第八十六話「監獄都市ヴァスティーユ」
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いよいよヴァスティーユへ
メギドの南部、乾燥地帯を抜けた先にあるヴァスタ大陸の首都ヴァスティーユ。
『監獄都市』の異名で知られる彼の地は大陸全土を統べる総督セオディア・ジェイゲンの住まう公邸の敷地内に建設された総督官邸やEMS社会最大規模とされる爬人種の『養殖施設』など様々な設備が整う巨大都市である。
「もっとも、私から見れば単なる泡の城だがな」
ヴァスティーユ近郊にまでたどり着いた冥月ではあったが、すでに太陽は沈みつつありあたりは闇に包まれつつあった。
「……(さて、街の様子はどうかな?)」
四方を取り囲む巨大な城壁は地理的に外界と内界を遮断するだけではなく、視覚的にも外側から都市の内部を見せないようにすることが出来る。
しかしラクィア大陸の戦いやギラファとの一騎打ちを勝ち抜き、すでに『九識』の領域にいる冥月には全て無意味。
ヴァスティーユ内部に満ちる理気を通じて、まるで手に取るように地理を把握することが出来るからだ。
「……(かなり広い都市のようだが、その大半は団地か、あるいは監獄のような巨大施設で成り立っているらしいな)」
理気を集中させてヴァスティーユ内部に意識を向けると、中央部にある官庁街とその周囲に広がる貴族の屋敷が広がる高級住宅街を除けば、どうやら大半の場所が団地のような作りをした建物で成り立っているらしいことがわかる。
いずれの団地も数10階建ての大規模なものでありかなりの人口が住み暮らしているらしいが、なんとなく働き蜂の巣を連想させるような異様な雰囲気が漂っていた。
「……(さて、ロベルトはどこにいる?)」
アベルディンからヴァスティーユに移送されたというパウリナ・イェンセンの愛人ロベルト。
冷淡なEMS人だが、かつてノリスと戦った際にはなし崩し的にとはいえ協力した仲、出来れば見殺しにはしたくない。
「……(官庁街に他の団地よりも厳重に守られた区画があるな)」
区画内部にあるその施設は、作りこそ他の団地と似ているものの兵士の数や巨大な城壁など、他と比べても異常なほど警備が厳重となっている。
「……(最深部からロベルトのものらしい気配を感じるが、まだ情報を集めた方が良さそうだな)」
冥月の見立てが正しければヴァスティーユ中央に位置する官庁街の区画にロベルトは囚われていることになるものの、情報そのものが足りないため、先走った行動は危険と言えた。
とはいえ、今のところは街の様子から察するに今日明日にロベルトの処刑は行われる気配はなさそうだが、急がねばならないのもまた事実。
のんびりと時を過ごしていてはロベルトを危険にさらす結果となりかねないだろう。
「……(とにかまずは中に入ることだな。情報を集めつつロベルトの行方を探りたい)」
城壁伝いにヴァスティーユへの入り口に向かおうとした瞬間、何者かによって肩を掴まれた。
「少し良いかな?」
「……っ!」
突如として話しかけられたため、冥月は素早く距離を取るとともに麒麟剣の柄に手をかける。
完全に虚を突かれた形だ。『九識』にある冥月の不意を突いて彼の背後に現れたのは黒い衣を身につけた和人の老人。
かなりの老齢なのか瞳はほとんど閉ざされており手にはねじ曲がった杖を手にしているが不思議なことに背中は一切曲がっておらず、身体に漲る理気もかなりのものだ。
しかもEMSが和人を奴隷のように支配するこの世界にあって、その身体から発せられる強い意志はある意味珍しいと言えるのかもしれない。
「……貴方は?」
「うむ、儂の名前はグシュナサフ、見ての通り無力な旅の老人じゃ」
カラカラと笑う老人グシュナサフだったが、強い理気を宿すことからまず間違いなく無力なだけの、単なる老人でないことだけは確かである。
「……(なにより私の不意をつく形どいきなり現れたのだ。ただ者ではない……)」
「何を考えておるのか大体の察しはつくが儂はお主の敵ではない。ただ単に頼みたいことがあるだけじゃ」
グシュナサフの言葉に冥月は微かに警戒心を解くと麒麟剣の柄から手を離した。老人の纏う理気に攻撃的なものがないことを察したからだ。
「……頼みたい、ことですか?」
「うむ、お主は今からあの監獄都市、ヴァスティーユに行くつもりであろう?」
冥月が黙って頷くとグシュナサフは微かに口元を歪めて笑みを浮かべる。
「その際なんとかして助けてもらいたい人物がいる。お主の力ならば容易いことであろう?」
「……実力を過信することはあまり良いこととは言えません。ともあれ、何か事情があるならば微力ながら力を貸しましょう」
現在冥月はロベルト・イェンセン救出という大切な役目を背負っており、本来ならばもう一人救い出す余裕はない。
しかし今回に関してはどういうわけだかやる必要があることと冥月の第六感、否理気が叫んでいた。
「うむ、助けてやって欲しいのはエレナ・ジェイゲンという娘だ。心優しい少女だがそろそろ限界らしい」
「……ジェイゲン?」
聞き覚えのある名前に冥月は微かに眉をひそめる。たしかヴァスティーユの支配者でありこの大陸の総督がそんな名前だったような……?
「エレナ・ジェイゲンはヴァスタ大陸に二人いる補佐官の一人、総督たるセオディア・ジェイゲンの娘子じゃ」
やはりそうか。エレナとやらはこの大陸を統べる総督の娘であり各大陸に二人ずついる補佐官の一人であるらしい。
もう片方の補佐官であるキャロル・マグワイアはすでに極点近海で撃ち倒したが、まさかこんな短期間でもう一人の補佐官と関わることになるとは思わなかったのだ。
「……(否、セオディア・ジェイゲンのお膝元、監獄都市ヴァスティーユに入る以上これは必然と言えるかもしれぬがな)」
これから総督と補佐官がいる大陸随一の都市に侵入しようというのだ、遅かれ早かれ彼女らと関わるのは当たり前と言えよう。
「わかりませんね。補佐官であるエレナ・ジェイゲン嬢を連れ出す必要はなんですか? 貴族な上官僚、彼女はEMSでは支配者階級なのではありませんか?」
この大陸はおろか元老院でもかなりの影響力を持ち、挙句『反女王連盟』などという一大勢力の頭目、そんなセオディア・ジェイゲンの娘ならばそれだけでなんの不自由もないはずだ。
しかし中には冥月の仲間であるヴィルヘルミナのように貴族階級でありながらそこに背を向ける存在もいる。
彼女の場合は反逆者に祭り上げられたことが原因の一つだが、エレナとやらにも何か事情があるのだろうか?
「詳しいことは話さぬが、彼女は十四歳で補佐官に就任してから五年間ヴァスティーユの内政に携わってきたが、母親のやり方に違和感を感じていた」
元々変貌前のキャサリン・フリューゲル同様気性の優しい少女だったのだろう、苛烈な市政で爬人を締め上げる母セオディアやキャロルのようなやり方を嫌っていたとのこと。
「もっとも、最近になってそれも薄れ、EMS人にしか同族意識を持たなくなってきたらしいがな」
「……っ!」
なんとも不吉な話しではないか。前にアレーナルベルス城で戦ったキャサリン・フリューゲルもまたEMS貴族でありながら優しい気性の持ち主だった人物。
それが突如として人が変わったかのように冷酷になり和人爬人に対する虐待を始めたのだ。
「……原因は、わかっているのですか?」
グシュナサフをあまり信用しきれてはいない冥月だったが、そのようなことを聞かされては放置することなど到底出来はしない。
それに、もしかしたらこれでキャサリンが突如として性格が変わった原因もわかるかもしれないため、冥月にとっても無駄足とはならないことである。
冥月の問いかけに対してグシュナサフは静かに首を振った。
「残念だがまだ何もわかってはおらん、だがどうにもエレナはアベルディンの社交界に出入りするようになってから行動が変わり始めたらしい」
アベルディンの社交界、よくわからないが社交界と言う以上は元老院議長たるパウリナや帝国宰相クララも一枚噛んでいるのか?
「……長い人生人が変わることはあるが、エレナの変化はそれだけでは明らかに片付けられんことじゃ」
何せ前までは奴隷のように扱われていた爬人たちを自分の公邸にかくまったりしていたのに、今はそんな動きが見れなくなったばかりかむしろ爬人たちを酷使、とまではいかないまでもこき使っている。
やはり彼女もまたキャサリン同様何者かに洗脳されておかしくなってしまったのだろうか?
「……(だが仮にそうだとして、私に何が出来る? 首尾よく『戯法理術』をかけて連れ出せても、すぐに元に戻るわけではない)」
もし本当に彼女が何者かに洗脳されているのだとしてもエレナをヴァスティーユから連れ出し、あまつさえ洗脳を解くとなればあまりにも難易度が高い。
しかも同時進行で捕らえられているロベルトを救出する必要もある以上、この一件を解決することは不可能に近いと言っても過言ではなかった。
だが困難なことは冥月自身よくわかっていたものの、エレナが本当に洗脳されているならばなんとかしたいと言うのが本音である。
キャサリンもまた人格を変えられ、その結果ずっと「終わりたい」と願っていたにもかかわらず、正気に戻ることが出来たのは死の間際だった。
もしも彼女を救うことが出来たならば死なずに済んだのかもしれないと思うと、同じ轍を踏もうとしているエレナを見捨てること出来ない。
「……貴方の知っていることを全て私に教えて下さい。情報が多ければ多いほど、彼女を救える確率は上昇するかと思います」
「っ! では……?」
グシュナサフの言葉に冥月は瞳を閉じた状態で頷く。
「……まだ出来ると決まったわけではありませんが、なんとか出来るよう力を尽くすつもりです。極めて困難な任務ですが、不可能ではないと思います」
なんとかなる根拠はないが、同時にどうにもならないという根拠もないのだ。
情報が少なすぎる以上、現段階では理気による予知もその真価を発揮できないものの、少なくとも悪い予感自体はしないため成功するか否かは冥月の双肩にかかっていると言えよう。




