第六話「清白」
新ヒロイン?
「う、ん?」
気づくと冥月は湿った土の匂いのする崖の底にいた。頭上高くから差し込む薄暗い月の光が顔を照らし、微かに顔をしかめる。
「……どうやら、生きているらしいな」
あれほどの高さから落ちたにもかかわらず全く傷を負っていないというのは幸運を通り越して奇跡と評するようなことだが、今はそれどころではない。
「気づいたか?」
「莉乃っ!」
冥月が目を覚ましたすぐ近く、ぼんやりと上を見ていたらしい莉乃は軽く嘆息すると彼に視線を向けた。
「ああ、二人とも怪我はなかったみたいだな」
莉乃は冥月が目を覚ます少し前に意識を取り戻していたようだが、彼の無事が確認出来るまでその場を動かなかったようである。
「……どうにか、な。しかし……」
目の前に聳え立つ岸壁は数十メートルはあろうかという高さ、冥月はこの高さから落ちて無傷だったことに改めて驚嘆した。
「ここから出る手段がないな」
岸壁を登って脱出するにしても何の道具もない現状ではこの高さを登りきるのは難しい上、仮に脱出に成功出来てもどのような状況になっているのかわからないため不用意に動くのは危険極まりない。
「さて、どうしたもの、かな」
半ば諦めたような調子で呟くと、冥月はゆっくりと立ち上がり軽く身体をのばして、四肢に血を通わせる。
どうやら思いのほか長い時間眠っていたようで両手を伸ばすと節々で骨が鳴るような音がした。
「……ん?」
ふと、奇妙な違和感を感じてすぐ近くの壁に手を這わせてみると、微かな亀裂の中から冷たい風が吹き込んでいる。
「この壁の向こうに空間があるな」
「なら粉々にしちまえばいいか?」
冥月が何か言う前に莉乃は石斧を振り上げると、壁の中に走っている小さな亀裂目掛けて振り下ろした。
「っと!」
かなりの剛腕で振るわれた一撃だったが、やはりそれなりに硬さはあるのか亀裂が広がるばかりで壁はビクともしない。
「理気を込めてみろ」
冥月の指示に頷く莉乃。壁に向かって意識を向けるとともに斧に理気を込め、亀裂目掛けて斧を振り下ろす。
理気を込めて破壊力が増した一撃はさすがに防げなかったらしく、石が砕ける音がして亀裂を中心に壁が崩落した。
慎重な動作でその向こうを覗き込む冥月だったが、どうやら考えは正しかったらしく満足げに頷いて見せる。
「思った通りだったな」
崩れ落ちた壁の向こう側にはどこか病院か研究施設の廊下を思わせるような空間が広がっていた。
「何とか通れそうだ」
莉乃の言葉通り彼女が開けた穴は狭いながらも人一人ならば何とか通れそうな大きさはある。
「……私が先に行って様子を見てくる。君は後からついてこい」
穴の向こう側に広がる空間を注意深く観察しつつ、冥月はゆっくりと穴に手をかけて向こう側へと侵入を始めた。
どうやら二人がいる崖下よりもやや高い位置にある施設らしく、床スレスレの場所に開いた穴をモグラのようにくぐり抜ける。
「……よし、誰もいないな」
簡単に廊下を見渡してみて誰もいないことを確認すると、微かに頷き崖下で待機している莉乃に視線を向けた。
「大丈夫そうだ、君もこちらへ」
「おうさ!」
比較的小柄な冥月とは違い、がっしりした肩幅を持つ莉乃だったがそこはさすがに女性というべきであろう。
柔軟な動きで穴をくぐり抜けると、穴越しに手をのばして壁に立てかけていた石斧を回収して見せた。
「柔らかいな」
「ふふ、このくらい軽い軽い」
軽口を叩き合う二人だったがここがどこなのか正確なところはよくわからない。否、なんとなく予想はついているが確信を持てていないと言うべきか。
「む、誰か来たな」
廊下の先から聞こえて来た足音に冥月と莉乃の二人は一旦物陰に身を隠す。
「……あら? こんなところに大きな穴が……?」
通りがかったのは白衣を身につけた金髪の女性、なんの機材なのかは不明だがゴーグルのような金属のバイザーが装着されており、顔の半分は隠れてこそいるが色素の薄い肌に彫りの深い顔立ち、間違いなくEMS人だ。
その女性は穴の空いた壁をしばらく見ていたが、なんとなく視線を後ろ、すなわち冥月らが潜んでいる物陰に目を向けた
「……え?」
直後に冥月と視線が交差する。バイザーに隠れていて細かい表情は窺い知れないが、驚愕の表情を浮かべているのは間違いない。
「動くな」
電光石火とも言うべき素早い動きで冥月はその女性のすぐ前に回ると、軍刀を引き抜いて切っ先を彼女の首に突きつける。
「っ!」
「命が惜しければ私に協力してもらおう」
両手を上げながら頷き、無抵抗の意思を示す女性。不本意なのは間違いなさそうだが、どうやら協力はしてくれそうだ。
「……貴方ひょっとして冥月、ですか?」
「……そう、だが……」
刀を腰に納めた冥月は、なぜ名前をと訊こうとしたがそもそも『冥月』という名前はノリスが勝手につけたあだ名だったため、EMS側に知る者がいてもなんら不思議ではない。
「?」
なんとなくだが冥月は彼女の声をどこかで聞いたことがあるような気がして、微かに首を傾げる。
「私はアルル、アルル・クウォーグと申します」
だがそんなことよりも丁寧な動作で頭を下げるアルルを見て、冥月は微かに眉を上げた。
これまで尊大なEMS人にしか会ってこなかったアルルの礼儀正しい動作に、少なからず虚を突かれたのである。
どうやらそれは莉乃も同様だったらしく、冥月の後ろに立つと彼女、アルルをしげしげと眺めた。
「俺は莉乃、お前、ずいぶんと俺たちに丁寧なんだな」
「……そうですか? もしかしたらあなた方の実力に恐れをなしているだけかもしれませんよ?」
「違うな、EMS人ならば恐れをなしたとしてもそんな態度はとらない」
アルルの言葉を冥月は素早く否定したが、彼女のほうは特に何も言わずに肩をすくめてみせる。
「それで冥月、EMS貴族、イェンセン家の令嬢ノリス様が管理するこのゲネシスソイミートタワーまで来て、貴方は私に何をお望みですか?」
やはりそうか、薄々勘付いていたことだがここはゲネシスソイミートタワーの地下、偶発的にとはいえ、敵の拠点に侵入していたらしい。
「好きで来たわけではない、君にはここから出るために案内をして欲しい」
出てからは好きにすると良い、と冥月が告げると静かにアルルは立ち上がりバイザーをかけ直した。
「わかりました。それでは最短ルートをご案内……」
「おーい、誰かおるのかっ!?」
すぐ近くの扉から声が聞こえてきたため、何ごとかと冥月は素早く顔を上げる。
「……あそこから聞こえてきたみたいだけど……?」
莉乃が指差した先は現在冥月らがいる通路のすぐ近くにある壁、そこはガラス窓のようなものがはめられているが、彼らのいる場所からでは中身までは見えない。
「おーい、誰かっ!?」
バンバンと内側からガラス窓を叩かれ、そちらに近づくとそこには幼い少女がいた。
年齢はまだ高校生にも満たない、中学生くらいだろうか? 黒い髪に色の濃い肌と外見的には明眼ら同様、卑猩の条件を満たしている。
しかし凛とした相貌に紅玉のような真紅の瞳に宿る強い意思、さらには力強い立ち振る舞いは間違いなく卑猩のものではない。
「おお、ようやく日本人に会えた。儂をここから出してくれ!」
「な、日本人、だと?」
驚愕する冥月。その単語を聞いたのはあまりに久しぶりだが、日本という意味を知るということは彼女はこの世界の人間ではないということだ。
「日本人って、何のことだ?」
案の定莉乃は理解していないらしく頭にはてなマークを浮かべているが、とにかく思わぬ収穫はあったと言えよう
「……下がっていろ」
「あ、ちょっと冥月……!」
アルルが止める間もなく冥月は刀を引き抜くと理気を込めて一閃、瞬時にガラス窓をバラバラに引き裂く。
直後廊下に警報が鳴り響き、どこからともなくEMSの女兵士らが現れた。
「な、なんだ貴様ら、どこから入ってきたっ!」
慌ててこちらに長銃を向ける兵士らだったが、彼女らが砲撃準備を始める前に冥月は動き始めていた。
即座に軍刀を引き抜くとともに投擲、理法念力を用いて軌跡を操作すると一瞬で兵士らの急所を切り裂く。
「これは、予想の遥か上を行く力ですね……」
「……終わりだな」
物言わずに即死した兵士らを見て簡単に生死を確認すると、冥月は刀を納めて少女が閉じ込められていた小部屋に視線を向けた。
「もう大丈夫だ」
おずおずと言った様子で少女は切り裂かれた窓から外に足を踏み出す。
「いやはや、お主とんでもなく強いのう……」
信じられないようなものを見るかのように、しばらく少女はその真紅の瞳を冥月と女兵士の死体に代わる代わる向けていたが、やがて破顔してみせた。
「儂の名前は清白、斎部清白、助けてくれて礼を言う」
「……私は冥月、君には色々と訊きたいこともあるが……」
「おおいっ! こっちも助けてくれっ!」
どうやらまだ捕まっている者がいるらしい、清白とやらがらいた隣にも同じような窓ガラスがあり、彼女の部屋よりもずっと広いそこには屈強な男達が数十人はいる。
「むっ!」
ガラスを切り裂こうとして冥月はその男たちがどうも卑猩とは違う異形の姿を抱えていることに気づいた。
肌の色は日焼けた褐色の肌を持つ莉乃よりもずっと薄い本来の卑猩に近い色だが、両耳は蜥蜴か何かを思わせる硬質なものであり、よく見れば蛇のような尻尾も生えている。
両手両足も人間とは違う爬虫類じみた形状をしており、明らかに人間離れした姿の男達だった。
「かれらは隷爬ですね」
怪訝そうな表情の冥月に対して説明するのはアルル、怪しくバイザーを光らせながらガラス窓を見つめる。
「隷爬……?」
「大昔爬虫類と卑猩を交配させて産まれたと言われている種族です。屈強な力と底知らずな体力からEMSでは広く労働力として扱われています」
いや、目の前で助けを求める隷爬たちはみな身体のあちこちに傷を負い、中には血を流している者すらいた。
間違いなく労働力などという生易しいものではなく、奴隷のような待遇だろう。
「……助けるぞ」
「ご自由に、また兵士が来ると思いますが、あなたの力なら軽いでしょうね……」
見張りが何人来ようが対処出来ると悟ったのかアルルは冥月を制止するようなことはしなかった。
「よし、では莉乃」
「よっしゃっ!」
今度は莉乃が石斧を振りかぶり、力任せに窓ガラスに叩きつける。冥月の時とは違い完全に砕け散るような音だったが、理気による強化はされていたらしく超硬度のガラスも一瞬にして破壊された。
直後またしても警報が鳴り響き、廊下の端からEMSの女兵士らが現れたが、廊下に倒れたままの同僚の死体を見て顔を青ざめる。
「き、貴様ら……!」
先程同様冥月は軍刀を投擲しようとしたが、その前にすぐ横を何者かが横切ったため投げるのを辞めた。
「……何っ!?」
驚く冥月の前で廊下に倒れた女兵士から奪ったものなのか、精妙な動きで刀を振るうのは清白である。
「鬱憤ばらしに付き合ってもらおう」
信じられないことだが、清白は恐ろしく洗練された動きで先頭にいた数人の兵士らを瞬時に斬り捨て、他の者も練達した体捌きでもって打ち倒してしまった。
「弱い弱い、この程度儂の敵ではない」
清白の技術はあまりにも洗練された動き、古流武術か、あるいは暗殺術のごとき実戦的な最小限の動きで敵を倒す技である。
「……古流剣術の動き、か? いや、いまはそれより……」
小部屋にいた隷爬たちはすでに脱出し始めており、何人かは冥月らが廊下に空けた穴を強引にこじ開け、そこから離脱を始めていた。
あそこから出ても外は岩壁しかないのだが、隷爬の豪腕を持ってすればその程度なんとでもなるのだろう。
「ありがとうございます。この施設にいた隷爬は我々だけです」
「気にすることはない、どうか無事を」
最初に冥月に助けを求めた隷爬は彼らに頭を下げると、他の者たちに混ざって穴から外に脱出していった。
「……さて、我々も早く離脱せねばな」
ようやくといった冥月の言葉にアルルは呆れたような顔を見せたが、黙って頷くと、すぐさま近くにあった扉を開く。
「最短ルートで一階のエントランス、出入り口まで向かいます。こちらへ」
先頭を行くアルルに従う形で、冥月、莉乃、清白の三人は薄暗い空間へと足を踏み入れていった。




