109 ◎『ボートレース江戸川』の舟券師(前編) ~もつ煮大好き~
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【あらまし】(恋愛エピソード)
レース開始前のわずか10分、決まった時間にもつ煮を食べる男。ボートレース江戸川に通い詰めるプロの舟券師・二郎は「家族も女性も考えない」と心に決め、ただ勝負にのみ生きる男だった。
しかし、そんな彼にずっと視線を送る女性・松江との予期せぬ出会いが、静かな日々に波紋を広げていく。会話を重ねるうち、松江は二郎の洗練された一挙手一投足から、彼が隠し持つ“ある過去”を直感するが……。
ひっそりと寄り添い合う男女の姿を通して、ギャンブルの魔力と、そこに救いを求める人間の哀愁を描く大人の人間ドラマ。
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【主な登場人物】
1. 現在の会話(現実の人物)
富田竹夫
作家。現在『ボートレース江戸川』の舟券師をテーマにした作品を執筆中。「男A」から聞いた話をベースに小説を書き始めた。
由利源吾
美浦市役所税務課職員。富田の話し相手。富田の話す舟券師の生き様に引き込まれ、彼の言葉に深く共感する。
男A
富田に「舟券師とパート女性の恋の話」を持ちかけた人物。
2. 富田が語る話
(仮名)平井二郎(ひらい・じろう・45歳)
舟券師。『ボートレース江戸川』に毎日通い、独自のこだわりと習慣を持って真剣に予想をしている。人と関わらず孤独に生きてきたが、育ちの良さを感じさせる上品な一挙手一投足を持つ。
(仮名)小松 松江(こまつ・まつえ・44歳)
『ボートレース江戸川』場内のもつ煮を出す店で働くパート女性。毎日決まった時間に食事に来る二郎のことが気になっていた。二郎と同じく、ひとりぼっちの身の上。
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【前書き】
●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております
●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました
●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです
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【01】 舟券師、(仮名)平井二郎
いつものように作家の富田と市役所勤務の由利が『ボートレース戸田』で出会った。
富田「今、『ギャンブラーと女たち』の続編と言いますか、舟券師の生き様を書いているんです」
由利「それは出版されるのが楽しみです」
富田「でも、いつ書き終えるか、ちょっとめどが立たないんです」
由利「そうなんですか。ちょっと残念です」
富田「『ボートレース江戸川』の舟券師の話で、ちょっと或る人(男A)から聞いた話を書き始めたんです」
由利「実話なんですか?」
富田「実話かどうかは、まったくわかりません。ですので、あくまで小説ということで」
由利「そうですよね。舟券師達は、なかなか姿を見せないですもんね。まぼろしだからいいんです」
富田「そう、そうなんです。彼らはまぼろしなんですよ」
由利「なにか、人知れず生まれて、はかなく消えていきそうですもんね」
富田「そのとおり、いいことを言ってくれました」
由利「そうですか?」
富田「私も、彼らに同じイメージを持っているんです」
由利「良かった」
富田「そのある舟券師が、ひょんなことで女と知り合うのです」
由利「ひょんなことって?」
富田「『ボートレース江戸川』で、彼がよく行くもつ煮を出す店。そこで働いているパートさんと、街中でばったり出くわすんです」
由利「ありそうなことですね」
富田が話した舟券師の話は、次のとおりだった。
舟券師平井二郎(仮名)は45歳、もつ煮を出す店で働いている女性小松松江(仮名)が44歳、ひとつ年下だった。
松江はボートレース開催中、必ず毎日決まった時間に来る二郎を段々と気にするようになっていった。
二郎がこの店で食事を取る時間はいつも決まっていた。11:20~11:30、わずか10分間。第2レースが始まる前に軽く食べる、それが二郎の習慣だった。
二郎(空腹でも満腹でも良い決断はできない)
そう、二郎は考えていた。食事の時間は10分。食事の時間を短くした理由は、ボートレーサーたちの練習から展示、本番まで見逃したくなかったからだった。舟券師として、出来ることはすべてしたかったのだ。
二郎と松江は、この時間、この場所で何百回と顔を合わせていたに違いない。それでも二人は、注文の時と会計以外で会話することはなかった。
その二人がある日、街中でばったりと顔を合わせたのだ。平日の朝10時半。天気は良く、人通りは無かった。
松江「あらっ、お客さん」
チラッと視線が合いながらも通り過ぎようとした二郎に、松江から声を掛けた。
それでも二郎は、聞こえぬフリをして歩き続けた。
松江「ちょっと待って」
その言葉に、さすがの二郎も足を止めた。しかし、振り向こうとはしなかった。
松江は二郎の方に歩みより、二郎の正面に立った。
松江「話しかけちゃいけなかった?」
二郎「……、いや」
戸惑いながら答えた。
松江「ねぇ、今日はボートレースも休みよ。ちょっとぐらい話をしたっていいでしょう?」
二郎「う、うん」
二郎が頷いた。
松江「歯切れが悪いのねぇ。私のことが嫌いなの?」
二郎「とんでもない」
手を胸の前で横に振った。
松江「話をしてもいい?」
二郎「いいけど、オイラ、人と話をしたことがないんだよ」
松江「そうよね。ボートレースを見ているだけの毎日なんでしょう?」
二郎「まぁ」
松江「ねぇ、お客さん」
二郎「はい」
松江「ひょっとして、お客さん、舟券師じゃじゃない?」
二郎は黙っていた。
松江「黙秘していることが、答えなのね」
それでも二郎は黙っていた。
松江「ねぇ、これからどこへ行くの?」
二郎「公園かな?」
松江「付いて行ってもいい?」
二郎「任せるよ」
松江「じゃぁ、決めた。付いて行く」
二人は近くの公園に向かって、ゆっくりと歩き出した。
【02】 しゃべらないけどいい感じ
松江「ねぇ、奥さんも子供さんも居ないの?」
松江が単刀直入に質問した。
二郎「ああ」
松江「ひとりなんだ?」
二郎「ああ」
松江「私と一緒ね」
二郎「そう?」
松江「寂しくないの?」
二郎「そう言うときもあるが、仕方ないさ」
松江「私と一緒ね」
二郎「そうなんだ」
松江「でも、ひとりで食べていけるんだからたいしたものね」
二郎「必死さ」
松江「そうかぁ~。どんな仕事でも楽じゃないのね」
二郎「あなたもだろう?」
松江「うん」
二郎「『あなた』は言いにくいな。なんて呼べばいいのかな?」
松江「あなたは、なんて呼ばれたいの?」
二郎「名前が『二郎』だから、『二郎さん』かな?」
松江「わかった。『二郎さん』ね。じゃぁ、私のことは『松江さん』と呼べばいいわ。『松竹梅』の『松』に、『江戸』の『江』よ」
二郎「わかった。その方がいいな。言いやすい」
松江「私も。私たちって、もう何百回も顔を合わせているのよ」
二郎「うん、そうだね」
松江「なのに、こうやって話すのは初めて」
二郎「うん」
松江「こんなことって、あるのね。どうしてかしら? 私のこと嫌い?」
二郎「いや」
松江「でも、いつも食事だけして、目も合わせなかったわよ」
二郎「レースのことしか考えていなかったのと、」
松江「……」
二郎「オイラには、家族とか女性のことを考えちゃいけないんだ、と言い聞かせているんだ」
松江「舟券師だから」
二郎が黙って小さく頷いた。
松江「二郎さんの実家ってどこなの?」
二郎「すまん、内緒にしている」
松江「ごめん、聞いちゃいけなかったわね」
二郎「すまん。もう忘れたんだ」
松江「いいの、私も自分の過去はほとんど忘れている」
二郎「そうかい」
松江「お互い、ひとりぼっちなんだね」
二郎「そうなんだ?」
松江「ねぇ、今度、たまに会ってもいい?」
二郎「うむ?」
松江「ボートレースの開催日以外ならいいでしょう?」
二郎「開催日の前日もダメだな」
松江「そうか、そうだよね。当然だよね。前検やってるもんね」
二郎は前検日の試走を見るのも日課に入っていた。
二郎「随分、くわしいんだな」
松江「そりゃぁ、あそこに長く勤めているもん」
二郎「そうか。でも、なんでオイラなんかと? もっと松江さんにふさわしいお客さんがいるだろうに?」
松江「そうねぇ~、二郎さんが何年も何も言わなかったところかな?」
二郎「……」
松江「二郎さん何もしゃべらなかったけれど、なにかいい感じだったのよ」
二郎「……」
松江「何もしゃべらなくても、気にならない、というか、そばに居て気が楽というのか。ほら、嫌な客って居るじゃない。このお客さん、早く帰って欲しいな、みたいな」
二郎「うん、わかる。もつ煮を食べていて、そばに座られて嫌なときがある」
松江「予想に集中出来なくなるでしょう?」
二郎「よくわかっているんだな」
松江「だから、私、二郎さんが注文するとき以外は、邪魔しないようにしていたのよ」
二郎「ありがとう。気を遣ってくれていたんだな」
松江「それほどではないけれど、ときどき遠くから二郎さんを見てたのよ」
二郎「数回だけれど、見られていると感じたことはあったかな。でも、お皿を片付けるタイミングを見計らっているのかな? と思ったよ」
松江「二郎さんが真剣に予想している姿って悪くないわよね」
二郎「よしてくれよ。次からお店に行けなくなるよ」
松江「それは、困るわ。いつもの通り来て。今の話は忘れて。私もいつもの通りふるまうから」
二郎「わかった。そうする」
二人は、公園に着き、ベンチに座った。
松江「家は、この近く?」
二郎「うん、すぐそこ」
松江「今度、遊びに行ってもいい?」
二郎「なにもないし、汚いよ」
松江「かまわないわ」
二郎「それで良ければ、どうぞ」
松江「わかった」
二郎「自分のことは、話さないんだね」
松江「なにか聞きたいことはある?」
二郎「そう言われると特には無いかな。まぁ、知らない方がいいのかな、とも思うし」
松江「私の家は、あっち」
松江が方向を指さした。
松江「結構近いわよ。部屋の中はごちゃごちゃして、物がいっぱい置いてあるの。ちょっと人は呼べないわね」
二郎「友達とか来ないのかい?」
松江「友達は居ないし、誰も部屋に入ったことはないわ」
二郎「まったく一緒だな」
松江「そんな感じがしたのよ。同じ匂いがする、って言うのかしら?」
二郎「ふふふふふ」
松江「なに笑っているの?」
二郎「久しぶりに人と話したからさ。満足感で笑ったんだと思うよ。こんなに話したことがないんだよ、もう何年も」
松江「色々とあったのね、私もだけど」
二郎「45年も生きてれば、色々あるさ」
松江「45年なんだ、私は44年」
二郎「似たり寄ったりか」
松江「そうね、『割れ鍋に綴じ蓋』ね。良かった、話し相手が見つかって」
二郎「そうかい?」
松江「そうよ、いい話し相手。一応選んでいたのよ。そりの合わない相手じゃいやだし、意外と同性より異性の方が合うのよね」
二郎「うん、そうかも知れない」




