第三十七話「記憶の残滓」
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鮮やかな夕日が照らす穏やかな村、教会が一日の終わりを告げる鐘を鳴らしている。
キャソックを身につけたその青年は聖堂から外に出ると、寒空を吹き消すような眩しい光に目を細めた。
「詠冥!」
教会の前には修道士が手入れする小さな庭とそこに設えられたベンチからなる広場があるのだが、そこに一人の青年が立っている。
黒い髪に整った容姿、長年の剣術稽古で鍛えぬかれたその体躯は細身でありながらもしなやかな剣士のものだ。
特徴的なものとして彼の両目が挙げられるだろうか?
その目はまるで紅玉のような真紅の光を称えており、どんな雑踏の中でも認識できそうなほどに強い光が宿っている。
「清一、来ていたのか」
詠冥と呼ばれたその青年は広場に立っていた赤い瞳の青年、清一に近づいた。
「ああ、この『月島の庄』に伝わる古文書をまた読ませてもらおうかと思ってな」
並ぶようにして歩き始めると、詠冥と清一の二人は教会の広場から出て村を歩き始める。
もう一日が終わろうかという時間帯のため人の姿はほとんどないが、穏やかな風が二人の青年を包み込んでいた。
「……剣術にしか興味がない君が海外留学とはな」
詠冥が何やら考えながらからかうようにそんなことを呟く。
清一は詠冥とは異なりこの村の出身ではないが、伝家の剣術を集中して稽古するために昔から何度かこの村に来ていたのだ。
「おいおい、この現代日本は剣術だけで生きていけるような国ではないだろう? 学問を疎かにしてきたことはない」
笑みを浮かべながら清一は路傍に咲く彼岸花に目を留める。
「もっとも、お前が免許皆伝に至るまで稽古をつけて欲しいというならば、当分日本にいても良いんだがな」
「……ある程度の動きさえ掴めればもう十分、健康を維持するために毎日素振りするくらいが私にはちょうど良い」
それなりに昔からの付き合いのため詠冥は清一から彼の家に伝わる剣術を伝授してもらったこともあった。
彼の流派はふた振りの刀を使う特異な剣術型から始まり、最終的には一振りに至るものだが、詠冥は一刀の剣術型を学んだ段階でそこから先には進んでいない。
「お前ならもっと強くなれるはずなんだが、もったいないな……」
「剣術だけで生きて行けるほど現代日本は甘くはない。そうだろう?」
「違わないな」
夕日の中で二人は笑みをこぼし合うと、太陽が沈み行く山の向こうに視線を向ける。
「しばらくは村に留まるのか?」
「ああ、まあ精々一週間くらいだが、その間はずっと庄屋の爺さんと一緒だな」
確か清一はこの村の庄屋とはかなり親しく使っていたはずだ。
農作業の手伝いをすることを条件として特定期間下宿する。体力のある清一らしい方法で置いてもらっていた。
しかし今のような時期は比較的人手はいらないらしいので、昔ながらのやり方で藁を捩り荒縄を作っているのだとか。
「この一週間が終わったらいよいよ留学、この村ともしばらくお別れだな」
少しばかり寂しそうにそんなことを言う清一、どうやら向こうの大学を卒業するまでは日本に帰らないつもりらしい。
「俺が帰って来る頃には詠冥も司祭様、随分な出世だよな……」
「別に何か変わるわけでもない。神学生も司祭も神に仕えるという意味では変わらぬよ」
人類の歴史否、人間の人生に比べれば再会までの年月など瞬きの一瞬である。
そう考えていた。少なくともこの頃の詠冥は……。
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「う、ん?」
目を覚ました冥月が最初に感じたのは全身を包み込むような熱。炎を思わせながらも同時にどこか優しいその熱は彼の身体を覆っている。
次に感じたのは息苦しさ、どうも頭を抱えられているらしくほとんど身動きをとることが出来なかった。
最後に感じたのは不思議な柔らかさ、すべすべとした肌触りになんとも言えないハリ、なんとなく落ちつくような感覚である。
「……ぷはっ!」
息苦しさに空気と光を追い求めてジタバタもがいているとようやく顔が熱の合間から飛び出した。
しかしすぐ近くに見知った顔があったため今度は危うく飛び上がりそうになってしまう。
「り、莉乃っ!?」
そう、両目を閉じた状態で冥月のすぐ前、文字通りの目と鼻の先にある顔は彼とここまで苦楽を共にしてきた仲間、莉乃のものだ。
そこでようやく冥月は先程まで莉乃の持つ屈強な肢体に羽交い締めにされていて、彼女の豊かな胸に頭を押さえ込まれていたことを理解した。
だが今はそんなことよりも周りを取り巻く環境。正面から万力のような力で莉乃に抱きしめられているためほとんど周りは見えない。
しかしちらっと目に入った情報だけでも相当にまずいことに巻き込まれたことくらいはわかる。
「起きろ莉乃、目を覚ませっ!」
莉乃を起こそうと声をかけたが、ほとんど顔は動かせないため必然的に彼女のすぐ近くで叫ぶ形になった。
どうやら冥月よりもずっと深い眠りの中にいたらしく、彼の声を受けてうるさそうに顔をしかめる。
「ん? あんだよ冥にい、大きな声を出すなよ……」
目を開くと唇が触れるか触れないかぐらいの場所に冥月の顔があったため一瞬だけ莉乃の表情が凍りついたが、次の瞬間には両手を広げて彼の身を解放した。
そのままゆっくりと身体を起こすと、莉乃はその場で胡座をかいて軽く腕を伸ばしたが、あまりにも際どい姿のため、豊かな胸の先端や鍛え抜かれた腹筋の下が見えそうになる。
彼女は初めて会った時から身につけるものと言えば必要最低限の衣服、と呼べるかどうかすら微妙な獣皮のみ。
胸の先端と股間を辛うじて隠すのみであり、それ以外の箇所、筋骨隆々たる四肢も、鍛え抜かれて割れた腹筋も全て露出した姿だ。
そう言えば清白はネクロアクアスから奪還した宝珠を得た際に服が変わり、冥月もまた麒麟の姿から戻ると装束が変わっていたが何故莉乃は宝珠を得ても服が変わらなかったのだろうか?
「……で、冥にいよ。俺の寝込みを襲うような真似して何がしたいんだよ?」
じっと胡座をかいたまま莉乃はなんとも言えない艶かしい表情で冥月を見たが彼はそんなことを考えていたため気づかず、頭を下げる。
ぐっと腰をそらすようにして身体を伸ばすと、彼女の持つ見事な腹の筋肉がかすかに隆起し、存在を示した。
「もしかして、俺と一緒に寝たかったのか? 冥にいならいつでも歓迎だぜ?」
そんなことを言いながら豪快に笑い飛ばす莉乃。一瞬だけ彼女の表情に女性らしい、艶やかなものが混じったような気もするが、気のせいだろう。
「……そんな戯言を言う暇があれば周りを見てみろ」
現在二人がいる甲板の周り、すなわち船の外側はオーロラのような不可思議な光に包まれており、それから船を守るかのように理気の障壁が船全体に展開されていた。
「……なんだ? 確か俺たちはさっきまでアレーナルベルス城の地下にいたはずだが……」
「現状はよくわからんが、どうも尋常ならぬ出来事に巻き込まれてしまったらしいな」
どうにもよくわからないことだらけではあるものの、船自体は安定して動いているようで、いきなりどこかに沈んだりバラバラになったりはしなさそうである。
そう、恐らくだが頬を打つ風と微かに感じる重力の重み、今この船はどこかに向かって航海してしているのだ。
「……誰かが動かしている、のか?」
だが冥月の知る限りこの船に乗り込んだ者の中にはこのような船の動かし方を知る者はいなかったはず。
とにかくまずは現状をよく理解しようと精神を集中させて、記憶の中にある光景を思い起こす。
「……確かあの時は莉乃と話をしていて……」
意識を失う直前に何があったのか冥月が思い出そうとしていると、甲板のあちこちに落ちている岩の破片が目に付いた。
「そうだ、EMS側の攻撃で天井が崩れ始めたのだ……」
天井が崩落する中、突如として船全体が発光、光のドームのようなものを形成し、気づいたらこの状況というわけである。
「……にしても、この周りの妙な景色はなんだろな?」
まだ眠いのか、莉乃は目をパチパチさせつつ冥月に視線を向けた。
「……冥にいよ、この状況なんだと思う?」
特に不安な感じはなさそうだが、何が起きているのかについては気になるようで莉乃は冥月の顔を覗きこむようにしてそう訊ねる。
「……そうだな、この現象自体はよくわからないが、意識を失う直前に見た光のドームはなんとなく『首塚』の転移装置を使った際に見られるものに似ていたな」
もちろんあれに比べれば遥かに規模も光量もこちらの方が上だが、それでもなんとなく似たような現象に思えて仕方ない。
「それから、この空間がいかなるものかはわからないが少なくとも普通の空間ではない。理気の気配が感じられない」
そう、先程から何度か意識を船の外側に集中させているのだが理気がまるで探知出来ないのだ。
生命の活動が存在しないのか、あるいは時間そのものが停止してしまった空間なのか、はたまた冥月の常識の外側に位置する未知の世界なのかは不明だが、軽はずみに出て良いような場所ではなさそうである。
「……今のところわかるのはこのくらいだな。さて……」
軽く嘆息すると冥月はその場から立ち上がり、甲板の中央部にある潜水艦の昇降口を思わせる出入り口から船内に身体を滑り込ませた。
「……他の者はどうしてるかな?」
「あ、待てよ冥にい、俺も行く」
昇降口そのものはさほど狭くはないため、莉乃が狭い通路を通る際時折やるように身体を曲げたりする必要はない。
「随分と広い廊下なんだな」
昇降口の梯子を降りて最初に目につく廊下は莉乃の言葉通り、天井も高い上に通路も広いというものである。
これほどの大きさの船ならば決して不自然ではないのだが、屈強な爬人であっても易々と通れる昇降口に廊下は、もしかしたら彼らが乗ることを念頭に置いて作られたのかもしれない。
「……そうだな。さて、清白たちは……っ!」
直後廊下の端から銃声のような音が聞こえてきたため冥月と莉乃は息を呑んで見つめ合った。
「……冥にいっ!」
莉乃の表情も緊張に彩られた険しいものであり、ここが船内でなければただちに戦斧を出しそうである。
「……どうやら、不穏なものがあるようだな……」
これ以上の言葉は必要ない。すぐさま二人は銃声が聞こえてきた方向へと走り始めた。




