第九十話「セオディアの帰還」
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セオディア登場。
冥月が市中の調査を終える頃にはすでに辺り一面闇に包まれており、あれだけ賑わっていた往来も一通りが絶えていた。
そんな時間帯に冥月とグシュナサフの二人がいる場所はさきほどまでいたヴァスティーユ北部の三級区民街、通称『奴隷区画』と呼ばれる街の地下に広がる地下水路、要するに下水道である。
「……ここならば誰の邪魔も入ることはない、この区画はもう使われておらぬからな」
グシュナサフの言う通り古びたマンホールから侵入したその場所はほとんど誰も立ち入らないような空間なのか湿った埃がうず高く積もり、通路の端には白骨化したネズミの死骸すら放置されていた。
「あまり長居をしたい場所ではないな、とにかく市中で調査した内容をまとめよう」
冥月は懐からメモ紙を取り出すとそこにヴァスティーユ外縁部の輪郭を描き、内部に簡単な地図を描き込む。
「中央官庁街とそれを取り囲む一級区民街『貴族区画』エレナ・ジェイゲンの公邸もロベルトが囚われている『大監獄』もこの場所に存在するため、最終的に我々の目指す場所はこの区画と言えるな」
もちろん官庁街を含む貴族区画の一帯は重要人物が出入りすることもあって警備は厳しく、各施設はおろかこの区域に立ち入ることすら簡単ではない。
「『奴隷区画』から二級区民街である『市民区画』に至るだけでも関所を通らねばならぬ上、そこからさらに『貴族区画』に行こうとなると、今度は機械による網膜チェックもあるとのこと、潜入は簡単ではない」
グシュナサフの言う通りだ。冥月もまた『戯法理術』を用いて『奴隷区画』にいる役人の口を割らせて中央に至るための方法を知ろうとしたのだが、補佐官公邸や『大監獄』のある『貴族区画』に至るには網膜パターンの登録が必要とのこと。
登録されているのは『貴族区画』在住の上流階級に官庁勤務の人間などごく一部、とてもではないがこれを突破するのは困難を極めるだろう。
「いよいよ手詰まりとなってきたようじゃな冥月よ。どうするつもりじゃ?」
悩ましいといった塩梅で頭をひねるグシュナサフ。確かに手数自体は自ずと限られてくるものだが、冥月の中にはいくつかの答えがあった。
「それに冥月よ、気になることとしてヴァスティーユ全域の警備がかなり強化されているように感じる」
「ふむ、我々が侵入したことを察したというわけだな?」
さすがに不審者が侵入したという情報くらいは出回るだろう。しかし家畜としか見ていない冥月らに対してここまで迅速な対応をするというのもいささか異様な感じだ。
「あまりにも物々しい上に警邏の兵士達も随分と殺気だっている。単なる侵入者に対するものにしては大袈裟じゃが、お主どこぞで何かやらかしたのではないか?」
ジッと疑わしげに冥月を見つめるグシュナサフ。しかし冥月のまとう理気を察したのか、微かに首を振るとともに肩を落とす。
「……まあ、今となってはどうでも良い、問題は……」
「動きづらくなってしまったということですね」
グシュナサフの言葉を冥月は先読みすると、腕を組み瞳を閉じてしばらくの間沈思黙考した。
「……侵入自体はおそらく出来る。問題はいかにして出てくるかですね」
強引な手段で押入ったとしても今度は警備を固められてしまい、面倒なことになるのは間違いない。
面倒ごとを避けるならば、なんとか不意をついてロベルトを救い出し、その後エレナを押さえるしかないだろう。
「……かなり困難な任務になるが、手がないというわけではない」
訝しげな表情のグシュナサフに冥月は自分の作戦を話したが、その内容は驚くべきものだった。
「し、しかし……」
「これしか手はありません。グシュナサフ、後のことはお願いします」
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麒麟将冥月が『奴隷区画』の一画に位置する行政機関に出頭したという情報は瞬く間にヴァスティーユ、否ヴァスタ大陸を席巻した。
「……間違いないの?」
元老院があるアベルディンから帰国したばかりのヴァスタ大陸総督、セオディア・ジェイゲンはガリアス大陸から派遣されている秘書兼監査役、メルダ・ウォルミアとともに行政機関の廊下を歩きながらそう問いかける。
「はい、手配書通りの見た目に凄まじい理気、麒麟将冥月で間違いないかと思われます」
取調室にはすでに囚人用の質素な服に着替えさせられ、首には特徴的な形状をした首輪をはめられた冥月の姿があった。
知る人ぞ知る情報ではあるが、ノリス・イェンセンを含む相当数のEMS貴族を弑殺しながらも今の今まで逃げのびていたという驚異的な人物のため、その扱いも慎重なのである。
「こうして会うのは初めてね。冥月」
取調室に入った瞬間、メルダはその強い理気に鳥肌が立つかのような感覚を覚えたが、セオディアのほうはこれまで誰も捕らえることが出来なかった冥月を捕縛出来たためか、上機嫌だ。
「私はヴァスタ大陸総督のセオディア・ジェイゲン、貴方が前に討伐したキャサリン・フリューゲルは私の親友だったわ」
キャサリン・フリューゲルという名前に冥月は顔を上げる。彼の中では誰よりも優しい性を持ちながら堕落する羽目になったあの女君主を救えなかったことは、大きな傷となっているのだ。
「誤解しないで欲しいのだけど私は貴方を買っているわ。家畜の身でEMS貴族を打破するなんてただの家畜に出来ることではないわ」
セオディアの言葉は事実である。というのも反女王連盟は金をばらまくことで中央での影響を増しているのだが、そのためにはあまりにも負担がかかるのだ。
しかし最近になって冥月ら麒麟将が暴れたために女王派の支持率は一気に下降しており、与党議員の中にすら内通を誓う者が現れつつある。
金という負担をかけずに敵対者を排除し、あまつさえEMS全体の風潮にすら影響を与える冥月の働きは反女王連盟から見た場合は非常に理想的な仕事ぶりと言えた。
「……それはどうも、もっとも我々はあなた方のために戦ってきたわけではないがな」
冥月の言葉にセオディアの額に青筋が浮かぶ。生粋の貴族、しかも総督家の生まれである彼女はそれなりの身分である貴族にすら無礼な態度を取られたことはない。
そのため冥月の態度に激怒しそうになったが、なんとか堪えるとぎこちない笑みを浮かべる。
「……ふん、この私にそんな態度を取るなんて、本来なら極刑にするところだけど、そうはしないわ」
極刑にするよりもなんとか洗脳して反女王連盟の戦力にしたいとセオディアは考えていた。
冥月と彼に率いられた麒麟将の勢力を味方につけることが出来ればそれだけでも反女王連盟の戦力は格段に向上する。
さらにはラクィア大陸という一大勢力すらもセオディアの勢力圏に引き込めるばかりか、EMS最強の戦士メアリ・デルフィアに対する切り札にもなると、どうあっても引き込みたい人材なのだ。
「麒麟将冥月、もし貴方が我々ヴァスタ大陸、否EMSのために働くというならば貴方にも、貴方の部下たちにもそれなりの待遇は約束するわよ?」
和人を家畜としてしか見ていないEMS貴族、しかもそのなかでもかなりの位置にいる総督からそのような提案があるのは史上初となる事態だろう。
事実すぐ近くで話を聞いていたメルダも驚愕のあまり目を見開いていた。
「……なるほど、総督の麾下として反発する勢力を打ち倒すための手伝いをさせようというわけか」
オブラートに包んだ言い方の冥月だったが、何をどうしたいのかについてはほとんど正確に把握している。
すなわち来るべきクーデターの際に女王派の尖兵として冥月らを利用したいという思惑だ。
「判断はお前に任せるわ。でも、麒麟将などと呼ばれてはいるようだけどお前たちは所詮ただの家畜、下等な卑猩に過ぎないわ」
ニヤリと笑みを浮かべるセオディア。寄る辺のない下等な家畜を従えることなど容易いと考えているのだろう。
これに対して冥月はなんの感情も感じさせないような静かな調子で口を開いた。
「……話しはわかった。仮に我々が仲間になったとして、貴方の目的が果たせた場合、世界中にいる和人や爬人たちはどうなる?」
「家畜は家畜、奴隷は奴隷に過ぎないわ。特別なのは貴方達麒麟将のみ、勝手に増えるでしょうし、他の家畜を保護する必要はないわ」
せせら笑うようにそんなことを話すセオディア、キャサリンと同じく和人や爬人を人間扱いせず、あくまでもEMS人だけの平和と平等を求める姿である。
「だとしたら我々もそちらに従う必要はない。結局お前たちも女王派と変わらない」
次の瞬間激昂のあまりセオディアは冥月の頬を殴りつけた。
理気の訓練をほとんどしていないセオディアでは『九識』クラスの冥月の理気を貫くことなど出来ず、逆に彼女の腕は煉瓦に打ち付けたような衝撃に腫れ上がる。
「っあっ!」
あまりの痛みに飛び上がりそうになるセオディアだったが、部下の手前それも出来ずに右手を押さえ込んで冥月を睨みつけた。
「き、貴様、よくも、よくもこの私の美しい身体に傷をつけてくれたな……!」
「……無意味な真似はよせ、私を力づくで従えることなど出来ない」
逆恨みのようなことをブツブツと呟くセオディアに対して呆れ果てたように首を振る冥月。
「ひ、卑猩ごときが、下手に出てたら調子に乗りやがって……!」
怒りに突き動かされるままに今度は椅子を持ち上げて冥月の頭に叩きつけるセオディア。今回も結果は一切変わらず、鍛え抜かれた理気により逆に椅子の足が粉砕され、セオディアは勢いあまって床に膝をつく。
「っ! ば、バケモノ……!?」
青ざめた表情で恐れ慄くセオディアに対してメルダは興味深そうに口元を歪めていたが、冥月を除いてその表情に気付くものはいない。
「メルダ・ウォルミア、尋問は貴方に任せるわっ! 適当に締め上げたら『大監獄』に送りなさいっ!」
心中の狼狽ぶりを隠すかのように大声を上げるとセオディアは静かに床から立ち上がり、そのまま踵を返してそそくさと部屋から立ち去っていった。




