと電話番号を確認したいのですが、『XXX-XXX-4635』でお間違いないでしょうか?」
男「ええ、そうですが?」
優香「こちらの間違いのようです。どうもすみませんでした」
男「はい」
そう言うと、男は電話を切った。
優香も電話を切ってから、
優香「うん、もうあの男! 嘘の電話番号を書いたんだわ!」
優香「よく考えれば、まだ名前さえ教えてもらってないものね」
優香「電話番号も名前も私に教えない、ってことは、私と関わりたくないってことね。私みたいな、おせっかいな女は好みじゃないんだわ、きっと」
優香「プン、プン!」
一方松重も
松重「やっぱり電話は、かかって来ないか」
松重「じゃぁ、なんで電話番号を聞かれたんだ?」
松重「将来、引越し業者の予約が取れなかった時の便利屋か? 私は」
1か月後。
松重も優香も、日に日にお互いを忘れていったある日のことだった。
優香が駅の中に入っていくのが、遠くに居た松重の目に入った。それは偶然のことだった。
松重はまだ名前も知らない優香のことを忘れようとしていたし、忘れかけていたにも関わらず、やはり、優香の姿を見れば気になったのだった。
松重「うん? あれっ? レタスの彼女か? どこかへ出かけるのかな?」
もう自然と松重の足は武蔵浦和駅へと向かっていた。
松重は駅に着くと、まず初めに、渋谷・新宿・池袋方面に向かう埼京線上りホームへ、エスカレーターで昇って行った。そして、ホームに着くと端から端まで優香の姿を探した。しかし、そこに優香の姿は無かった。
優香はその時、改札を入って左側にある本屋に立ち寄り、どんな本が売られているのか眺めていた。
松重「居ないや。じゃぁ、武蔵野線だったか?」
武蔵浦和駅には、もう一本路線が通っていた。
武蔵野線の上りは、ここから新松戸・新習志野・新浦安など千葉県に向かう。
松重「一応、見てみるか?」
松重は埼京線のホームから武蔵野線のホームへと移動した。
一方、優香はその時に本屋を出て、埼京線ホームへと向かった。
松重と優香、完全に二人のすれ違いだった。
松重は、武蔵野線のプラットホームをすべて見渡してから、
松重「あれっ、ここにも居ない。どこ行ったんだ?」
埼京線ホームに上り電車が入り優香はそれに乗車した。




