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女子ボートレーサーと市役所職員  作者: 池井 けい
第8章 税務課、北見優香(きたみ・ゆうか)
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74/110

74 ■年の差婚(そこに愛はあるんか?)その2

【03】 関係課調査


 税務課。

戸部「ちょっと住民で2名ほど職業と収入を調べたいんですが」

 そう言って戸部が住民基本台帳法第34条に基づく顔写真付きの『住民実態調査職員証』」を見せた。

由利「はい、こちらへどうぞ」

 由利と戸部が端末機の前に座った。由利は戸部のメモを見ながら調査対象者『加茂博之』の生年月日を打ち込んだ。

由利「この人ですね」

 画面を見ながら言った。

戸部「ほとんど収入はないんだな」

由利「そうですね、年が年ですし、まぁこんなもんでしょう」

戸部「もうひとり奥さんのを見せてもらえますか?」

由利「はい、名前と生年月日は?」

 戸部がメモから名前『川原梨沙』と生年月日を読み上げた。

由利「えっ! この生年月日で本当に奥さんなんですか?」

戸部「うん」


 由利が生年月日を打ち込むと名前は合っているものの、苗字の違う女性が画面に出た。

由利「苗字が違いますよ」

戸部「うん、先日結婚したんだ」


由利「えーっ! すると男性が64歳、女性が20歳」

 そこの部分会話だけが、隣の国民年金課の金塚年昭(42歳)の耳に入った。

金塚(うん?)

由利「うらやましい」

 近くで聞いていた笹倉麗子が

麗子「あなたには無理よ」

由利「なんだ、聞いていたんですか?」

麗子「聞いてたんじゃなくて聞こえたのよ」

由利「息子夫婦の会話を聞いている姑みたいだね」

麗子「そうよ。私の耳は地獄耳なんだから」

由利「こういう人が居るから私が結婚できないんですよ」

麗子「それは関係ないわよ。由利さんの性格が悪いからよ」

戸部「ははははは」


由利「笹倉さんはもうすぐ定年だから、笹倉さんが居なくなったら結婚を考えようっと」

麗子「私、再雇用でまた、税務課に雇ってもらうわよ」

由利「えーっ、本当ですか?」

麗子「本当よ」

由利「勘弁してくださいよ」


 戸部が端末機の画面を見て、

戸部「奥さんも収入は少ないんだな」

由利「そうですね。バイトでしょう。源泉徴収票の会社名が『情報入力株式会社』ですね」

 由利と戸部が同じ端末機で、今度は住民票を見た。住民課で税情報を見ることは出来ないが、税務課で住民票は、1月1日現在住んでいるかどうか、扶養の確認などのため、見ることが出来た。

『梨沙』は数年前に千葉県勝浦市からこの埼玉県美浦市に転入していた。

由利「高校を卒業して、こっちに出てきたんですかね」

戸部「うん、そうかも知れないな」

由利「年の差婚か。どうやって知り合うんだろう?」

戸部「うん。旦那の方の過去の収入を見せてもらえないかな?」

由利「はい」

 由利が素早く端末機を操作して、過去の申告状況を見た。

由利「うん? 生活保護ですね」

戸部「生活保護?」

由利「ええ。生活保護ということで税金の申告は出てないですね」

戸部「うーん」

戸部(さっぱりわからない。お手上げだな)

由利「何かわかりましたか?」

戸部「いや、まったくわからない」

由利「生活支援課で何か聞いてみたらいかがですか?」

戸部「うん、そうだね。ありがとう」

由利「どういたしまして」

 戸部は、生活支援課に向かった。


 生活支援課。

戸部「すみません」

戸部と同い年の小暮守正が対応した。 

小暮「はい」

戸部「ちょっと教えていただきたいのですが」

小暮「なんでしょう」

戸部「『加茂博之』が以前生活保護を受給していたようなのですが、そのことについてお聞きしたいのです」

 戸部が調査証とメモを見せながら言った。

小暮「その人は、今、保護を受けています?」

戸部「受けていると思いますが」

小暮「ちょっと調べてみますね」

小暮が端末機を操作した。

 画面を見ながら、

小暮「『加茂博之』は昨年末で、生活保護を廃止していますね」

戸部「では、今年からは、生活保護を受けていないんですね」

小暮「はい」

戸部「生活保護を廃止した経過を知りたいのですが」

小暮「そうですか。そうすると『保護記録』が文書庫になりますので、一緒に文書庫に行っていただいてもよろしいですか?」

戸部「はい」

 二人は、階段で地下にある文書庫へと向かった。文書庫には、膨大な数の段ボール箱が積み重なっていた。

 その中から『加茂博之』の保護記録の簿冊を取り出した。

小暮「ありました。これですね」

 簿冊を手に持ちながら言った。

戸部「生活保護になった経緯と生活保護が廃止になった理由は?」

小暮「ちょっと待ってくださいね」

 小暮が分厚い簿冊をパラパラとめくり始めた。

小暮「元々は小さな印刷屋を経営していたようですね」

戸部「はぁ」

小暮「ところがパソコンの普及などにより経営が思うように立ち行かなくなり倒産です。相談記録によるとそんなところですね」

戸部「時代の波に押しつぶされたんですね」

小暮「そんなところですかね」

戸部「で、生活保護を廃止した理由は?」

 小暮が再度、簿冊をパラパラとめくり始めた。

小暮「本人から生活保護廃止を申し出ていますね。アルバイトでなんとかやっていけるようになったみたいですね」

戸部「アルバイトでね。ちなみに、どんなアルバイトなんですか?」

小暮「データ入力の作業みたいですよ」

戸部「データ入力か、うん?」

小暮「何か?」

戸部「データ入力の会社って、なんという会社名かわかりますか?」

小暮「ちょっと待ってくださいね」

 小暮が保護記録をパラパラとめくった。

小暮「ありました。『情報入力株式会社』ですね」

戸部「うむ」

小暮「なにか?」

戸部「いや」

小暮「生活保護受給者の中では、真面目な部類でしたね」

戸部「……」

小暮「短い期間で生活保護を廃止していますし、アルバイトを始め、その後は自力で生活しているようですからね」

戸部「そうですか、とても参考になりました。お忙しい中、ありがとうございました」

小暮「どういたしまして。また何かありましたらお申し付けください」

戸部「では、ここで失礼します」

 戸部が文書庫を出て行った。

戸部「『真面目』か……」

戸部は歩きながらつぶやいた。


 戸部が住民課の自席に戻ると、

早苗「何かわかった?」

戸部「いや。特に結婚と結び付くような証拠はなかった。ただ、以前は生活保護を受けていて、真面目だったそうだ」

早苗「そう」

若石「真面目な人が、44歳年下の女性と結婚ねぇ?」

早苗「なんなんでしょうねぇ?」

戸部「わからん!」

若石「やっぱり、女性の方から真面目なおじさんに近づいて行ったのかな?」

稔江「なんのために?」

若石「遺産?」

稔江「遺産なんかないでしょう、生活保護を受けていたぐらいなんだから」

若石「あっ、そうか」


【04】 男と年金相談


 それからしばらくしてのことだった。戸部の前の電話が鳴った。

戸部「はい、住民課戸部です」

金塚「年金課の金塚です」

戸部「あっどうも」

金塚「先ほど戸部さんと由利さんの会話が聞こえてきたのですが、その件でちょっと気になることがありまして」

戸部「そうですか、今、そちらに伺います」

金塚「すみません。お呼びたてするようで、本当はこちらから行かないといけないのでしょうけれど」

戸部「とんでもありません。こちらが調査している件ですから」

金塚「では、お待ちしております」


 国民年金課に戸部がやって来た。

金塚「どうもどうも」

戸部「すみません、忙しいところにお邪魔しちゃって」

金塚「先ほど『男性が64歳、女性が20歳』という言葉に私の耳が反応しましてね」

戸部「聞こえましたか?」

金塚「聞こえたのは、そこだけです。で、改めて税務課の由利さんに聞いたら、『その年齢の二人が結婚したらしい』と言ってましたので、ちょっと気になったのです」

戸部「その年齢って、何か特別な年齢なんですか?」

金塚「ええ、まぁ。その前に、その男性の方の名前だけでも聞くことは出来ますか?」

戸部「はい。調査しているのは、この『加茂博之』さん64歳と『川原梨沙』さん20歳です」

 戸部が調査員証と二人の名前と生年月日が書かれたメモを差し出した。

金塚「ああこの男性、加茂さんの方は半年ほど前にここの窓口へ年金相談に来たことがありますよ。私が相談を受けました」

戸部「えっ!!! 年金相談をですか?」


金塚「はい、それが何か?」

戸部「『結婚相談』と言うのならわかりますけれど『年金相談』と結婚は結び付かないから不思議に思ったのです」

金塚「それはそうですよね」

 金塚が同意した。


戸部「今突然ちょっと疑問が浮かんだのですが、」

金塚「なんでしょう?」

戸部「生活保護を受ける場合、生活保護費と年金の両方がもらえるのですか?」

金塚「いえ、年金受給が優先となります」

戸部「例えば単身者が、これから生活保護費が月12万円、年金が月5万円もらえるといった場合、合計で月17万円もらえる訳ではないのですね?」

金塚「はい、両方はもらえません。今のケースで言うと。まず、年金を5万円受給していただきます。そして、生活するのに不足分として、生活保護費12万円から年金の5万円を差し引いた7万円が生活保護費として支給されます」

戸部「なるほど、そうか。年金受給を拒否して、生活保護費だけ12万円ではないのですね」

金塚「それは出来ません」


戸部「それで『加茂博之』は、どんな相談だったんですか?」

金塚「年金の納付した月数と言いますか、年数と言いますか、それの確認でした」

戸部「ますますわからなくなってきました」

金塚「でも、これが婚姻と関係があると、私は思うんです」

戸部「えっ! 納付年数がですか?」

金塚「ええ。まぁ、老齢年金の受給申請にとっては、この結婚は『お得婚』と言ったところじゃないですか」

戸部「『お得婚』ですか?」

金塚「ええ。すごいお得な結婚です」

戸部「それって、私にでもわかるように説明していただけますか?」

金塚「はい。端的に結論だけ申し上げれば、老齢年金のもらえる金額が、結婚することによって、年間で約39万円プラスになります」

戸部「えっ? 余計わからなくなりました。結婚するだけで、年金受給額って増えるんですか? それって日本年金機構からの結婚祝い金とかですか?」

金塚「いえ、違います。結婚祝い金だと一回だけの支給ですが、この方の例に限って申し上げれば、おそらく一生死ぬまで毎年約39万円が多くもらえると思いますよ」

戸部「えーっ! そんなことがあるんですか。私も考えないと」

金塚「ははははは。そうですよ。特に年金や税金については、知っていると知らないとでは、大きく得したり、大きく損したり、大違いですからね」

戸部「そのカラクリとは?」

金塚「この方の例では増えますが、しかしだからと言って、全員が全員増える訳ではありませんよ。くれぐれもお間違えの無いように」

戸部「この『加茂博之』さん64歳と『川原梨沙』さん20歳の場合に限っては、ってことですね」

金塚「はい」


戸部「で、」

金塚「この39万円というのは、言わば『扶養手当』みたいなものです」

戸部「ふむふむ」

金塚「結婚することによって、妻を扶養することになりますからね」

戸部「でも、妻に収入があったら?」

金塚「収入で850万円ぐらいまでは大丈夫なはずですよ」

戸部「えーっ、そんなに収入があってもいいんですか?」

金塚「はい、甘いですよね。だからほとんどの奥さんは大丈夫じゃないですか」

戸部「ですね」


 二人の話声が、隣の税務課にいた由利の耳に入った。由利が国民年金課を覗き込んだ。金塚と戸部の姿が見えた。

 二人が話しているところに由利がやって来た。

由利「どうでした? 生活保護を受けていましたか?」

戸部「ええ、過去には受けていました」

由利「そうでしたか。で、その二人が結婚した理由ってなんだかわかりましたか?」

戸部「今、年金課の金塚さんに教えてもらっているところなんですが、少しヒントをいただいたような気がします」

由利「ヒントですか。どんな?」

金塚「簡単に省略して言いますと、」

由利「はい、お願いします」

金塚「男性が過去に20年以上厚生年金を掛けていましたので、男性が年金受給である65歳に達した時に、年下の奥さんがいると年間約39万円の『加給年金』というものがプラスで支給されるんです」

由利「えっ、そんなに!」


金塚「はい」

由利「いいことを聞きました。結婚するなら年上でなく、年下ですね」

戸部「ははははは」

金塚「年金のことだけ考えるなら」

戸部「ははははは」

由利「で、それは、いつまでもらえるんですか?」

金塚「奥さんが65歳になるまでです」

由利「なんで、65歳なんですか?」

金塚「65歳になったら、奥様も自分の年金がもらえますからね。『加給年金』は、言わば扶養手当です。奥様も年金がもらえるようになったら打ち切りです」

由利「なるほど。するとこのケースでは、奥さんが20歳だから、あと44年間もらえるわけだ」

金塚「44年後となると、旦那さんは109歳ですから、まず亡くなっているでしょう。ですから旦那さんが生きている間は、旦那さんの年金額に39万円がプラスされる訳です」


由利「なるほど、わかりました。ところで、しかし二人はどこで知り合ったんだろう?」

戸部「それはですね、恐らく男性がアルバイトで勤め始めた会社です」

由利「すると、男性も『情報入力株式会社』に勤務し始めた、ってことですか?」

戸部「はい。生活保護の記録によれば、『情報入力株式会社』に勤め始めて、生活保護を打ち切ったようです」

由利「そう言うことだったのか」

金塚「その『情報入力株式会社』という会社ですが、」

戸部「なにか?」

金塚「国民の公的年金の加入記録や免除記録、受給記録などの情報を入力する会社です」

戸部「えっ、そうなんですか」

金塚「はい」

戸部「じゃぁ、そこで、『加給年金』のことも知ったのですかね」

金塚「充分あり得ますね」


戸部「そうか、これで謎が解けてきたぞ」

由利「どんなふうに」

戸部「二人は、アルバイト先で知り合い、そこで『加給年金』の知識を得た。そして、『加給年金』がもらえるかどうか、念のために、金塚さんの相談を受けた。もらえることがわかったので、婚姻届を出した」

由利「なるほど」

金塚「理にかなってますね。これって、偽装結婚になるのですか?」

戸部「難しいですね質問ですね」

由利「お金目当ての契約結婚とか?」

戸部「う~ん」

由利「お互いあまり知らないまま結婚したかも知れないし」

戸部「でも、昭和の頃は、お見合いで、知らない人と結婚していましたからね」

由利「そうかぁ」

戸部「限りなく偽装結婚に近いと思われますが、それを誰がそうだと決めつけることが出来るでしょうか?」

由利「う~ん。難しい質問ですね」


 戸部が『戸籍ハンドブック』を取り出し、その中に書かれてある一文を読み始めた。

戸部「『日本国憲法第24条、婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない』と、あります。

由利「憲法でうたっているんだ」

金塚「要するに、合意があるかどうかですね?」

戸部「はい。男女が合意し、協力しながら生活を出来るのであれば、それを認めざるを得ないかも知れませんね」

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