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女子ボートレーサーと市役所職員  作者: 池井 けい
第5章 戸籍のプロフェッショナル、戸部考一(とべ・こういち)
49/60

49 ■『エッ・マニュアル夫人』のDVD(前編)

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【あらまし】(消えた募金の真相を巡る物語)


 3連休明けの役所。誰よりも早く登庁し、サービス残業や毎朝の掃除で「仕事が遅い自分」の穴埋めをしようとする実直なベテラン職員・河津。しかし、彼がいつものようにカウンターを拭いていた際、窓口に置かれた募金箱の重さが不自然に軽くなっていることに気づく。


 事態は一転、「窃盗事件」として住民課を揺るがす騒動に。課長は、連休直前に残っていた職員の戸部と早苗に疑いの目を向け、退職を迫るという強引な手段に出ます。戸部たちの無実を信じながらも、自分が発端となり戸部を追い込んでしまった責任を感じた河津は、同期であり、冗談好きで親しみやすい収税課長・柄本のもとを訪ねる。


 真面目ゆえに報われない戸部と、ユーモアで課を包む河津。対照的な二人のベテランが交差する時、消えた募金の真相を巡る物語が動き出します。市役所の片隅で起きる、切なくもどこか人間味あふれるヒューマンドラマ。

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【主な登場人物】

鬼塚厳司 55歳男 美浦市役所住民課長

河津八郎 52歳男 美浦市役所住民課主任

小林静子 42歳女 美浦市役所住民課主任

戸部考一 40歳男 美浦市役所住民課主任

君本早苗 40歳女 美浦市役所住民課主任

新川直道 22歳男 美浦市役所住民課主事補

柄本玄太 52歳男 美浦市役所収税課長

江藤卓見 23歳男 美浦市役所収税課主事

長谷麻衣 28歳女 美浦市役所収税課主任

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【前書き】

●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております

●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました

●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです

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【01】募金が盗まれる


 3連休明けの月曜日。

 住民課の河津は、いつものように朝7時に登庁した。上着を脱ぐと湯沸かし室でバケツに水を汲み、課職員の机を一つずつ丁寧に拭いていく。それが終わると、次は窓口のカウンターだ。


 交付窓口の隅に置かれた募金箱を持ち上げたとき、河津の手が止まった。

河津「あれっ?」

 先週末よりも、はるかに軽い。試しに振ってみると、わずかに小銭がぶつかる音がした。

河津(いくらかは入っている。けれども、明らかに減っている。なぜだ?)

 疑問を抱きつつも、手は休めない。プリンターに用紙を補充し、鍵の束を手に、30台ほどあるキャビネットを次々と解錠していった。


 作業をしながら、河津は今年4月の出来事を思い出していた。

 配属されたばかりの新入職員・新川直道が、不思議そうに尋ねてきたときのことだ。


新川「河津さん、いつも掃除ありがとうございます。でも、朝の掃除は新人の仕事だと聞きました。なぜ河津さんがお一人で?」

河津「いやぁ、歳をとると嫌でも目が覚めちゃうんだよ」

河津は快活に笑った。

河津「若い頃はあんなに眠かったのになぁ。だから、朝の掃除は年寄りがやるくらいで丁度いいんだ。若い人は少しでも長く寝ていなさい」

新川「同期から『住民課で良かったな』と言われる理由がわかりました」

河津「おっ、そうかい。そう言ってもらえると、机を拭く力もグッと強くなるねぇ」

新川「はい!」

河津「それにね……私は仕事ができないし、やっても遅いんだ」

新川が否定しようとするのを制して、河津は苦笑いを浮かべた。

河津「いいんだよ。実際、この課に来たばかりの頃、残業しようと『残業伝票』を出したら、課長に言われたんだ。『河津さんは仕事が遅いだけです。他の人なら定時で終わる内容だから、決裁印は押せません』ってね」

新川「それは……あまりにひどいです!」

河津「いや、課長の言う通りなんだから仕方ないさ。私はみんなの足を引っ張っている。学歴もスキルもない。だから、こうして毎朝掃除をすることで穴埋めをしているんだ。みんなへの償いみたいなもんだよ」

新川「……」

河津「私を反面教師にして、君はどんどん新しいことを吸収していきなさい」

 新川は真剣な表情で頷き

新川「このことは、僕が定年になるまで忘れません」と静かに言った。


 8時20分。

 準備がすべて整った頃、他の職員たちがパラパラと登庁してきた。河津がすべて整えてくれるのを当てにして、皆ギリギリの到着だ。

 交付担当の小林静子がやってくると、河津はそっと歩み寄った。


河津「小林さん、募金箱のお金はどこかへ移したのかい?」

小林「いいえ、寄付は年に一度、12月のはずですよ」

河津「そうだよね。いや、なんだか中身が減っている気がして」

小林「えっ! まさか」

 静子が募金箱を持ち上げる。その軽さに顔色を変え、慌てて課長席へと走った。


課長「先週末、最後に退庁したのは誰だ!」

 鬼塚課長の怒声が響く。

戸部「私です」

早苗「……私も残っていました」

 課長は警備員室へ向かい、巡回日誌を確認して戻ってきた。その顔には冷酷な疑念が浮かんでいる。

課長(先週末から今朝までの間に、誰かが募金を抜き取った。犯人は戸部か君本、あるいは二人の共犯か……)

 課長が自席でこぼした独り言は、瞬く間に課内、そして役所全体へと広がっていった。


河津「戸部さん、ごめんな。私が余計なことを言ったばかりに」

 河津は申し訳なさそうに、戸部と君本早苗に謝って回った。

戸部「いいんですよ。私はやっていないから平気です」

 戸部が毅然と答えた。

早苗「河津さんのせいじゃないわ」

 そこへ、鬼塚課長がずいと割って入った。


課長「いいか、二人のうちどちらかが盗んだのは明白だ。今のうちに認めて退職届を書け。そうすれば、本来なら出ない退職金の1割を『慰労金』として出すよう人事課に掛け合ってやる。このままだと懲戒免職だぞ。市民の善意を盗むなど、立派な窃盗罪だからな」

 戸部は一瞬の間を置き、

戸部「……考えておきます」とだけ答えた。


 課長が去った後、早苗が詰め寄った。

早苗「ちょっと戸部さん、『考えておきます』なんて、認めたみたいじゃない!」

戸部「いいんだよ。あの課長に何を言い返しても長くなるだけだ」

早苗「なるほど……それは一理あるわね」

 二人のやり取りを遠くから見届けると、河津は静かに席を立ち、収税課へと向かった。


 収税課の柄本玄太(えもと・げんた・52歳)は河津と同期。柄本は52歳で課長になっていた。しかし、河津は自分の出世が遅れていることにまったく無関心だった。それどころか、そのこと(主任)に満足していた。


 その頃、収税課では柄本課長と江藤卓見(えとう・たくみ・23歳)主事補が話をしていた。それを長谷麻衣(はせ・まい・28歳)主任が聞いていた。

江藤「課長、収税課の目標を作りました」

課長「そうかね」

江藤「はい、1に収税率の向上、2に市民に寄り添う納税相談、3にクレーマーに対する適切な対応、です」

課長「いいね、いいね」

江藤「課長、他に何かありますか?」

課長「ないよ。『1、2、3』と言えば、そうだな、私個人のことについてだが、言ってもいいかな?」

江藤「どうぞ、どうぞ」

課長「本当に言っても怒らないかな?」

江藤「勿論です」

課長「では……、目は一重ひとえ、あごが二重にじゅうで、腹三段」

長谷「ははははは」

課長「ウケタ、ウケタ!」

江藤「それ、俳句ですか?」

課長「川柳かな?」

江藤「お見事です!」

課長「ははは! 要するにだ、仕事は楽しく、笑顔で徴収。これに尽きるよ」


 そこへ河津が顔を出した。

柄本「よぉ、河津さん。珍しいな」

河津「うん、ちょっと頼みたいことがあって」

柄本「仕事の話なら断るぞ! 自分の分だけで手いっぱいだ」

 柄本が笑いながら言うと、

河津「じゃあ私と一緒だ」と笑い返した。

 二人は連れ立って、向かいの納税相談室へと消えていった。


 その日の夜。

 収税課長の柄本が珍しく残業をした。管理職なので、もちろん残業代は出ない。若手職員が数人残っていた。

江藤「課長、帰らないんですか?」

課長「うん、家に帰っても家族みんな冷たいからな」

江藤「そんなことはないでしょう?」

課長「本当なんだよ」

江藤「本当ですか?」

課長「本当だとも。家で私に暖かいのは便座だけなんだよ」

江藤「ははははは。さすが課長ですね」

課長「ちょっと議会の資料を作るから、みんな気にしないで、先に帰っていいよ」

 若手職員の江藤卓見が、

江藤「手伝いましょうか?」

課長「いや、大丈夫だ。ちょっとひとりで考えたいんだ。悪いね、ありがとう」

 収税課の職員がパラパラと帰り始めた。


 翌日の収税課。

江藤「課長、目の下にクマが出来ています。昨日、残業は相当遅くまでされたんですか?」

課長「いや、あれから1時間で帰ったよ。でもね、家へ帰ってから一杯飲んで、そのあとアダルトDVDを見すぎちゃって」

江藤「まだ若いんですね」

課長「当たり前だ。『エッ・マニュアル夫人』良かったぞ」

江藤「それ、『エマニュエル』です!」

 課内に爆笑が巻き起こった。

課長「そうか? 俺はやっぱり家に帰っても仕事が頭から離れないんだな」

江藤「いえ、単に横文字に弱いだけだと思いますよ」

 再度、課内が爆笑に包まれた。

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【後書き】

 平和なはずの月曜日の朝、住民課のカウンターから「募金の重み」が消えていたことから物語が動き出しました。 犯人扱いされる戸部と早苗、保身に走る課長、そして自らを「穴埋め」だと言う河津……。それぞれの思惑が交錯する中、物語の後半に登場した収税課長・柄本の軽妙なキャラクターが、重苦しい空気に一石を投じます。 果たして、消えた募金はどこへ行ったのか? 河津が柄本に「頼みたいこと」とは何だったのか? 次回、役所という閉鎖的な空間で巻き起こる人間ドラマの真相に迫ります。

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【作者よりお願い】

 誰よりも早く出勤し、みんなのために掃除をする河津さん。そんな彼の優しさが、思わぬ波紋を呼んでしまいました。一方、収税課では何やらコミカルな動きも……?

 市役所窓口の裏側で巻き起こる人間ドラマを面白いと感じていただけましたら、ポイント評価や感想で応援していただけると嬉しいです! 次話、事件が動き出します。

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