108 ▼アウト屋土佐直哉(後編) ~タンポポの花を見て~
【07】 『ボートレース津』、一般競争。
SGレースが終わり土佐の次の開催は『ボートレース津』での一般競争だった。
2日目を終えて、成績は、2着、6着、3着、6着。とても準優勝戦にさえ乗れる成績ではなかった。
職員「また、FAXがたくさん来てますよ」
職員が、チラッと見せに来た。
職員「『負けても負けても6コースで頑張る土佐選手に勇気をもらいました。僕はタクシー運転手です。駅構内に入れないときもありますが頑張ります』って。北海道の方からです」
土佐「同じ境遇なんですね」
職員「『僕はアルバイトです。正職員になれませんが、6コースだと思って頑張っています』山形の方ですね」
土佐「ははは、うまいな。そうですよ、今やアルバイトさんの方が仕事できますからね」
記者「明日も6コースに入りますか?」
土佐「もちろんです。7コースはないですもんね」
記者「がはははは」
一同が笑った。
土佐(みんなが笑ってくれれば、こっちも嬉しい。明日から、もっと頑張るぞ!)
3日目。
土佐は一回乗りだったが、1着を取れた。
土佐(タクシー運転手さんのFAXが、私を1着にしてくれた)
4日目。
土佐は二回乗り。奇跡の1着、1着。
土佐(アルバイトさんのFAXが、私を二回1着にしてくれた。これでギリギリ準優勝戦に乗れるぞ)
5日目。
前半戦で1着。後半戦は準優勝戦。そこでも1着。これで5連勝。
記者「すごいですね。5連勝です!」
土佐「ファンの方々からのFAXを見させていただき、元気が出ました」
記者「良かったですね。『管理解除』(開催終了)になれば、すべてのFAXがもらえますよ」
土佐「きっとFAXの紙に、運がついていたんですね」
記者「それって、聞きようによっては、トイレの紙みたいですよ」
土佐「ははははは」
記者「明日の優勝戦、手ごたえはどうですか?」
土佐「もちろん、優勝を狙っていきますが、ちょっと厳しいですね。でも、ひたすらゴールまで一生懸命走ります」
最終日。
決勝戦。3号艇となったが、土佐はお決まりの6コースに入った。
結果は、3着だった。
記者「お疲れ様でした」
土佐「ありがとうございます」
記者「優勝戦は、残念でしたね」
土佐「いえ、精一杯走ったので、特に何も考えておりません。結果は単に結果ですから」
記者「なるほど。でも、3日目から5連勝、すごかったですね」
土佐「いえ、昔の誰かの記録で37連勝に比べれば、屁みたいなものです。ははははは」
記者「北海道の運転手さんや、山形のバイトの方のFAXが、エンジンの伸びを良くした感じですね」
土佐「本当にそうです。助かりました。ついでに、私の場合フライングが多いので、半年間休みになったらバイトを紹介してください。また助けてくださいね」
記者「がはははは」
土佐(受けた! 笑ってくれれば、こっちも嬉しい。明日から、もっと頑張るぞ!)
遠くで弟子の亜希が、その様子をユーチューブで見ていた。
亜希「相変わらず、バカな師匠。でも、そこがいいのよ。だから、私、弟子になったんだから」
亜希が、ほほ笑んだ。
【回想の終わり】
【08】 レースリプレイビデオ
話は、現在に戻って、男女W優勝戦、ボートレース鳴門、
4日目の夜、選手宿舎ロビー。土佐がSGレースに出場した話を終えた。
土佐「話は変わりますが、今は全ボートレース場でレースビデオがあり、リプレイがすぐみられるから便利ですね」
爽香「そうですね。撮影する方も、本当に上手に撮ってくれますし、実況アナもそれぞれのレース場で個性がある放送なので楽しめます」
土佐「レーサーもプロならカメラマンもアナウンサーもプロってことですね」
爽香「ええ、どんな職業でも一流になるってことは大変ですよね」
土佐「しかし、あんな便利なものを使わない手はない」
爽香「と言いますと?」
土佐「私は時間があればあのレースリプレイを見ているんです」
爽香「へぇーそうなんですか」
土佐「いろいろ見ていると、このレーサーはまくりが得意なんだ、このレーサーは差しが好きなんだと、いろんなことが見えてくるんです」
爽香「なるほど」
土佐「時にはレーサーのクセや弱点を発見するときがあります」
爽香「すごい!」
土佐「イン選手は全選手の動きを見ることは難しいけれど、6コースというのは唯一全選手の動きが見えるポジションだと思うんです」
爽香「ふむふむ」
土佐「首を左右に振らなくても、左だけ見ていれば全選手の動きが見える。1マークに達する数メートル手前で相手の動きを予想するんです」
爽香「ええ、」
土佐「この瞬時の予想こそがより高い順位につながります」
爽香「『瞬時の予想』……」
土佐「毎回1着を取るなんて不可能ですし、そんなことをしたら危険につながります」
爽香「ほんと、そう思います」
土佐「ひとつでも順位が上になれればそれで充分だと思うんです。無理しちゃいけない」
爽香「そうなんですね、私は先輩がてっきり毎回1着を狙って走っているのかと思いました」
土佐「そう言うレーサーもいるのでしょうけれど、疲れるし長くは続かないんじゃないですかねぇ?」
爽香「もっと賞金が欲しいとか思わないんですか?」
土佐「まったく思いません! ほとんどのレーサーがより多くの賞金を得ようと願っているでしょう。その反面、現状を維持して今の生活が維持出来れば良いと思っているレーサーもいることは確かです」
爽香「そうなんですか」
土佐「年齢が20代、30代、40代、50代で考え方も変わってくるでしょうし」
爽香「まだ私にはわかりませんが」
土佐「とりあえずクビにならない程度に、無理せず心・技・体を高めていけばいいんじゃないですか?」
爽香「焦るなってことですね」
土佐「ええ、その通りです!」
【09】 『チルト3』は、宇宙服?
土佐「『チルト3』で走ったことありますか?」
爽香「はい、浜名湖で走りました」
土佐「そう、それは良い経験をしましたね」
爽香「ええ、良い経験になりました。土佐先輩は、チルトの違いをどう感じていますか?」
土佐「一般的なチルトは『マイナス0.5ですよね』」
爽香「私も含めて、ほとんどのレーサーが、そうだと思います。」
土佐「『0』だと、ジャケット1枚着て、乗る感じ」
爽香「なるほど、あまり変わらないですね」
土佐「『プラス0.5』だと、ダウン1枚着て、乗る感じ」
爽香「ちょっとモワモワしますね」
土佐「『1』だと、南極探検の防寒服を着て、乗る感じ」
爽香「ちょっと、厳しいですね」
土佐「『3』だと、宇宙服を着て、乗る感じ」
爽香「浮いているだけで、精一杯でしょう」
土佐「私は、『チルト3』を乗りこなすまでに、10年かかりましたからね」
爽香「10年も!」
土佐「『チルト3』で、勝負するには、『チルト』だけでなく、プロペラ、ギヤケース、体幹、腕力など、それを補助する部品と体力が必要なのです」
爽香「そんなに、大変だったなんて知りませんでした」
土佐「なかなか一朝一夕にうまく行くものではないです。浜名湖は全国24場の中でもコースが広大で、最高速度でターンが出来る競走水面です、そこで思いっきりターンしたらいい」
爽香「はい」
土佐「もし、うまくターンが出来たら国産の最高牛を宅急便で贈りますよ」
爽香「もし失敗したら?」
土佐「そのときは、素直に実力不足を認め、『私の負けです』とメールを送ってください」
爽香「レーサーにとって、かなりの屈辱ですね。試合で『私の負けです』なんて言うことがないですからね」
土佐「スポーツの世界ではそうですね。ところが勝負ごとで唯一『私の負けです』と言わないと終わらない競技があるんです」
爽香「えっ? そんなのありましたか?」
土佐「はい、囲碁・将棋の世界です」
爽香「……」
土佐「対局中に自分の負けがわかると、改めて服装を正し正座して、相手に『私の負けです』と頭を下げます」
爽香「そうなんですか、それってすごいですね」
土佐「そう自ら負けを認めない限り終わらないのです」
爽香「自分の負けを認めるって辛いですよね」
土佐「辛いという漢字の『辛い』に自分の努力を『+』プラスすれば「幸せ」になる、と言っていた人がいます」
爽香「すごいわ!」
土佐「素直に負けを認めることが次へのステップとなります。だからその証拠を私は欲しいのです。それがあればいつかあなたが練習を怠っているときに、それを見せて『このときを思い出してください』と言えますからね」
爽香「言質っていうことですね」
土佐「そんな難しい言葉をよく知っていますね」
爽香「学生のとき、国語の時間に『言葉の人質だよ』と先生に習いました」
土佐「なるほどわかりやすいですね」
爽香「その先生が言ってました、『教育というのは難しいことをわかりやすく教えることだ』って」
土佐「いまどきそんな良い先生がいるんですね」
爽香「ええ、本当に良い先生でした」
土佐「じゃぁこれで決まりです。『チルト3』でターンに失敗したら『私の負けです』とメールを送ってください」
爽香「わかりました。その代わりもしうまくターンが出来たら国産の最高牛一頭ですよ」
土佐「牛一頭ですか? 牛一頭どうやって送るんですか? 宅配便のお兄さんだって車に乗せるのがたいへんじゃありませんか?」
爽香「でしたら、牛をレース場のペアボートに乗せて海から送るというのは?」
土佐「牛が素直にボートに乗るとは思えませんが? それにあなたの住んでいる埼玉県に海はないですよ」
爽香「私の負けです」
土佐「ははははは」
二人は大声で笑った。
【10】 タンポポの花は、なぜ折れない?
爽香の35節目『ボートレース浜名湖』。
6コース爽香、『チルト3』でレースに臨んだ。
大時計、3秒前、2秒前、1秒前、ゼロ。
爽香(しめた! 全速で入れた、伸びる伸びる、これはスゴイ!)
爽香(船がパタパタするう~)
爽香(さあ1マーク、半艇身以上は出ているわ。このまま全速ターン!)
爽香はアクセルを握りしめたまま全速でターンした。
爽香(結構流れるわ)
爽香(あ、あーっ)
「ドボーン!!!」
豪快に真横に転覆した。幸いにもコースから外へ、はずれていたので他艇と接触することもなく爽香はケガもなかった。
爽香(これが『チルト3』なんだ……)
身をもって『チルト3』を知った。
爽香の『チルト3』で、水中に落とされた開催が終わった。
開催が終了して2日後。
爽香が美浦市の自宅で食事をしていると土佐直哉からメールが来た。
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『ははははっ、やっぱり転覆しましたね。
いやぁ、でもあの豪快な転覆、とても良かったですよ。
しかも、水中でもハンドルを握っていたみたいで
転覆のお手本ですね!
あなたのホームコースである『ボートレース戸田』、そのコースの岸に
咲いていたタンポポの動画を添付しますからこれで心を癒してください。
じゃぁまた!』
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爽香(何よ! これ?)
爽香(励まし? それとも優越感?)
爽香(まったくもう~)
爽香は添付されていたタンポポが咲いている動画を見た。
わずか15秒の動画だった。
戸田のボートレース場でレーサーがボートに乗って練習しているところから、カメラを引き、ピットの横の土手に咲く1本のタンポポ大きく映し出した。数本の長い葉をしっかり土に這わせ、1本の空に伸びた黄色い花が風にそよぎながらゆらゆら揺れている映像だった。
爽香(ふーん、土佐先輩、こんな風景に興味があったんだ)
爽香はすぐに動画を止め、『チルト3』で転覆したときのことを思い出していた。
爽香(私は転覆して、なぜ土佐先輩は転覆しないんだろう?)
そんなとき爽香の部屋の窓から、爽やかなそよ風が草花の香りを運び、レースのカーテンを揺らしながら爽香の顔に伝わって来た。
爽香(うん?)
爽香(なんだ?)
爽香(風……)
爽香(転覆?)
爽香(土佐先輩のときの『チルト3』は無風で、私のときの『チルト3』は強風だった?)
爽香(ウソよ! そんなの言い訳、私が転覆したときに風は吹いていなかったし、土佐先輩は、無風のときでも風が吹いているときでも常に6コースから『チルト3』でターンしている。いったい何が違うの?)
爽香(風? 風に揺れて咲いているタンポポ。あんな細い茎なのになぜ折れないの? 揺れているから? それだけ? いやちがう? なぜ? なぜ折れないの?)
爽香は目をつむり、土佐先輩から送られてきた映像を頭の中で思い返していた。
爽香(あの映像、なんでタンポポだけでなく、ボートレース場の練習風景からひいてきたの? なんで?)
爽香(私に練習しろ、って言いたいわけ?)
爽香は頭を横に振った。
爽香は頭の中でタンポポの揺れている映像をそこで止めた。
爽香(葉っぱだ!!! あの葉っぱ、たった1本の花を支えるために、あんなに多くの葉っぱが地面を押さえつけている!)
爽香は花の咲いているタンポポの姿を、自分が『チルト3』で旋回している姿に置き換えてみた。
爽香(両手はハンドルを通して艇を水面に押し付け)
爽香(両足は艇内サイドのゴムに靴底を付け)
爽香(両手両足で、しっかり艇を押さえつける!)
爽香(これよ! 艇と水面を接着剤でくっつけるイメージだわ)
爽香(あの舟が暴れるパタパタ感は艇と水面の間に波が入ってしまうからよ)
爽香(だったら艇と水面を平らにしてくっつけてしまえば)
爽香は顎に手をやって考えた。
爽香(腕力は腕立て伏せ、脚力はスクワットで。とにかく筋力をアップさせないと、とても男子レーサーには勝てないわ、もちろん女子レーサーにも)
爽香(1にも2にも3にも、練習、練習、練習)
爽香(土佐先輩が言ってた「アウト屋がどんなに、大変か」。このことなのね)
爽香は土佐の言ったひとことひとことが胸に突き刺さったのだった。
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【後書き】
ご覧いただきありがとうございました!
今回は、爽香の憧れのレーサーであり、ボートレース界でも絶滅危惧種と呼ばれる「アウト屋」の土佐直哉先輩との深い交流回でした。
イン取りの殺気立った人間関係から離れ、大外から「無の状態」でコンマ10の全速スタートを狙う土佐先輩の美学。そして2011年の東日本大震災の際、全国のファン(北海道の運転手さんや山形のバイトさん!)からのFAXに支えられて奇跡の5連勝を飾った回想シーンは、作者としても特に熱を込めて執筆いたしました。どんなに不利な状況でも、自分のスタイルを貫く姿には胸が熱くなりますね。
そして、後半の舞台は浜名湖! 全国で唯一「チルト2.5」が使えるこの水面で、爽香は見事な(?)「お手本のような転覆」を喫してしまいました……!
土佐先輩から送られてきた、戸田のコース岸に咲く「1本のタンポポ」の動画。 風に揺れる花を支えるために、地面に力強く這うたくさんの葉――。
そこから爽香が導き出した「艇と水面を接着剤でくっつけるイメージ」と、己の筋力・体幹不足への気づき。宇宙服を着るような「チルト3」を乗りこなすための、本当の戦いがここから始まります。
「私の負けです」を乗り越えて、また一歩レーサーとして覚醒し始めた爽香を、これからも応援していただけると嬉しいです!
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【作者よりお願い】
今回の土佐先輩のエピソードや、爽香のタンポポの気づきが「良かった!」「面白い!」と思ってくださった方は、ぜひ下部にある【☆☆☆☆☆】からポイント評価や、ブックマーク登録で応援をお願いいたします!執筆の大きな励みになります!
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