船の手配
以前にショージ山から見た城壁が、今は目の前に高々と聳えている。王都のように弧を描いて街を囲んでいるわけではなく、その壁は砂州の入口を塞ぐように左右へ延びていた。
「はいこれ」
ネドラが書状を見せると、衛兵は急いで上司の騎士の元へ走った。
騎士はそれに目を通すと小走りでやってきて、畏まった態度で彼女らを通した。
ベルムが王都で受けたような持ち物検査や徴税はない。
「なんだよその紙」
城門を振り返りながらベルムが尋ねた。
「王室の通行証よ。旅の助けになるだろうって、お父様が持たせてくれたの」
ネドラは書状を丸め、紐で丁寧に縛って荷物入れに仕舞った。
「不公平だ」
自分だけであれば、長い列に並ばされて嫌味な徴税吏に荷物をまさぐられていたことだろう。
ベルムは不平を漏らしたが、ネドラはふふんと鼻を鳴らしただけで何も言わなかった。
鞍の荷物入れから、ティリルのくすくす笑いが聞こえた。
馬に乗って通りを歩くと、人混みが左右に割れて道を譲った。それを馬上から見下ろす。
マイカへは父の仕入れについて何度か来たことがあるが、その時は馬をよける側の人間だった。――不思議な感覚だ。
「播種祭か……」
至る所で祭りの準備が佳境を迎えていた。通りには女神の紋章を染め抜いた布が掛けられ、広場の隅には麦酒の樽が積まれている。
子供たちがその周りを走り回り、元気な笑い声を響かせた。
数日後には、皆が豊作を願って食卓を囲み、杯を交わすことになる。
本当ならここで休養しながらご相伴にあずかりたいところだが、今はそれどころではない。
ベルムは祭りの準備から目を背け、馬の背に揺られながらネドラの後頭部を見つめた。
―――
「その少年は、下僕か何かですか?」
太った男が立派な執務机の向こうから、羽ペンの先でベルムを指した。
ベルムは杖で身体を支えながら、ネドラの後ろに控えていた。
「まあそのようなものですわ。彼のことは気にしないでくださいな」
ネドラはその問いを軽く流す。ベルムも特に突っ込むことはせず、この場は彼女に任せることにした。
「馬とその他諸々、助かりましたわ。ありがとう、ランドルト殿」
彼女が優雅に膝を折ると、肩から赤銅色の髪が流れ落ちた。
「いえ、会長のご指示ですから」
支部長のランドルトはなおも胡散臭そうにベルムを見ていたが、危険はないと判断したようで、それ以上は言及しなかった。
「それで、これからどうなさるので?」
「とりあえずムルランまで船で向かいたいのだけれど、適当な船に口利きしてくださる?」
ランドルトは首を小さく傾けて、訝しげに眉をひそめた。
「もうすぐ播種祭ですので、まともな船はあと五日は動きませんよ?人手が足りませんから」
そんなことも知らないのか、といった口調だ。
ネドラは振り返ってベルムと目を合わせ、また支部長に向き直る。
「それは困ります。私たちは雪が降るまでにカダヒへ行きたいの」
「カダヒ……ドワーフのカダヒ首長連合ですか……」
ランドルは顎を撫で、鼻から小さく息を吐いた。
「確かに、あそこの入口は山の中腹にありますからな」
「そうですわ」
ネドラが前のめりになる。
「今月末、遅くとも来月の頭には到着したいの」
「それなら、ムルランまで船、そこから馬ですな。休息を多少削るとしても、即刻発たねばなりますまい」
支部長は顔をしかめて難しそうに唸った。
しばらく考え、無音であっと口を開けるが、すぐに首を振る。
だが、それを見逃すネドラではない。
「心当たりがありますの?」
「あるにはありますが……」
煮え切らない返事だ。
「言うだけならタダですわ」
王女の目力に負けたのか、ランドルトは観念したようにため息をついた。
「うちと関わりのある船ではないので、紹介はできないのですが、明日出る船があります」
ネドラが手を叩いて小さく跳ねた。
だがランドルトは手を前に出し、喜びを顕わにする彼女を制する。
「はっきり言って、貴女のような身分の方が乗る船ではありません」
「と言いますと?」
「あれは、よっぽど急用の者、あるいは訳ありの人間が乗るような船です。船倉は狭く、寝床にはロクな衝立もないでしょう」
(流石にそれは無理か)
ベルムは内心そう思った。王族としてはかなりとっつきやすい彼女だが、王女は王女。暗く湿った船倉に押し込めるわけにはいかない。
しかし当のネドラは二人の心配などどこ吹く風で、胸を張って歯を見せた。
「その程度、問題ありませんわ。何かあれば、"下僕"のベルムが守ってくれますもの」
そう言ってベルムを振り返り、片目を瞑って見せる。
「そうですか……まあ、助力するようにとの会長命令です。では、ムルラン支部へ私から一筆書きましょう」
ランドルトはため息をついて一度言葉を切り、一枚の紙を手元に引き寄せた。それにペンを走らせながら口を開く。
「お話しできないなら詳細は結構。ですが...…」
ペンを止め、視線をネドラに戻す。
「どうか、ご無理だけはなさりませんように。幼い頃より貴女を見てきた大人の一人として頼みます」
それは、彼がこれまで見せたことのない、柔らかな目だった。




