第九十五話「エレナとの出会い」
いつもお読みいただきありがとうございます。
励みになります。
ウロボロスについて……。
「……『ウロボロスの環』?」
物陰から現れたその少女は見るべき場所に困るような、扇情的な服装をしていた。
EMS女性らしいはち切れんばかりの胸を覆う際どい布に、最低限局部を覆うだけの前掛けのごとき穿き物、四肢に嵌められた黄金の環を除けば鍛えられた腹筋も、肉の載った太腿も全て晒すと言う踊り子のような姿である。
「EMS国章は交差した鎌とそれを背負う丸。これは太陽を拝しながら両の手で農耕を行う図案と言われていますが、実は異なります」
その莉乃と並ぶような露出過多具合に目を丸くするロベルトと興味深そうに耳を傾ける冥月の正面にまで来ると、その少女は軽く首を傾げてみせた。
「丸とはこの『尾を食むウロボロスの環』が簡略化されたもの。自分が生み出し、己が内側で生み出された生命を庇護する、完結した世界の内側に生きる生命の構図です」
「……太母のことか?」
太母、それは子供を慈しみその身を庇護し、成長させる母性本能の象徴。
『尾を食む蛇』ウロボロスとはそんな太母の姿の一つであり、尾を食み完結した内側に己の生み出した生命を囲い、外側からの脅威から遠ざける図案でもある。
だがそれは場合によっては子供の自立意思を削ぎ、成長を阻害する結果となりかねない負の面も持っていると冥月は考えていた。
庇護も度を過ぎれば監視となり、完結する世界もまたただ停滞した世界となりかねないからである。
「そうなれば尾を食む蛇が自らの意思で内側から解き放つか、あるいは子供が蛇を内側から打破して出てくるかの二つに一つでしかない」
冥月の言葉を聞いて、少女は満足そうに頷くとその場に跪いた。
「……その通りです麒麟将冥月、いえ我が司祭よ」
明らかに冥月どころか彼の前世も知りかねないようなその口ぶりに、冥月は少なからず戸惑う。
「……君は? どこかで会ったような気もするが……」
「そちらの方はヴァスタ大陸総督、セオディア・ジェイゲン殿の娘で補佐官のエレナ・ジェイゲン殿よ」
奥から現れたのは豪奢な軍服に艶やかな長髪を持つ女軍人。
「メルダ・ウォルミアか……」
大監獄内部に連行した補佐官の登場。反射的に麒麟剣に手をかけた冥月だったが、彼女のまとう理気に撃的なものが一切宿っていないため先制攻撃に関しては控えることにした。
「……私のことを司祭と呼んだか?」
おぼろげな記憶ではあるが、冥月の中には前世で神学校に通い、司祭としての叙階を得た記憶は残されている。
しかしそのことを知るのは冥月を除けば彼の前世と関わりがあった者のみ。
「私のことを、知っているのか?」
冥月の言葉に対してその銀髪の補佐官、エレナ・ジェイゲンはすぐさま頷いた。
「はい、貴方に前世の記憶があるように、私にも存在します」
「冥月、前世? とは、どういうことですか?」
当たり前のことではあるが、ロベルトはエレナの話について行けてはいないらしく、聡明な彼にしては珍しいことに、頭にハテナマークを浮かべている。
「……詳しくは私も知らないわ。ロベルト・イェンセン」
どうやらついて行けてないのはもう一人、ここまでエレナを警護してきたらしいメルダもそうだ。
「今はエレナ・ジェイゲンとしての生を生きていますが、私がこの地に来る前の名前はレナーテ・ガドウィン、サマイン修道会の修道女、エリザベートでした」
「っ! シスターエリザベートかっ!?」
その名前を聞いた瞬間冥月の中に眠っていた前世の記憶が首をもたげてくる。
レナーテ・ガドウィン、冥月の親友であった青年清一が留学先で行方不明となる前に交際があったという名も知らぬ恋人の姉。
清一もろとも行方不明となってから若くしてこの世の無常を悟り、修道女としてサマイン修道会に入会、なんの因果か冥月が主任司祭を務める地にやってきた人物だ。
「……私はよく知らないけどエレナ補佐官は貴方の噂を聞いてからずっと会いたがっていたわ。二人は昔からの知り合いか何かなの?」
訝しげな表情をしたメルダとロベルト。詳しい説明をするのも面倒なため、冥月は無言のまま頷くに留める。
「司祭、貴方がここに来ることは理気の導きでなんとなく把握していました」
どうやらエレナ、否レナーテは人並み以上に理気を扱えるようだ。
冥月とロベルトが大監獄を脱してここまで来ることをこれほどはっきり予知することが出来たということは、少なくとも『七識』は越えていると見て間違いない。
「お願いします司祭、この世界を救うために力をお貸しください」
「世界? なんの話だ?」
レナーテとメルダ、この二人が何を企んでいるのか正確にはまだわからないため冥月はとぼけてみせる。
この場合の世界というのがEMSのことなのか、それともこの世界そのものを指しているのかよくわからないのだ。
もしも後者であったならば二人と敵対する理由は薄いが、前者だっだ場合は覚悟を決めねばならないだろう。
「……わかっているはずよ麒麟将冥月、貴族たちを、否EMSを影から操る存在がいるということを……」
静かに呟くメルダ。どうやらこの二人は冥月が思っていたより多くのことを知っているらしい。
「……それはEMS貴族が化け物の姿に変わる現象と関係あるのですか?」
意を決したといった面持ちでそう訊ねるはロベルト。彼はかつて義理の妹に当たるEMS貴族ノリス・イェンセンが変容し、その身を散らす現場に居合わせた。
その時の気持ちを思い出したらしく表情はかなり険しい。
「……私たちはあの現象を『魔螂羽化』、それを起こす者たちのことを『魔螂族』と呼んでいます」
魔螂族、それがEMSを影から操る黒幕の名前。レナーテの言葉に知らず冥月の背中に冷たいものが流れる。
「魔螂族、其奴らは何者だ?」
「……それは貴方たちが知る必要のないことよ」
底冷えするかのような冷たい声、ゲネシスソイミートタワーの奥から武門の当主と思われるEMS貴族たちを率いて現れたのは非常に色が白い女性である。
周りに並ぶがっしりとしたEMS貴族に比べて酷くヒョロリとした身体つきだが、他者を侮蔑するような表情に口元には隠し切れないほどに嘲笑の色を浮かべた貴族らしい女性だ。
「……お母さま」
意外な人物が現れたと言わんばかりに目を見開くレナーテ。彼女こそがレナーテ、否エレナ・ジェイゲンの母にしてヴァスタ大陸の総督、セオディア・ジェイゲン。
「エレナ、そしてメルダ補佐官、貴方たちがコソコソと何やら怪しい行動をしていることはわかっていたけれど……」
顎を微かに上げてせせら笑うようにして二人の補佐官、ロベルト、そして冥月と順番に視線を移すセオディア。
「よもや麒麟将と通じてロベルトや凶悪犯を脱獄させるつもりだったなんて、ね?」
実際にはそればかりではなく、レナーテもメルダも何らかの事情から世界の秘密を掴んでいるのだが、そこに触れることはせず、セオディアは嘲弄の笑みを浮かべる。
「……久しぶりだな、セオディア」
意識を集中して空気中の理気との親和性を高めるとともに、冥月はセオディアがいつ動き出しても良いように身構えた。
「悪いがこれ以上ここで時間を割く余裕は我々にはない」
「戦うというのかしら? この数を相手にして、確かに麒麟将と呼ばれる貴方にならば非戦闘員を庇いながら私たちを全滅させることも出来るでしょうね」
周囲に侍るEMS貴族はセオディアの言葉に眉をひそめる。所詮はどこまでいっても家畜、そう考えているため、自分たちが負ける姿など思いもつかないのだ。
「でもね麒麟将、こんなのはどうかしら?」
いつの間に手にしていたのか、何やら怪しげな形状をした鎌を持つセオディア。
まるで渦を巻くかのように蛇の尾が樹木に絡みつき、蛇の股座から牙のような形状をした刀身が生えている、そんな異様な形状をした杖である。
瞬間、冥月はあまりの理気の流れに、危うく頭が沸騰しそうになるかのような衝撃を感じた。
「冥月っ!」
ロベルトの叫びに冥月はすぐさま意識を覚醒させたが、目の前に広がるあまりの光景に絶句する。
「さあ、美しき『羽化』の刻よ!」
哄笑するセオディアの周りでその体色を青灰色に染められ、身体のあちこちを肥大化させるEMS貴族たち。
「……この感じ、覚えがありますよ……」
うんざりした様子のロベルト。そうこの変容はノリス・イェンセンと同じく怪物への変化、レナーテの言葉を借りれば『魔螂羽化』だ。
「あ……ああああ、いい、いいわ、も、もっと、もっと変えてええええ……」
「い、いや……こんな、醜い、姿……変わりたく……」
「私が、変えられ、た、たすけ、麒麟、将……」
ある者は変容の悦楽に溺れ、ある者は我が身の変化に怯え、またある者は助けを懇願する。
まさに地獄絵図と呼ぶべきその狂気の光景、すでにどの貴族らもその肉体はもとの数倍の大きさにまで膨れ上がり、身につけていた衣服も内側から弾け飛び、青灰色の変わり果てた肌を晒している。
「……セオディア、貴様何をしたっ!?」
冥月の叫び声に、セオディアはうっすらと笑みを浮かべた。
「彼女たちを本来の姿に戻したのよ、貴方になら感じられるんじゃない?」
「何……っ?!」
空間認識をゲネシスソイミートタワーからヴァスティーユ全域にまで広げて、冥月は愕然と膝をつく。
理気が見せた幻視は監獄都市中の女性たちが、貴族、平民、老若すら問わずに『魔螂羽化』しその身体を変容させる姿。
そればかりか彼女らはその肉体的な衝動に突き動かされるままに己の夫を、父を、兄弟を、そして息子を口からその巨体に飲み込んでいた。
「……こんなことが、こんなことが人間の本来の姿であって良いものか!」
まさに雄を喰らう牝蟷螂としか言えないような光景に冥月はセオディアを睨みつける。
「お楽しみはこれから、よ?」
次の瞬間、セオディアの瞳が上を向いて白目を晒したかと思うと彼女の口から、鼻から、耳から、全身の穴という穴というから夥しい量の触腕が溢れ始めた。
「あげげげげげげげげげげげげげげ……!」
「っ! これは……」
セオディアのうちより溢れる触腕は白い糸に見えるが、その先は五つの指のようなものが覗く悍ましいもの。
かつてラクィア大陸で見た、オリンフィアの体内より現れた者の纏っていたものである。
「司祭っ!」
レナーテの声に振り向くとセオディアから溢れ出た触腕が部屋全体を侵し、変容の快楽に震えるEMS貴族らを取り込んでいた。
否、冥月の瞳にはそればかりかセオディアの理気が空間を侵食し、物質非物質の境界なく支配領域を広げる状が見えている。
「……ここに留まれば、我らも取り込まれる。しかし……」
出口はおろか、今や目に見える空間は全てセオディアの身体から溢れた理気に満たされ、どこを見ても溢れる触手しか見えない。脱出は不可能だ。
「……(やるしか、ない)」
使用したことはないが、理気を集中させて時空捻転現象を引き起こし、この場を離脱する他ない。
『麒麟将冥月、貴方の理気も貰うわよ……!』
迫り来る触手に追い込まれる中、冥月は覚悟を決めると残された領域に理気を走らせ、空間を歪ませる。
『……っ!』
次の瞬間、光のドームのようなものが生成され、冥月を中心に空間ごといずこかへと跳躍させた。




