厄介なもの
当たり前のように繋がれた手を見つめながら、ヴィアは頬に熱が集まるのを感じ、そっと目を伏せる。
「ああ、そうだ。明日から早速、俺と団長が『花園』に行くことになっているが、大丈夫か?」
「え、ああ。問題ない。……ただ、愛し子との接触は本当に気を付けて欲しい。いきなりの話だし、皆も戸惑うだろうしな。あと、先日きた新参者には特に注意して欲しい。……その、家に帰りたがる者もいるだろうから」
本当なら、脱走するかもしれないから、と言いたかったのだが、それをメルヴィルに言うわけにはいかない。言ってしまえば、なぜ愛し子を守っている『花園』から脱走したいのか? と疑問に思われるだろう。
愛し子がただの生け贄である真実を知るのは、魔術師の一部と恐らく国王のみ、騎士であるメルヴィルは、現状を何も知らない……筈だ。
国王が今後、愛し子をどうしたいのかは知らないが、今はまだ、騎士達にむやみやたらと真実を教える訳にはいかない。もしそれらを知ってしまって、愛し子を哀れむ者が現れ、脱走に手を貸してしまえば……。
逃げた愛し子は、きっと死ぬだろう。精霊の性質をよく知る古参の者ならば、逃げようなどとは考えもしないだろうが、新しく来た者たちは、きっとまだ精霊の残酷さを知らない。ただ、『花園』にいれば否応なく突きつけられる、死の恐怖から逃れようと、馬鹿な真似をするかもしれなかった。
ヴィアが心配しているのは、外からの脅威ではなく、ひたすら中に居る者達の精神状況だった。
「ああ、わかってるよ。騎士達にはよく言い聞かせておくさ。なに、そんな心配しなくても、恐れ多すぎて愛し子様に近付く奴なんていないだろうさ」
そういったメルヴィルだが、残念ながらその言葉に信憑性はない。
ヴィアは繋がれた手を見て、それならばこの手はなんなのだ、と目を細める。しかも、この男は最初からかなり馴れ馴れしかった気もする。
そんなヴィアの無言の抗議に、何か思い付く事があったのか、ポリポリと頭を掻く。
「あー、俺と君とは話が別だ。特別だからな」
何が何で何が特別なのか。白けた目を向けながら、深くため息を付く。それを見たメルヴィルは、慌てて言った。
「いや、本当だから! 他の奴らには、ちゃんと言うから! な?」
何やら必死で弁解している男を置いて、手を振りほどいたヴィアは、足早に馬車へと向かった。
城から帰ってきたヴィアが、まず真っ先に向かったのはルトミナの元だった。重い足を引きずりながら、『花園』の中を歩くヴィアに、途中すれ違う者達が道を開けながら頭を下げる。その者たちに出来るだけ声を掛けながら、ようやく到着したルトミナの部屋。そこから聞こえてくる、なにやら騒がしい声、首をかしげながらノックをする。数秒して、扉が内側から開けられた。
「あら、ヴィア様でしたの。お迎えに上がれず申し訳ありません」
「いや、気にしないでくれ。それより何だか騒がしかったが、どうかしたのか?」
「ああ! アウレと盛り上がってましたの」
手を打って満面の笑みを浮かべたルトミナは、扉を大きく開けてヴィアを部屋に招き入れる。それに小さく頷いて中へ入ると、部屋の中心に置かれたソファにアウレの姿を見つけた。
ヴィアの姿を見たアウレは慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「ヴィ、ヴィア様だとは思わず、申し訳ありません!」
ぺこぺこと謝るアウレに笑いながら、小さく首を振る。
「そんなに畏まらなくてもいい。それより、やけに盛り上がっていたようだが、なんの話をしていたんだ?」
ソファに腰掛けながらそう尋ねたヴィアに、アウレは勢い良く顔をあげ、キラキラと瞳を輝かせる。
「はいっ! ルトミナ様から、魔石を作る際の詳しいやり方についてお聞きしておりました! これで、我々の研究が進みます!」
「魔石を? ……っルトミナ、そこまで話せたのか!?」
アウレの言葉に、慌ててルトミナを振り返る。すると、ルトミナは神妙な面持ちでヴィアを見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……どうやら、誓約が緩和、もしくは解除されているようですわ」
「っ!?」
信じられない、と目を見開くいたヴィアに、ルトミナは視線を落とした。そんな姿を見つめながら、呆然と言葉をこぼす。
「いや、確かに私が会議に呼ばれ、『花園』から出ている時点で、誓約は何らかの緩和がされているだろうとは思っていたのだ。しかし、それは会議に参加する私だけに当てはまるだろうと考えていたのだが……」
「私もそう思っておりましたの。しかし、もしかしたらと思って、実験してみたのですわ」
「実験? もしかして……」
ふと出掛けに渡された手紙を思いだし、まさか、という目でルトミナをまじまじと見る。
「ええ、あの手紙ですわ。実はここに来た最初の頃にも、家族に宛てて手紙を書いたことがあるのです。届かないとは分かっていたのですが。……しかし、その時は、手紙を書こうとしただけで、だめでしたわ」
「っそんなことしていたのか!?」
なんて無茶な! と顔をしかめ、空を仰ぐ。ソファにぐったりと身を預けたヴィアは、顔を手で覆い、唸る事しかできなかった。
「ええ。それが今回は、ただの挨拶だけの手紙でしたが、それでも外に持ち出す事ができた。これはきっと、誓約が緩和、もしくは解除されている証ですわ!」
興奮して頬を染める気持ちもよくわかる。愛し子にとって誓約とは、本当に足枷のようなものだったのだ。
誓約とは魔術契約だ。愛し子の実態を外に漏らすことのないよう作られたそれは、違反、もしくは違反に準じる行為をしただけで、罰が下るようになっている。
体に電撃が走り、あまりの激痛にのたうち回る。これまで誓約を犯そうとしてきた者達が、身をもって味わったあの罰を、ヴィアは進んで味わいたいとは思わなかった。
床にうずくまり、涙を流した者達の苦痛の叫びは脳裏に焼き付き離れない。それをルトミナも一緒に見ていた筈なのに、実験などと誓約を試していたというのだから、呆れ返って言葉もでない。
そして手紙を渡された時点で、誓約について何も気付かず、深く考えなかった自分がひどく愚かしい。
信じられない、と首を振るヴィアは、少し考え込んだ後、唸るように言った。
「誓約に関わっているのは、アシオレと国王だけのはず。アシオレがそのような事をするはずもない。となると、王がなにかしら誓約をいじったのか……」
「でしたら王は、私達をどうするつもりなのでしょう」
眉をよせ、心底不可解だと顔をしかめるルトミナに、ヴィアも言葉をつまらせる。
「わからん、なにも。……だが、明日からアシオレが南の地へ任務で向かうことになってな。二ヶ月ほど、王都を離れる。その間、青の騎士団が『花園』の警護をすることになった」
「騎士が!? やはり、王はいまのこの状況を変えるつもりなのでしょうか」
「恐らくだが……。最初の会議で言っていたように、愛し子を外界と関わらせるつもりなのかもしれん。だが、それで最終的に何が変わるかはわからんが……魔術師達は、何か変わったことはないのか?」
じっと黙って話を聞いていたアウレに問いかける。ヴィアの横に佇んでいたアウレは、顎に手をあて、首をひねった。
「いえ、そうですね。特にはありませんが……しかし、今回誓約を踏み越えて、魔石の作り方について話ができたのです。私達は今まで、魔石を作るのに命まで関わるという事はわかっていながら、それについて深く知ることは出来ませんでした。それが、変わった……これは大きな変化です! 私は今日、研究室に帰ってから皆に話したいと思っています!」
手を叩いて喜ぶアウレは、目に涙さえ浮かべている。そこまで喜ぶ事なのか、と苦笑しながら、ふと自分の指先を見る。アウレの研究が進めば、この鱗が無くなる日も来るのだろうか。そんな事を思いつつも、いやそれは無いな、と肩を落とす。もし仮に、そのような技術が開発されたとしても、精霊達がどうするか分からない。愛し子を使わなくても浄化できるようになったとして、彼らが本当に愛し子を必要としなくなるだろうか。
自由気儘な精霊達を思い、ふっと自嘲した。
「……ああルトミナ、悪いが、私はこれから魔石化の作業に入る。そろそろ新たな者達も訓練せねばならんだろうからな」
ルトミナの元を訪れた目的を思いだし、腰を上げる。誓約の話ですっかり忘れていたが、本来はこの事を伝えに来たのだ。正直言うと、国王の話も相談したかったのだが、アウレが居る場で話すのは少し躊躇われた。
「そうですわね。後の事はお任せくださいな。ヴィア様に限って失敗は無いと思いますが、くれぐれもお気を付けて」
頼もしい表情で頷いたルトミナに柔らかく笑い、扉へと向かう。そして扉の前で立ち止まり、振り返った。
「ありがとうルトミナ、後は頼む。……おそらく、明日の昼には顔を出せるだろう。もしそれまでに騎士達が来たら対応を頼む」
「私が、ですの?」
「ああ、言うのを忘れていた。実はルトミナは私の補佐役という事になっていてな。王にも許可を得ている。騎士と関わるのは問題ないから」
「えっ、補佐役っ!?」
驚きソファから立ち上がったルトミナに、ヘラリと笑ったヴィアはそそくさと退室する。なんとか捕まる前に扉を閉めることができ、ほっと息をついた。
しかしそれも束の間、すっと表情を引き締めたヴィアは私室へと向かう。ルトミナの部屋からそんなに離れていない私室へと付く頃には、すっかりピリピリとした空気を纏っていた。
部屋に入って扉の鍵をかけ、窓を開け放つ。そして部屋の中心に仁王立ちになり、ゆっくりと深呼吸をした。
「……面倒だが、仕方ない、か」
ポツリと一人呟きながら、これまで精霊達から受け入れた穢れを黒い湯気のように体から立ち上らせ、ゆらゆらと身に纏わりつかせる。徐々に細い糸となって指先へと集まる穢れは、胸の前で合わせた手へと移動する。じっと目を閉じ、身体中に意識を巡らせていたヴィアは、徐々に手の内に何かが形作られていくのを感じていた。
「っふぅ」
汗が首を伝い、小さく息を吐く。鱗がざわざわと総毛立つように蠢いていた。
――カツンッ
仁王立ちをしたヴィアの足元に、親指の爪程の黒い石が一粒転がり落ちる。それを切欠に、大小様々な石がパラパラと音を立てながら床に散らばった。掌から溢れ続ける石は、やがて無くなり、最後の一つが転がり落ちる。その音を聞いたヴィアは、ゆっくりと目を開け、そのまま座り込んでしまった。
「っはぁ」
ぐったりとした体は汗ばみ、力が入らない。重い頭を巡らせて窓を見ると、外は赤く染まり、いつの間にかかなりの時間が過ぎていたようだ。
ごくりと唾を飲んだヴィアは、黒い石が転がる床に、ふらふらと立ち上がる。そしてまた、手を合わせ始めた。
魔石を作っては休憩し、また作る。その動作を何度も何度も繰り返し、気づけば床一面真っ黒な魔石に埋め尽くされていた。
ようやく全ての穢れを魔石化し終えたヴィアは、肩で息をしながら床に手を付く。外はすっかり暗くなり、月が輝いている。かなりの時間座り込んで息を整えていたヴィアは、ゆっくりと立ち上がった。
「ああ、くそっ」
汗だくで体に張り付いた服が気持ち悪い。ふらふらと寝室へと歩きながら、その服をむしりとるように剥いでいく。そしてベッドの横に立つ頃には、一糸纏わぬありのままの姿になっていた。
月の光に照らされて、身体中に存在する鱗がキラキラと輝く。透き通る七色の宝石でできた鱗達は、どこか幻想的で美しかった。
しかし、そんな自身の体を忌々しそうに見たヴィアは、小さく舌打ちをする。
「おい精霊達よ、今日は疲れているんだ。わかるだろう?」
うんざり、といった声を出すヴィアに、反論するかのように鱗がざわめき始める。
「……頼むから、今日は出ていってくれ。考えたい事もあるし」
眉を寄せてそう言うと、ざわついていた鱗が動きを止める。そして、一瞬の静寂の後、突如ポロポロと鱗が剥がれ始めた。体から剥がれた鱗達は、空中でぼんやりとした光を放ち、ふわふわとどこかへ飛んで行く。
その様々な光が宙を舞う光景をぼーっと突っ立って眺めていたヴィアは、それが忌々しい精霊だとはわかっていても、純粋に綺麗だと思った。
そうしている間にも、鱗は数を減らし、その下からヴィア本来の白く美しい肌が見えてくる。そして、最後まで残っていた胸の中心にある一際大きな鱗が剥がれると、そこには何時もの異形ではなく、一人の美しい女が佇んでいた。白く輝く髪と肌、透き通るような紫の瞳は切れ長で美しく、唇はぽてりと赤く染まっている。
「おい、私まで追い出す気か?」
ヴィアしか居ない筈の部屋に、低い掠れた男の声が響き、ピクリと肩を揺らしてゆっくりと後ろを振り向いく。そこにいたのは白い鱗を輝かせ、とぐろを巻く巨大な蛇だった。
「ああもう、勘弁してくれ……」
蛇を見て顔をしかめたヴィアは、ベッドに飛び込み、シーツに埋もれる。それを見た蛇がズルズルと音を立てながらベッドの回りを囲い込んだ。
「ヴィア、私の愛しい子」
シューシューと掠れた声で呼び掛けてくる蛇を、シーツの隙間から睨み付ける。月明かりに照らされて、チラチラと見え隠れする白い素肌が、ほのかに輝いて見えた。
いつまでたっても反応をしないヴィアに顔を近付け、蛇は直も呼び掛ける。
「ヴィア、ヴィア」
何度も呼び掛けてくる声に、とうとう観念したのか、モゾモゾと顔を見せる。それを見て嬉しそうに顔を寄せた蛇に向かって、ぶっきらぼうに言った。
「なんです、精霊王」
寝転がったまま、間近にある自分と同じ紫の瞳を見つめる。見つめられた蛇は、ズルズルと太い胴を這わせながら、ヴィアの体に纏わりついた。その長大な体はベッドに収まりきれず、床にまで伸びている。
「オンシアと呼べと、そう言っているだろう?」
ねっとりとしたその言葉が、ヴィアの体に纏わりつく。鱗が剥がれて身軽になっていた体が、何故かずしりと重くなった気がした。
「……今日は疲れているのを、分かっているでしょう?」
「勿論。それにお前が王の言葉に悩んでいるのも、わかっているさ」
「ならば放っておいてください。静かに考えたいのです」
少しぶっきらぼうに言ったヴィアに、クツクツと軽やかな笑い声が届く。人が真剣に悩んでいるのに、と眉を寄せていると、思いがけない言葉が飛んできた。
「助言してやろうか?」
「助言?」
その言葉に思わず頭を上げると、目の前に蛇の顔が飛び込んでくる。まるで人のような、ニヤリと笑っているように見えるその蛇の顔をまじまじと見つめながら、何の気まぐれだと訝しむ。そんな考えなどお見通しなのか可笑しそうに笑った精霊王は、鼻唄でも歌いだしそうな雰囲気でヴィアを見た。




