127 ★五郎と志乃のシュークリーム(その7) ~志乃の好きな曲目は?~
【07】 友人、京子による音楽療法
その後、志乃の容体は日に日に悪くなっていった。以前から自分で歩くことは出来なくなっていたのだが、それに加えて痛みが激しくなってきた。
そこに医師が巡回の診察でやってきた。
志乃「先生、痛みがひどいのですが、なんとかなりませんでしょうか?」
医師「痛みを和らげる薬はすでに投与しているのですが……、う~ん、……奥様は音楽関係が趣味でお詳しいと伺いましたので、音楽療法を取り入れては」
志乃「音楽療法?」
医師「はい。適切な音楽療法により痛みを和らげ、鬱状態から解放することができます」
志乃「保険の適用はないんですよね」
医師「今のところありません。実費が必要となります」
志乃「お恥ずかしい話なのですが、今ちょっとお金がピンチなんです。実費が必要となれば、私の友人でやはり音楽療法に精通した者がおりますので、定期的にお願いしてみますがよろしいでしょうか?」
医師「そういう方がいらっしゃるのなら、早速連絡して、ぜひ実践してみてください。きっといい結果が出ると思いますよ」
そう言うと医師は、志乃の病室から去って行った。
医師が去った後、志乃は、音楽関係の友達の顔を思い浮かべていた。
志乃(和子、京子、恵子、智子、洋子、美智子、明美、直美、ゆかり。)
その中でも独身の女性を探していた。未婚でもバツイチでも良かった。その結果、志乃が選んだのは、氏家京子(うじいえ・きょうこ・49歳)だった。音楽療法士ではなかったが、一度勉強して挫折したことがある。明るくて料理が上手だ。不動産収入があり、時間にも余裕がある。
志乃(音楽の知識や医学の知識は浮かんだ候補の中では、最下位かもしれない、それでもいい。これからしばらくの間、この病室にたびたび来てもらわなければならなくなる。ならば、とにかく病室内を明るくしてくれる人。それが最優先条件だわ)
志乃が京子に頼むと、京子はまったく考える様子もなく、二つ返事でOKしてくれた。彼女らしいと言えば彼女らしい。そこが彼女のいいところであり、志乃はほっとした。
志乃が電話すると、京子はすぐに来てくれた。京子は、志乃を見てその細くやつれた顔に驚いたが、動揺を見せずに言った。
京子「久しぶりね、何年ぶりかしら。そのことを考えながら来たんだけど5年ぐらいかな」
志乃「そう、5年ぐらい前に一度食事したものね。全然変わってないわね」
京子「うん、ちっとも変わらないわ。頭の中も全然進歩してないし」
志乃「『変わらない』っか……。それが一番よ。劣っていくよりいいわよ」
それから1週間が経った。
志乃は病室に京子を呼んでいた。音楽療法について二人は話し合った。
そして、京子の帰り際、
志乃「京子、ちょっとゴメン。背中をタオルで拭いてもらっていい? なんだか寝汗でかゆくなったような気がして」
京子「お安いご用よ」
京子は、ベッドの周りを取り囲むカーテンを閉めて、お湯で絞ったタオルで志乃の背中を拭いた。
志乃「良くなったわ、ありがとう」
京子「じゃぁね」
そう言って、京子はカーテンを開けて、勢いよく出ようとした瞬間、夫の五郎がカーテンの外にいて、二人は正面からぶつかった、京子の顔が五郎の顔が近くに寄ったまま、
京子「ごめんなさい」
五郎「すみません」
二人は同時に謝った。
志乃の病室で京子と志乃の夫は、それまでに2度ほど顔を合わせていた。1度目は妻に紹介され、2度目は単にすれ違う形で会った。
五郎「大丈夫ですか?」
京子「はい、大丈夫です。では失礼します」
京子が去っていった。
五郎「今来たところなんだ」
志乃「そう、なんだか背中の汗がすごくて、今、京子に拭いてもらっていたの」
五郎「そうか、それは助かるね。その後音楽療法は順調かい?」
京子による志乃への音楽療法は順調に進んでいた。
京子は、志乃に宿題を課していた。好きな曲目をノートに書き出すことだった。ジャンルを問わず、年代を問わずに、とにかく自分の好きな曲を好きな順に書き出すことだった。志乃にとって簡単なようで難しい宿題だった。
志乃「自分の好きな曲目かぁ~」
小さくつぶやいた。思ったこと、考えたことも口に出す。それも宿題のひとつだった。どうしても入院生活はひとりきりで無口になりやすい、声を出す、息を吐く、酸素の循環を行う、それがいいというのだ。
京子に言わせれば、『よどんだ部屋の空気を、窓を開けて新鮮な空気を取り込む』ようなものだという。志乃は『なるほどな』と思った。
京子は勉強ができるという訳ではなかったが、世間の常識とか雑学には強かった。時間があるせいか、テレビ・インターネット・井戸端会議といろいろなことに目と耳を働かせ知識を吸収していた。学校の勉強とは違った知恵を身につけていた。
京子が学校を卒業してひとり立ちしたときに、こんなことを言っていた。
京子「『学校では命を大切に!』なんて教えられるけれど、部屋にゴキブリが出たら、もう必死で殺すわ。殺すまで眠れやしない。命ってなんなの?」
志乃(まさにそのとおりだわ!)
京子「ひとり暮らしをしていた友達が、部屋にゴキブリが出た瞬間に父親の会社に電話して呼び出したのよ。父親は会社を早退して飛んで来たわ。そのとき私は、なんて親子なんだろう、なんて会社なんだろうと思った」
世間では、ないようでよくある話らしい。呼び出される者は父親に限定されず、母親、兄弟、友人、彼氏にまで及ぶ。その点、京子はたくましかったし、生活力があった。どんな環境でも生き抜く力を身に付けていた。
京子は以前もそして現在もひとり暮らしをしている。ただ昔のひとり暮らしと今のひとり暮らしでは、京子を取り巻く環境が違っていた。というのも京子は、学校を卒業後、ごく普通に就職をし、家を出てひとり暮らしを始めた。そして十年経った頃、父親が他界し実家に戻った。
母親との二人暮らしが始まった。そして今度はその母親の具合が悪くなり、母親の介護の日々が続いた。その母親も数年前に亡くなり、今は一戸建ての家にひとりで住んでいる。
幸いにも父親が残してくれた9室の共同住宅があり、その家賃収入で生計を維持していた。
京子「宿題できた?」
志乃「一応10曲は選び出したんだけど、まだ順位は付けていない。順位を付けるって難しいわね」
京子「そうでしょ、私もやったことがあるんだけど、ほんと迷っちゃうのよね」
志乃「でも京子の宿題のお陰で、曲選びに集中できたわ。その間痛みを忘れるのよね。不思議だわ」
京子「そうなのよ。耳から聞こえる音もそうじゃない。例えば、こうやって普段話しているときは当然聞こえているけど、何かに夢中になっているときは人の話が聞こえなくなるのよね」
志乃「自然に聞こえなくなるように、人間作られているのね」
京子「そう、必要ないときは、受け入れず、忘れられるように人間作られているのよ」
志乃「良くできているわ。じゃぁ、私のこの痛みも、なんとか治そうと考えるより、むしろ忘れようと努力し、他のことに時間を使った方がいいわけね」
京子「そう言うこと!」
志乃「さすが京子、なんでも良く知っているのね」
京子「私の場合、母親の介護生活が長かったから。いろいろあるのよ」
志乃「いろいろ、か……」
京子「そう、いろいろ」
志乃「苦労しているのね」
京子「苦労だと思わないで、いつも楽しいことばかり考えていたわ。そうじゃなきゃ体がもたないわよ」
志乃「なるほど、そうよね」
京子「……」
一瞬ではあるが、会話が途切れた。
志乃「ねぇ、京子にお願いがあるんだけどいいかな」
京子「もちろんよ、そのために来ているんだから。なぁに」
志乃「主人のことなんだけど、私がこうやってずーっと入院しているから、主人はカップ麺とかハンバーガーとか、まともな食事はあまりしてないみたいなの。だからたまに主人に何か作ってくれないかしら」
京子「へぇーっそうなんだ。自分で作ったりしないの?」
志乃「そういう人じゃないわ。それに仕事や私への見舞いで作る時間もないだろうし」
京子「そうか、男の人じゃそうか」
志乃「その点、京子は食事を作るの苦じゃないでしょ」
京子「そうね、好きな方ね」
志乃「うちのだんな、何も作れないし、やるのは皿洗いぐらい」
京子「わかった、じゃぁ今度、志乃の家で作ってみるわ。任せなさい、料理なら少し自信があるから」
志乃「助かるわ。そうでもしないと主人の今の食生活では、主人まで具合悪くなっちゃうわ」
京子「いくら仲が良くても、二人揃って入院じゃ洒落にならないものね」
志乃「私もいやよ。病室で、隣のベッドに主人が寝ているなんて」
志乃はそんな光景を思い浮かべて笑った。




