第八十七話「昼行灯の娘」
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ヴァスティーユ官庁街にある官邸の一室、一人の少女が気怠げな気配を醸し出しながらソファで寛いでいた。
艶やかな長髪にその身を覆うのは宝石が散りばめられた腕輪に首飾り、女性的でありながら鍛え抜かれたしなやかな四肢はほとんどが晒され、はちきれんばかりの胸部と局部のみが下着のような装束で隠されている。
シミひとつない肌を惜しげもなく晒した踊り子のような装束に、少女の纏う気運はどことなく活動的な印象すら受けるものであった。
しかしその瞳は曇り、テーブルの上で白い煙を上げている香炉もあってか、部屋全体が退廃的な雰囲気を放っている。
「……失礼します。エレナ補佐官殿」
部屋の中に入ってきた部下はソファで寛ぐ姿に一瞬だけ顔をしかめたが、すぐさまその場で直立不動の姿勢をとり、手元の資料に目を落とした。
「お休み中のところ申し訳ありません。例の卑猩のことで新たな情報が入りました」
「……何?」
聞くのも億劫とばかりに少女、エレナ・ジェイゲンは部下からの報告を促す。
「はい、デモニア大陸に向かっていた我が艦隊は壊滅、キャロル・マグワイア補佐官もまた生死不明とのことです」
「……そう、わかったわ」
面倒くさそうに軽く伸びをすると、エレナはその豊満な胸を揺らすようにして立ち上がった。
「あの補佐官殿、それだけ、ですか?」
「……それだけ、とは?」
質問で質問を返すエレナの姿に部下は内心でため息をつく。
「……(変わられたな、補佐官殿は……)」
エレナが母親であるセオディア・ジェイゲンによりヴァスタ大陸の補佐官に任命されたのはもう随分と前のことだが、その頃の彼女はもっと熱意に溢れていた。
ヴァスティーユにいる爬人や和人の地位を向上させ、平均寿命を上げるために様々な政策を掲げ、日夜努力をしていたものである。
それが今や何があったのかは知らないが、官僚としての正装を纏うこともなければ部屋着のような露出過多な服装で一日を過ごし、暇さえあれば怠けるという按配だ。
「……(否、考え方によってはこれでよかったのかもしれない)」
爬人や和人の地位向上を目指した結果、直接追求しないまでもエレナをよく思わない者はヴァスタ大陸だけでも無数に存在する。
本拠地たる大陸ですらそうなのだからEMS人至上主義が横行するアベルディン、元老院となればそんなエレナがどう見られているかは想像するに容易い。
ともあれ今は極点におけるヴァスタ艦隊のこと、報告に来た部下は直立不動のまま口を開いた。
「未だ調査中ですが、冥月と呼ばれる卑猩は航路から考えて敵地であるアベルディンを避け、極点を経由する形でヴァスタ大陸に向かっていたと考えられます。何らかの対策を取る必要があるかと……」
「……はあ、それなら貴女に全部任せるから上手いこと仕事しておいて頂戴」
心底面倒そうにそう告げるエレナ。彼女は部屋の隅に置かれていた棚から無造作に書類を引っ張り出すと、机の上に置かれていた印鑑を押す。
「はい、これで貴女はある程度好きに出来るわ。市中の警備を固めるなら固める、『大監獄』ダイオンプリズンに兵士を増やすなら増やす、好きにやって頂戴責任は全部私が受け持つから」
気怠げにそう告げ、エレナはまた白煙揺らめくテーブルの前に設えられたソファに戻ったが、部下の方は表情を険しいものに変えた。
「冥月は、大監獄に来るとお考えですか?」
「……九割方は来るわね。残り一割のために警備を割かないのは愚策よ」
ロベルト・イェンセンとの関係を知らない部下は何故冥月が官庁街にある大監獄、ダイオンプリズンに現れるのか想像もつかない。
同じように冥月のことを知らないエレナではあったが、ロベルトが移送されてきたこのタイミングで動き出したということは察している。
すなわち冥月が危険を冒してでもヴァスタ大陸に向かっているのはロベルトを救い出すため、そうエレナは結論づけた。
「……わかりました。市中の警備を固め、同時に大監獄に兵士を集めておきます」
「好きにして頂戴、久しぶりに仕事して随分と疲れたから私は少し昼寝するわ」
ソファに仰向けになると軽く目を閉じてすぐさま寝息を立て始めるエレナ。適当な指示だが基本的に彼女の推察は的確なもの、すぐさま言われた通りの対策をする必要がある。
「……(昼行灯なお方だが、この才覚のおかげで補佐官の地位にいられるというわけか……)」
惜しむらくは随分と怠惰になってしまったこと。とにかくまずは兵士を集めようと彼女は急いで部屋から飛び出していった。
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エレナ・ジェイゲン、そして冥月らがいるヴァスタ大陸より離れた場所、ラクィア大陸の首都エルリクムでは『八識』の境地にいるマスティマを中心とした修行が行われていた。
「……はあっ!」
ベル・エリクシア城の練兵場にて、気合いをこめた一撃を放つはヴィルヘルミナ・ガドウィン。
『八識』を極めてこそいないが、その境地に片足を突っ込んでいると言える莉乃を相手に模擬戦を行なっているところである。
「……まだまだ、理気の読み方が、甘い、理気を使うのではなく、理気の流れに、身を委ねること……」
いつものとろんとした感じながら厳しいものを感じさせるマスティマの叱責が飛んだ。
実はヴィルヘルミナの動きそのものは決して悪くないどころか、むしろ莉乃や冥月よりもずっと洗練されたもの、この辺りはさすが長い間軍隊の訓練を受けていたと言えよう。
問題は理気の扱い方、指輪を得て『七識』に至ってから時間がそれほど経過してはいないためまだまだ荒削りな部分だらけなのだ。
「……『八識』の理気と『七識』の理気とでは、あまりにも差が、あり過ぎる。理気を使えないと、一瞬で、消滅させられる……」
マスティマの言葉にヴィルヘルミナの表情は微かに曇る。『八識』を越えた境地、『九識』の段階にいるという正規軍元帥にして、ガリアス大陸総督メアリ・デルフィアの限界は未だわかってはいない。
しかしヴィルヘルミナはこの場にいる誰よりもメアリの実力を知っているため、訓練自体もかなり焦り気味だった。
その結果精神的に押される形となり、むしろ理気を扱いにくい状況に追い込まれているのである。
「マスティマ、お前の言いたいことは理解している。私がメアリ閣下と戦えば一瞬で死ぬしかないこともな……」
かつて冥月は『八識』に覚醒したことにより本来ならば圧倒的な力を持つはずの『七識』の理気使い、オリンとフィーアを一方的に負かせた。
物質を理気に変換して無防備にするという離れ業を披露したのだが、今の状態でメアリと相対してしまえば同じ目に遭うことになるのは間違いない。
すなわち何もすることができずに一方的に敗北するのみ、しかも『八識』と『七識』、位階が一つ違うだけでこうならば、『九識』と『七識』、二つ違えばどうなるか見当もつかなかった。
「……わかりすぎているが故に、冥月抜きでメアリ閣下と戦っても、勝てないのではないかと言う気持ちもあるのだ」
ずっとラクィア大陸で修行をしていたヴィルヘルミナはキャロル・マグワイアが艦隊を率いて迫っていたことも、冥月が衛兵やギラファとの激戦を経て、『九識への覚醒を果たしたことも知らない。
それでも冥月さえいればメアリをどうにか出来るかもしれないと考える以上、なんだかんだで彼を信頼していると言えよう。
「……貴女の言うことはある種、正しいかも、しれない。私の知る限り、『八識』の人間が、『九識』の人間を打倒した記録は、ない」
正確には『九識』に覚醒した人間がほとんどいないのだが、それでも上位の位階の者を下位の位階にある者が打倒するのは不可能に近いと考えるべきだ。
「そんなことは百も承知ってもんだ。それでも俺たちは戦うしかねぇよ」
あまりにも激しい修行によるものか、二メートル近い巨体を汗でぐっしょり濡らしながらも莉乃は赤い戦斧を肩に担ぐ。
「帝国最強の名前を欲しいままにしてるメアリ・デルフィアが来る以上は覚悟も必要ってもんだ。命乞いも何も通用しない相手らしいからな」
それでも生き延びるためにはメアリと戦い、彼女に勝利をしなければならない。
そしてこれまで莉乃は徹底抗戦を選択し、生き延びるために極めて危険な方を選んでいた。
家畜として日々生きるか死ぬかしかないような人生を送り、挙句冥月と行動を共にするようになっても戦い続けてきたのである。
彼女にとって生死を分かつような戦いに身を置くことは今更ともいうべき事柄である。
「……まあ、そういうことじゃなヴィルヘルミナよ」
すぐ近くで模擬戦を見学していた清白もまた鞘に入ったままの刀を左手に握りしめながら、厳しい目でヴィルヘルミナを見つめた。
「我々の場合勝てるか勝てないかではない、勝てば生き、負ければ死ぬしかないという状態じゃ。そう開き直れば怖いものなどなくなるぞ?」
「……莉乃、清白……」
どうやらヴィルヘルミナも二人の言葉に迷いを振り切ったらしく、先ほどとはまるで別人のような表情で薙刀を構え直す。
「……そうだな。私はやるべきことを果たすのみ。それさえ出来れば、他の者が必ず次へと繋いでくれるはずだ」
「……理気の流れが、強くなってる?」
ふと顔を上げるマスティマ。ヴィルヘルミナの全身に漲る理気が先ほどよりもはるかに強まっているのを感じたらしい。
「……ヴィルヘルミナ、試しにどこかに向かって理力剣を、使ってみて?」
異変に気付いたのはマスティマだけではないらしく、清白と莉乃の二人もまたヴィルヘルミナの動向を見守った。
「理力剣、か?」
マスティマに促され、ヴィルヘルミナは薙刀に理気を収束させるとともに意識を集中、理力剣を使うのに相応しい精神状態に至る。
「……理力剣っ!」
次の瞬間、ヴィルヘルミナの背中に一瞬だけ翡翠色をした光の翼が展開され、周囲を煌々と照らした。
「……やはり」
ヴィルヘルミナが放った理力剣は天高く舞い上がり、空を覆っていた分厚い雲を切り裂く。
威力に関しても空間を引き裂くかのような大気の鳴動に、見切ることすら困難な力強い剣捌きと、かなりのものだ。
「……未だ至っては、いない。けれど、理気を限界まで燃やすことで、限定的ながら『八識』並みの力を、引き出せた」
肩で息をするヴィルヘルミナを見つめながらマスティマはそう呟くと、顔を上げて彼女が切り裂いた空を見上げる。
「……(覚醒は、そう遠くない未来に出来る。でも、それまでメアリ・デルフィアが、大人しくしてるとは、思えない……)」




