進行方向は後ろ
「で? 私を置いていったと思ったら、そんなに楽しい状況になってましたの?」
ニコニコと笑っているのに、どこか恐ろしく感じるルトミナに冷や汗を流しながら、背筋をピンッと伸ばしたヴィアは視線を逸らす。目を合わせると、何だか危険な予感がした。
そうやって明後日の方を向くヴィアを見つめたルトミナは、笑みをより深くして、おっとりと話しかけた。
「まあ、そう。そうですの。私、ヴィア様のお友だちだと思っていましたけれど、それは私だけだったようですわね。悲しいですわぁ」
どこからか取り出したハンカチで大袈裟に顔を覆って嘆いて見せるルトミナに、たじたじのヴィアが観念するのはすぐの事だった。
「いや、別に除け者にしたとかじゃなくてだな……」
指を忙しなく動かしながら、言い訳じみた話を始める。それを咳払いで遮ったルトミナは、ジロリとヴィアを睨んだ。
「ちがいますわ! 私が知りたいのは、ヴィア様があの男のことをどう思ってるかですわ!」
バンッと強くテーブルを叩いたルトミナは、普段の優しげな面影はなく、キリリと眦をつり上げていた。
そんな様子にぐっと言葉に詰まったヴィアは、暫くの躊躇の後、恐る恐ると言った風に口を開く。
「いや、その……」
「ヴィア様!」
ボソボソと話すヴィアを鋭く一喝し、椅子から立ち上がって腰に手を当てる。その姿は、まるで背に炎を背負った鬼神の如くだった。
そんな気迫に当てられ体を縮こませたヴィアは、上ずった声で悲鳴を上げる。そしてジロリと睨んでくるルトミナは、ぐっと顔を近付けて、早く答えろと目で訴えていた。無言の脅迫にプルプルと震えるばかりのヴィアは、とうとうポツリと言葉を落とす。
「好き……だと思う」
「だと思う?」
「ひぃっ、いえ! 好きです!」
低く返された言葉に飛び上がり、慌てて訂正する。そして自分が言ってしまった言葉に、真っ赤に顔を染めた。
ルトミナはと言えば、ヴィアの答えを聞いた後低く唸り、考え込んでしまう。そんな反応が気になってつい話しかける。
「なあ、やはり私がその、す、好きとか言うのは、身の程知らずだろうか」
自身の手に視線を落とし、そこにある鱗を撫でながら項垂れる。この異形の姿といい立場といい、考えてみれば普通に恋をするなんてあり得ないだろう。これから先も『花園』に囚われたままの自分が、メルヴィルに恋をしたところで、いったい何が出来るというのか。何をとち狂ったのか、ヴィアの事を好きだと言ってくれた人の姿を思い浮かべる。
そしてぎゅっと目を瞑って、頭を振った。
「やはり、私の気持ちは伝えない方がいいかもしれんな。メルヴィル殿も、何れ私の事など忘れるさ。……一生ここを離れられない私と、将来も地位もあるあの方では、お互い不幸になるだけだろうよ」
しょんぼりと肩を落とすヴィアは、自分で言ったその言葉が本心でないと物語っていた。そんなヴィアに何かを言いかけるルトミナだったが、言葉が見つからなかったのか口を閉じる。
ルトミナにも、ヴィアの言うことがよくわかるのだろう。今の現状のままでは、『花園』に居る愛し子達に幸せな未来など訪れる筈もない事を、ルトミナもヴィアもよく理解していた。
眉を下げて何も言わないルトミナに、苦く笑ったヴィアは、ポンッと膝を叩いて無理矢理明るい声を出した。
「なに、誰かに恋をするなんて、一生縁の無い物と思っていたんだ。貴重な経験ができただけありがたいさ」
そうだろう? と覗き込んでくるヴィアに小さく笑ったルトミナは、表情を真面目なものに変える。
「でもヴィア様? メルヴィル殿を嘗めない方がよろしいと思いますわ。私、ある程度あの方と過ごしてきましたけど、あんな姿を見たのは初めてでしたもの」
「あんな姿?」
特に変わったところは無いと思っていたメルヴィルの、あんな姿とは何なのか。思い当たる節が無いヴィアは、首を傾げてルトミナを見た。
「私、あの方が女性にあんなに優しく、紳士的に接しているのを初めてみましたわ。それに、あの方はいつももっと凶悪というか、腹黒いというか……」
「凶悪? メルヴィル殿が?」
優しげに微笑むメルヴィルを思い浮かべ、まったく似合わない言葉がでできたことに目を見張る。物憂げな表情をしたルトミナは、まったくわかっていないヴィアに言葉を続けた。
「ええ、あの方は男も女も関係なく厳しい、いえ、容赦の無い方でしたわ。私も何度泣かされた事か……それがあんなうっとりとした顔で……」
顔を真っ青にさせ、自分を抱き込み腕を擦るルトミナは、信じられない、と呟く。その様子を真剣に見ていたヴィアは、ふとある考えが浮かぶ。そしてそれが真実のような気がして、はっと立ち上がる。
突然立ち上がったヴィアに目を丸くしたルトミナは、どうしたのかと問いかけるが、それに難しい顔で応えたヴィアは、低く唸った。
「もしかしたら、メルヴィル殿のその態度は、我々を探る為ではないか?」
「まさか、そんな!」
立ち上がったヴィアを下から見上げ、目を丸くするルトミナはヴィアの真剣な顔を見て、そんな、ともう一度呟く。
「だが、そう考えれば色々と説明がつくとは思わないか?……だいたい、冷静に可笑しいだろう。こんな私を、数回しか会ったことがないのに好きになるか?」
「それは……」
「それにルトミナも言っただろう。メルヴィル殿ではないようだ、と。もしかしたら『花園』を探る為に私と親しくなれば、都合が良いと思ったのではないか?」
これまでの優しい態度、言葉は、その為の演技だったのでは、と眉を寄せ、手を握りしめる。
「確かに、元々騎士は私達を良く思っていないというのは聞いておりましたが……だからと言って、そこまでしますか? 何のために?」
不可解だと言うように首を傾げるルトミナに、ヴィアは腕を組んで低く唸る。そして乱暴に椅子に座った。
「わからん。だが我々の事や、『花園』の中の事は王ですら把握できていない筈だ。愛し子の管理は、もう百年以上に渡って魔術師達が行ってきたと聞く。ならば、ここに何か秘密が有るのではと疑っていても可笑しくはないだろう? もしかしたら王の指示かもしれんし……何にせよ、メルヴィル殿が演技をしている可能性は高いのではないか?」
「……そうですわね、その可能性もありますわね」
しょんぼりと肩を落としたルトミナは、下を向いて視線をさ迷わせ、チラリとヴィアを見た。恐らく、ヴィアの事を心配しているのだろう。分かりやすいその反応に、眉を下げて小さく笑い、組んでいた腕を解放する。
「なに、そうと決まったわけではないし、どちらにせよ私には縁の無い人だったというだけだ。まあ本当に『花園』を探りに来ていたとしても、我々はこれと言って探られて痛い腹はないからな。放って置けばいいだろう」
そう言って溜め息を付いたヴィアは、ゆっくりと立ち上がる。何だか頭が重い気がして、少しだけふらついた。
「っ、大丈夫ですの!?」
心配そうに駆け寄り、腕を支えてくれるルトミナに小さく礼を言い、やれやれと頭を振る。
「やはりまだ魔石化の疲れが取れて居ないようだ……少し休んでくるよ」
重い足を引きずって扉に向かうと、後ろから心配そうにルトミナが着いてくる。一瞬だけ振り返ったヴィアは、そんなに心配するな、と優しく笑い、扉の前で立ち止まる。
そして少しだけ悩んだ後、困った顔で言った。
「それで悪いんだが、メルヴィル殿の相手はルトミナがしてくれないか? メルヴィル殿の真実がどうであれ、私には荷が重いだろう」
目を伏せながら言うと、ルトミナがそっとヴィアの手を取り、優しく握りしめてくる。そして自分より少し高い位置にあるヴィアの顔を見て、優しく微笑んだ。
「勿論ですわ、あの野郎の相手はお任せくださいな」
何だか黒い気がするその笑顔に、ゾワリと背筋を粟立たせたヴィアはひきつった顔で釘を指す。
「お、おいルトミナ、まだメルヴィル殿がそうと決まった訳ではないからな!」
「ええ、わかってますわよ?」
「そ、そうか」
それ以上何も言うことが出来なかったヴィアは、すごすごと部屋から出る。その重い扉を閉めようとした瞬間、あっ、と気がつき、慌ててルトミナを呼び止めこそこそと囁いた。
「あ、明日は青の騎士団長も来るからな! それの相手も頼むっ」
「まぁっ!」
驚いて手を口に当てたルトミナに軽く片目を瞑って見せ、すたこらさっさと歩き去る。先程までの億劫そうな動きなどチラリとも見せないその逃げ去りように、仕事を押し付けられたルトミナは、あんぐりと口を開けた後ポツリと呟いた。
「ヴィア様、ウインク出来ておりませんわよ……」
片目どころかほぼ両目を瞑っていたヴィアを思いだしたのか、深く溜め息をつく。何だか良いように逃げられたかも、と呟いたルトミナは、大きく肩を落とした。
――バタンッ
「ゼェッゼェッ」
自室の扉を乱暴に閉め、そのまま扉に背を預けてずるずると床に座り込む。肩で息をするヴィアは、立てた膝の間に頭を埋め、暫くの間動けなかった。
「くそっ」
この儘ならぬ体め、と憎々しげに膝を殴り、唇を噛む。ルトミナにあれ以上心配をかけまいと、去り際は態と明るく振る舞って見たのだが、思った以上に体の負担は大きかった。
座り込んでから暫くたったと言うのにプルプルと震える足を見て、小さく舌打ちをする。やはり多くの穢れを受け入れている分、いかに器が大きかろうと、その分の影響も大きい。ぐっと手を握りしめたヴィアは、チラリと自分の胸元を見て固い声を出した。
「精霊王よ、すまないが今日も離れていてはくれないだろうか」
ヴィアが発した言葉に全身の鱗が震え始め、その感触に眉を寄せる。パチパチと静電気を発生させている鱗達は、恐らくかなり機嫌が悪い。肌に伝わる小さな痛みが鬱陶しくて、腕にある鱗をぐっと押さえて見るが、小さな痛みが治まる事はなかった。
「そんなに怒らないでくれ、私も体が辛いんだ」
「ならばその体、捨ててしまうか?」
ゾワリとする声が背後から聞こえ、思わず硬直したヴィアの髪を、サラリと何かが掠めていく。じっと動かないでいると、目の前を太い蛇の胴が過っていった。
「精霊王、いきなり姿を現さないでくれ。心臓に悪い」
体に纏わりつく蛇の体に目を落としながら、小さく息を吐く。少し表情を強ばらせたヴィアの横顔を眺める精霊王は、蛇の癖に人間のように目を細め、裂けた口を開ける。
「その体、捨てて我らの仲間になるか? 苦痛から解放されて楽になるぞ」
「そうなれば、貴方の浄化が出来なくなるが?」
渋面をつくって吐き捨てるように言ったヴィアに、シュルシュルと掠れた音をさせ頭をもたげた精霊王は、赤い下をチロリと出して顔を近付ける。
「なに、いざとなればその辺の奴に浄化させるさ。お前よりは浄化が遅くなるだろうが、私には悠久の時がある。そんなに焦りはしないさ」
「だが、貴方ほどの穢れを受け入れられる者は少ない。普通の者が貴方に寄生されれば、すぐに体を壊してしまうだろう」
鋭い声でそう言うと、近くにあった顔はつまらなさそうに離れていく。そしてスルリとヴィアの体から離れると、近くにあった絨毯にとぐろを巻いた。
「まったくだ。人の体の脆いことよ。折角魔石化の力まで授けてやったと言うのに、それすらろくに使いこなせんとはな」
その言いように顔しかめ、床に座り込んだままの体に力を籠めて、ふらつきながらも立ち上がる。何とか歩き始めたヴィアは、一番近くにあったソファへ倒れるように座った。
「貴方がもっとまともな力を与えてくれれば、愛し子達は死なずにすんだのだ……」
低く唸るヴィアは、ぐっと手を握りしめ唇を噛む。プツリと唇から血が溢れ、鉄の味が口に広がった。
「ふん、そこまで気を使ってやる必要がないな。我ら精霊が穢れを浄化仕切れなくなったのは、元はといえば人間のせいだ。なのになぜ、我らがその人間に優しくしてやらねばならん?」
その正論すぎる言葉に、言い返す事もできずに黙り込む。精霊王は俯くヴィアを眺めながら言葉を続けた。
「だが、お前は特別だ。お前の浄化能力には、我々も目を置いてる。だから……」
お前が死んだら、特別に仲間へ迎えてやろうな。そう言葉を響かせた精霊王は、淡い光と共に姿を消した。光が消える直前までじっと床を睨み付けていたヴィアは、強く握りしめた拳で己の膝を殴る。
愛し子達を守ろうとこれ迄もずっと足掻き続けてきたが、現状はちっとも変わることは無い。『花園』の筆頭であるのに、人の世からも、精霊からも受け身しか取れない自分が無能すぎて、ひどく悔しかった。




