107 ▼アウト屋土佐直哉(前編)~『東日本大震災 被災地支援競走』~
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【あらまし】(ボートレーサーの成長エピソード)
ボートレース界で絶滅危惧種とも呼ばれる「アウト屋」。 大外6コースから一撃にかけるその生き様に憧れる若き女子レーサー・爽香は、鳴門の地で「チルトの神様」と称されるベテランレーサー・土佐直哉と念願の対話を果たす。
イン争いの殺気から離れ、独自の美学を貫く土佐。彼が語る6コースの極意、そしてかつて愛弟子と共に歩んだ2011年の「奇跡のSG出場」と被災地への想い……。温和な語り口の裏にあるアウト屋の壮絶な孤独と覚悟に、爽香は深く胸を打たれる。
「アウト屋は、私で最後だよ」
そう諭されながらも、爽香は浜名湖のレースで未知の領域である「チルト3」の全速ターンに挑戦する。しかし、待っていたのは水面へ叩きつけられる豪快な転覆だった。
失意の爽香のもとに、土佐から届いたのは戸田の土手に咲く「1本のタンポポ」の動画。 激しい風に揺れながらも決して折れない一輪の花――その映像に隠された、男子レーサーをも圧倒する「真の強さ」のヒントとは?
厳しい勝負の世界で自らの限界に挑む爽香が、肉体と魂の覚悟を新たにする、熱く爽やかな成長のエピソード!
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【主な登場人物】
==== 主人公====
●速水爽香
ボートレース界の女子レーサー、デビューして約2年。
技術向上に非常に熱心で、1年前に神林から教わった「チルト3」をきっかけに、チルト角度の操縦に興味を持つ。
埼玉県在住(海がないことを土佐に突っ込まれる描写がある)。
==== 今作のキーパーソン====
●土佐直哉
ベテランボートレーサー。徳島支部所属。
ボートレース界でも数少ない「アウト屋(6コース専門の選手)」であり、高いチルト角度を使いこなすことから「チルトの神様」「大外職人」「まくり名人」と称される。
常に腰が低くユーモアがあり、ファンや後輩を大切にする温厚な人柄。
====土佐の回想に登場する人物====
●藤倉亜希
女子レーサー。土佐直哉の唯一の弟子。
ハキハキとした明るい性格で、師匠である土佐の「SGレースに出場したい」という夢を叶えるために熱心に奔走する。
●人吉実鈴
女子レーサー。徳島支部の先輩で、亜希にとっては「実鈴姉さん」と慕う頼れる相談相手。確定申告の存在を亜希に教える。
●群馬支部で引退したある選手
すでに引退している元選手。現役時代の独特な「待機行動(ピット離れからコースに入るまでの動き)」が、土佐直哉がアウト屋に転向する大きなきっかけとなった。
====その他登場する人物====
タクシー運転手の男
沖縄で屋台を転がして生活している男
山形でアルバイトをしている男
ボートレース事務局職員
ボートレース新聞記者
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【前書き】
●この小説には多くの数字が出てきます。そこで読者の皆様が読み易いように横書きとなっております
●多人数での会話も多いことから、誰が話しているのか、すぐにわかるよう会話の頭に台本形式で、氏または名を付けて表現しました
●この物語はフィクションです。実在の個人・団体、実際のレースとは一切関係ありません。ボートレーサーと市役所職員をモデルに、フィクションとして制作されたものです
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【01】 アウト屋稼業 土佐直哉
ちょうど1年前、爽香は神林龍星から『チルト3』について教えてもらった。しかし『チルト3』について無知だったことが原因で、爽香は神林に大ケガをさせてしまう。
その後『チルト』について研究を重ねてきた爽香は『チルトの神様』と呼ばれる土佐直哉(とさ・なおや・41歳)という選手が現存することを知った。
そして土佐直哉のレースを見れば見るほど土佐に憧れた。なぜなら神林龍星の言う『チルト3』を操れるボートレース界で数少ない選手のひとりだったからである。
爽香は、次の開催で土佐直哉に会えることを楽しみにしていた。
【02】 『ボートレース鳴門』男女W優勝戦
4日目土佐は1レース、5レースで共に6コースから1着を取っていた。
その日の夜、選手宿舎のロビーで爽香は、たまたま土佐がひとりでくつろいでいるところに出くわした。
爽香は(今だ!)と思い、勇気を振り絞って土佐に話しかけた。
爽香「すみません、おくつろぎのところを」
そう言って頭をぴょこんと下げた。
土佐「どうしたんですか、お嬢さん」
と、やさしく声をかけてくれた。
爽香「お嬢さんだなんて」
土佐「……」
爽香「土佐先輩は、私にとって憧れなんです」
土佐「それは光栄です」
爽香「土佐先輩は、ボートレース界では数少ないアウト屋ですよね」
土佐「そうですが、そのせいで成績は良くありませんよ」
爽香「でも、一万人以上のファンが付いていて『大外職人』とか『まくり名人』と、評されているじゃないですか」
土佐「それは言い過ぎでしょう?」
土佐がやんわりと否定した。
爽香「私もその一万人のファンの中のひとりなんです」
土佐「嬉しいですね。でもレースのときは手加減しませんよ」
爽香「もちろんです! 実は教えていただきたいことがございまして大先輩に声をかけさせていただきました」
土佐「そんなかしこまらないでください。私に教えられるようなことがあるかどうか疑問ですけれどね。いつも逆に、新人のレーサーから教わることばかりです。……私で良ければなんでもお教えいたしますが」
土佐は、いつも腰の低い物言いであった。
爽香「土佐先輩にしかお聞きできないことなんです」
土佐「そんなもの、あるのかなぁ?」
爽香「6コースからの走り方について教えていただきたいのです!」
土佐「ああそのことですか、いいですよ」
即答だった。
爽香「ありがとうございます」
改めて頭をぴょこんと下げた。
土佐「我々アウト屋は特になんですが」
爽香「はい」
爽香は、真剣な眼差しで土佐の話を聞き始めた。
土佐「アウト屋にとって命というべき大切なものがいくつかあります」
爽香「はい」
土佐「まず、スタートタイミング」
爽香「ええ、それはわかります」
土佐「スタートのとき、アウトのレーサーはインのレーサーと比べて、大時計を体のほぼ正面から見ることができます。しかも毎レース6コースだから見え方が一緒なんです。コースが変われば、その都度調整しなければなりません」
爽香「はい、わたしがインに入ったとき、時計が斜め右手に見えるので見にくかったです」
土佐「そう、だからその有利を生かし、毎回全速で、コンマ10を目指して走り抜けること」
爽香「それが難しいんですよね」
土佐「その通り。よく理解していますね」
土佐が微笑んだ。
爽香「『コンマ10』というのも難しいのですけれど、全速でというのがもっと難しいです」
土佐「その通り。その日によって波の高さは違うし、風の向きも強さも違いますからね」
爽香「そうなんです。それにフライングをしちゃいけないと思うから、もう頭がこんなになって」
両手を頭の上でぐるぐる回した。
土佐「ははははは、髪の毛が癖毛になりそうですね」
爽香「はい、お陰で美容院のパーマ代は助かっています」
土佐「ははははは、面白いお嬢さんだ」
土佐が今度は豪快に笑った。
爽香「そもそも先輩はなんでアウト屋になったんですか?」
土佐「うん、それはあのイン取りで、ターンマークに艇を寄せているときに、睨まれたり、小声で嫌味を言われたり、そんな人間関係に疲れちゃってね」
爽香「やはりそうですか」
土佐「昔、群馬にある先輩レーサーがいましてね。そんなある日、そのレーサーと一緒になったときのことでした」
爽香「もう引退されている方ですね」
土佐「ええ、随分昔に引退されました。その先輩は本番レースで、ただひとりゆっくりとピットを離れて行くんですよ」
爽香「えっ、今、みんな『出走』のランプが点くと同時に、猛ダッシュでインコースを取りに行きますよ」
土佐「はい。ところがその群馬のレーサーは、ひとり遅れてピットを離れるんです」
爽香「えーっ、そんなことがあるんですか?」
土佐「そして対岸まで行くと、ホントに岸辺の草花を見ながらのんびりゆったりと岸に沿って艇を流していくんですねぇ。それはもう、公園の池の手漕ぎボートを楽しんでいる恋人たちと同じような感覚でで」
爽香「わーっ、いいなぁ」
土佐「多分、その群馬の先輩にとってボートは、賞金を稼ぐためのレースボートではなく、水辺の雰囲気を楽しむレジャーボートだったんでしょうねぇ」
爽香「楽しそうですね。フフフ」
土佐「そう、岸の隅から隅まで、きれいに二つの角を通過し、優雅に操縦していた光景を今思い出しましたよ」
爽香「レース直前とは思えないですね」
土佐「そう、そうなんですよ。先輩は本番直前、岸辺の花や樹々を眺め、楽しく爽快な気分でレースに臨みたかったのかもしれません」
爽香「それが、その先輩のルーティンだったんですね」
土佐「きっとそうなんでしょうね」
爽香「で、土佐先輩も同じように?」
土佐「ええ。群馬の先輩の待機行動を見ていたら、悩んでいる自分が馬鹿らしくなってきましてね。自分がこれから何歳まで走れるかわかりませんけれど、今まではピットを離れるたびに暗い気持ちになっていたのに、これからは『これだ!』と思いましたね。」
爽香「すごい!」
土佐「私の目から鱗が落ちた瞬間でした」
爽香「世界が変わりましたね」
土佐「本当にそうなんです。岸辺を流していると今まで気づかなかったことに気づくようになったんです。あるボートレース場では、春にはタンポポ、秋にはコスモス。今までも咲いていたに違いないのにそれさえも気づきませんでした。それまでイン取りで先輩の顔色しか見ていませんでしたからね」
爽香「すごいわかります。イン取りって、殺気だっている時がありますよね」
土佐「そうですね。大外だと着順という代償はありますが、それに代えがたい物を得られたような気がして、今はこれで良かったと思ってますし、引退するまでこれでいくつもりです」
【03】 私が最後のアウト屋
爽香「とても勉強になります。わたしもアウト屋になろうかな?」
土佐「お嬢さん、」
爽香「はい?」
土佐「悪いことは言いません、およしなさい」
爽香「えっ! ダメですか?」
土佐「ええ。アウト屋は私で最後ですよ」
爽香「そんな?」
土佐「もう、これからは6コースだけじゃ食べていけない時代です。下手すれば勝率が落ちて、引退勧告されるかも知れません」
爽香「でも先輩は、さっき、『引退するまでこれでいくつもりです』っておっしゃっていたじゃないですか?」
土佐「ええ、言いました。もう私も年も年だし、でも多少の貯えがありますから稼がなくても生活できますが、お嬢さんには将来がある、未来がある。それを、私の安易なひと言で壊したくないんですよ。わかってもらえますか?」
爽香「わかりません!」
土佐「アウト屋がどんなに、大変か」
爽香「……」
爽香は、思いがけない土佐の悲しそうな表情に、言葉を飲み込んでしまった。
そして土佐は、2011年の、当時のことを爽香に話し始めた。
【回想の始まり】
土佐「あれは、2011年のことでした」
土佐には、ひとりの弟子が居た。名前は、藤倉亜希(ふじくら・あき・24歳)昨年、弟子になったばかりだった。
新年の飲み会で、
土佐「なんで、私を師匠に選んだんですか? 徳島支部には、私よりもっともっと腕の良いレーサーがいっぱいいるのに?」
亜希「そうですね。勝率の良い先輩はいるかもしれませんが、とりあえず、私たち新人レーサーは、6コースしか入れませんから。6コースが一番うまい先輩に教えてもらおうと思って」
土佐「ははははは。それは良い考えだ! 確かに手っ取り早い」
亜希「そうでしょう」
土佐「ということは、何年か経って、インコースに入れるようになったら、師匠を変えるのかい?」
亜希「はい、そのつもりです」
土佐「ははははは。それはいい! 大賛成です。それが上達の早道ですよ」
亜希「師匠は、新人レーサーと同じ番組になったら、5コースに入るんですか?」
土佐「いい質問ですね。よっぽどのことが無い限り、私が6コースを主張します!」
亜希「『よっぽどのこと』って?」
土佐「この前実際にあったのは、その新人が私のことを知らなかったんでしょうね」
亜希「えっ! まだそんなレーサーがいるんですか?」
土佐「それが、居るんですよ。私がアウト屋だと知らない新人が。それで、その新人は、暗黙のルールで、新人である自分が6コースに入らないといけないと思ったんでしょうね」
亜希「ふふふふふ、なんだか面白そう……」
土佐「私は『♪野に咲く花のように風に吹かれて』(野に咲く花のように / ダ・カーポ
)と口ずさみながら岸辺を流していたら、岸と私のボートの間、わずか70cmの隙間に、舳先を入れてきた新人が居るんですよ」
亜希「がはははは」土佐「ほんとですよ」
亜希「笑える!!!」
土佐「ボートって、幅が130cmくらいあるでしょう」
亜希「ええ」
土佐「だから、私が何も考えずにいた所に、いきなりガツンと後ろから割り込んできたんですよ」
亜希「光景が、目に浮かびます」
土佐「いやぁ~、びっくりしましたよ。何が起きたのかと思って」
亜希「ぎゃはははは」
土佐「で、後ろを見たら、その新人が、必死な顔をしていましてね」
亜希「そう教わってきてますからね」
土佐「だから、しかたなく入れてあげたのです」
亜希「ふふふふふ。やさしいんですね」
土佐「しょうがないでしょう、道をふさいだほうが正しかったですか?」
亜希「それは、おとなげないです。スポーツマンシップにも反しそう?」
土佐「そうでしょう? だから、譲ったのです」
亜希「さすが、師匠!」
土佐「その新人のせいで『♪野に咲く花のように風に吹かれて』の歌が途中で、歌うの忘れちゃいましてね、どうしてくれるんだ! と心の中で怒ってました」
亜希「もう、いつもこうなんだから。そこですか?」
土佐「ははははっ。あの子、今頃どうなっているかなぁ?」
亜希「今の話は、6コースに入れなくて新人が困ったんでしょうけれど、師匠は困ったことないのですか?」
土佐「あるよ。この前ね、夢を見たんですよ」
亜希「どんな夢を?」
土佐「自分が1号艇で、進入固定戦に出る夢なんです」
亜希「がはははは。受けるぅ」
土佐「1コースなんて、もう何年もやってないから無理」
亜希「ははははは。年末のレースも1号艇だったのに、6コースに入りましたものね」
土佐「ああ。もう1号艇は、やめて欲しいなぁ」
亜希「私から、番組編成室に言っときましょうか?」
土佐「ええ、頼みますよ。ははははは」
亜希「師匠の夢は?」
土佐「そうですね、引退するまでに一度でいいからもう1回だけSG(最高グレードのレース)に出たいな」
亜希「出られるでしょう?」
土佐「いや、無理です。勝率は悪いし、優勝回数も少ないし、獲得賞金だって、さほど多い訳ではないし」
亜希「そうなんだ。師匠ほどの腕を持ってしても」
土佐「SGに出られるのは、全選手1600人の内、たった50人ですからね。30人にひとりでしょう。しかも『A1級』という条件付きですからね」
亜希「そうか。やっぱり、6コース専門じゃ無理ですか?」
土佐「はい」
亜希「でも、なんとか、師匠の夢を叶えてあげたいなぁ~」
土佐「その気持ちだけで嬉しいです。いい弟子が来てくれました。ぐすん」
亜希「そんな、泣かなくても」
土佐「今は、まぐれで『エーワン(A1級)』だけれど、これが最後『エーワン(A1級)』でしょうね」
亜希「なんとか、師匠の夢を叶えてあげたいけれど、」
亜希(無理よねぇ)
亜希(A1級の選手は300人を超える。その中でも上位50人となると……)
亜希は、そう思った。
家に帰ってから、亜希は、SGレースについて調べ始めた。
亜希「SGの出場条件ってなんだろう?」
亜希「『ボートレースダービー』は、『A1レーサーで勝率上位のレーサー』かぁ~」
亜希『ボートレースクラシック』は、『SG・G1・G2戦の優勝者とG3以下の大会での優勝回数上位のレーサー』かぁ~」
亜希「『チャレンジカップ』『グランプリ』は、『獲得賞金上位のレーサー』かぁ~」
亜希「やっぱり、どのSGレースも師匠のおっしゃる通り『勝率』『優勝回数』『獲得賞金』が上位のA1レーサーに限られるのねぇー」
亜希「やっぱり、6コース選手では、無理か」
亜希「うん、待って!」
亜希「『ボートレースオールスター』だけは、『ファン投票上位のレーサー』?」
亜希「これだ!!! これなら可能性が、無い訳ではないわ。1%ぐらいはあるんじゃない?」
亜希「人気なら、師匠は絶対にあるわ」
亜希「現に、師匠が出るレースは、勝とうが負けようが売れる。ファンの方に、師匠を1着にして舟券を購入していただいている。売り上げもいいわ。なんてったっていつも6コースだから配当がいいのよ」
亜希「なんとか、ならないかしら?」
『ボートレースオールスター』の投票期間は、1月17日(金)~2月21日(金)だった。
【04】 師匠の夢、SG出場
『ボートレースオールスター』の投票が始まった。
投票は、
ボートレース場
ボートレースチケットショップ
パソコン
携帯電話
で、候補レーサーの中から6人を選び、ひとり一票、投じることが出来る。
亜希「徳島支部会の方やファンクラブの方にも、応援してもらって、ぜひ師匠をSGに出場させてあげたいわ。おそらく最後のチャンスだろうし」
亜希は、強くそう思った。
そして、1月31日(金)、中間発表が行われた。
亜希は、携帯サイトで確認した。
1位から50位までのレーサー名と得票数が記載されていた。
亜希「1位、2位、3位、と、」
上から順に目で追って行った。
亜希「30位、40位、ないわ。45位、50位。無い!」
亜希「無いわ。50位以内に入ってない。やっぱり投票されるのは、いつもSGに出ているレーサーばかり。師匠は無理だったのね」
亜希は、モーターボート競走会に電話した。
亜希「徳島支部の藤倉です。お忙しいところすみませんが、土佐直哉は、今、何位ぐらいでしょうか?」
競走会「60位で、1900票です。いつもですと、50位以内であれば、ほぼ出場できるのですが」
人気投票では、毎年女子レーサーが多く入る。しかし、女子レーサーには人数枠があり、落とされることも勘案して答えた。
亜希「ありがとうございました」
電話を切った。
亜希「60位で1900票か。50位が2000票だから、あと100票ね」
亜希は、徳島支部の先輩人吉実鈴(ひとよし・みすず41歳)に相談した。
亜希「あと100票で『ボートレースオールスター』に出られるのですが、可能性ありますか?」
実鈴「まず、無理ね。100票の差は大きいわね。どこの支部のファンでも、また、どこのレース場でも、地元のレーサーに投票するでしょう。だから、徳島支部だけ票が伸びるなんてあり得ないのよ。みんな、平均して票を上積みするから、いつもだと最終順位は、中間発表の順位とほとんど変わらないわよ」
亜希「そうなんですか」
実鈴「弟子としてのあなたの気持ちは、充分理解できるけれど、こればかりはねぇ」
亜希は、それを聞いて落胆した。なんとか、師匠の夢を叶えたかったのだが、それが難しいことを痛切に感じていた。
【05】 あなたも投票してみませんか?
日にちは、どんどん過ぎて行った。先輩の人吉実鈴から藤倉亜希にメールが入っていた。
実鈴『レーサーになって初めての確定申告時期でしょうから伝えます。時間を見つけて、住んでいる最寄りの税務署で職員さんに聞きながら確定申告をしてね。以上です』
亜希「面倒くさい! なに? 確定申告って」
亜希は、その『確定申告』という言葉を聞いただけでうんざりしていた。
亜希「面倒くさいけれども、実鈴姉さんが、わざわざメールしてくるぐらいだから、しないときっと大変なことになるのね」
亜希は、インターネットで、持ち物や提出先を調べて、確定申告をすることにした。
亜希が税務署に着くと、ものすごい混み方だった。番号札を持ち、椅子に座って待つのだが、『3時間待ち』と表示されていた。
亜希は、時間をつぶすために、再度『確定申告』について、サイトを探し、勉強し始めた。
亜希(そうか、私の場合は、収入が少ないから、税金が戻ってくるんだ。だから実鈴姉さんは、『確定申告をしてね』って、言って来たのね)
亜希(どれどれ、ついでに『ボートレースオールスター』の投票サイトをみてみようかしら)
サイトが開かれた。ボートレースでどこにでも名を連ねる有名レーサーの顔写真が、いきなり目に飛び込んで来た。
亜希(やはりこのレーサーたちが、ボートレースの顔よね。私の師匠が50位以内なんて、到底無理ね)
確定申告を待つ列が進まない。周りの客もうんざりしている感じだった。ふと、隣を見ると、スマホで競馬をやっている。しかも予想新聞まで持っている。
亜希(準備がいいこと! そうよね。3時間も待つんじゃ、その間、なんでも出来るわよね)
亜希(うん? 『何でもできる』? じゃぁ『投票もできる』?)
亜希(今日は、2月19日(水)、投票締め切り日まで、あと2日ある)
亜希は、あることを思いついた。
亜希(そうだ、SNSだ、ツイッターだ!)
亜希の顔が一瞬にして元気いっぱいの笑顔になった。
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亜希『税務署なう。確定申告、3時間待ち! ギャー。なので『ボートレースオールスター』のファン投票をすることにしました。抽選で、テレビや、電子レンジが当たるって! 皆さんもやりませんか? 確定申告の順番待ちをしている北海道のみなさん、沖縄のみなさん、東北のみなさん、チャンスですよ!』
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亜希が発信した。ボートレース場のない所に直接呼びかけることで、師匠、土佐直哉の票の上積みを狙った。ボートレース場のある都道府県では、どうしても地元選手に投票してしまう。そこに亜希は目をつけた。
北海道管内の税務署。
確定申告の順番待ちをしているタクシー運転手の男。
運転手「なんで、2時間も待たないといけないんだ。しかも税金を取られるのに。『踏んだり蹴ったり』とは、まさにこのことだ」
運転手の男は、携帯電話を取り出した。
運転手「どれどれ、『確定申告・北海道』でSNSを検索してみるか」
運転手「おっ! 待っている間にテレビがもらえるかも? こんな良い待ち時間の方法があるとは!」
沖縄管内の税務署。
沖縄で屋台を転がして生活している男。
屋台主「なんで、2時間も待たないといけないんだ。たいして売り上げもないのに。申告をしないと、あとで、えらい高い延滞税を取られるし」
屋台主の男は、携帯電話を取り出した。
運転手「どれどれ、『確定申告・沖縄』でSNSを検索してみるか」
運転手「おっ! 待っている間に電子レンジがもらえるかも? こんな良い待ち時間の方法があるとは!」
山形管内の税務署。
山形でアルバイトをしている男。
バイト「なんで2時間も待たないといけないんだ。税金を戻してもらうだけなのに。冗談じゃないぜ!」
屋台主の男は、携帯電話を取り出した。
バイト「どれどれ、『確定申告・時間待ち』でSNSを検索してみるか」
バイト「おっ! 待っている間に、テレビや電子レンジが? 欲しい、欲しい!」
亜希(全国的には、ウチの師匠、大人気なんだから)
亜希(明日も、明後日も、同じように発信して、やることだけやって、ダメだったら仕方ないわ。あとは、運だけよ。フフフ)
1か月後。
ファン投票の集計を基に『ボートレースオールスター』、出場選手選考委員会が開かれ、52名のレーサーが決定した。
決定したレーサー名は、サイトにて発表された。
亜希は、携帯サイトで、52名のレーサーを上から順にスクロールしていった。
亜希「1位から10位は、絶対無理よね。SGの優勝者の指定席だものね」
亜希が、順を追うが、やはりSGの優勝者が名を連ねていた。
亜希「11位から20位はどう?」
亜希が順を追う。
亜希「そうか。この辺は、SGのタイトルは逃したものの、SG優勝戦に出たメンバーが入るのか」
亜希の顔が少し曇って来た。
亜希「21位から30位はどう?」
亜希が順を追う。
亜希「そうか。この辺は、ひらば開催(一般戦)の優勝、優出の常連者ね。やっぱり、ウチの師匠は無理かぁー」
亜希は、あきらめた。
亜希「参考までに、31位から40位は、どんなレーサーが入るんだ?」
亜希が順を追う。
亜希「なるほど、この辺になって女子のトップレーサーが、次々と入ってくるんだ。私の夢がここにあるのね。いつか出たいなぁー」
亜希「さて、残るは最後10名。41位から50位ね。まぁ、見るだけ見ないと、レーサー同士の話しについていけなくなるからね」
亜希が順を追う。50位まで見てから、視線を画面の上に戻した。
亜希「うん? 48位に師匠と同じ名前の人が居る? 同姓同名の選手だ?」
亜希「えっ!」
亜希の口元が、いやらしくゆがんだ。目がニッコリした。
亜希「奇跡ね。やったじゃん!!!」
【06】 『ボートレースオールスター』
亜希の思い付きで、土佐が奇跡を起こした翌日、午後2時46分の出来事だった。
東北地方を中心に、2万人を超す死者・行方不明者を出す大地震が発生した。国民にとって、歴史に残る悲惨な出来事だった。
被災地から『こんな時期に、何事だ!』『東北が苦しんでいるときに、よく楽しんでいられるな!』というFAXが、主催者側に寄せられた。
『日本モーターボート競走会』は当初、5月の『ボートレースオールスター』開催中止も視野に入れて検討していた。
しかし、開催して総売上げ金額の1割を被災地に送ること、名称を『東日本大震災 被災地支援競走』とすることを決議し、被災された人々と地域に貢献したい一心で、開催に踏み切った。
そして『ボートレースオールスター』が始まった。
土佐直哉にとっては、奇跡の出場であった。
土佐(もう、これからはプロペラが変わり、エンジンが変わり、外のコースでは勝てなくなる。アウト屋は『絶滅危惧種』と、言っていいだろう)
土佐(今回のSGレースも、勝てるとは思えないが、あの子のお陰で出られたことだけで嬉しい)
土佐(とにかくいつもどおり、勝とうが負けようが全力を尽くしてゴールまで走りきる。ただそれだけのこと)
初日、土佐は、6着、6着だった。
土佐(案の定、6着、6着だ。このSGクラスでは、まったく歯が立たない。でも、それが再確認できただけで出場した意味があったかな?)
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1日目、6着、6着。
2日目、2着。
3日目、6着。
4日目、6着、5着。
5日目、6着。
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7回走って、5回が6着だった。
土佐(この成績がアウト屋を物語っている。最下位確率約70%、もう自分だけでアウト屋はおしまいさ)
そんな所に、事務局職員がやって来た。近くには新聞記者も居た。
職員「土佐さん宛に、FAXがたくさん届いてますよ」
職員が多数のFAXを持っていた。
土佐「えっ、本当ですか!?」
職員が送られてきたFAXを読み始めた。
職員「『土佐選手をいつも見てます。頑張ってください!』って」
土佐「とても嬉しいけど、この成績じゃ恥ずかしいなぁ」
記者「土佐さんが出ると、つい土佐さんの舟券を買ってしまいます。土佐さんの舟券って売れるんですよねぇ」
土佐「そうなんですよ。でも困っちゃうんだよなぁ」
土佐は頭を掻いた。
土佐「さすがに、このメンバーで連がらみは、無理でしょう」
職員「そのことなら、ほら、ここに書いてありますよ」
土佐「えっ?」
職員「『土佐選手が来ないと知りつつ舟券を買ってしまいます。でもそれは、応援している印です。だから、来なくてもいいんです』ねっ、ここに書いてあるでしょう」
事務局職員が、FAXを見せた。
土佐「本当ですね」
職員「こんなFAXも来てます。『どんな環境でも、どんな手ごわい相手でも、不利な6コースから頑張っている姿がかっこいいです』これは、数年前に起きた東日本大震災の被災者の方からです」
土佐「私から見れば避難所や仮設住宅という慣れない環境で戦っている被災者の方々のほうが(私より)よっぽどかっこいいです。なぜなら私たちの監禁生活は7日間ですが、被災者の方々は終わりの見えない避難生活ですからね」
記者「本当にそうですね。いつ家に戻れるかわからないですからね。皆さんお辛いでしょうね」
土佐「皆様方のFAXが私の励みになります。ありがとうございます」
土佐が深々と頭を下げた。
記者「明日は、連がらみ、出来そうですか?」
土佐「それは難しいですね。でも、ひたすらゴールまで一生懸命走ります。私にはそれしかありませんから」
最終日。土佐は、5着、5着。最下位だけはかろうじて免れた。
最後に土佐が言った。
土佐「皆様の応援のお陰でこの大会に出られましたし、皆様のFAXのお陰で最終日5着という良い成績を取れました。感謝しかありません。良い大会でした、ありがとうございました!」
観客席と競走水面に一礼して、土佐はボートレース場を後にした。




