第九十六話「太陽を滅ぼす力」
大監獄ダイオンプリズンを始め一級区民街たる『貴族区画』とその周囲に広がる二級区民街『市民区画』を中心として、ヴァスティーユを、さらには大陸の大半を取り込んだその姿はまさに異形の一言。
成層圏付近にまで浮上したセオディア、否彼女に巣食っていた寄生虫の大きさは今や大陸規模。
「あ、あれが、あれが私たちの、否人類の敵だというの……?」
冥月の起こした『時空捻転現象』により吸収を免れたヴァスティーユの爬人、そして脱獄してきた元囚人たちはわずかに残った大地に身を寄せ合いながら、凄まじい嵐のような天候の中震えている。
そんな中で戦々恐々と言った様子で無防備な人々を庇いながらメルダは微かにそう呟いた。
かなりの高さにまで浮上していたはずだが、天高くに煌々と輝く満月の光に照らされるかたちでそれは存在感を示している。
昆虫の繭のようなそれは、取り込んだ国土を、生命を咀嚼するかのようにグルグルと高速で回転しており、徐々にその姿を変容させていった。
「……レナーテ、たしか魔螂、といったか?」
慎重な面持ちのまま空を見上げる冥月。彼の問いかけにエレナ、否レナーテ・ガドウィンは微かに頷く。
「ええ、太古の昔よりEMSを支配し、さらにはこの世界に元々存在した高次元生命体、麒麟族を滅ぼし、和人と爬人を従えた異次元からの侵略者」
その名は『魔螂族』、大多数のEMS人の脳髄に寄生し、生命の根源から得られる力、理気を貪る高次元寄生体。
「さっき変異したEMS人はみんな女性だったでしょう? 魔螂族は基本的に雌しか存在せず、同時に寄生できるのはEMS人の女性、しかも胎児の段階のみ」
『生体子宮』や『複製人間』の研究はより寄生をやりやすくするためのものだとエレナは続けた。
「ならばエレナ・ジェイゲン、私たちEMS人はずっと昔からあの怪物に支配されていたということですか?」
かつてノリス・イェンセンの変異を目の当たりにしたロベルトだが、ヴァスティーユにいたほぼ全女貴族の変異はさすがに身に堪えたらしく、あまりのことに顔色は悪い。
「支配されていたというのは正確ではないわ。貴方たちEMS人は彼女らの道具、この世界にいた和人や爬人の身体情報を元に作られた生体素子、女は乗り物、男は種馬、それが真相よ?」
要するに支配されていたのではなく最初から使役されるためだけに生み出された生命体。
世界の支配者として君臨していたつもりが、生命の発祥からして人為的なものだったというわけである。
「『生体子宮もラクィア大陸でオットー=ティーネ・オフィルアスが研究していた『複製人間』も全ては、寄生をやりやすくするために他ならぬEMS人自らに考案させたというのか……?」
冥月の問いかけに対してエレナすぐさま頷いてみせた。
「その通りです司祭、EMSの研究者たちは知らず知らずのうちに意識を誘導され、魔螂族にとって都合の良い文明、価値観を生み出していったのです」
『生体子宮』を使わない妊娠、出産が忌むべきものという風潮を作り上げたのも魔螂族が寄生しやすくするためのもの。
通常の妊娠では寄生する前に魔螂族の卵が異分子として免疫機能に引っかかる可能性があるが、『生体子宮』を使用して寄生から定着までを管理すればより成功率は高まる。
『複製人間』や『培養人間』に関しては出生率が低下したとき用の非常手段といったところだ。
「……なるほど、貴族連中がより下位の貴族、市民、そして和人爬人を虐げる社会構造かと思っていたが、事態はより複雑だったらしいな。しかしレナーテ、何故君はそんなことを……?」
「今はそんなことを言っている場合ではありません司祭。まずはあいつを……」
エレナの言う通り、まずはセオディアをどうにかせねば未来はない。麒麟剣の柄を握り締めると、空高くに舞い上がり未だに変容を続ける繭を睨みつける冥月。
「あれを破壊したところでまだ先は長いが、とりあえずは最初の一当て、といったところか」
「っ! 戦うつもりですか? あれと……」
驚愕するロベルトに対して、すぐ近くで空を見上げていたエレナは静かに首を振る。
「わかっているかもしれませんが、数多の生命を吸収、否胎内回帰させたあれは最早生物というくくりではありません。理気に関しても『九識』では勝ち目は極めて薄いでしょう」
それでもやるしかない。あれを止めることが出来ねばEMSだけではなく和人や爬人、さらにはラクィア大陸すらも危険にさらすことは目に見えているからだ。
「勝ち目が薄くとも勝てないというわけではない、だろう?」
冥月の言葉にしばらくエレナは考え込んでいたが、やがて微かに破顔してみせる。
「勝てないというわけではありません。彼女は夥しい数のEMS貴族、否魔螂族を取り込むことで認識能力を広げています。ですが魔螂族の素体になっているのは独立した意思を持つEMS人たち、つまりは……」
「彼女らを呼び起こすことが出来れば理気の統制ができなくなる、と? しかし……」
エレナの言葉通りならばEMS人女性は確かに魔螂族の乗り物で間違いない。
そんな者たち、本来の形状に収まったといっても過言ではない者たちの隙をついてどうにかすることが果たして可能なのだろうか?
「本来ならば、不可能でしょうね」
不安げな冥月の言葉に対してエレナが告げたことは予想できた内容だ。しかしまだ言いたいことがあるのか、彼女は長い銀髪を搔き上げる。
「不思議に思われませんか? メルダやメアリといった人たちは純正なEMS貴族、確かに寄生されていたはずなのに、今や本来の意思を取り戻しています」
言われてみるとそうだ。最初からEMS人を魔螂族が作り上げたならばそのようなことが絶対に起こらないように調整するはずである。
否、彼女らばかりかヴィルヘルミナやキャサリンといった明らかに寄生されていたであろう者たちも最終的にはその支配から脱していた。
「EMS人が現れてから長い時間が経つことにより、すでに彼女らは魔螂族の意図したものとは違い、この世界の新たな生命として定着しつつあります」
メルダのように自然と魔螂族の寄生から逃れていた者やメアリやヴィルヘルミナのように何らかの刺激を受けることで支配から脱した者など様々だが、原初のEMS人のように今のEMS人は魔螂族に寄生されたままという体質ではないということである。
「もしも司祭が魔螂族に取り込まれた貴族たちの意識を覚醒させることができれば、僅かながら勝機はあるでしょう」
「……それが出来なければどうなる?」
覚悟を決めたらしい冥月の顔を見ながらエレナは目を閉じてうつむいてみせた。
「あれほどの理気と空間認識能力を備えているのですから、今から1時間以内にこの星にいる生命は完全に彼女の胎内に還元されることになるでしょうね」
要するに時間がないというわけか。おまけにこの中で戦えそうなのは唯一『九識』にある冥月のみ。
「……冥月よ」
これまで沈黙を守っていたグシュナサフは凄まじい暴風に怯むことなく前に出ると微かに頷く。
「憎しみではない、EMS人に和人、爬人、麒麟族、魔螂族といった全てのしがらみを捨てよ」
「しがらみ、ですか……」
冥月の言葉に頷くと、グシュナサフは未だに変容と吸収を繰り返している魔螂族の眉を見上げた。
「全てをありのままに捉え、ただ理気の中にある生命のあり方、根源から来たる恩寵にのみ意識を向けよ。さすればお主の最後の感覚、十番目となる『乾栗陀耶識』が開眼するであろう」
「『乾栗陀耶識』……?」
初めて聞く単語である。しかし不思議なことに随分昔から知っているような、そんな奇妙な語感だ。
「それは一体……」
「どうやら、話しが出来るのはここまでのようじゃな」
魔螂族の繭が強い理気と麒麟族の気配を持つ冥月を明確に第一の敵と見なしたらしく、凄まじい敵意を放ち始めたのである。
「……来るっ!」
冥月の強い理気は成層圏付近にまで浮上していた繭が更なる変異を遂げたことを察して警告を発した。
それは純然たる生命の敵対者、あらゆる生命の根源を貪ろうとする者に対する敵愾心か、あるいは冥月の中にある麒麟族の血が叫ぶ太古からの怨敵、魔螂族に向けられた警戒なのか、はたまた両方かはわからない。
ともあれ、繭は冥月を討ち亡ぼすためにその身を戦闘形態へと変容させる。
ちょうど昆虫の羽化のように繭からまず現れたのは巨大な翅。蟷螂か何かを思わせる形状だが、その大きさたるや長さだけでもいくつかの国を覆いかねないものである。
続いてその翅を生やしたさらなる巨体が姿を現したのだが、それはあまりにも悍ましい姿であった。
基本的な輪郭そのものは変異したノリスやキャサリンといったこれまで戦ってきたEMS貴族と共通したものである。
顔の造形は元々の宿主であるセオディア・ジェイゲンのものであり、信じられないくらいに巨大化した乳房に臨月の妊婦のごとく肥大化した腹部、肩から生えた巨大な鎌に下半身が変化した蟷螂の脚と、この辺りは従来の変容とそう変わってはいない。
問題はまず、その大きさ。翅だけでもいくつかの国を覆うに充分過ぎるほどのものだったが変異した巨体はヴァスタ大陸の大半を取り込んだというだけあって足だけでも海峡を跨ぐほどの大きさだ。
そしてその下腹部、おそらくは子宮に位置する部分から左右は人間でいう腸骨あたり、さらには臍の下にまで広がる奇妙な形状をした紋章。
オリンフィアの時と同様肌に刻印されたEMSの国章にも見えるが、よく見るとそれは刺青などではない。
それらは夥しい数の変異させられたEMS貴族たち。何百人という女性が上半身を晒すようにして隙間なくぎっしりと埋め込まれているのである。
魔螂族の身体があまりにも大きいために遠目からではその異質さに気づかないだろうが、近くで見れば取り込まれた女性の肉体で紋章を形づくっているようなもののため、怖気を感じる者もいるかもしれない。
成層圏から冥月らのいる僅かに残ったヴァスタ大陸の地面めがけて産卵管から泡立つ粘液を放つ魔螂。
それは地上に落ちる前に空間と融合し、全身からすさまじい理気と黄金の光を放つ魔螂獣となって冥月の前に降り立った。
「……なるほど、まずは前哨戦というわけか」
遥か頭上からはセオディアの姿をした魔螂族のせせら笑う声が聞こえてきそうである。
すぐさま冥月は麒麟剣に理気をこめ、天から次々と降り注ぐ魔螂獣をにらみつけた。
「……かかってこいっ!」




