124 ★五郎と志乃のシュークリーム(その4) ~ピアノはリストが好き~
【04】 【回想】五郎と志乃との出会い
【回想の始まり】
井手五郎が妻の志乃と知り合ったのは、30年前、美浦市役所で同じ課に配属されたときだった。五郎は収税課で徴収(現場回り)をし、志乃は収税課で庶務(経理)を担当していた。
五郎は、滞納者の家屋、自動車、バイク、自転車、などの写真を始めとして、徴収や押収の様子まで、あらゆるものを撮影することとなった。もともと五郎はカメラに関して詳しく、それを知ってか当時の収税課長から任務を命じられたのだった。
「36枚撮りカラーフィルム10本、4000円」そんな請求書が外回りの五郎から、庶務の今泉志乃に手渡された。そして「現像・焼き付け代、1480円」の請求書など、こうして二人の接点が生まれた。
五郎は明るかった、とにかく無類の明るさが税金徴収という暗い職務を打ち負かしていた。五郎は嫌で辛い仕事でも、自分の心まで暗くしたらもっと嫌になるだろうなと考えていた。
五郎が最高の笑みを浮かべながら、
五郎「請求書をお願いします」
志乃「はい、わかりました」
志乃も笑みを返した。
いつもは誰かしら居る庶務担当の島が、偶然にもこの日は誰も居なかった。
五郎は、頭を掻きながら
五郎「お手数をかけて、いつもすみませんね」
志乃「いいえ、仕事ですから。そんなこと言って頂けるのは井手さんだけですよ」
五郎「そうですか」
志乃「はい。井手さんはカメラとか写真が趣味なんですって?」
五郎「カメラが趣味と言うよりは、覗くのが好きなんです」
志乃「えっ?」
五郎「いやっ、ゴメン、言葉を間違えました」
五郎はえらく焦っていた。
五郎(こんなはずでは……)と思った。
五郎「『のぞき』ではなく、あのぉ、勘違いしないでください、そのぉ、変な意味ではなく」
五郎はしどろもどろになっていた。
志乃「大丈夫です。まぁ落ちちいて、あれっ? わたちも変」
志乃の噛んだ言葉に、五郎は思いっきり笑った、志乃もはにかみながら笑った。
五郎「すみませんね、気を使ってわざと間違えてくれて」
志乃「いえ、そう言う訳では、本当に噛んでしまって」
五郎「何か今泉さんの前だと上がってしまって、うまく話せなくて」
志乃の旧姓が今泉だった。
志乃「普段あんなに上手く喋る方が」
五郎「いえとんでもない」
志乃「いつも感心してるんです」
そのとき執務室に誰かが入って来ようとしていた。
五郎「今度ぞきの件、弁解させてください」
志乃「はい」
五郎「今度連絡します、そのときはよろしくお願いします」
深く頭を下げた。
志乃「はい」
それが二人の最初の会話だった。
ファミリーレストラン『すかいとーく』。
五郎「すみません、無理矢理お呼び立てしまして」
志乃「こちらこそすみませんでした、お気遣いいただいて」
五郎「この前の『のぞき』の件ですが、更衣室とか風呂場とかではないんです」
志乃「はい」
五郎「その光景、その情景を見るときに、ただ単に呆然と見ているより、カメラを持ってファインダーから見るとより細かいことが伝わってくるんです」
志乃「『光景』と『情景』って違うんですか?」
五郎「『光景』は光を通してそのまま見える景色で、『情景』はそこに会話やちょっとした仕草など心を通して見える景色です」
志乃「すると、家族旅行で『昔もここに来て花を摘んだわよね』って話をしながら見る景色は情景ですね」
五郎「はい、そうです。私の場合、同じ景色を見てもファインダーを通して見た方が、集中できて普段気付かなかったことに気付いたりします。例えば、この木の葉っぱはこんな形をしていたんだ! とか」
志乃「だから、ファインダーを覗くのが好きってことですね」
五郎「そう、そのとおりなんです。それがうまく言えなくて」
志乃「最初からわかっていました」
五郎「えっ?」
志乃「いつも井手さんを見ていましたから。『更衣室とかトイレ』とかを覗くような人じゃないってことはわかっていました」
五郎「『更衣室とか風呂場』じゃなくて?」
志乃「『風呂場』にこだわってます?」
五郎「『トイレ』は覗きたくないなぁ」
志乃「そこですか?」
五郎「いや、そう言うことではなくて。……えっ!」
志乃「はいっ、何か?」
五郎「『そんな人じゃない』って、いつも私のこと見てくれていたんですか?」
志乃「ええ」
志乃がはにかみながら言った。
志乃の座る席の横に志乃のバッグが置かれてあり、そこからソニーのウォークマンが頭を覗かせていた。
五郎「いつも持ち歩いているのですか」
五郎がソニーのウォークマンを指さしながら言った。
志乃「いえ、たまにです。今日はちょっと気持ちを落ち着けようと思いまして」
志乃が言葉で猛烈にアタックしている。
……が、五郎に無視されているのか、五郎が気付かないのか。
五郎「何を聞いていらっしゃるんですか?」
いつもながら、とにかく明るく言った。
志乃「リストです!」
五郎が目を大きくして、ポカンとして、
五郎「リスト? 曲のリストも持ち歩いているんですか?」
志乃「いえ、そのぉ、曲のリストではなく、ピアノのリストです」
五郎「ピアノのリスト(一覧表)ですか?」
志乃「ピアノはリストが好きなんです」
五郎が宙を見ながら
五郎「ピアノは、一覧表より本物がいいなぁ~」
志乃が笑みを浮かべながら、
志乃
志乃が心の中でつぶやいた。
五郎が笑いながら、
五郎「何か言いました?」
志乃「いえ、何も。もうお馬鹿さんなんだから」
五郎が笑いながら
五郎「何か言いました?」
志乃「いえ何も」
五郎「はぁ」
志乃「ピアノのリストはご存知ないですか?」
五郎「知ってます。カワイとヤマハと、あとスタインベックだったかな?」
志乃「それはピアノメーカーのリストね?」
五郎が笑いながら
五郎「何か言いました?」
志乃「いえ。しかもスタインウェイだし」
五郎「ははは、そう、それそれ。スタインベックの奥さんがスタインウェイです」
志乃が首を振りながら、
志乃「ないない。スタインウェイもスタインベックも両方とも、お・と・こ(男)」
志乃が笑いながらお茶目に『お・と・こ』を強調した。
五郎「ははははは。そうでしたっけ」
志乃「スタインウェイはヘンリーという名で男、スタインベックもジョンという名で男です」
五郎「じゃぁ二人はホモということで」
志乃「そんなわけないでしょ!」
五郎「まぁまぁそう怒らずに。ぶどうジュースでもいかがです」
志乃「結構です!」
そう言ってから志乃は最高の笑みを浮かべた。
五郎「ところで、志乃さんは、食べ物は何が好きですか?」
志乃「私、なーんでも好き」
五郎「なーんでもねぇ」
志乃「はい、焼肉、ラーメン、カレーライス、ハンバーガー、宅配ピザ、お好み焼き、スイーツ、なんでもOK牧場よ」
五郎「ガッツ石松じゃないんだから」
志乃「でも今は、シュークリームが食べたいって感じかな」
五郎「私も、ちょうど今シュークリームが食べたかったんです」
志乃「ウソ! 本当に口がうまいんだから」
志乃が目をへの字にして笑っている。
五郎「今から次の店に行きましょう、シュークリームを食べに」
志乃「はい」
志乃が元気に言った。
二人はその店を出て、次の洋菓子の店に移動した。
街中の菓子店。
五郎「席、空いてますね」
志乃「うれしい! デザートを次の店で食べられるなんて、最高の幸せ!」
志乃が、満面の笑みで言った。
五郎「シュークリーム食べましょうね」
五郎が、にこやかに言った。
志乃「はい!」
五郎「シュークリームもいろいろありますよね。中がカスタードクリームの物と、生クリームの物と、両方のクリームの物と」
志乃「そうそう、そこよねぇ~」
五郎「いつもどれを食べようか迷うんです」
志乃「昔ながらのカスタードクリームも捨てがたいし、でもホイップクリームも軽くていいわよね」
五郎「えっ、ホイップクリームですか?」
志乃「生クリームのことよ」
五郎「『生クリーム』と『ホイップクリーム』、言葉が違うということは、どこか違うんでしょうね?」
志乃「どこが違うんでしょうねぇ」
志乃が笑いながら言った。
五郎「気になると夜眠れないんです」
五郎が『生クリームとホイップクリーム』とメモしている。
志乃「帰ってから調べるんですか?」
五郎「はい、寝る前にその日メモした分は調べます」
五郎が、ニコニコしながら言った。
志乃「とにかく頼みましょう」
五郎「そうですね」
志乃「迷っちゃう」
志乃はメニューをじっと1分ぐらい見ていた。
五郎「愛読書は、メニューですか」
志乃「ええ、でも登場人物(品)が多くて覚えられなくて」
五郎「そうですよねぇ~。でも電話帳ほどじゃないですよ」
五郎が微笑んだ。




