128 ★五郎と志乃のシュークリーム(その8) ~京子の得意料理「酢豚」の謎~
【08】 いつも作るのは酢豚?
それから間もないある日の午後、京子は志乃の家で夕食を作っていた。志乃の夫、五郎に食べさせるためである。
京子「今日は、酢豚を作りますね。志乃に、『いつもご主人に何を作ってあげてるの?』って聞いたら『酢豚とか、』って言ってたから」
酢豚は、京子の得意料理のひとつだった。
五郎「そう、すまないですね」
そう言いながら五郎は変に思った。
五郎(妻の志乃は酢豚など作ったことがない。どうしてそんなことを言ったのだろう? まっいいか、酢豚は結構好きな食べ物だし)
京子「きれいなキッチンですね」
五郎「そうですか、あまりよその家のを見たことがなくて。何か手伝いましょうか?」
京子「いえ大丈夫です。どうぞいつもどおりにしていてください。こちらも勝手に使わせていただきますから」
五郎「そうですね、それが一番ですね。じゃぁ、そう言うことで」
京子「用意ができましたら声かけますから」
五郎「すみません」
五郎は自分の部屋に行きパソコンを見始めた。京子はそれから20分ぐらいですべての準備が終わった。というのも、五郎が帰ってくる前に、志乃から家の鍵を預かり、中へ入って準備をしていたからである。
京子が五郎の部屋をノックし、外から声をかけた。
京子「用意ができました」
五郎はすぐに部屋から出てきた。
五郎「すみませんね」
五郎は恐縮していた。
京子「こっちの部屋は?」
部屋から出て来た五郎に、隣のドアを指さして言った。
五郎「妻の勉強部屋ですね」
京子「『勉強部屋』?」
五郎「ええ」
京子「ちょっと覗いていい?」
五郎「どうぞ」
五郎がドアを開けた。そこにピアノが置かれていた。
京子「ここでピアノを弾いてるのね」
五郎「ええ」
ピアノの上に『chopin』と書かれた本が置かれていた。
五郎「なんだこの本は? 『チョピン?』 スイーツの本かな?」
京子「『ショパン』だと思いますよ」
五郎「ははははは。そう読むんですか?」
京子「五郎さんて、本当に音楽に興味ないんですね」
五郎「ははははは。お恥ずかしい」
京子「いいんですよ、その方が」
五郎「そうですか?」
その後、二人はキッチンの方へ歩きながら、
五郎「料理を作っていただいて、すみませんね」
京子「志乃の頼みですもの、そんな遠慮しないでください。それに私、料理作るの好きですし、誰かに食べてもらった方が作り甲斐があります」
二人がテーブルに着いた。
五郎「おっ、すごいな。こりゃうまそうだ」
京子「お口に合うと良いのですが」
五郎「では早速いただきます」
五郎が両手を合わせ、軽く会釈した。
京子「どうぞ」
五郎「うまいっ! さすが。妻から聞いていたとおりだ」
京子「奥様はなんと言っていたのです?」
五郎「『仲間内で一番料理が上手だ』と言っていました。それに『母親の介護で食事の世話もしていたし、いろいろ苦労しているんだ』と」
京子「そうですか」
五郎「これも妻から聞いたのですが、今、氏家さんはひとり暮らしなんですか?」
京子「ええ、ひとりっ子で、両親はもう亡くなりましたから」
五郎「そうでしたか、寂しいですね」
京子「ええ、まぁ」
京子は、あえて否定しなかった。
五郎「このタマネギの食感も、ピーマンの舌触りもちょうどいい」
京子「ありがとうございます」
五郎「本当に料理上手ですねえ」
京子「でも、いつも京子に酢豚作ってもらっているんでしょう。その方がお口に合うんじゃありません?」
五郎「ええ、まぁ」口ごもった。
五郎「でも、もう妻は入院して長いのでしばらく食べてませんし、味は忘れました。妻の料理の方が食べ慣れているのは当然ですが、おいしい物はやはり絶対おいしいです」
京子(長年連れ添った奥様の酢豚の味を忘れるなんてことがあるのかしら?)
五郎「家庭の味というのもあるでしょうけど、氏家さんの作られた酢豚は、レストランの味と言うのでしょうか、どちらも好きですが、氏家さんの料理なら充分お金が取れる味だと思います」
京子「そんなうれしいことを言ってもらうの、生まれて初めてです」
五郎「お母様に出したときは何か言ってなかったのですか?」
京子「母は何も言いませんでしたから。逆に料理に何か問題があるときだけ独り言のようにつぶやいて、それ以外は黙って食べていました」
五郎「黙って食べているときは、『完璧だ』と言うことだったんじゃないですか?」
京子「なるほど、そう言われてみると、そうかもしれませんね」
五郎「料理に何か問題があったとき、直接注意しないで独り言を言うんですか?」
京子「ええ、例えば『米酢と黒酢、日本酒と紹興酒、どっちの方がおいしいのかしら』とか何気なくつぶやくんです」
五郎「へぇーっ」
京子「それが独り言のようにも聞こえるのですが、私に言ってるようにも聞こえて」
五郎「それで」
京子「例えば酢豚を作って出した後にそう言われて、後々どうもその言葉が気になって、インターネットや書店に行って調べるんです、酢豚に使う調味料は何がいいのかって。そして次回作るときには、味を変えます」
五郎「毎回が試行錯誤ですね」
京子「そうなんです」
五郎「じゃぁ、結構味が変わることも多いんですね」
京子「『結構』と言うよりも『毎回』と言った方が良いかも知れません。だから、もしまたここで酢豚を作る機会があったら味も変わっているかも」
五郎「私は全然構わないけど」
京子「ところが、こちらが気になるんです。前回の方がおいしいケースも多々あるんです」
五郎「なるほど」
京子「そう言う面では、母はいい実験台だったのかも知れません。毎回味が変わったら他の人では怒る方もいらっしゃるでしょうし」
五郎「そんなことでしたら、いつでも私が食べますよ。作っていただけるだけで私は幸せだし、贅沢だと思っています」
京子「そうですか、そう思っていただけると助かります。もう母も居ないし、私の作った物を食べてくれる人は誰もいないんです」
五郎「もったいない」
京子「それに自分で作って自分で食べると、それで満足しちゃうんです。誰にも自分の好きな味というのがあって、私はこの味で満足しちゃうのですが、万人向きではないんです」
五郎「なるほどそうかも知れませんね。お雑煮ひとつ取ったって、日本各地で具材も味も違いますし」
京子「そう、そこなんです。同じ料理でも出す相手によってこの人はこの具材、この味の方が好みなんじゃないかなと思って、何種類もバリエーションを持つことは大切と考えています」
五郎「家庭でカレーを作るときに、子供用と大人用と2種類作る家庭もありますからね」
京子「そう、また大人と老人でも違いますし」
五郎「そうそう、大人と言っても食べ盛りの若者から、味にうるさい年配の方、食欲が落ちたご老人と様々ですからね」
京子「相手に合わせた味付け、それがやさしさであり、思いやりであり、最終的には愛情になるんでしょうね」
二人は食べ終えた。
五郎「どうもごちそうさまでした。あとは私が片づけますから、もういいですよ」
京子「そうですか、では今日はこんなところで」
五郎「本当においしかった。またお願いします」
京子「また来ます」
京子が帰っていった。
それから週に2日の割合で京子は、五郎の夕食を作りにやってきた。二人の仲も会話も徐々に親密になっていった。




