46 ♡不惑の恋の始まり 編
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【あらまし】(恋愛エピソード)
君本早苗(きみもと・さなえ・40歳)と戸部考一(とべ・こういち・40歳)は、いつも隣同士で仕事をしている。
それなのに今は個人情報保護の時代、今までお互いのことをよく知らずに仕事をしていた。ある日、早苗は改めて戸部が独身かどうかを確認するのだった……
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【主な登場人物】
戸部考一 40歳男 美浦市役所住民課主任
君本早苗 40歳女 美浦市役所住民課主任
車井果林 40歳女 外国人登録を担当、早苗の相談相手
天満稔江 37歳女 美浦市役所住民課主任
金塚年昭 40歳男 美浦市役所国民年金課主任。
小林静子 42歳女 美浦市役所住民課主任
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【前書き】
●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております
●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました
●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです
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【01】 戸部さんて独身? 私は独身
美浦市役所住民課。
君本早苗と戸部考一の事務机は、隣同士に並んでいる。
早苗「今は個人情報保護の時代じゃない?」
戸部「ああ。施行されてから良い面もあるけれど、不便な面も増えたよな」
早苗「そうそう。個人と個人のつながりが、なんだか希薄になった気がするわ」
戸部「確かに。昔は当たり前だった名簿も、今は職場や学校から消えたしね」
早苗「だからこの職場でも、誰がどこに住んでいるのか、電話番号さえわからないじゃない」
戸部「本当だ。こうやって毎日向かい合って仕事をしていても、私は君本さんの住所も連絡先も知らないよ」
早苗「私もよ。だから、戸部さんの年齢も、結婚しているかどうかも実は知らないの」
戸部「私だって、君本さんが独身か既婚者か、もし既婚だとしても、今の名字が本姓か旧姓かなんてわからないしね」
早苗「最近は旧姓で働く方も増えましたものね」
戸部「うん」
早苗「もっと言えば、私、戸部さんの本当の性別だって知らないんだから」
戸部「おいおい、それは……」
早苗「だってそうでしょ? 窓口に来るお客様だって、男性に見えても戸籍上は女性かもしれない。その逆もあるじゃない」
戸部「ああ、確かにこの前、見た目と戸籍上の性別が異なるケースがあったな。接客も配慮が必要な時代だ」
早苗「ところで、戸部さんは本当に男性なの? 個人情報だから嫌なら答えなくていいけれど。私は、れっきとした女性よ」
戸部「ははは。こんな会話、今や日本中でされてるんだろうな」
早苗「ふふふ」
戸部「私は男性だよ。戸籍上も間違いない」
早苗「さすが戸籍担当、隙のない答えね」
戸部「性別変更の手続きも増えたけれど、今の法律じゃ年齢や手術要件など、ハードルは極めて高いからね」
早苗「ねぇ、ついでに聞いちゃうけれど……戸部さんて独身? 私は独身よ」
戸部「独身さ。バツイチでもないし、予定もない」
早苗「ふーん、私と同じね。今はそういう人が多いのかも」
戸部「ひとりの方が気楽だからな」
早苗「そうそう、結婚の意味がわからないわ。親戚付き合いとか面倒くさいし。ひとりなら誰にもお伺いを立てなくて済むもの」
戸部「ははは。私の場合は、ひとりでも時々『自分の中』で意見が分かれることがあるけれど」
早苗「たとえば?」
戸部「『言った方が良い』という自分と、『言わない方が良い』という自分が戦うんだ」
早苗「へぇ、意外と繊細なのね」
戸部「褒められてるのかな、それは」
早苗「もちろん。私なんて深く考えずに何でもズケズケ言っちゃうから、嫌われちゃうんでしょうね」
戸部「誰も君本さんのことを嫌ってなんてないよ」
早苗「嬉しいわ。でも、私が知らないだけで結構嫌われてるのよ」
戸部「そうかなぁ……」
昼休み、早苗は車井果林(くるまい・かりん・40歳)と話をしていた。果林は住民課で外国人登録を担当している。早苗にとって、果林は仲の良い相談相手だった。
早苗は戸部のことが好きだった。そこで昼休み早苗は果林に相談した。
早苗「今まででこんな気持ち初めてなの、でも私には何もできないのよ」
果林「彼って静かで無口だし、絶対自分から行動を起こす人じゃないわよねぇ」
早苗「……」
果林「お互いがそのことを言えなくて、絶対に告白しないタイプだったらどうなるの?」
早苗「……」
果林「結ばれない恋? それとも破局?」
早苗「……」
果林「誰か積極的な人に取られちゃうよ」
早苗「……」
果林「告白したら?」
昼休み時間の制約もあり果林は立て続けに言った。
早苗「そんなことできないわ」
果林「じゃぁ誰かに取られちゃうわよ」
早苗「仕方ないわ」
果林「それでもいいの?」
早苗「良くはないけれど……」
果林「死んでも告白できないの?」
早苗「うん、できないからこの歳まで独身なのよ」
果林「片想いのままでいいの?」
早苗「やむを得ないわ」
果林「もう、じれったいんだから」
一方の戸部も、同期の金塚年昭(かねつか・としあき・40歳)に胸の内を漏らしていた。
戸部「片想いもいいもんだ。できれば一生、相手に気づかれずに過ごせればいい」
金塚「あまり想い詰めると、胸が痛くなって仕事に障るぞ。ときには勇気も必要なんじゃないのかな?」
それから数日後のこと。戸部は金塚の言っていたことを思い出し、少しだけ勇気を振り絞った。そして、相手の反応を見ようと、戸部は胸のあたりを押さえた。
戸部「……なんだか最近、胸が痛いんだよ」
早苗「戸部さん大丈夫? 湿布でも貼ってみたらどうですか?」
戸部「そうだな」
それ以上、戸部は何も言えなかった。
【02】 料金が足らないとき
早苗は郵送請求の事務処理を担当している。郵送事務とは、市民や金融業者などから、住民票や戸籍謄本を郵送で請求されたものに返信する業務である。
早苗「あれっ、定額小為替の金額が合わないわ」
戸部「どれ?」
早苗「合計で百円足りないの」
戸部「相続用か。戸籍謄本が5通、除籍が3通、附票が2通……、合計で5,100円。でも小為替は5,000円分しかないな」
早苗「計算間違いかしら。請求者は……、42歳の女性ね」
戸部「恐らく旦那さんが亡くなってバタバタしてるんだろう。お子さんも4人、まだ学生かな?」
早苗「そりゃ大変だわ。パニックになってるのかも」
早苗が電話をかけたが、あいにく不在だった。
早苗「つながらないわ。これ、百円足りないだけで保留になっちゃうのよね……」
戸部「いいよ、私が百円出す。これで処理して」
早苗「えっ、そんなの悪いわよ」
戸部「いいから。悪気があるわけじゃないし、奥さんも大変だろうからさ」
戸部は引き出しから百円玉を取り出し、早苗に手渡した。
早苗「……わかったわ。でも、付箋に『百円不足分を立て替えました』とだけ書いて送っておくわね」
【03】 料金をもらいすぎたとき
それから十日後、早苗宛に手紙が届いた。中には千円札が入っていた。
早苗「あらっ、この前の百円不足の方からだわ。現金が入ってる」
戸部「郵便法(現金封筒以外での送金)に触れるけど、郵便局に行く時間がなかったんだろうな」
早苗「『遅くなってすみません。毎日、いろいろな手続きに追われバタバタしています。立て替えていただき助かりました。お礼も含め千円送りますので、残金はみなさんの缶コーヒー代にしてください。このたびはありがとうございました』ですって」
戸部「……気を遣わせちゃったかな。黙って立て替えた方が良かったのかな?」
早苗「でも、900円多くもらってもコーヒー代にはできないわよ。あとで何か言われたら困るし」
戸部「そうだな、あとあと何を言われるか」
早苗「そうよ。どうしたらいい?」
戸部「それを私に聞く?」
早苗「そうよ、あなたのせいにしたいのよ。何かあったらあなたが責任を取ってね」
戸部「なんか、込み入った話だな。女性から『責任取って』と言われるとは」
早苗「そう、あなたを困らせたいのよ」
戸部「いじわるなんだな」
戸部が苦笑した。
早苗「そうよ」
戸部「900円か、そうだな・・・」
早苗「何か良い方法がある?」
戸部「よし、500円は今後の同じようなケースのためにキープしておこう。残りの400円は、あそこの窓口にある災害募金箱に入れないか?」
早苗「さすが40代、無駄に歳を取ってないわね」
戸部「お互い様だ」
早苗「ふふふ」
二人は、証明書交付窓口のカウンターに置いてある募金箱の所へ向かった。そして、戸部が早苗の手から小銭を受け取り、二人で中を覗き込むようにしながら、チャリン、チャリンと400円を投入した。
それを、証明書交付担当の小林静子(42歳)が少し離れた席から黙って見ていた。小林の目には、二人がコソコソと現金を隠し持っているように見え、さらにその後の二人の行動が追い打ちをかけた。
戸部「どのぐらい入っているんだ?」
戸部が、重さを確かめるように募金箱を恭しく持ち上げた。
早苗「すごい、こんなに重いとは思わなかったわ」
戸部「えっ、そうなの?」
続けて早苗が、戸部の手に触れるような距離で募金箱を受け取り、二人で重さを堪能している。
早苗「ほんとだ。こんなに入っているんだ」
二人は満足げに顔を見合わせ、楽しげに自席へと戻っていった。
その様子を見ていた小林静子は、ペンを止めたまま、隣の同僚に小声で囁いた。
小林「ねぇ……今の見た? 戸部さんと君本さん、募金箱の中身を数えてたみたいだけど。まさか、ねぇ……?」
二人の知らないところで、小さな疑惑の火種がパチパチと音を立て始めた。
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【後書き】
お互いに「片想い」と思い込み「一生気づかれなくてもいい」「自分からは動けない」と臆病になっている早苗と戸部。じれったいほどのスローペースな二人が、住民課の慌ただしい日常の中でどのように変化していくのか、あるいは変化しない美学を貫くのか。
窓口に並ぶ書類の山と同じくらい、ままならない二人の関係を、これからも温かく見守っていただければ幸いです。
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【作者よりお願い】
市役所の窓口という身近な舞台で繰り広げられる、不器用な二人の距離感を楽しんでいただけていれば幸いです。
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