102 ■別れの一本道(その2) ~『したごころ』ってあんたか?~
【06】 警察からの電話照会
翌日、美浦市住民課。始業前。
純也が、昨日得た情報を仲間に報告した。
稔江「毎朝決まった時間に駅へ向かっているんだから、二人で電車に乗っていると思うんだけれどなぁ?」
早苗「『木常咲彦』の正体がどんどん暴かれていくわね」
戸部「ああ、相当の悪だぞ」
稔江「絶対に、正体を暴いてやるわ」
朝、8時半、始業のチャイムが鳴った。
♪キンコーンカンコーン、キンコーンカンコーン
戸部の前の電話が鳴った。
戸部「はい、住民課、戸部です」
鹿島「美浦警察の鹿島です」
電話の声は、美浦警察刑事課の鹿島香介だった。
戸部「ああ、どうも」
鹿島「いつもすまないね。また1件、頼むよ」
戸部「はい、大丈夫です。どうぞ」
鹿島「佐藤翔、美浦市西町5―4―3ウエストハイツ301号室。世帯構成と生年月日をお願いします」
戸部「はい、本人と弟と母親の3人暮らし。本人が、平成10年5月9日生まれ、弟が平成12年7月29日生まれ、母親は昭和48年2月13日生まれ。弟が『亮』で母親が『恭子』です」
鹿島「さて、あとは、漢字だな」
戸部「はい、いきますよ」
鹿島「俺、漢字苦手だからな」
戸部「『亮』はひと文字で、『なべぶた』に『口』に『穴』みたいなやつ」
鹿島「『なべぶた』なんて、知らんぞ」
戸部「では、地名の『京都』の『京』を書いてください」
鹿島「あいよ。書いたよ」
戸部「そこから『小』の字を消しゴムで消して、代わりに『穴』の漢字を書いてください」
鹿島「あいよ。書いたよ」
戸部「そこから『穴』の字のてっぺんの縦棒だけ消してください」
鹿島「ああ、これか。OKだ。わかった」
戸部「次に、『恭子』ですが、『子』は普通の『子ども』の『子』」
鹿島「わかった」
戸部「『恭』は、『共犯者』の『共』を書いて」
鹿島「書いたよ」
戸部「そこに『したごころ』です」
鹿島「うん? なんだ? 『したごころ』って? あんたのことか?」
戸部「ははははは。面白いことを言いますね」
鹿島「本当は、あるんだろう」
戸部「無いことは、ないですけれどね」
鹿島「随分素直なんだな」
戸部「ええ、後でちょっと頼みたいことがあるんですよ」
鹿島「ああ、いいとも。なんでも言ってくれ」
戸部「で、さっきの続きですが、漢字の下に『心』の漢字を書いてもらえますか?」
鹿島「ああ、書いたけれど、さっぱりわからん。これで一文字なのか?」
戸部「ええ。では、芸能人で、叶姉妹の『叶恭子』って、知ってますか?」
鹿島「知らん」
戸部「そうかぁ、弱ったな」
隣から君本早苗が、
早苗「『深キョン』って、言ってみて」
戸部「『深キョン』? って誰だ?」
鹿島「おお! 『深キョン』か! わかった!」
『深キョン(ふかきょん)』とは、日本の大人気女優・タレントである深田恭子さんの愛称。
戸部「えっ!」
鹿島「『深キョン』なら『深キョン』って、早く言ってくれよ。俺、あの子の大ファンなんだから」
戸部「ファンになるなら『叶姉妹』でしょ!」
隣から君本早苗が、
早苗「それは、戸部さんに『したごころ』が、あるからよ!」
鹿島「いやぁ、いつもすまんな。漢字練習よりも柔道と剣道の練習が忙しくて」
戸部「それでいいんですよ」
鹿島「明日までには、必ず今の『捜査関係事項照会書』を持って行くから」
戸部「お願いします。そのとき、私に声を掛けてもらっていいですか?」
鹿島「わかった。必ず声を掛けるよ。じゃぁ」
電話は切れた。
警察から捜査関係での電話照会は、ほぼ毎日のように入る。厳密には、『捜査関係事項照会書』を警察が提出し、それにより市役所が回答する。しかし、一刻を争う捜査の場合は、捜査の合間、またはひと段落してから書類申請されることも日常の出来事だった。
夕方。
警察の鹿島刑事が戸部考一の所にやって来た。
鹿島「じゃぁ、これ」
『捜査関係事項照会書』を差し出した。それと交換に『佐藤恭子の世帯住民票』を渡した。
戸部と鹿島刑事は、戸籍の相談窓口でカウンターを挟んで座った。戸部は、『木常咲彦』が結婚詐欺師ではないかということを相談した。
鹿島「わかった。協力する。お互い市民のために働いているんだからな」
戸部「こっちも、出来る限りのことはやりますから」
鹿島「じゃぁ」
鹿島刑事が警察に戻って行った。
【07】 天満稔江、尾行する
翌日の朝。
天満稔江は、改札口を出て、いつものように市役所への一本道を歩いていた。歩いていくにつれて、遠くから、『木常咲彦』と新しい女性が歩いて来るのが見えた。
徐々に近づくにつれて、二人が楽しそうに話す声が聞こえてきた。
男「夜、どこか外で、一緒に食事できません?」
女「そうねぇ」
男「どこがいいですか?」
女「池袋とか?」
男「何がいいのかな?」
男が最高の笑顔を見せた。
二人が稔江から遠ざかって行く。突然稔江は、立ち止まり携帯電話を取り出した。
稔江は美浦市役所に電話した。
稔江「内線217をお願いします」
早苗「おはようございます。住民課、君本です」
稔江「天満です」
早苗「どうしたの?」
稔江「すみません急に。今日一日休みをください」
早苗「大丈夫? 体調が悪いの?」
稔江「いえ、そう言う訳では。例の件、尾行します。課長には腹痛と言っておいてもらえますか?」
早苗「わかった。うまく言っておくわ」
稔江「すみません。では、追いかけます」
稔江は、電話を切ると、すぐに二人を追いかけた。そして、二人に気付かれぬよう後方を歩いた。やがて二人は、定期券を使って改札口を通り抜けた。そして、東京方面に向かう上りのホームに二人は立っていた。
電車は、すぐに来た。稔江は隣のドアから電車に乗り込んだ。二人は楽しそうに話をしていたが、赤羽の駅に電車が着くと、木常咲彦は下車した。
稔江(ここで、降りるんだ)
稔江は、木常咲彦の後を追った。木常咲彦は東口改札を出て迷わず東へと向かった。飲食店が多い通りを歩き、駅から150mの所で店に入った。
稔江(えっ! ここに?)
そこは、立ち飲みの居酒屋だった。
稔江(この時間から開いているんだ。しかも客が大勢!)
稔江が初めて見る光景だった。木常咲彦は、カウンターに小銭を積み上げ、たまに天井方向に目をやりながら、のんびりと時間を過ごしていた。
稔江は、その様子をガラスのウインドウ越しに見ていたが、ばれないように、通りの角まで行って、張り込みを続けた。
稔江(あいつは、ひとりだから、1、2時間で出て来るだろう)
稔江(やっぱり、働いてなかったんだ。定期まで買って、毎日こうしていたんだわ。そうだ、証拠を押さえておかないと)
稔江は、携帯電話を動画撮影モードにして、立ち飲み店の前をゆっくりと歩いた。通り過ぎると撮影された動画を確認する。それを何度か繰り返した。
稔江(よし! これで証拠は残したわ)
木常咲彦が立ち飲み店に入ってから1時間、朝9時半になると木常咲彦は店から出てきた。
稔江(うっ、出てきた。今度はどこへ行くんだ?)
稔江が木常咲彦の後をつけた。40m歩いた所で木常咲彦足を止めた。そして列に並んだ。
稔江(うん? パチンコ?)
10時にパチンコ店が開店すると木常は、店の中へと入って行った。稔江も少し遅れて店に入った。
稔江は、そこでも証拠に動画撮影をして、店を出た。
【08】 1万5千枚から探す
美浦市役所住民課。
その日の終業時間になった。
早苗「ちょっと残って、残務整理をするわ」
戸部「そうか、めずらしいなぁ」
早苗「ちょっとね」
5時半、5時45分、6時、徐々に職員が帰って行った。戸部は、いつものように残って仕事をしていた。早苗は2千枚くらいの書類を1枚ずつめくっていた。
戸部「すごい量の書類だね」
早苗「まぁね」
戸部「何か探しているの?」
早苗「例の『木常咲彦』よ」
戸部「うむ?」
早苗「消費者金融から住民票の郵送申請がないか調べているのよ」
戸部「そうか、『木常咲彦』が消費者金融から金を借りている可能性はあるもんな」
消費者金融業者は、融資の審査、客の異動情報、取り立てのために、郵送で住民票や戸籍謄本などを申請することがある。それがないかどうか、早苗は調べていた。
早苗「なんか以前見たような気がするのよ。気のせいかも知れないけれど。でも、こうなったらなんでもするわ」
戸部「すごい執念だな」
早苗「そうよ。絶対許せないわ」
戸部「その執念を見たら、だんなの来てがいなくなるんじゃないか?」
早苗「あなたこそ、この一件で、結婚詐欺師になろうと思っているんじゃない?」
戸部「ははははは。そうだな、ここをクビになったらやるかもな」
早苗「私をターゲットにしないでよ」
戸部「そう言うなよ。最初に練習として試してみたいんだよ」
早苗「まったく、もう」
戸部「その書類、何枚ぐらいあるんだい?」
早苗「『木常咲彦』が去年の12月に転入しているから、そこからの郵送申請分、1万5千枚くらいかしら?」
戸部「そんなに!」
早苗「今日中に見るのは無理ね。明日もやれば終わるかしら?」
戸部「その書類、半分くれないかな?」
早苗「悪いわよ、戸部さんだって忙しいんでしょ」
戸部「うん。でも、そっちの方が優先だから」
早苗「悪いわね」
早苗は、千枚ほどの書類を戸部の席に積み上げた。
戸部「まぁ、名前を見るだけで、単純作業だから、たまにはいいもんさ」
早苗「そう、良かった」
戸部「この前ちょっと調べていて思ったんだけれど」
早苗「なに?」
戸部「『木常咲彦』の名字のフリガナ」
早苗「うん」
戸部「『キヅネ』『キズネ』『コヅネ』と何回か変えているんだけれど、これって何か意味あるのかい?」
早苗「消費者金融からお金を借りるときに、名寄せされないようにしてるのよ」
戸部「数社から借りるときに、他で借りているのがバレないようにってこと?」
早苗「そうよ。金融会社はお金を貸すときに限度額を超えていないか、端末にフリガナ入力するのよ。それを防いでいるのよ」
戸部「敵もいろいろ考えるもんだなぁ」
早苗「と言うことは、この1万5千枚の中に絶対あるわね」
二人は、黙って、書類をめくり続けた。
1時間ほどして、
戸部「おっ、あったぞ!」
早苗「えっ、そっちに」
戸部「がはははは」
早苗は立ち上がって、戸部の席に寄って行った。
早苗「いくら、借りているの?」
早苗が書類をめくり、添付されている金銭消費貸借契約書を見た。
早苗「200万円か」
戸部「本当にあったね。すごい記憶力だよ」
早苗「ありがとう、褒めていただいて。でも、あなたとのことはすべて記憶を消しましたから」
周りに、人は誰も居なくなっていた。
戸部「そうか。それは、良かった。どうだい、今度、記憶が消えることを前提に、一泊旅行でも」
早苗「そうね、考えておくわ」
戸部「うん。無理する必要はないから」
早苗「うん」
二人は、再び、書類を見始めた。借りている消費者金融業者が1社だけとは限らない。
【09】 ドメスティック・バイオレンス
夕方、住民課の窓口を閉めてから、早苗は『河合郷見』に電話してみた。
早苗「『河合郷見』様の携帯電話でよろしかったでしょうか?」
早苗の周りに仲間たちが集まってきた。
郷見「はい」
早苗「私、美浦市役所住民課の君本と申します。初めまして、と同時に、突然のお電話で申し訳ございません」
電話口で丁寧に頭を下げた。
郷見「いいえ」
早苗「郵送でいただきました離婚届、受理させていただきましたので、ご報告申し上げます」
郷見「はい」
早苗「それで、ちょっとお伺いしたいのですが、今よろしいですか?」
郷見「はい」
早苗「こちら、美浦市役所にお見えになったときの映像を確認したのですが、その時ちょっと大きめのマスクをされていませんでしたか?」
郷見「はい、してました」
早苗「もし、差し支えなかったらですが、嫌なら答えなくても結構なんですが、別れた咲彦さんから、ぶたれたとか、殴られたことってありますか?」
郷見「はい」
早苗「その時していたマスクは、そのことと関係あります?」
郷見「はい」
早苗「傷を隠していたとか?」
郷見「ええ、ほおが腫れていたのと、歯がぐらついていました」
早苗「病院と歯医者って行きました?」
郷見「はい」
早苗「いつ、どこの病院、どこの歯医者に行きました?」
郷見「ちょっと待ってください、カレンダーを見ますので」
少しして、
郷見「6月30日の火曜日です。美浦駅前クリニックと美浦デンタルクリニックです」
早苗「6月30日の火曜日で、美浦駅前クリニックと美浦デンタルクリニックですね」
早苗が復唱している間に、50歳になる明石春菜主任がメモを取った。
郷見「はい」
早苗「それ、傷害罪で訴えることもできますからね」
郷見「夫婦でもですか?」
早苗「ええ。顔が腫れている写真とかありますか?」
郷見「クリニックで撮られたと思います」
早苗「診断名とか言ってましたか?」
郷見「いくつか言ってましたが、『顎の内出血』とかもあったような気がします」
早苗「そうだったんですか。お辛かったでしょう?」
郷見「ええ」
早苗「よく我慢しましたわね」
郷見「はい」
早苗「貯金とかは大丈夫だった?」
郷見「いえ、700万円ほど使われました」
早苗「700万円って、全財産?」
郷見「はい、全財産です」
早苗「何に使うって言ってた?」
郷見「消費者金融に返すと。消費者金融との契約書も何枚か見せられました」
早苗「それも被害届を出した方がいいですね」
郷見「最後そのことでケンカになり、そう言ったら『夫婦の預金は、共同財産になるため、妻名義の口座にある預金を旦那が使ったとしても窃盗罪にはならないんだよ』と、言ってました。だからあきらめていたんです」
早苗「消費者金融から借りたお金は、何に使ったって言ってましたか?」
郷見「『父親が介護付き老人ホームに入ることになり、入居金が必要だったので、仕方なく借りた』と。『でも、もうすぐ父が死に、土地とか遺産が入ったら、処分して必ず返す』と言ってました」
早苗「本当かしら?」
郷見「すべて嘘でした」
早苗「やっぱり」
郷見「私からお金を引き出すためなら、彼はどんな嘘でもつきました」
早苗「そのことを知っていたんですね」
郷見「どこの老人ホームなのか、問い詰めたのですが、答えませんでした。そして、最後に『うるさいんだよ』と、言われ殴られました」
早苗「そうだったのね。でも、大丈夫よ。私たちが、チームを組んで『木常咲彦』を捕まえて、裁判まで持って行くからね」
早苗が郷見の味方だと強調するように、口調もくだけ始めた。
郷見「そうしたら、お金は戻りますか?」
早苗「わからなないわ。でも、少なくとも自分がした犯罪を認めさせるわ。それに、同じような被害者が居るかも知れないし、これからも被害者が増えていくかも知れない。とにかく放っておけないわ」
郷見「ありがとうございます」
早苗「今、郷見さんの味方になってくれるチームのメンバーに代わるね」
稔江「私は、あの男を絶対に許せないわ。だから一緒に悪を退治しましょう」
戸部「証拠集めは、私たちのチームでしますから、一緒に戦いましょう」
早苗「他にも仲間がいっぱいいるのよ。みんなあなたの仲間よ。だから、一度、美浦警察に電話してみて」
横から、戸部が
戸部「担当者は、鹿島刑事だ」
早苗「刑事課の鹿島さんにね」
郷見「はい、わかりました」
それからしばらくして電話を切った。
戸部「さぁ、いよいよ戦いは始まったぞ!」
早苗「うん」
稔江「うん」




