110 ◎『ボートレース江戸川』の舟券師(後編) ~朝顔は馬鹿な花だよ~
【03】 ある都々逸
それからひと月後。
すでに、二人は、男女の関係になっていた。
この日、二人は二郎の部屋で、一緒の布団に入っていた。
二郎「『舟券師に女は要らない』と、思っていたんだけれど、こんなんでいいのかな?」
松江「何をぶつぶつ言ってるの? 私は『気の向くまま、その日暮らし』よ」
二郎「そんな言葉があるんだ?」
松江「今、私が作ったのよ」
二郎「上手だな。頭がいいんだな」
松江「そんなことないわよ。なんで、そんなことを」
二郎「思ったことを言ったまでさ」
松江「私、頭が悪いから、何も考えないで生きているだけよ」
二郎「『気の向くまま、その日暮らし』か。いいな、この言葉」
松江「そう、気に入ってくれてありがとう」
二郎「私の座右の銘にしよう」
松江「そんな大それたもんじゃないわよ」
二郎「でも、そう出来れば最高だし、もう、これからはそうやって生きていくしかないんだろうな」
松江「私は仕事があるから、仕事中は『気の向くまま』とは、いかないわ」
二郎「そうだよな、大変だな」
松江「二郎さんは、いいじゃない。人に使われている訳じゃないし」
二郎「うん、まぁな。でも、安定してないし、明日がいつも不安なんだよ。しょっちゅう、舟券がハズレる夢を見るんだ」
松江「やっぱり、悩みってあるのね」
二郎「生きるって難しいよ」
松江「そうね。もし、もしもよ、買った舟券が当たらなくなったらどうするの?」
二郎「とりあえず、生活保護を受けるしかないだろうな」
松江「生活保護ね」
二郎「でも、生活保護を受けたら、市役所から『働け、働け』と言われるのがオチで、『舟券師』をしたいなんて言ったら、担当者から張り倒されそうだな」
松江「ふふふふふ。でしょうね。その仕事自体知らないでしょうし、知っていたとしても認めないでしょうね」
二郎「そうだろう。だから、こっちもレースを当てることに必死なんだよ」
松江「つらいわね」
二郎「仕方ないさ。自分で選んだ道だから」
松江「そうかぁ」
二郎「聞いちゃいけないかもしれないけれど、松江さんは食べていけるの? 嫌なら答えなくてもいいけれど」
松江「心配してくれてるんだ」
二郎「少しはな」
松江「大丈夫よ。私ひとりが生きていく分ぐらいは。余裕も無いけれど、苦しくもないってとこかしら」
二郎「なら、良かった」
松江「どうして、そんなこと、聞くの?」
二郎「えっ? 今、思い出したんだよ。ある都々逸を」
松江「どんな都々逸?」
二郎「『朝顔は、馬鹿な花だよ、根も無い竹に、命迄もと、絡みつく』ってね」
松江「どういう意味?」
二郎「オイラみたいな、『根も無い竹に、絡みついちゃいけないよ』って意味だろ?」
松江「それ、私のこと?」
二郎「そうさ。だから、ひとりで食べていけるんなら、変な男に引っかからない方がいいと思って」
松江「二郎さんは、変な男じゃないし、本当は、きっと頭が良くて上品で、過去は、いい暮らしをしていたような気がする」
二郎「どうして、そう思うんだい?」
松江「根拠はなにも無いけれど、何年も二郎さんの横顔を見ていればそのくらいのことはわかるわよ」
二郎「『横顔』でわかるのかい?」
松江「『横顔』は、例えて言っただけ。二郎さんの一挙手一投足を見ていれば、わかるわよ」
二郎「例えば?」
松江「ボートレースの予想紙に書いてある字が綺麗だし、食べ方は上品」
二郎「そうかな?」
松江「そうよ。スプーンでコーヒーをかき混ぜるときも、いっさい音をたてないようにかき混ぜているし」
二郎「そうだったかな?」
松江「自分でわからないのは、習慣となっているからよ」
二郎「ふーん」
松江「それに、お釣りを受け取るときも、両方の手のひらを上下に重ね、両親指を広げ、そっと出すでしょう?」
二郎「うん」
松江「あんな風に手を出す人は、二郎さん以外、居ないもの」
二郎「他の人は、どうやってお釣りを受け取るんだい?」
松江「片手よ。こんな感じかな?」
松江が横を向いて、片手だけ出す仕草をした。
松江「だから、そのとき『この人、育ちがいいんだ』と思ったの」
二郎「当たっている」
松江「やっぱり、そうなんだ」
二郎「オイラより、予想が上手いな」
松江「ふふふふふ」
松江が楽しそうに笑った。
松江「そろそろ、しよう」
二郎「うん」
二郎が松江に覆いかぶさった。
【04】 男Aの正体
富田が由利にそんな話をした。
由利(やっぱり、作家だけあって、話がうまいな)
由利(なんら、ストーリーのある話でもないのに、引き込まれた)
由利はそう思った。
その二郎が、或る人(男A)に言ったらしい。
二郎「江戸川では、狙いは体重の重い選手だよ」
男A「えっ! 体重の重い?」
男Aは、『体重の軽い』と聞き間違えたかと思った。
二郎「ほら、今はボートレースファンの多くが、ネットで舟券を購入するだろう」
男A「そうですね。特にホームのボートレース場が開催してない時は、やはり、他のボートレース場の開催をネットで舟券購入しますね。とてもじゃないけれど、全国あちこちへは行けませんからね」
二郎「そうだろう。特に四国だの九州だのでは、交通費がかかるからな」
男A「ええ。せいぜい夏休みとかに旅行がてら行くぐらいじゃないですか?」
二郎「うん。そこで『ボートレース江戸川』がホームでないファンが舟券を購入する。一般的には、ボートレーサーの体重が重いと不利と言われているので、重い選手は敬遠される」
男A「そうですね」
二郎「しかし、江戸川は、川の流れが速く、波も高い。だから体重の軽いボートレーサーは、流れと波に負けてしまうんだ」
男A「なるほど、そうかぁ」
二郎「ところが、体重が重ければ、波を潰しながら行ける。だから成績も良い」
男A「そう言うことだったんですね」
二郎「体重の重いボートレーサーが出ているレースは、意外に高配当が付くよ」
男A「ここの舟券師だからこそ知っている情報ですね」
二郎「まぁな」
由利「この男Aって誰なんですか? 友達も知り合いも居ない舟券師の言葉が漏れて来るなんて? 変ですよねぇ」
富田「ここだけの話だが、二郎の弟だよ」
由利「二郎の弟と先生が知り合いなんですか?」
富田「いや、知り合いではない。ここだけの話だよ。『小説のネタに使えますか?』って二郎の弟が私に持ち込んで来たんだよ」
由利「それで先生はなんと答えたんですか?」
富田「『舟券師の手の内や生活を世間に知らすことは、舟券師にとって命取りになるから出来ないな』って答えたよ」
由利「でも先生、最初に『男Aから聞いた話を書き始めた』とおっしゃっていましたが」
富田「書くだけは書いているのですが、書きためるだけで発表しないつもりです」
由利「二郎さんの弟は、なんで先生に話したんでしょう?」
富田「二郎とその弟は、九州の大会社の社長の息子だったんだ」
由利「えっ! そうだったんだ」
富田「そして、二人が若い時、一緒によくボートレースに行ってたんだと」
由利「九州はボートレースの発祥の地であり盛んですからね」
富田「二人兄弟で、弟は兄に会社に戻って来て欲しいようなことを言ってました。なんでも父親(社長)が骨折し、介護施設に入られたらしいです」
由利「うんうん」
富田「それで、弟ひとりでは、会社の運営が立ち行かなくなったんでしょう。しかし兄の二郎は、『今、大事にしたい人と、大事な仕事があるから戻れない。本当にすまん。お前には迷惑ばかりを掛けているが、許してくれ。そしてオイラのことは忘れてくれ』と答えたようです」
由利「松江さんの言う通り『きっと頭が良くて上品で、過去は、いい暮らしていたような気がする』って、当たっていたんだ」
富田「うん」
由利「二郎さんにとっては、大会社の経営より舟券師の方が『大事な仕事』だったんだ」
富田「うん。大会社なんて、我々の計り知れない色々な出来事があるんでしょうね、きっと。忘れたいような事件、対立、確執。その辺のことは、私にはわかりませんが」
由利「ですよね。すみません、余計なことを聞いてしまいました」
由利が頭を下げた。
富田「人間、生活を営んでいると、誰しも忘れたいことってあるじゃないですか。忘れようとしているけれどどうしても頭から離れない。私もそうですけれど、そんな時、ボートレースをすると、その間は忘れられるんですよ。医者で処方してもらう精神安定剤よりよっぽど効くんですね。どのレーサーが1着になるのか必死に当てようとします。そうすると他のことがすべて消えちゃうんです。だからボートレースの力ってすごいと思いますね。嫌なことがあったらここに来たらいい。そう思いますよ」
由利「うんうん」
由利は、富田の言葉が胸に浸透した。それは、富田のひとつひとつの言葉が由利のこれまでの人生に当てはまっていたからだった。
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【後書き】
ご覧いただき、ありがとうございます!
今回は、作家の富田が語る「ボートレース江戸川の舟券師・二郎」と「食堂の松江」のお話でした。
一見、ただのその日暮らしのギャンブラーに見える二郎。しかし、松江が気づいた「上品な仕草」や、後半で明かされる「九州の大会社の息子」という過去のギャップに、大人の男の哀愁やドラマを感じていただけていれば幸いです。
また、作中で二郎が語った「江戸川では体重の重い選手が狙い目」というエピソードは、実際にうねりや波、強い流れがある河川水面(ボートレース江戸川)ならではのリアルな特徴でもあります。こうした独自の攻略法を必死に掴み取って生きているからこそ、彼は「プロの舟券師」なのでしょうね。
富田が最後に語った「ボートレースをすると、その間は忘れられる。精神安定剤よりよっぽど効く」という言葉。必死に1着を予想している瞬間だけは、現実の辛いことや忘れたい過去から解放される――。ギャンブラーたちの心に潜む、そんな切なくもリアルな一面を表現したくてこのエピソードを書きました。
大会社を捨ててでも、自分の生きる道と大切な人(松江)を選んだ二郎。まぼろしのように儚くも、必死に生きる二人の行く末を、これからも温かく見守っていただけると嬉しいです。
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【作者よりお願い】
最後までお読みいただきありがとうございます。
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それでは、また次回のエピソードでお会いしましょう。
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