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女子ボートレーサーと市役所職員  作者: 池井 けい
第5章 戸籍のプロフェッショナル、戸部考一(とべ・こういち)
42/60

42 ■自分で自分の死亡届を出すなんてありえないでしょ?編

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【あらまし】(市役所を舞台にしたエピソード)

 ある日の朝、住民課。

『自分で自分の死亡届を出した人間が逮捕された』という記事が話題になった。

そんなことがあるのだろうか?

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【主な登場人物】

丹沢純也 (たんざわ・じゅんや) 30歳男 主人公、住民課職員

明石春菜 (あかし ・ はるな) 34歳女 面白い中堅職員

戸部考一 (とべ ・ こういち) 40歳男 冷静なベテラン職員

天満稔江 (てんま ・ としえ) 37歳女 天然な所がある職員

君本早苗 (きみもと・ さなえ) 40歳女 名字に詳しい職員

客女   50代の女性

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【前書き】

●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております

●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました

●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです

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【01】 自分で自分の死亡届を出した?


 ある日の朝。住民課戸籍係の島では、始業前の職員たちが雑談に花を咲かせていた。

 メンバーはベテランの戸部考一、中堅の君本早苗、そして少し毒舌な天満稔江の三人だ。

戸部「今朝の新聞に、とんでもない記事が載っていたよ」

 戸部が新聞を広げながら切り出した。

戸部「『自分で自分の死亡届を出した男が逮捕された』ってさ」

早苗「ええっ、嘘でしょう? どうやったら自分で自分の死亡届なんて出せるのよ」

 早苗が目を丸くした。横で稔江が「ふふふ」と意味深に笑った。

戸部「見出しが気になって隅々まで読んだんだが、詳しい経緯は載っていなかったな。ただ、自らが死亡したという死亡診断書と死亡届を偽造して市役所に提出したらしい」

早苗「死亡診断書まで自分で? それこそ本当の『医者いらず』ね」

 早苗の言葉に、戸部が苦笑いする。

戸部「新解釈だな。本来は『健康すぎて医者が不要』という意味なんだが」


 記事によると、提出された死亡届に空欄が目立つことを不審に思った職員が警察に通報し、四十代の男性が逮捕されたという。

稔江「偽造するなら、戸籍のスペシャリストの戸部さんに相談すればよかったのにね」  稔江が茶化すと、戸部は冗談めかして肩をそびやかした。

戸部「私なら『出すときは友達に頼みなさい』とアドバイスしてやったよ」

早苗「でも、罪名は何になるのかしら?」

戸部「記事には『有印私文書偽造』及び『電磁的公正証書原本不実記録未遂』の疑いとあった。実際にない事実を公的な記録に書き込ませようとした罪だね」

早苗「『ここに書いてある死亡者が僕です』なんて窓口で言ったのかしら。想像するだけでおかしいわ」

 稔江は笑いが止まらない。

稔江「私なら『あら、生き返ったんですか?』って聞いちゃう。それで『そうです』って答えられたら、『じゃあ、本当に死ぬまで大事に保管しておいてくださいね』って突き返してやるわ」


早苗「動機は何だったんでしょうね?」

 早苗の疑問に、稔江が即座に答える。

稔江「この世から存在を消したかったのよ。きっと、しつこい女に追いかけられていたのね」

早苗「どこからそんな発想が出てくるのよ」

稔江「私だって、この職場から消えてしまいたいと思う時がありますから」

戸部が豪快に笑ったその時、鋭い声が響いた。

課長「天満てんまっ!」

稔江「あっ!」

 声の主は住民課長だった。稔江は「会話を聞かれたか」と顔を引きつらせて課長席へ向かった。

しかし、用件は別だった。庶務課から「参考になりそうな新聞記事のコピーがある」と内線が入ったため、庶務担当の稔江に取りに行けという指示だった。

 戻ってきた稔江は、手渡されたコピーを眺めて溜息をつく。

稔江「ああ、心臓が止まるかと思った。やっぱり、今のうちに自分の死亡届を出しておいた方がいいかもしれないわ」

戸部「その時は、私が黙って受理してあげるよ」

 戸部の言葉に、三人の笑い声が静かな事務室に響いた。


【02】 死亡したのは誰?


 それから一時間後。戸籍届出の受付カウンターには、当番の丹沢が座っていた。そこへ、うつむき加減の五十代の女性が近づいてきた。

客女「あの……」

丹沢「はい、伺います」

客女「死亡届は、こちらに出せばよろしいのでしょうか?」

 女性の声はすでに震えていた。

 丹沢は居住いずまいを正し、静かに頷いた。

丹沢「はい。こちらで承ります。……この度は、ご愁傷様でございます」

 女性はハンカチを目に当て、嗚咽を漏らした。

丹沢「落ち着いてからで結構ですよ」


丹沢「……いつ、亡くなられたのですか?」

客女「昨晩……ついに、息を……」

 丹沢は、隣の席の春菜と目配せをした。春菜もそっとフォローに入る。

春菜「お辛いですね。介護もされていたのですか?」

 女性は何度も頷いた。

客女「最後はずっと寝たきりでした。私にとって、唯一の話し相手だったんです。私の言うことを、嫌な顔一つせず、黙って聞いてくれました。もっと美味しいものを食べさせてあげればよかった……」

 丹沢と春菜の目にも、うっすらと涙が浮かんだ。

丹沢「死亡届は人生の卒業証書です。そしてご家族にとっては、介護の卒業証書。きっと、感謝されていますよ」

客女「最後の夜は、一緒に寝て、背中をさすってあげて……。そうしたら、最後、本当に苦しそうに、小さく……吠えたんです」


丹沢「……えっ?」

 丹沢の手が止まった。

 後ろで様子を伺っていた稔江が、こっそり早苗の耳元で囁く。

稔江「あのおばさん、うちの近所の人よ。昨日、ずっと飼っていたワンちゃんが亡くなったんですって」

早苗「じゃあ、今の話って……」

稔江「そう、犬の話」

 戸部が遠くを見つめながら、ぽつりと呟いた。

戸部「……確かに、犬なら黙って嫌な顔もせず、話を聞いてくれるだろうな」


丹沢(それ、もっと早く言ってよ~。犬の死亡届は『生活衛生課』だよ)

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【後書き】

「自分の死亡届」を出そうとした男と、「最愛のパートナー(犬)」を見送った女性。市役所の窓口は、今日も奇妙な人間模様が交錯するステージのようです。

前半で戸部さんたちが笑い飛ばしていた「死亡届の偽造」というブラックな話題が、後半の丹沢さんたちの「もらい泣き」を経て、まさかの結末へと着地する構成に、筆を執りながら思わずニヤリとしてしまいました。

ちなみに、役所の窓口で一番大切なのは、高度な法律知識よりもお客様の気持ちに寄り添うことではないでしょうか。

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【作者よりお願い】

窓口での感動的なやり取り……かと思いきや、まさかの「ワンちゃん」!  稔江たちの冷静なツッコミに笑っていただけたら嬉しいです。

「この勘違い、面白いな」「役所の裏側をもっと見たい」と思ってくださった方は、ぜひ下の**【☆☆☆☆☆】**から評価やポイント、ブックマークをよろしくお願いします!執筆の励みになります!

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