44 ■受付した離婚届がみつからない!編
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【あらまし】(市役所を舞台にしたエピソード)
ある日、明石春菜は離婚届を受け付けた。
数日後、別の職員が春菜の受付けした離婚届が無くなっていることに気付いた。このことが大事件に発展していくのだった。
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【主な登場人物】
鬼塚厳司 (おにつか・ げんじ) 55歳男 美浦市役所住民課長
明石春菜 (あかし ・ はるな) 34歳女 住民課主任、受付担当
丹沢純也 (たんざわ・じゅんや) 30歳男 住民課主事、受付担当
若石元気 (わかいし・ げんき) 26歳男 住民課主事、戸籍担当
戸部考一 (とべ ・ こういち) 40歳男 住民課主任、戸籍担当
天満稔江 (てんま ・ としえ) 37歳女 住民課主任、庶務担当
君本早苗 (きみもと・ さなえ) 40歳女 住民課主任、郵送担当
男性客と別の客
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【前書き】
●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております
●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました
●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです
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【01】記入例の作り方
若石元気が離婚届の記入例を作っていた。氏名欄には「初野罰一」と書かれている。それを見た戸部考一が口を開いた。
戸部「この名前はだめだろう。アイデアとユーモアは理解できるけれど」
若石「やっぱりだめですか?」
戸部「似たような例でね、ある役所が市民税の猶予申請書の見本に『滞納太郎』としたら、苦情がすごかったらしいよ」
若石「そうなんですか」
戸部「どこの自治体も滞納が多くて切実なんだろうけれど、市民感情を逆なでするような表現は避けた方がいい。一番使われている『山田太郎』と『山田花子』が無難じゃないかな」
若石「いまどき『太郎』や『花子』というのもピンとこないんですけどね……」
戸部「長い物には巻かれるしかないね」
若石「はい、わかりました」
戸部「でも、こういう記入例は申請者も受付窓口も助かるから便利だよ。ありがとね」
若石「いえ、どういたしまして」
戸部「提出される離婚届のうち、100件中99件は何かしら訂正が入るからなぁ」
若石「そんなに多いんですか」
戸部「一番多いのは住所だね。例えば、住所を『1-2-3』と略して書く人」
若石「ああ、私も以前はよくそう書いていました」
戸部「戸籍の届け出は、住所を正しく『一丁目2番3号』と書く決まりだろう?」
若石「ええ、ここへ来て初めて知りました」
戸部「もっと言えば、『何番何号』という地域もあれば『何番地何』という地域も存在する。『番』なのか『番地』なのか、受付側も注意しないといけない。ほとんどのお客様は、自分の正確な地番まで覚えていないからね」
若石「お客様からすれば『そんなのどっちでもいいだろう』という感じですよね」
戸部「ところが、これは150年残る戸籍なんだ。そうはいかない。厳密にチェックしないと」
若石「『地』の一文字を見逃すだけで大変ですね……」
戸部「もし受付が見逃しても、次の審査担当や入力担当が気づかないといけない。何重にもチェックが必要なんだ。その代わり、最終処理まで数日かかるから、新しい戸籍謄本が取れるまでに一週間近くかかってしまう」
若石「だからお客様からの苦情も多いんですね」
戸部「その通り。でも誤字脱字があるまま戸籍を出すわけにはいかないからね」
若石「ところで、受付の時に必ず『捨て印』をもらいますよね? あれはどういう意味なんですか?」
戸部「お客様が帰った後に、記入ミスが発見される場合があるだろう? 例えば『2番地』が正しいのに『2番』と書かれているようなケースだ」
若石「よくありますね」
戸部「お客様がその場にいれば、二重線の上に訂正印をもらうけれど、もう帰られている場合は、職員が訂正して捨て印の横に『一字加入』とか『一字抹消』と記入して処理するんだ」
若石「そうやって使うんですね」
戸部「そうすれば、お客様はわざわざ訂正のためだけに、再度市役所に来なくて済むからね」
【02】離婚届の受付
その日、一人の男性客が離婚届を持って窓口にやって来た。
客「すまんが、これからどうしても抜けられない仕事が入っていてね。これを提出して帰ってもいいかな?」
春菜「はい。では、念のため『捨て印』だけいただいてもよろしいですか?」
客「いいよ」
男性が捨て印を押し始めた。
春菜「記入漏れや訂正箇所があった場合は、こちらの捨て印を利用させていただきますので」
客「わかった、頼むよ」
男性は急いで去っていった。
春菜は預かった離婚届を細かくチェックし始めた。そこへ別の男性客がやって来た。
別の客「すみません、ちょっと質問なんですが」
春菜「はい、少々お待ちください」
彼女は慌てて、手に持っていた離婚届を伏せた。
春菜(ここで広げっぱなしはまずいわね。離婚届は個人情報の塊だし……)
春菜は離婚届を事務室内の近くの机に置き、そばにあった適当な紙を1枚、目隠し代わりに上に乗せた。そしてすぐに受付に戻った。
春菜「お待たせしました。はい、なんでしょう?」
別の客「離婚届を出したいのですが、これは私が全部書いても構いませんか?」
春菜「基本的にはそうですが、氏名欄と押印だけは奥様ご本人にお願いします。本人の意思で記入・押印したという証拠になりますので」
別の客「なるほど、わかりました。予備に用紙を2枚ほどいただけますか?」
春菜「ロビーに備え付けてありますので、ご自由にお持ちください」
そのやりとりの最中、たまたま課長が、離婚届が置かれた机の横を通りかかった。
課長「なんだこれ? ……ん? 『初野罰一』だと。離婚届の記入例か。こんなところに放置して、不用心だな」
課長はそう独りごちると、そこにあった書類を鷲掴みし、シュレッダー行きの回収箱の中に投げ入れた。
午後5時15分。終業のチャイムとともに、職員の丹沢がいつものように回収箱の中身をシュレッダーにかけ始めた。
一方、受付を終えた春菜が机に戻ってきた。
春菜(あれっ? 離婚届がない……)
あたりをキョロキョロ見回すが、どこにもない。
春菜(まぁいいか。誰かが内容点検(審査)に回してくれたのかも)
深く考えず、春菜は帰り支度を始めた。
【03】離婚届がなくなった!
数日後。
春菜「預かったはずの離婚届が1件見つからないんだけど……知らない?」
若石「えっ? 見てないですよ」
春菜は他の職員にも声をかけるが、誰も知らないという。その騒ぎに課長が気づいた。
課長「明石(春菜)、ちょっと来なさい」
春菜が課長席に呼び出された。
課長「いったいどうしたんだ」
春菜「先日受け付けた離婚届が、1件見つからないんです」
課長「それは一大事じゃないか!」
春菜「……はい」
課長「まったく! 戸籍届出の書類フローはどうなっているんだ。誰の手元にある?」
春菜「基本的には、受付→審査→入力→確認→決裁という流れですが……」
近くで聞き耳を立てていた丹沢が耳打ちした。
丹沢「そんなことも知らないで、よく何年も課長をやってるよな」
戸部「しっ、聞こえるぞ」
課長「受付が君なら、次の審査担当は誰だ」
春菜「若石さんです」
課長「入力は?」
春菜「白石さんです」
課長「最終確認は?」
春菜「戸部さんです」
課長「……戸部か。怪しいな。そして私のところに回ってきて決裁、というわけか。つまり、この中に紛失させた犯人がいるということだな」
丹沢「そうとは限らないだろうに……」
課長「天満(稔江)、ちょっと」
今度は、天満稔江が呼び出された。
課長「離婚届が1枚なくなったそうじゃないか。お前はどう考えている?」
稔江「そうらしいですね。あまり詳しいことは聞いておりませんが」
課長「聞いてないだと! こんな重大なことを!」
稔江「ええ。あまりに忙しくて、それどころではなかったものですから」
課長「忙しくても一緒に探すのが当たり前だろう!」
稔江「そうでしょうか。全員で探し始めたら、窓口業務が完全に止まってしまいますよ」
課長「バカ野郎!」
課長の怒鳴り声が課内に響き渡った。
課長「誰も勤務時間中にやれとは言っていない。仕事が終わってから全員で探すんだよ」
稔江「お言葉ですが、5時過ぎは家庭の事情などで帰らなければならない者もおります。急には無理でしょう」
課長「じゃあ、届出が見つからなかったらお前が責任を取るのか?」
稔江「私は責任を取れるような役職ではありません。責任者は課長、あなたではありませんか?」
課長「だったら! 今日全員残って見つかるまで探すんだ。これは命令だ!」
稔江「……命令であれば、残業代はつくのですね?」
課長「ふざけるな! 自分たちのミスで紛失したものを探すのに、市民の税金が使えるわけがないだろう」
稔江「……つまり、サービス残業ですか?」
課長「当たり前だ! そもそも探す気がないなら、お前が隠したんじゃないのか?」
稔江「課長、それは言葉が過ぎます」
課長「怪しいな……。いいだろう、平日の残業ができないなら、明日土曜日の午前中に全員出てこい。もちろん『自主出勤』だ。自発的な確認作業だから残業代は出ない。以上だ!」
そう吐き捨てると、課長はタイムカードを押してさっさと帰宅してしまった。
早苗「なんで明日、タダ働きしなきゃいけないのよ……」
戸部「課長に言わせれば『連帯責任』ってことなんだろうけどね」
早苗「それって法的にどうなのよ。ねぇ、戸部さんは明日来るの?」
戸部「納得はいかないけれど……、波風立てるわけにもいかないし、仕方ないんじゃないかな」
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【後書き】
本作をご覧いただきありがとうございます。 作中で戸部さんが語った「住所の書き方」や「戸籍の保存期間」は、実は私たちが知っているようで知らない役所のリアルなルールに基づいています。 たかが「1-2-3」と「一丁目2番3号」。
日常ではどちらでも通じますが、150年残る公文書の世界では、その僅かな差が「正解」と「不正解」を分かつのです。 よかれと思って若石が作った「罰一」というブラックユーモアあふれる記入例。それがまさか、課長の勘違いによって本物の離婚届をシュレッダーへと導いてしまうとは……。
書類一枚の重みと、組織のコミュニケーションの難しさを感じていただければ幸いです。
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【作者よりお願い】
最後までお読みいただきありがとうございます! 「この事件、続きが気になる!」と思っていただけましたら、ページ下の【☆☆☆☆☆】からポイント評価やブックマークをいただけると、作者が泣いて喜びます。 次回、果たして離婚届は見つかるのか……? よろしくお願いいたします!
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