第二十三話「支配者」
寄生、あるいは異形化
剣呑な気配に武器を構え直す冥月、莉乃、清白に、何が起きているのかまるでわからない表情で唖然とするヴィルヘルミナ、ロベルト。
『忌々しき麒麟族の末裔、私を引きずり出すとは思わなかったわ』
ノリスが発した声はたしかに彼女のものである。しかし口は一切動いておらず、半開きの口の奥から聞こえてきたそれは、声ではなく音と形容したくなるような不吉さがあった。
「の、ノリス……?」
やっとロベルトはそう呟いたが、目の前にいる女性が先程までのノリスとは明確に違うことは誰の目にもわかる。
『ロベルト・イェンセン、確かパウリナ・イェンセンの奴隷、だったかしら?』
せせら笑うようにノリスはそう言うと壊れた人形のようにケタケタ笑い始めたが、口ばかり激しく動いており、瞳はあらぬ方向を向いているためあまりにも不気味だった。
「……貴様はノリスではなければ、ノリスが作り出した人格でもないな?」
冥月がそう問いかけると、ノリスはぐりんと首を回して彼の顔を見る。
『その通り、下賎な麒麟族の分際で、よくわかったわね』
「……先程私がノリスの右足を斬り落とした時から彼女の理気は弱まり、変わって貴様の理気が徐々に強まっていた」
そう、冥月の一撃で本来ならばノリスは戦闘不能になっていたはずであった。
しかし彼女の力ではない謎の力、すなわち今ノリスを支配している者の力が傷を再生させ、彼女を戦闘に駆り出すように仕向ける。
これによりノリス由来の理気を弱めて支配力を増し、今ではもう完全に成り代わっているというわけだ。
『くくく、その通りよ。もはやあなたたちがノリスと呼ぶ者は私の意識に飲み込まれている』
要するに彼女が現れた時点でノリスの意識、否人格は完全に失われたということである。
「……下衆が、要するに奴を殺して身体を奪ったってことかよ……!」
この場にいる誰にとっても意外なことにノリスによって兄を連れ去られた莉乃が彼女の末路に激昂していた。
『ふうん、貴方はノリスに散々な目に遭わされたんじゃないの? 私に感謝こそすれ、怒りをぶつける謂れはないわ』
「ああそうさ、だから俺の手できっちりケリをつけたかったのに、お前は余計な真似をした……!」
手にしていた戦斧を構え直し、真紅の理気をまとって臨戦態勢をとる莉乃。
『くくく、この私に勝てるつもりかしら? 下等な人間ごときが……』
「勝てるつもりなんじゃなくて、勝つんだよ」
まるで操り人形か何かのようにゆらりと両腕を上げると、ノリスは二つの手のひらから黒い電撃を放つ。
「……すでにサイコハンドを使いこなしているのか……」
『下等な人間が作ったものなんて、私には玩具に等しいわ』
笑みを浮かべて見せるノリス、しかし莉乃のほうはまだまだ余裕だったらしく黒い雷を斧の一閃で弾いた。
『……ふん、人並みには理気は使える、か。そうでないと面白くないわね!』
やはり操り人形のような不気味な動きでふわりとその場に浮き上がると、ノリスは弾丸のように両手から電撃弾を放つ。
「……遅いっ!
すぐさま莉乃は理気の流れを見切ると、高速で飛来する無数の雷撃弾を素早い動きで回避、いくつかの弾はノリス目掛けて跳ね返してみせた。
「っ!」
まだ身体の制御は万全と言えないのか、跳ね返された雷撃弾を左肩に受けてしまい、ノリスは微かに仰け反る。
「貴様っ!」
「まだまだだぜっ!」
信じられないような速度で莉乃はノリス目掛けて戦斧を投擲。狙いは過たずに彼女の両手を切り落とした。
「なっ!」
両手のサイコハンドを斬られ、機械の断面が露出、バチバチと火花が飛ぶがその前に莉乃は理法念力で戦斧を回収、ノリスに肉薄する。
「理力剣っ!」
次の瞬間戦斧から理気による業火が炸裂、避ける術がないノリスは正面からまともに喰らい全身を焼かれながら吹き飛ばされた。
『お、おのれ、卑猩ごときがあああああああ……!』
莉乃の一撃で背後に吹き飛ばされたノリスだったが、地面に身体を叩きつけられる前に空中に静止、そのままゆっくりと起き上がる。
身体のあちこちは炎に焼かれ、着ていた衣服もボロボロになりながらもまだ再生する力は残っているのかサイコハンドの残骸を二の腕から切り離し、断面から生身の腕を生やしてみせた。
『お、おのれ、麒麟族ですらない、矮小な卑猩風情にここまで追い詰められることになるなんて……!』
「いい加減諦めよ」
ロベルトとヴィルヘルミナを後ろに庇っていた清白が口を開く。
「お主が何者かは知らぬが、そこまでされてはもはや戦う意味はなかろう」
すでに勝敗は決している。莉乃一人にここまで押され、その上ロベルトとヴィルヘルミナがもう戦意を失っている以上兵力の差を覆すことは難しい。
しかも虎の子のサイコハンドすらも失い、戦う術もない以上いかに戦う意思があろうと戦闘続行は不可能だ。
『……ふ、ふふふ、いいえ、私にはまだ戦う力は残っているわ』
バキッと関節が鳴るような小さな音がしてノリスは首をひねり、続いてもう一度だけひねって本来の位置に戻す。
『ふふふ……。ようやく身体が馴染んできたらしいわ。これで私も美しい成長態に変われる』
ノリスが妖しげな笑みを浮かべた直後、身体を突き破り彼女の肩からヌメヌメと光る昆虫の触腕、蟷螂の前脚のようなものが現れた。
「……っ! なんだ?」
生理的に嫌悪感を抱かずにはいられないような生々しい光景に眉をひそめる冥月。だが変化はこれだけにとどまらない。
『おおお……! おぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!』
白目を剥きながら恍惚と身体を震わせ、身体が変わる異様な感覚に身を委ねるノリスの姿は、文明人たるEMS人らしからぬあまりにも品のないものである。
彼女の四肢は元の数倍にまで肥大化し、皮膚には赤黒い血管が無数に浮かんだ禍々しいものとなり、臀部からは蟷螂の腹を思わせるような巨大な器官と産卵管が姿を現した。
肥大化を続ける四肢に伴ってほっそりした体躯は腹部を中心に元の数倍にまで巨大化し、腰の部分からは新たに一対の足が姿を現したが、外骨格を持つ、明らかに昆虫のようなものである。
巨大化した両足もまた昆虫のごとき外甲に覆われ、それに続いて背中からは角のようなものが生え始めたが一同が見ている前で形状を変遷させ、最終的には透明の翅を収納する昆虫の背中へと変わり果てた。
そして最後にノリスは目を見開いたが、碧眼が徐々に濃くなり邪悪な、闇を思わせるような黒に変わる。
『ふ、ふははははは、あははははははは……!』
高らかに哄笑するノリスの姿はもはや人間のものではなく、人間と蟷螂が融合したかのような見るも悍ましい化け物の姿へと変わり果てていた。
「そ、そんな、これがノリスさん……?」
信じられないとばかりに目を見開くヴィルヘルミナ。ノリスが人間だった頃の原形はその狂気に染まった顔と肥大化した胴体部のみで、あとは粘液に包まれた昆虫の部位である。
「の、ノリスっ!」
叫び声を上げるロベルトだったが、そんな彼の首を穿たんとノリスの鎌が高速で迫った。
「ロベルト・イェンセン!」
だが下から突き上げるようにして生成された水の壁がノリスの鎌を阻む。
ウォーターカッターのごとき水圧で突き上げられた水にまともに鎌を入れてしまい、ノリスの鎌は容易く切断された。
「っ! 私を助けたのですかっ!?」
驚愕した表情でロベルトは右手を振り上げて、水の防護壁を解除する清白に目を向ける。
「……お主が死ぬ意味はもうない、ただそれだけじゃ」
短く返すと清白は指輪に理気を込めて、青い刀身を備えた刀を顕現させた。
『小娘が余計な真似を……!』
血の一滴も出なかったため、やはり大したダメージにはなっていないらしくノリスは毒づきながらも切断された鎌を再生させる。
ならばとばかりに今度は鎌に加えて、新たに生えてきた足も伸ばして四方向からロベルトに攻撃を仕掛けた。
流石の清白であってもこれだけ攻撃を集中させられればどれか一つは捌ききれないだろう。
だが雷のごとき速度で接近してきた冥月が麒麟剣の一閃で二つの鎌を阻んだため、清白はすぐさま刀を振るい余裕な動きで拙速を弾いた。
『き、貴様らっ!」
「何故ロベルトとヴィルヘルミナを? 貴様にとって味方ではないのか?」
背後に二人をかばいながら怒りのままにノリスが放つ攻撃を清白と二人で捌く冥月。彼の言うとおりロベルトもヴィルヘルミナもEMS人、ノリスにとっては味方ではないのか?
『愚かね麒麟族、私の正体を見た以上生かして帰すわけにはいかないわ』
「……ならばお前が死にやがれっ!」
瞬間ノリスの意識の外から放たれた戦斧、理気の込められたそれは正確な動きで飛来し容易く巨女の頭を両断する。
『……がっ!』
驚愕の表情を浮かべたままのノリスの目に映るのはブーメランのように返ってきた戦斧を回収する莉乃の姿。
不意をつく形ではあったが、莉乃の一撃はノリスに致命傷を与えた。
「やったかっ!」
ヴィルヘルミナの声に冥月はすぐさま首を振るとともに、麒麟剣を構え直す。
「いや、奴の理気は全く衰えていない、見ていろ……」
宙を舞うノリスの生首からいくつかの触腕が伸び、切断されたばかりの胴体に結合、一瞬のうちに再生してしまった。
「ノリスは、もはや完全に化け物になってしまったのですか……?」
あまりに人間、どころか生命の理屈からも逸脱したノリスの姿にロベルトは動揺を隠しれず唇を噛みしめる。
「……実験により変異したのではなく、ノリスの身体はあの蟷螂の怪物に乗っ取られたと考えるべきだ」
油断なく剣を構えながらそう返す冥月。間違いなくこれは、ノリスの望んだことではなく彼女に取り憑いた何者かが企んだこと。
元に戻す術があるかどうかはわからないが、彼女を止めることが出来ねば死ぬのはこっちだ。
『麒麟族どもよ、貴様らが徒党を組むなら私も数を用意するとしようかしら』
産卵管を地面に突き立てるとノリスは恍惚とした表情を浮かべ咆哮を上げながらグネグネと身体全体を揺らす。
『ん、んほおお……! うおおおおおおおおおお……!』
まるで乾いた土地に水が広がるかのようにノリスが産卵管を突き立てた一帯の地面が一瞬にして湿気を帯び、泡立ったかと思うと、その中からテラテラと光る1メートルほどの蟷螂のような怪物が次々と現れた。
「こいつらは、神殿の廊下にいた奴らかっ!」
莉乃の言うとおり体表こそヌメヌメの粘液で覆われているが先程神殿の廊下で冥月らを襲った怪物で間違いないだろう。
「……なるほど、あの怪物の母体は貴様だったのか……!」
『行きなさい、我が娘『魔螂獣』たちよ! 麒麟族とそれに連なる者どもを根絶やしにしなさいっ!』




