第八十四話「魔人」
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メアリとセシル。
薄暗い闇が支配するアベルディンの路地裏、もし仮にこの場でその事象を目撃する者がいたならば、一瞬だけ光が明滅し、まるで液体金属の張られた水面かのように壁や地面が揺れ動くのを目撃するかもしれない。
「……ふむ、予想外の成長速度だな」
空間の歪みによるそんな異常現象が収まり、壁も天井もとの硬質なものに戻ると、そこには黒い鎧の男が立っていた。
龍馬のごとき仮面に漆黒の鎧、さらには背中からは反実体化した闇を思わせる翼の男、『太陽を喰らう者』ギラファである。
「……(やはりラクィア大陸で件の尖兵と戦ったことが大きかったのかもしれぬな)」
次の瞬間彼が身につけていた鎧が空間に霧散し、その中から一人の男が姿を現した。
先ほどまでの黒い鎧とは対照的にその身に纏うのは白衣に白袴という神職を思わせるような出で立ちだ。
和人らしい肌に黒い髪を備え、その瞳は真紅の、清白や莉乃の片目とよく似通った色をしている。
そして右の人差し指には黒い鉱石で形作られた指輪がはめ込まれており、微かな光を放っていた。
「……(だが、詠冥が九番目の感覚、『九識』に至たろうとしていることはすでに奴も察知しているだろう)」
数多くの戦いの中でその身に秘められていた潜在能力の全てを解放しつつある冥月の力はすでに高次元生命体に近い者の領域。
単純な手段では肉体を滅ぼすことなど出来ず、仮にその身体を消滅させられたとしても即座に再生することが出来るような境地である。
否、もはや肉体など大した問題ではない。宇宙に満ちる理気が無限であるのと同じく、冥月もまた限りない力を引き出せるようになりつつあるからだ。
「……(『九識』まで至ったのならば最後の扉『十識』を開き『超越者』に覚醒するのは時間の問題、だが奴は『敵対者』はそれを許すまい……)」
いかなる手段を用いても冥月を打倒し、その存在を滅ぼそうとするのは間違いないとギラファは断じる。
「となれば、私が次にやるべきことは決まっているな」
路地裏で小規模な光のドーム、すなわち『時空捻転現象』が起きたかと思うと、ギラファの姿は忽然と消えた。
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黒い石や硬い木材を用いたシックな調度品に無駄を省いた防御に忠実な作りをしたとある邸宅の一室。
薄暗い部屋でありながら特に問題もなさそうに執務に取り組む女性がいる。
「失礼します」
ノックとともにその部屋に入ってきたのはまだ少年と呼んでも差し支えがないような美男子だ。
将校が身につける豪奢な軍服に外套、帽子をかぶってこそいるが、その外見もあいまって軍人ではなく書生かあるいはコスプレをした中学生にも見えるような少年である。
「……来たかセシル、どうだった?」
執務を中断し、目を上げた女性の片目は義眼。EMS正規軍の元帥にしてガリアス大陸総督でもあるメアリ・デルフィアだ。
「はい姉上……い、いえ、総督閣下の予言されたとおりになりました」
「……ふむ、すると……?」
自身の姉であり同時に総督でもあるメアリに促され少年、セシル・デルフィア補佐官は緊張しながらも続ける。
「北極点付近にまで到達していたヴァスタ大陸の艦隊は壊滅、さらに周辺の状況を鑑みるに旗艦『クイーンセオデン』はじめ『ヴァスタグロリアス』等かなりの数の艦船が沈んだものと思われます」
原因は目下調査中、というセシルに対してメアリは右手を上げてから口を開いた。
「調査など不用だ。艦隊が壊滅した理由はすでに明白、いらぬ手間をかかる必要はない」
「はい?」
素っ頓狂な声を上げるセシルだったが、メアリは静かに瞳を閉じて精神を集中させるとしばらくして深いため息をついてから目を開く。
「……どうやらヴァスタ大陸の第一艦隊は戦闘機一隻に壊滅させられたらしいな」
「な、なんと……?」
どうやらメアリの持つ卓越した理気による感知能力は冥月と同等かそれ以上らしく、はるか遠くで起こった出来事すらも正確に見通していた。
「強い理気にただならぬ気配、件の麒麟将、冥月の仕業だな」
「あの、総督閣下、一つお伺いしても?」
おずおずと口を開くセシルに視線を合わせると、メアリは静かに右手を彼に向けて発言を促す。
「どうして閣下は、あの卑猩たちのことを麒麟将と呼ぶのですか?」
ガリアス大陸が誇る将校養成のための機関、士官大学校はEMS全体を通しても最高学府に位置するような名門。
そんな場所で様々なことを学ぶセシルであるものの、麒麟将などという単語は聞き覚えがないために意味がわからないのだ。
「麒麟将は古の昔にEMSを建国した『超越者』と戦った白麒将ツクヨミとその仲間である強壮なる麒麟族を総称する言葉だ。この言葉を知る者も今や少ない……」
「閣下は、その冥月が神話に語られるような麒麟将の後継者だと?」
「うむ、冥月だけではない、『太陽を喰らう者』ギラファやヴィルヘルミナの報告にもあった莉乃、清白もまた麒麟将ではないかと私は考えている」
しばらくセシルは無言のまま立ち尽くしていたが、やがてハッとしたようにまた口を開く。
「それと閣下、反女王連盟についてですが……」
「聞こうか」
メアリに促されてセシルは右手に抱えていたノートを開いた。
「北極点付近における戦いにより反女王連盟の戦力は著しくダウン、さらには元老院内部でも現在監察が進んでいるとのことで、このまま行けば反女王連盟はアベルディンでの基盤どころかヴァスタ大陸の統治も危うくなるかと思われます」
「……ふむ」
「これを機に我々も元老院内部の不穏な勢力を糾弾してみてはいかがでしょうか?」
セシルの提言にしばらくメアリは無言で考えていたが、やがて口を開くと否定の意思を示す。
「必要はない。デモニア大陸攻略を命じられている我々が敢えてアベルディンの派閥争いに口を突っ込む必要はない」
「しかし閣下、反女王連盟はかつてEMS内乱を引き起こした派閥と聞いています。そんな者たちを一網打尽に出来る機会ですよ?!」
EMS内乱、すなわち『双鎌大戦』を巻き起こしたのは反女王連盟の盟主セオディア・ジェイゲンの仕業、それは間違いではない。
だがメアリは麒麟将という一つの脅威を抱えている今、内輪でもめている場合ではないと判断していた。
「そのようなことをしたところでほとんど益はない。派閥争いが激化すれば非主流とされた議員や勢力は起死回生を図るためにこぞって反女王連盟に走るのは想像に難しくはない」
そもそもかつての内乱もセオディア・ジェイゲンが非主流とされた貴族や議員の不満を巧みに煽ったのが原因の一つである。
いつの時代も派閥争いは激しく、権力を得るための闘争は繰り返されてきた。
一枚板ではない元老院内で主流とされた女王派が幅をきかせれば、非主流とされた者たちが団結するのも自明の理と言える。
「それともセシルよ、お前はEMSが内輪揉めをして衰退し、麒麟将たちが漁夫の利を得ることを由とするのか?」
「そ、そのようなことは……」
ふう、とメアリは嘆息すると微かに瞳を上げてセシルの後方、執務室への出入り口に目を向けた。
「……それにヴィルヘルミナの一件前後から元老院全体に怪しげな気運が高まっている。今安易に動くことは危険であろうな」
「あらぬ疑いで投獄され、その後忽然と姿を消したそうですね。ヴィルヘルミナ大佐は今、どこで何をしているのでしょうか……?」
セシルとしては何気なく言った言葉なのかもしれないが、メアリとしてはまだ心の整理がついてはいない状態らしく、その瞳の中に強い光を宿す。
「……アベルディンの郊外以降気配が途切れている。何者かの手引きで議長のオフィスを脱出し、完全に気配を遮断してからどこかに逃れたとしか思えない」
「しかし警戒厳重な元老院オフィスを脱出し、官庁街すらも一目につかず潜り抜けて行方をくらますなど、可能なのでしょうか?」
興奮覚めやぬといった様子のセシルに対して、メアリの方は冷淡なものだ。
「……現実的に奴はそれを可能とした。麒麟将の手引きもあろうが人間がすることに絶対はない以上、不自然というわけではない」
「冥月が、アベルディンに侵入し、ヴィルヘルミナ大佐の手引きをしたと、閣下はそう考えられているのですか?」
だとすれば話しはかなりややこしいことになる。本来最も警備が厳重であらねばならないEMSの首都に反逆者が侵入していたということになるからだ。
逸るセシルではあるものの、これに対するメアリの対応も先ほどと同じく妙に冷ややかな、落ち着いたものである。
「麒麟将は麒麟将でも冥月ではない。しかし、なんとなく覚えのある感覚、何者かは断定出来んがかなりの手練れと言えるな」
そしてその何者かとはそう遠くはない未来に対峙せねばならない、とメアリは感じていた。
そして、いずれは冥月や莉乃とも雌雄を決せねばならないとも考えており、セシルに気づかれないところで拳を強く握る。
「……さてセシルよ。私の見立て通り反女王連盟の勢力を冥月は削ってくれたようだ。まだまだ不確定要素こそあるが、これでセオディアのことを気にする必要はなくなった」
卓越した理気を備えるメアリはセオディア、否反女王連盟がラクィア大陸に兵を出したことを知りながらあえて静観の姿勢をとっていた。
いずれかの麒麟将が対処することを理気の加護により先読みしていたため様子見を兼ねての判断だったが、結果的に元老院からの要請に従ってラクィア大陸に行くことはせず、こうして本拠地たるガリアス大陸の首都、工業都市ニムロドに留まっている。
しかしキャロルが冥月に敗れ、艦隊が壊滅したならばもはやメアリがラクィア大陸に侵攻しないという選択肢は存在しなかった。
「では総督閣下、いよいよ……」
緊張した面持ちでメアリの命令を待つセシル。彼は姉や姪ほど理気には優れていないが、本能的に激戦になることを察しているのである。
「準備が出来次第デモニア大陸に向けて出発。我が前に道を開けよ」




